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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-03 『Elucidator』
28/173

Section-1

更新履歴 21/9/18 文章のレイアウト変更・表現の修正


「あれ……? アキラちゃん、もう来てたんだ」



 いつものように登校を果たした、人の気配がほとんど無い教室。

 そこに到達した瞬間、僕は思わず声を上げた。

 冷たく乾いた空気の漂う、静寂のみが支配するその空間に、意外な人物の姿を発見したからだ。


 それは独り黒板の前で静止し、目を伏せて考え事に耽る、当クラスの委員長――艶めく黒髪と凛然たる瞳が印象的な、僕の掛け替えのない幼馴染み、志藤明である。


 もちろん彼女がここにいること自体は、特に驚くような話でもないのだが。

 しかし誰もいない教室に一番乗り、というのはかなり珍しい。

 アキラちゃんはああ見えて、普段は結構のんびりしたところのある人だから。


 しかも彼女、いつになく表情が沈んでいて、ずいぶんと物憂げな様子だ。

 ひょっとするとこれは、また自分の出番なのかもしれない。


 そう当たりを付けた僕は、少しばかり気持ちを引き締める。


(支えるって約束だからね……よし、何でも来いだ)


 しかしその意気込みは、次いであっさりと空振りに終わった。


「あ……うん。おはよう、ヨウスケ君」


 アキラちゃんが僕の呼びかけを受けた後、すぐさまこちらを振り返り、普段通りの声で挨拶を返してきたから。

 とりあえず一見して、特別の問題は無いという印象だ。


 ただ一応、念のためにと、改めて早出の理由を問いかけておく。

 何か悩みがあるのなら、それで相談がしやすくなるはずだ、と考えたから。


「うん。おはよう、アキラちゃん。

 それでどうしたの? 何か委員長の仕事でもあった?」


 その質問にアキラちゃんは、一瞬だけ目を泳がせた後、わかりやすく話をはぐらかした。

 先ほどよりも、ほんのわずかに声を上ずらせながら。


「別に、そういうわけじゃないんだけど……。

 ただちょっと、考えたい事があったから」


 そんな彼女の、目に見えて不自然な態度に対し――


「……そっか」


 僕は特に言及せず、そのまますぐに引き下がる。

 悩みがあるのは事実だが、それを僕に相談する気は無いらしい、とわかったから。

 察するにおそらく、簡単には話しづらい内容なのだろう。


 であればここで、強引に追及をすることもない。

 自分が本当に必要とされる時まで、じっと待っていればいいのだ。

 いつだって僕は、アキラちゃんの側にいるのだから。


 とは言えこのままだと、不自然に会話が途切れ、空気が重くなってしまう。

 なのでそういう事態を防ぐため、僕はいったん話題を変えた。


「そうだ、アキラちゃ……」


 しかし直後、不意に廊下から足音が聞こえてきたので、すぐさま口を閉じる。

 クラスメイトの誰かが登校してきた、ということがわかったので、慌てて言葉を呑み込んだのである。


 なぜそんなきっかけで、僕が黙り込んだのかと言えば。

 それは僕が彼女へ、親しげに『アキラちゃん』なんて呼びかけているところを、他人に聞かれたくなかったから。


 要は皆のいる場所で、幼い頃と同じように呼ばれるのは、アキラちゃんにとってすごく恥ずかしいことのはず……と考えての配慮である。

 二人だけの時ならともかく、他人に聞かれるのはやはりまずいだろう。

 これは可能な限り慎重に、細心の注意を払って取り扱うべき問題というわけだ。


(危ない、危ない……)


 ゆえに僕は、軽く肝を冷やしつつ、そのまま貝のように沈黙する。

 徐々に近づいてくる足音の主を、素知らぬ顔でじっと待ちながら。


 そんな僕の眼前で、嵐のように激しく教室のドアを開け、静謐な空気を吹き散らかしつつ飛び込んで来たのは――


「おっはよぉう!」


 小柄で華奢な体躯に、大きく円らな瞳。

 弾けるように朗らかな表情と、忙しなく動く小さな手足。

 そんな遊び盛りの子どもを思わせる、エネルギーの塊のような容姿と振る舞いの女の子、栗原真希さんである。


 僕は早速、そんな彼女に、気持ちを切り替えて挨拶をした。


「おはよう、栗原さん」


 するとそれを聞いた栗原さんが、急に小さく口を尖らせて、悔しそうに独り言を呟く。


「むむっ……今日は三番ですか。残念……」


 そしてコミカルな仕草で、大袈裟に両の肩を落とした。

 たぶん僕らより登校が遅くなったことを、ああして嘆いているのだろう。

 まあ自分が一番になる気だったのなら、なぜ教室へ入る時に挨拶をしたのか……という疑問は残るが。


 ちなみにふざけているわけではなく、全て真剣かつ本気なはずである。


(……そういう人、だからなあ)


 言動は無邪気にして、振る舞いは天真爛漫。

 いつも元気一杯で、落ち込むところを見た人間はいない。

 彼女はそんな、このクラスのムードメーカー、兼マスコット的存在なのだ。

 正直同級生というよりは、教室へ迷い込んだ小学生、と言った方が近い気もする。


 とは言え一応、彼女自身は、そう思われるのがたいへんに心外らしい。

 私は十分に大人だ、と良く怒っていることから、それは如実にうかがい知れた。

 まあそんな姿もまた、彼女の幼い印象を、より際立ててしまっているのだが。


 そう栗原さんについて、僕がひと通りの考えを巡らしたところで、また教室に人影が現れた。

 エンジン全開な彼女とは裏腹の、息も絶え絶えという状態になっている、一人のクラスメイトが登校してきたのだ。


「マキちゃ~ん……待って~……」


 厚く存在感のある大きなメガネと、それを上から覆い隠す長い前髪。

 それらがどこか、文学少女の風情を醸し出す、自信なさげな女の子――栗原さんの友人である、朝倉雪子さんだ。

 息が切れているのは、疾走する彼女を追いかけてきたからだろう。


 彼女はそのまま、栗原さんに不平を述べつつ、ふらふらと教室に入ってきた後――


「急に走り出すと、私ついていけないよ……

 あ、おはよう、志藤さんに久保君も」


 こちらに気づいて、のんびりと声をかけてきた。

 来る途中でずれたらしいメガネの位置を、不器用そうに直しながら。


 僕らは同時に、その挨拶へ応じる。


「うん。おはよう、朝倉さん」

「おはよう、朝倉さん」


 それが終わるのを合図に、次いで栗原さんが朝倉さんへ、自信たっぷりに駄目出しを始めた。


「ユッキーはやっぱり運動不足だよ~。

 本ばっかり読んでたら駄目だって、もっと外で遊ばないと。

 ほら、私みたいにさ!」


 朝倉さんは少し及び腰になりながらも、その元気さだけは満点の指摘へ、律儀にひとつひとつ突っ込みを入れていく。


「それは、そうかもしれないけど……

 でも遊ぶって言うのは、もう高校生なんだし、何か違うんじゃ……

 あとマキちゃんはむしろ、本を読まなさ過ぎな気がするけど……」


 これまたいつも通りの、仲良し二人組の楽しい会話である。

 どうやら今日も、我がクラスは平常運転のようだ。

 当然僕としても、和まずにはいられない。


(やっぱり平和が一番、だよね)


 また次いで、その呑気な感想をいっそう強めるかのように、不意に横から陽気な声が届いた。


「おっ、マキっち~、相変わらず元気だねぇ~」


 教室の扉を抜けながら、そうごく自然に、会話へ割り込んできた人物――それは良く言うと社交的、悪く言うと軽薄な雰囲気を漂わせた男子生徒、柳井満君だ。

 栗原さんとはまた違った意味で、クラスのムードメーカーを担う人である。


 彼はその言葉に続いて、首だけ自分の後ろへ向けると、そこにいた別の男子生徒をいじり始める。


「ミッキーも少しは見習ったらどうだい?

 朝から辛気臭い顔してないでさ~。

 そんなんじゃその内、顔からカビが生えてくるぞ~」


 もっともそれに対する当人の反応は、まさに取りつく島もない、冷たくあっさりしたものだった。


「……知らん」


 その愛想が欠片もない低い声の主は、同じくクラスメイトの、橘幹也君である。

 どこか眠そうな細い目と、年齢に似合わぬ落ち着いた物腰が特徴的な、柳井君の友人……と言うか、彼がいつも一方的に絡んでいる相手だ。


 橘君はその見上げるほどに高い体を屈めながら、教室のドアをくぐり抜けると、柳井君を無視したまま静かに中へ入ってくる。

 非常に素っ気ない態度、と言えるだろう。

 まあこの二人のやり取りは、だいたい日頃からこんな感じなのだが。


 とは言え、橘君のそういう振る舞いは、決して皆に対しても一緒なのではなく――


「おはよう、橘君」


 そんな風に挨拶した僕へ向け、しっかり挨拶を返してくれる、というくらいには友好的である。


「ん……ああ、おはよう」


 一応それでも、少し無愛想な印象はあるが、特別突き放した雰囲気ではない。

 彼が厳しく当たるのは、ほぼ柳井君だけなのだ。

 絡み方を面倒がっているか、もしくは完全に気を許して、互いに遠慮が無くなっているからだろう。


 そうやって勢揃いしたお馴染みの四人組は、そのままいつものように、楽しげでとぼけた会話を交わし始めた。


「やあミッチーアンドミッキーおはよう!」

「おはよう、二人とも」

「おっす、おはよ~」

「……ああ、おはよう。

 だが栗原、その漫才コンビみたいな呼び方はやめろ」

「え~、じゃあ何がいいのさ?

 別のやつ考える?」

「そうだな……確かにそろそろ、正式なコンビ名を決めないといけないよな、俺達も」

「……そういう意味で言ったんじゃない……」

「さ、三人とも、仲良くね……」


 そして四人で固まると、ぞろぞろと自分達の席へ向かっていく。

 おかげで教室の空気から、先ほどの冷え冷えした印象がすっかり消失し、逆に穏やかささえ感じられるようになった。

 まるであそこだけ、一足も二足も早く春が訪れたかのようだ。


 ゆえに僕は、改めて実感する。


(ありがたい、よなあ)


 こんな田舎の高校の、人数が極めて少ないクラスにおいて、あの明るさは本当に貴重なのだと。

 人里離れたこの場所で、寂しさを感じずに過ごせるのも、彼らのおかげなのかもしれない。

 これは本当に、貴重な人材である……


 ……なんて風に、僕は独り和んでいたのだが。

 ただなぜか、そんなこちらとは裏腹に――


(ん……あれ?)


 アキラちゃんは独り、じっと教室の窓の方を凝視していた。

 彼らに注意を向けることなく、外の景色を熱心に見つめていたのだ。


 そうした彼女の振る舞いを、ひどく不可解に感じた僕は、早速その視線を追跡してみる。

 いったい何をそこまで集中して見ているのか、自分の目で確かめるために。


 しかし不思議とそこには、何ひとつ異変らしきものが見当たらなかった。


(……??)


 いつものように、緑深い山々の姿が見えるのみなのである。

 目に入るものと言えば、校庭を取り囲む高い木々くらいで、他には何ひとつ存在しない。

 彼女はこんな風景に、どうしてあれほど注目しているのだろう。


 ただそうして僕が、独り疑問に首を傾げた瞬間、予想外の事態が発生する。


(あっ……)


 突然横合いから人影が出現し、アキラちゃんの方へ素早く歩み寄ると――


「やっほー、アキラちゃん。おっはよ」


 そう女神の奏でる竪琴もかくや、という声で挨拶を放ちつつ、半ばぶつかるようにして彼女へ抱きついたのだ。


 ちなみにその、謎の人物の正体は――


(ああ……なんだ、春日井さんか)


 腰まで届くほどの、光の加減によって金にも見える栗色の髪。

 口許に浮かべられた、どことなく艶っぽさを感じさせる微笑み。

 そして瞳の奥に覗く、ちょっとだけ底が知れない何か。

 そんなたいへんに人目を引く、華のある空気を纏った女生徒、春日井真那さんだ。


 その彼女、今は話しかけた時の勢いのまま、背後からアキラちゃんに密着していた。

 相手の体にしっかり手を回しながら、抱き締めるような体勢で。

 二人とも飛び切りの美人なので、僕には少々刺激的な光景である。


 またそれは、アキラちゃんにとっても同じことだったのか。

 彼女はそんな春日井さんの、わりと奔放な行動に対し、ひどく戸惑った風の挨拶を返す。


「か、春日井さん……お、おはようございます」


 春日井さんはそれを見てさらに表情を緩め、楽しげにからかうような言葉をかけ始めた。


「ふふ、真面目ー。

 そんなとこがかわいいよねー」


 そう、この春日井さん、普段はそつなく振る舞う人なのだが。

 気に入った相手に対しては、こういう少し意地悪な態度をとるのだ。

 それが彼女にとっては、親しさの表現ということなのかもしれない。


 とは言え無論、実際にそれをやられた方は、心中穏やかではいられなくなる。

 動揺からつい、いつも通りの言動や行動が困難となるほどに。


 だって春日井さん自身が、とてつもなく魅力的な人だから。

 親しげに話しかけられるにせよ、からかわれて振り回されるにせよ、普通は冷静さを奪われてしまうのだ。

 当然ながらアキラちゃんも、今まさにそういう状態である。


 まあ要するに、距離が遠ければ常識的な人に見えるが、近づいて親しくなると途端に傍迷惑な人へと変貌する……というわけだ。

 僕は気に入られてないからいいが、アキラちゃんはさぞかし大変だろう。


 またそうして、女の子二人が仲睦まじくしているせいか、辺りに突如華やかな空気が漂い始めた。

 側でぽつんと佇む、地味極まりない僕の存在は、いかにも場違いという感じである。

 ひょっとしてここは、さりげなく席を外した方がいいのだろうか……


 などと僕が、妙な気遣いで頭を悩ませていると、そこへさらに場違いな声が割り込んでくる。


「おやおや仲良しだねえ。うらやましいこった」


 それに驚き、慌てて声の方を振り向いた僕は、自分と馴染み深いひねくれ者と対面することになった。


(斉川君……)


 どこか世をすねたような、陰りのある眼差し。

 皮肉っぽく歪められた、色も形も薄い唇。

 加えて眉間へうっすら刻まれた、幾本かの隠し難い皺。

 そんな暗然とした空気を帯びる、僕のクラスメイトの一人、斉川雅幸君だ。


 彼は今、僕の横に並んで立ちつつ、二人に対して物言いたげな笑みを浮かべている。

 何やら下卑た風情の、ひどく好ましからざる態度だ。


 僕はそんな、感じ悪いことこの上ない彼に対し――


(はあ……まったく、しょうがないな)


 やれやれと呆れながら、すぐさまその憎まれ口をたしなめた。


「またそんなこと言って……やめなよ、春日井さんに聞かれたら大変だから。

 それは君が一番良くわかってることだろ?」


 すると斉川君は、急に渋い顔になり、ごまかすような呟きを漏らす。


「へいへい……わかってますよ」


 そしてそのまま、こちらから目を逸らしつつ、不機嫌そうに黙り込んでしまった。

 話が良からぬ方向に振れたので、さっさと撤収したのだろう。

 彼お得意の、素早い変わり身である。


 僕はそんな斉川君の、普通なら眉をひそめるような振る舞いを見て――


(相変わらずだなあ)


 まったくもっていつも通り、という印象を抱く。

 彼とは古く、小学校以来の付き合いだが、こういうところは全然変わらない人だったから。


 つまり歯に衣着せず、波風立てるような言動を繰り返すのに、自分への批判には耳を塞ぐ。

 客観的に見れば、とても性格が悪いやつなのである。

 我が友ながらなぜこうなのか、と深くため息をつかずにはいられない。


 それでも僕は、実のところ彼に対して、さほどの反感を抱いてはいない。

 そこには友達だからという点に限らぬ、別のきちんとした理由があるのだが……


 ……と言った風に、僕が友人のひねくれっぷりに頭を痛めていると、そうして話す僕らに気づいたのか――


「あっ、斉川君!」


 突如春日井さんがそこに介入し、アキラちゃんから離れつつ、堂々と斉川君を注意し始めた。


「また久保君に絡んでるでしょ?

 いつものことだけど、ホントにしょうがない人」


 斉川君はその彼女の発言を、厄介な事になったという顔で、ひどく不機嫌そうに否定する。


「別に絡んではいねえよ」


 その声には結構、凄むような調子も混ざっていたのだが。

 しかし春日井さんは、それに全くと言っていいほど臆さぬまま、遠慮なく斉川君を責め立てた。

 ずけずけと形容するに相応しい、全く遠慮も容赦も無い口調で。


「じゃあお説教されてたんだ?

 それとも余計なこと言って、久保君怒らせてた?

 もしくは……その両方とか?」


 すると斉川君は、いかにも図星を突かれたという風に口ごもってから、その果てにポツリと悔しそうな呟きを漏らす。


「……うるせーな。お前には関係無いことだろ」


 春日井さんはそこへ、やはり手を緩めず追い討ちをかけていった。


「ほらまたそんな顔する。

 少しは愛想良くしないとって、いつも言ってるでしょ。

 そもそも斉川君は、基本的なところでものすごく印象が悪いんだから。

 思いっ切りフレンドリーにするくらいで、ちょうどなんだよ」


 これまた一方的な展開と言うか、いわゆるフルボッコと呼んで差し支えの無い状態だ。

 柔らかな物腰でごまかされてはいるが、内容的にはかなりきつい指摘である。


 実際その勢いにすっかり打ちのめされたらしく、彼女の猛攻に対して斉川君ができたのは、小さく反論を絞り出すことだけだった。


「……俺が愛想良くしても、気持ち悪いだけだろ」


 その言葉を聞いた春日井さんは、仕方ないなという顔になって、軽くため息を漏らしてから――


(……えっ?)


 すぐまた女神のごとき微笑みを浮かべると、今度は一転、明るく僕に話しかけてきた。


「久保君も大変よね。こんな厄介な人と長い付き合いなんて。

 本当に愛想が無いって言うか、他人と関わる気が無いって言うか……精神的な引きこもり、って感じよね」


 そしてその間接的な一撃の後、彼女は急に口調をいたずらっぽいものに変え、斉川君のことを幼い子どものように扱う。


「でも安心して。この人は私が、責任持ってしっかり教育しておくから。

 今はそれで、許してあげてね」


 その余裕を漂わせた態度と、語尾にハートでも付きそうな艶っぽい言い方に動揺し、僕は返事すらできなくなった。

 どうやらその雅な所作に、軽く当てられてしまったようだ。

 いやはやこの人、本当に僕らの同級生なのだろうか……


 そうして気後れから狼狽し、ただ呆然とするだけの僕に対し――


「じゃ、私はこれで。志藤さんもまたね」


 春日井さんはそう短い別れの言葉を残して、身を翻しつつ颯爽と歩き去っていく。

 その場にいる全員の心へ、己が存在を深く刻みつけながら。

 春に訪れた季節外れの台風、とでも例えればいいだろうか。


 その圧倒的な猛威に蹂躙され、斉川君は完全な放心状態で沈黙、彼女が去ってからもしばしぼんやりしていたが。


 やがて、いつまでもこうしていたって仕方ない、と思い直したのか――


「……じゃ、俺も行くわ」


 力の無い声音で、そう小さく呟いてから、首をすぼめてのろのろと歩き出した。

 自慢の牙を残らず打ち砕かれ、完全に自信を喪失した狼、と言った雰囲気である。


 僕はそんな彼に同情と共感を覚えつつ、こちらも呆け気味に、その後ろ姿へ見送りの言葉をかける。


「うん……また後で」


 しかしその直後、斉川君は急に首だけを僕の方へ振り返らせると、ほんの少しだけ言いにくそうに喋り出し――


「……ああ、それとさ。全く関係無い話なんだが」


 続けて、たいへん意外な話題を振ってきた。


「望月がまだ、ちょっとばかり本調子じゃないみたいだな。

 何があったのか、軽く聞いてみたらどうだ?」


 なんと僕に、望月さんの様子を確かめろと言ってきたのだ。

 どうやら彼女、今になってもまだ、本調子には戻っていないらしい。

 先のゲームを終えた際、突然感情を爆発させ泣き叫んだ後、ずっとそのままということである。


 ちなみに斉川君がそれに言及したのは、おそらく登校途中に、望月さんの姿を見かけたからだろう。

 そこで彼女の様子が普通でないことを把握し、それを心配して、突然僕にこんな提案をしてきたのだ。


 そう友人の意図を瞬時に理解した僕は、次いで迷うことなくその提案を承諾した。


「うん、わかった。

 望月さんには、僕がそれとなく尋ねておくよ」


 斉川君はその答えに頷きつつ、さらにもうひとつ指摘を付け加えてから――


「ん……まあ調子が悪いのは、志藤の方も同じらしいがな。

 どっちにしても、お前の管轄だけど」


 すぐさま振り向き、僕の返事を待つことなく歩き出す。

 どこか自分の行いを恥じ、それを隠そうとするかのように。


 その様子を見て、僕はやはり彼に、いつも通りという印象を抱く。


(こういうところも、相変わらずなんだよなあ)


 そう、こうした振る舞いこそ、僕が斉川君に対して反感を持たない理由である。

 実は彼、常に皮肉げな態度を保っているわりに、結構周りのことを気遣っているのだ。


 その証拠に彼は、望月さんの不調を心配していたし、アキラちゃんの様子がおかしいことにもしっかりと気づいていた。

 二人は斉川君にとって、特別親しい相手ではないにも関わらずである。

 周囲を良く観察し、気を配っているからこそできたことだろう。


 そしてそれを、わざわざ僕に言ってきたのも、自分の役目じゃないと考えたから。

 嫌われ者に心配されたところで、向こうも迷惑なだけ、なんて風に思っているのだろう。


 彼はそういう、自虐的ながらも非常に謙虚な人なのだ。

 その性格は、決して悪くなどない。


 もっともそれなのになぜ、ああもわざわざひねた態度をとるのか。

 その理由は、長く斉川君と接してきた今でも、残念ながらさっぱりわからない。

 僕としては、こういうところを皆が知らぬままなのは、本当にもったいないと思えるのだが……


 するとそんな彼に対し、僕と全く同じことを思ったのか――


「斉川君、ってさ」


 自分の席に向かう斉川君を、途中で春日井さんが捕獲し、並んで歩きながら楽しげに小言を並べ始めた。


「相変わらず、ひねくれてるよね」

「……聞いてたのか」

「もうちょっと素直になればいい、と教育係としては思うのですが」

「……教育係って何だよ」

「え? そのままの意味だけど?

 私は斉川君のお目付役なのです」

「……いつからだよ」

「今。さっき」

「……誰の許可があって」

「もちろん私です」

「……本人の承諾を得る気はないのか?」

「あれ? 嫌だった? 私と一緒は」

「……………………………………好きにしろ」


 どうやら彼女も、斉川君の心根をしっかり把握した上で、その態度を改めるためにちょっかいかけているらしい。

 振る舞いの遠慮の無さも、そこに理由があるのだろう。

 決してからかっているだけではない、のだと思う……たぶん……きっと……そうだといいなあ。


 なんてことを考えつつ、その愛すべきでこぼこペアを見送った後、僕は早速己の仕事に意識を移した。


(後は……彼女達だけか)


 このいつも通り賑わい始めた教室に、未だ姿を現していない、二人のクラスメイト達へと思いを馳せたのだ。

 それゆえ自然と、視線は待ち人を探すように、教室の入り口へと向いていく。


 すると、ちょうどそこで――


「あ……」


 その先にいる、美山さんと目が合った。

 今まさに登校してきた彼女と、タイミング良く向かい合う格好になったのだ。


 そんな偶然に軽く驚いた様子を見せつつ、美山さんはすぐ挨拶をしてくる。


「おはよう、久保君」


 僕も当然、それに迷わず応じた……のだが。


「おはよう、美山さん……って、あれ?」


 美山さんの後ろに続く、もう一人の女子生徒――彼女の友人である望月和歌さんの姿を見て、僕はつい不躾な声を上げてしまった。

 望月さんの表情があまりに暗く、ただならぬ状態なのが明白だったから。


 しかも望月さんは、僕の驚いた声を聞いても、全くと言っていいほど反応を見せない。

 深くうつむき、挨拶する素振りすら見せぬのだ。

 日頃から人当たりが良い彼女にしては、ほぼあり得ない振る舞いである。


 それを見て僕は、思った以上に事態が深刻なのだと実感し、すかさず美山さんに事情を聞く。

 これなら斉川君がほっとけないはずだ、と心から納得しながら。


「美山さん? あの……望月さん、どうかしたの?」


 彼女はそれに、ひどく困った表情で、言いづらそうに答えた。


「うん……今はちょっと、本調子じゃないみたい。

 ごめんね、久保君」


 そんな美山さんの複雑そうな態度から、どうやら望月さんが、切実な心の問題を抱えているらしい……と察しをつける。

 きっと彼女には、何か魂が抜けたようになるほどの、大きなトラブルが発生しているのだろう。


 となればいくら、斉川君にフォロー頼まれている身とは言え――


(根掘り葉掘り事情を聞くのは、さすがに厚かましいかな……)


 ここは余計な口出しをしないで、適度に気を使いつつも、すぐ引き下がるのが賢明だろう。

 落ち込んでいるならなおさら、長い付き合いの美山さんの方が、側にいる人間としては適任なはずだから。


 そこで僕は、素早く話を切り上げ、最低限の気遣いのみを彼女に伝えた。


「うん……じゃあ、何かあったら言ってね。

 僕もできる事はするから」


 美山さんはその呼びかけに、『ありがとう』と短く応じてから、静かに立ち去っていく。

 結局最後まで一言も発せず、小さなリアクションすら見せなかった、無感情な望月さんの手を引いて。


 その様を見ていて、僕の不安はより強固になってしまったが。

 しかし事情がわからない以上、とりあえずそっとしておくより他はなかった。

 まあもう少し落ち着いてから、機を見てまた声をかけることにしようか。


 そう力任せにためらいを振り切った後、僕は改めて自分の通う教室の風景を俯瞰し、ひとつ当然の感想を抱く。


(よし、これで全員だな)


 総勢十人の、この学校に通う生徒みんな――それが一人たりとも欠けることなく、いつもの教室に勢揃いしたぞ、と感じたのである。

 これで後は、倉田先生の訪れを待つのみだ……


(……ん?)


 ……った、はずなのに。

 そう現状に満足しかけた僕を、あまりもに鈍感過ぎる、と誰かが戒めたかのごとく――


(痛っ!)


 突然頭の奥の方に、経験した事の無い、強烈な痛みが生じた。

 まるで太い釘か何かを、直接脳髄に打ち込まれたみたいな感覚だ。

 その衝撃に驚き、僕はしばし、こめかみを押さえて立ち尽くす。


(ぐっ……あっ、う…………ん、あれ?)


 しかしその猛烈な痛みは、次いですぐさま、一瞬の内に頭の中から消え失せた。

 ほんのわずかな残滓さえも、そこへ留めることなしに。

 どこか夜空に瞬いた雷光が、即座に闇の中へと溶けていく時のようだ。


 僕は不意に訪れた、その謎めいた現象に面食らいつつ、同時に大きな疑問を抱く。


(なん、だったんだ、今の……?)


 なぜ唐突に、こんな異常な事態が起きたのか。

 そしてその原因が、いったいどこにあるのか。

 それらに今のところ、さっぱり心当たりが無かったからだ。


 一応、その主なきっかけは、この教室の風景であるらしい。

 そこに僕自身、何か感じるところがあったせいで、そう感じたようなのだが……


(……駄目だ、わからない)


 しかしいくら首をひねろうとも、手がかりひとつ掴めなかった。

 急に頭が朦朧として、不思議と考えが進まなくなってしまうからだ。

 脳の中で何かが、思索そのものを妨げているかのように。

 この有り様では、真実を見出すことなど到底不可能であろう。


 そこで僕は、答えが出ぬなら悩んでも無駄だな、と思い切り――


(ま……気にしてても仕方ないか)


 あっさりと全ての思考を放棄し、すぐ気持ちを切り替えて、アキラちゃんの方へ視線を向ける。

 そろそろホームルームが始まる頃合いだし、僕らも自分の席へ行こう、と提案するためにだ。


 しかしその結果として、僕は再び目の当たりにすることとなった。


(あれ?)


 今度は教室の方を見つめたまま、いかにも心ここにあらず、という雰囲気で立ち尽くすアキラちゃんの姿を。

 要は彼女、またしても不可解な振る舞いをしていたのである。


 その尋常ならざる佇まいが、さすがに心配になった僕は、すぐさま彼女の体調を気遣った。

 他の人に聞こえないよう、声を落として密やかに。


「……アキラちゃん? どうしたの?」


 するとアキラちゃんは、ふと我に返った、という様子でぼんやりと問い返してきた。


「え……? ああ、ごめんなさい。

 ちょっと考え事をしていて……どうかした?」


 完全に上の空でした、という反応である。

 やっぱり彼女、どこか普段とは違うようだ。

 まあ異常に見舞われたという点では、先ほどの僕も同じなのだが。


 そんな互いの不調に、そこはかとなく嫌な予感を覚えながらも、僕はそのアキラちゃんへ予定通りの提案を行う。

 今はとりあえず、いつものペースを取り戻した方がいいだろう、と考えたから。


「いや……そろそろ、ホームルームが始まるから。

 僕らもみんなみたいに、自分の席に行こうよ」


 彼女はそれに、一瞬だけ迷うような素振りを見せた後、すぐに表情を引き締め同意をしてくれた。


「そう……ね。うん、ありがとう」


 そのしっかりした受け答えに、これなら大丈夫だと安堵した僕は、早速自分の席に向かって一歩を踏み出したのだが。


 まさにその瞬間、まるでそんな僕へ、警告でもするかのように――


「ねえ、ヨウスケ君」


 アキラちゃんが突如、やたらと静かな口調でこちらを制止し、次いでひどく奇妙な行動に出る。

 その重苦しさとは裏腹の、ひどくありふれた問いを投げかけてきたのだ。


「今、何時だかわかる?」


 僕はその質問に、『なぜ今そんな事を?』と違和感を覚えつつも、すぐ辺りに視線を巡らした。

 無論、現在の時刻を確かめるために。

 とても簡単なことだし、手早く済ませればいいやと思ったのである。


 しかし、残念ながら――


(あれ……?)


 僕は結局、その質問に答えられなくなってしまう。

 自分の位置から見える範囲に時計が存在せず、また時間がわかるものを持ち合わせてもいなかったから。 


 そこで即座に彼女へ謝罪しつつ、ついでにその、妙な問いかけの意図も確かめておいた。


「ごめん、今はちょっとわからない。

 それがどうかしたの?」


 だがなぜか、アキラちゃんはその質問に答えることなく、少し沈黙してから言葉を濁す。


「……ええと、その……ちょっと気になっただけだから。

 ごめんなさい、変なこと聞いて」


 その不可解な彼女の行動には、再び憂いを再燃させられてしまったが。

 しかしだからと言って、それ以上問い詰めるきっかけもなかった。

 なのでやむを得ず、僕はその曖昧な謝罪を受け入れてから――


「うん……」


 彼女と二人、連れ立って自分達の席へと向かう。

 何やら色々おかしなことはあるけれど、差し当たって今は、学生の本分に集中しようかな……なんて事を考えながら。


 と言ってもすでに、卒業式が間近にまで迫っている身なので、もはや僕らに受けねばならぬ授業などは無い。

 やるべきことが残っているとすれば、それはたったひとつ――



 卒業式の段取りを、自分達で決めることだ。








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