Section-4
更新履歴 21/9/8 文章のレイアウト変更・表現の修正
おそろしく年季の入った、焦げ茶色にくすむ板張りの壁。
少しでも椅子を傾ければ、即座に軋んだ音を立てる不安定な床。
窓からの日差しを反射して輝く、空気中に漂う無数の細かな埃……
そんなレトロと言うよりは、ヴィンテージと表現したくなるほど古びた教室の中に、俺はいた。
そこの端にある自分の席に座り、頬杖を突いて窓の外を眺めながら。
ただしその不真面目な態度には似合わぬ、ひどく落ち着かない気分で。
(何があったんだろうな……)
原因はもちろん、我が相棒結城悟の、いつになく沈んだ態度だ。
彼は俺のすぐ後ろの席で、こうして教室へ来た今になっても、物憂げにじっと黙り込んでいる。
要は一向に改善する気配が見られない、ということである。
そうした彼の振る舞いに、俺もまた気持ちを引きずられ、何となくそわそわしているわけだ。
二人仲良く、心ここにあらずの状態、と言ってしまってもいい。
無論、解決策も思いつかぬままだし、いやはや本当にどうしたものだろうか。
ますます深まるその悩みに、俺は独り頭を抱えつつ、内心でため息をついていたのだが――
(……はあ)
そんなこちらとは裏腹に、現在この教室では、非常に明るい雰囲気でホームルームが進行していた。
「では、記録係は結城君で」
良く通る声でそう宣言したのは、学級委員の志藤明だ。
それに応じて視線を向けると、教室の黒板の前に凜然と立ち、てきぱきと話し合いを主導中の彼女の姿が目に入る。
その立ち居振る舞いには、いかにもクラスのリーダー、という印象があった。
志藤はそんな雰囲気を漂わせたまま、横に控えた久保擁介の方を振り返る。
その長く豊かな黒髪を、体へ沿うようにたなびかせながら。
そして視線だけで、彼に軽く合図を送った。
すると久保が、素早くそれに反応し、決定した議事を黒板へ書き記していく。
生真面目な彼らしい、堅実かつ迅速な仕事ぶりだ。
端から見ていても、相性ばっちりという感じのコンビである。
もっともその滑らかな連携とは違って、二人が並び立つ様はどこかちぐはぐだ。
ひどく不釣り合いなように見える、と表現したっていいかもしれない。
ちなみに俺が彼らに対し、そう失礼な感想を抱く原因は――
(天と地の差、ってやつだよな)
二人の容姿、特に顔とかスタイルとかに、とんでもない落差があるせいだ。
まず志藤の方は、街ですれ違った男の大半が振り返るだろう、と思うくらいの飛び抜けた美人――『アキラ』という名前ながら、れっきとした女性――なのだが。
片や久保の方は、背が低くてぽっちゃりした体型な上、顔にも取り立てて目を引くようなところは無い。
クールビューティを地で行く志藤とは、まさしく月とスッポン、ということである。
加えて志藤は、成績優秀で品行方正、クラスメイト達からの信頼も篤い。
しかし久保はと言えば、成績は普通で運動も苦手、責任ある立場を任されることもない。
そういう部分でも、二人の存在感には大きな差が生じている。
さらに言えばあの委員長、実は学校だけでなく、例のゲーム内でも指揮官役を務めている。
先の戦闘で指示を出していたのは、他ならぬ彼女なのだ。
加えてその指示は的確であり、文句をつける者は誰一人いない。
しかし久保の主な役割は、そんな彼女の護衛、及び味方の支援がほとんど。
目立つ働きをしたことは、俺が覚えている限り一度も無い。
戦果ポイントランキングの方も、常に低ランク安定であるはずだ。
要はあの二人、才色兼備を絵に描いたような完璧超人と、平々凡々を絵に描いたような一般人――むしろちょっと下かもしれない――のコンビというわけだ。
見ていてちぐはぐだと思うのは、至極当然の感想と言えるだろう。
などと俺は、沈む己の気分に引っ張られてか、そう口に出したら大問題になりそうな事を考えていたのだが。
そこへ不意に、志藤の次なる言葉が届いた。
「役割分担については、以上ですね。
それでは次、式のプログラムについて考えていきましょう」
その提案をきっかけに、俺は自らの思索を中断し、今日のホームルームの議題に思いを巡らし始める。
(卒業式……かあ)
そう、今ここで論じられているのは、間近に迫った自分達の卒業式のこと。
その具体的な段取りや、式での役割分担を打ち合わせているのだ。
なぜわざわざ、そんな面倒な事をしているのかと言えば、それは俺達に下級生がいないから。
任せられる人間が誰もいない以上、全て自分の手でやるより他は無し、ということである。
生徒数が極めて少ない、片田舎の分校ならではの事情だろう。
もっとも俺は、現状こんな精神状態でいるため、その議論にはほとんど参加していない。
すっかり置き去りにされた状態で、ただ傍観を決め込むのみなのである。
同じく話し合いに交じる気のない、ずっと黙ったままの悟と共に。
実際そういう俺達とは無関係に、志藤の話は続いていった。
「もちろんだいたいのところは、すでに決定済みなのですが……
他にも何か、式の途中や前後にやりたいことはありますか?」
これはおそらく、みんなで何か記念になるような事をしましょう、という提案だろう。
一度しかない高校の卒業式を、少しでも思い出深いものとするために。
どうやら彼女、ドライそうな見た目に似合わず、結構イベント関連に対し熱心なタイプらしい。
志藤のその、意外と前向きな呼びかけに、すかさず手を挙げ元気良く答えたのは――
「はい! 先生!」
クラスメイトの一人、栗原真希だ。
全員の中で最も小柄、しかし同時に最もエネルギッシュな、この教室のムードメーカー的女の子である。
ただ発言を見てもわかる通り、同時にトラブルメーカーでもあるのだが。
そんな彼女に対して、志藤は冷静さを保ったまま、律儀に突っ込みを交えつつ応じる。
「私は先生ではないですけど……何でしょうか、栗原さん」
対する栗原は、やはりと言うか何と言うか、かなり突拍子もない提案をぶちこんできた。
「卒業旅行に行きたいです! みんなで!」
当然言われた方は、意表を突かれた顔で、呆けたようにその言葉を繰り返すのみだ。
「卒業旅行……ですか?」
あまりにも話に脈絡が無いので、完全に面食らってしまったのだろう。
ちなみに他のクラスメイト達も、総じて似たような表情である。
もっとも一人だけ、それに素早く乗っかった者もいたりする。
「いいね~、卒業旅行。俺も行きたい。
みんなで行こうよ、最後の思い出作りに」
その無闇に明るい口調の主は、いかにも軽薄と言った雰囲気を漂わせる男子生徒、柳井満だ。
彼もまた、当クラスでの役回りは、盛り上げ役兼問題児である。
そうした印象を体現するかのように、次いで柳井は栗原と、たいへん適当なやり取りを始めた。
「だよね! やっぱりいいよね、卒業旅行!
行くならどこがいいと思う?」
「そうだな~、大切な記念だしな~……いっそ豪華に、海外とか行っちゃう?
最高じゃない?」
「うん、それ最高! 柳井君冴えてるね!」
ただし彼らが交わす、その極めていい加減な会話がひと段落したところで、志藤が容赦なくそれらを切り捨てる。
『いやちっとも冴えてないだろ』という、クラスメイト全員の思いを代弁するかのように。
「残念ですけど、そんな予算はありません。時間的余裕もありません。
よって、却下します」
彼女その、無情な回答を聞いた二人は、当たり前のように不満げな声を上げた。
「ええ~……」
「ノリ悪いよ~、志藤ちゃん……」
しかしもちろん志藤の方は、そんなのどこ吹く風と言った表情だ。
二人の抗議なんて、全く意にも介していないらしい。
提案が通る見込みは、間違いなく皆無であろう。
それでも二人は、しばし何だかんだと抵抗を続けていたのだが。
やがて『これでは暖簾に腕押しだ』と理解したのか、ものすごく渋々という様子で引き下がっていく。
そんな栗原を、彼女の隣の席に座る、朝倉雪子が慰め始めた。
仕方ないよ、今からじゃ旅行なんて難しいんだから、と諭すように優しく。
あの暴走娘に対し、そこまでしっかり対応しなくてもいいだろうに、何とも真面目なやつである。
一方柳井の方はと言うと、同じく彼の隣の席に座る、橘幹也に絡んでいく。
『ミッキーも旅行いいと思うよな~』などと、しつこく繰り返して。
もっともこちらは、相手がクールな性格の橘だったので、冷たくあしらわれるだけだったが。
要はこれにて、先ほどの適当極まる意見が、無事完全に却下されたというわけだ。
まあ本音で言えば、彼らにもふざけていたところはあるだろうし、完全な自業自得である……
……と、普段はふざける側の俺でさえ思う。
とは言えあの二人が、ああいう無茶な要求をしたくなる気持ちも、正直なところわからなくはない。
なぜなら――
(周りがこの有り様、だからなあ……)
そう鬱々と内心で呟きつつ、俺は自身の言葉に誘われるように、窓の外へと視線を向けた。
そこに見えたのは、広くなだらかな山地と、緑色の深い森だけ。
街並みどころか、人家のひとつも見当たりはしない。
完全に隔絶された陸の孤島、という雰囲気の風景である。
俺達はいつだって、この外界から切り離された、退屈な場所で過ごしているのだ。
ゆえにまともな娯楽と言えば、例の『ゲーム』くらい。
後はせいぜい、無邪気な小学生のように、校庭で鬼ごっこでもするしかない。
であればひとつ、全員参加の旅行にでも行ってみたい。
そうして訪れた先で、思う存分羽を伸ばし、楽しい思い出をたくさん作っておきたい。
それはきっと、あの二人だけでなく、この場にいる誰もが共感できる願いであろう。
だがもちろん、そうそう都合良く事が運ぶことはない。
予算をかけずに、うまく非日常体験をするアイディアなんて、簡単に閃くわけもないのである。
ゆえに俺は、会議の行く末を悲嘆し、すっかり諦めていたのだが。
(やっぱ無理だよな……ん?)
しかし次いで、その閉塞する状況へ、突破口を作り出そうとするかのように――
「……ちょっといいか?」
とある男子生徒が、突然議論に割って入ってくる。
「旅行……って言うほど、大げさなものじゃなくてもだ。
近所に軽く出かける、っていう程度なら何とかならないのか?
そのくらいの余裕なら、あると思うんだがね」
その発言の主は、斉川雅幸――こういう皆が困った時にちょいちょい出てきて、ピンポイントで良い意見をくれる、縁の下の力持ち的ポジションの男だ。
今回の提案も、地味ながら十分に現実的だし、それなりに頼れる存在と言えるだろう。
ただし一方で、彼に対する直接の印象としては――
(……相変わらず、言い方が悪い奴だな)
気持ちの面でちょっと引っかかる、というネガティブなものだった。
実のところ斉川の口調は、やたらと言葉尻に険があるので、どこか皮肉を言っているように聞こえてしまうのだ。
そのせいか提案自体は妥当なものなのに、感情が邪魔をして素直には受け入れづらい。
普通の口調で言えば、もっと円滑に話が進むだろうに。
ちょっともったいないよな、と余計なお世話ながら思わずにはいられない。
ただ志藤の方は、そのひねた態度を気にした風もなく――
「そうですね……それくらいなら、何とかなると思います」
わずかに思案する素振りを見せてから、迷うことなく斉川の申し出に同意し、続けて詳細な計画を求めてくる。
「では具体的に何をするのがいいか、意見はありますか?」
するとその志藤の呼びかけに、すかさず斉川の隣に座る、春日井真那が応じた。
非常に妥当、かつ無難な答えを返したのである。
「じゃあ、カラオケとかどうかな? みんなで卒業ソング歌おうよ」
しかもその発言の直後、何となくだが場の空気が和らいでいく。
彼女の口調がとても親しみやすく、また纏う雰囲気にも、どこか人好きのする印象があったせいだろう。
自然と周りを魅了するやつ、とでも言うべきだろうか。
とにかく全てにおいて、隣のひねくれ者とはえらい違いだった。
さらに言えば彼女、志藤と同じく容姿が良い上、見た目にひどく大人びた印象がある。
もし普通の学校であれば、校外の大学生と付き合ってる……なんて噂でも立ちそうな雰囲気なのだ。
まあこんな田舎では、それもあり得ない話だが。
そうやってまたしても、失礼な物思いに耽る俺をよそに、志藤は春日井の提案を即座に承諾――
「それでしたら、予算的にも時間的にも十分可能ですね」
それから皆の意志も確認しつつ、手早く話をまとめた。
「では春日井さんの他に、出かける先についての意見がある人は?
……いないみたいですね。ならこの方向で計画を立てておきましょう」
結果としてその瞬間、教室全体に緩い空気が漂い始める。
おそらく重要な議題が解決したことを、クラス全員が認識したからだろう。
当然今日のホームルームはここまで、という展開になるはずだ。
その証拠に志藤は、次いでいかにも締めくくり、という風に最後の質問を行った。
「では他に、卒業式に関して意見がある人は?」
そして教室全体をぐるりと見渡し、呼びかけへの返答が無いことを確認した後、閉会宣言のためもう一度口を開こう……としていたのだが。
しかしすぐ、何か思い出した様子で硬直し、それから唐突に横へ向き直る。
そして一応聞いておくかなという口調で、短い問いかけを発した。
「倉田先生の方からは、何かありますか?」
その視線の先、教室の隅へ置かれた椅子に、一切の存在感無く猫背で座っていた人物――それはよれよれの白衣を纏った、ひどく冴えない中年男性、当クラス担任の倉田公平先生である。
彼はいかにも昼行灯という佇まいのまま、その印象を裏切らぬ薄ぼんやりとした口調で、志藤の呼びかけに応じる。
「うん……ああ、いや、いいんじゃないかな」
その呑気な声音からは、やる気など欠片も感じられなかった。
とりあえず質問を肯定しているだけ、という雰囲気なのだ。
おそらくだが、話し合い自体を良く聞いていなかったのだろう。
彼は本来、このクラスを監督する立場であるにも関わらず。
もっともこの人に関しては、実のところいつだってこんな感じである。
大抵の事は基本、学級委員である志藤に任せっきりで、自分は遠くから見守っているだけなのだ。
それは果たして、教育方針が放任主義だからなのか。
それとも単に、彼が怠惰なだけなのかはわからない。
その人柄を良く知らぬ俺には、さっぱり判断がつかぬのである。
まあ正直に言えば、いてもいなくても大差ない存在だと思っているので、そもそもあまり興味が無いのだが。
ただ学級委員としてはそうもいかないらしく、志藤の方は複雑な反応を見せる。
曖昧な倉田の返答に、少し困ったような、あるいは軽く怒ったような表情を浮かべたのだ。
ちょっとはしっかりしてください、とでも言いたげな雰囲気である。
しかし結局、期待するだけ無駄とでも割り切ったのか、彼女はあっさりと倉田を放置した。
直後にクラスメイト達の方を振り返り、ホームルームの閉会を宣言してから、次の行動に移るよう促してきたのだ。
「それじゃあ、とりあえず今回はここまでに。
もう時間だし、みんな行きましょう」
その『行きましょう』の対象が、いったいどこなのかと言えば――
(よし……やっとゲームの時間か)
当然のごとく例のゲーム、『ムーン・セイヴァーズ』用の設備があるレクリエーションルームだ。
これからそこへ向かい、皆でそいつをプレイしよう、というわけである。
ホームルームの後はいつだって、欠かさずそうするのが習慣だから。
だがその彼女の発言に、一番早く反応したのは、あろうことか倉田先生であった。
「おっ? ホームルームは終わりかい?
じゃあ僕は職員室に戻ってるから、後はみんなで頑張ってね」
なんと彼は、そう言うや否や立ち上がり、さっさと教室から出て行ってしまったのだ。
意外に機敏な動作で、仕事は終わったとばかりに、こちらへ一瞥すらくれることなく。
相も変わらぬその不真面目さに、もちろん志藤は呆れるばかりである。
とは言えそれも、やはりいつものこと。
なので特別気に留めることもなく、俺は彼に続いて、志藤の呼びかけに従い移動……しようと、していたのだが。
(さて……行くか)
しかしまさにその瞬間、俺にとって予想外の事態が発生する。
(……ん?)
唐突に背中側から、ひどく遠慮がちながらも、はっきりと強い意志の込められた声が届いたのだ――
「あの……もうひとついいかな? 志藤さん」




