Fragment-5
更新履歴 21/11/17 文章のレイアウト変更・表現の修正
「終わった……か……」
自分以外には誰もいない職員室で、倉田公平は独り静かにそう呟いた。
そして作業していたPCから視線を外し、脱力して椅子の背もたれに寄りかかる。
根深い疲労感と、それを遥かに上回る大きな達成感を抱いて。
ちなみに何が『終わった』のかというと、それは卒業証書の製作である。
これから旅立つ十二人の生徒達に、そういう形で最後のメッセージを残したのだ。
彼らの『先生』を務める自分に可能な、せめてもの卒業祝いとして。
まあ何度も何度も推敲していたので、かなり時間の方はかかってしまったのだが。
それでもどうにか、こうして全員分を完成させることができた。
後はこれを印刷した後、自分からの手紙を添えて箱に収め、厳重に保管しておくのみだ。
そう認識すると、ようやくやり遂げたぞ、という充実感で胸が満たされていく。
ただそれと同時に、同じくらい大きな不安も芽生えてきた。
(……ちゃんと渡せるのだろうか)
本当にこれを、無事に生徒達の元へと届けられるのか。
自分が生きている間、あるいは『先生』でいられる内に。
そういう心配が後から後から湧いてきて、どうにも抑えきれなかったのだ。
きっと今が、次に何が起こるか全くわからぬ、あまりに不安定な状況だからだろう。
実際、もうこの卒業証書を渡せなくなってしまった生徒もいる。
『木原開人』『結城悟』『久保擁介』『美山涼』
私の力不足で、帰らぬ人となってしまった四人の生徒の名前だ。
また生徒を救えなかった、何か良い方法は無かったのだろうか、とひたすらに悔やむばかりだった。
しかも今後、もっと犠牲者が増えることだって考えられる。
なぜなら物資が枯渇し始めているのに、補給や援軍の予定は一切無いから。
最悪、戦闘自体が不可能となって全滅、というケースも有り得る状況なのである。
おまけにその事実を司令部に報告しても、まともな回答は返ってこない。
それどころか、こちらの要望を全て無視した上で、『防衛線を死守せよ』という指示を繰り返すのみ。
状況を一切考慮せぬ、機械的な対応を繰り返してばかり、という状態が続いているわけだ。
となるとやはり、すでに司令部は機能不全に陥った後、と見るべきなのだろう。
さすがにまだ攻め込まれてはいないはずだから、脱出計画が本格的に始まったので、こちらに構っている暇がなくなった……というところか。
要は完全に見捨てられた、と言っていい状況なのである。
……まあ正直、元より向こうを当てにはしていないから、どちらにしても同じではあるのだが。
むしろ監視が緩んで動きやすくなる分、メリットが大きいとさえ言えよう。
私は私で、生徒達を死なせぬよう最大限の努力をしていくのみだ。
とは言え現状、彼らにしてやれることはあまりにも少ない。
なぜなら施された『順化調整』の強制力により、私は普段、『軍人』として振る舞っているから。
今は自らの意志で、生徒達のため動くことができない状態なのである。
いやそれどころか、むしろ私こそが、積極的に彼らを苦しめてしまっているらしい。
身体的な危険に晒しているという意味でも、精神的に負担をかけているという意味でも。
『洗脳された私』の行動が、生徒達をより辛い状況に追い込んでいるわけだ。
ある程度予想された事態とは言え、『自分が一番邪魔』という現状には、やはり忸怩たる想いを禁じ得ない。
ちなみにそこで、『らしい』という曖昧な表現をしたのは、私にその具体的な記憶が無いからである。
どうやら『順化調整』の影響が強く出て、脳の機能に支障が出ているようなのだ。
そのせいで自分が生徒達に対し、どんな口調で何を喋ったのか、それすらまともに覚えてはいない。
もはや今の私は、何をしでかすかわからぬ危険な存在に成り果ててしまった、と言ってもいいだろう。
それでも一応、徐々にその効果が弱まりつつある、という実感は持っている。
実際こうして一人でいる時は、『順化調整』から解放され、自分の意志で行動できる――あくまで一時的にだが――ことも少なくない。
その間は自由に動けるので、今後に向けての色々な準備が可能であり、非常に助かっているのだ。
弱まったきっかけはわからない――最近特に増えた気がする――が、いずれにせよ有難い現象である。
もっとも、例え常時正気だったとしても、今すぐ行動を起こすことはできない。
仮にこの戦場を脱し、無事に月までたどり着けたとしても、『アヴァロン』の防空施設に撃墜されてしまうはずだから。
軍の命令に違反した、臆病な逃亡兵として。
どんなに横暴であろうと、とりあえずはその指示に従うより他ない、ということだ。
要するに私の生徒達は、勝利が望めない戦場に、正気ではない指揮官の元、逃げれば味方に撃たれる状態で参戦中なのである。
最悪という以外に、彼らの境遇を表現する術などありはしないだろう。
そのあまりの不憫さには、胸を締めつけるほどの憐れみと、叫びだしたくなるほどの義憤を感じるばかりだ。
しかし一方、そこまで追い込まれていながらも、未だ希望が完全に断たれたわけではない。
実は『戦争に勝てない』こと以外の問題――厄介な防空施設と指揮官――の方は、十分に解決が可能なのである。
まず防空施設の問題だが、あれは本来、『アヴァロン』を守るための番人的な存在だ。
ゆえに本隊の脱出が成功した時点で、自動的にその役目を終え、機能を停止すると考えられる。
中身が空っぽの金庫を、ずっと警備し続ける意味など無いのだから。
つまりその瞬間まで待てば、安全に月まで逃げ込める、ということなのである。
そうすればそこには、私の同志達が待っている。
未来ある若者達のため、新天地へと旅立つ船を用意して。
ひとつ目の問題はすでに解決済み、と言ったっていいだろう。
次にふたつ目の問題――横暴な指揮官の件の解決法は、実にシンプルだ。
私が自ら、その命を絶てば良いのである。
もう生徒達に自分は不要だ、いなくなっても何とかなる、と判断したその時に。
それでこの学校から、彼らの障害と成り得るものを、ほぼ完璧に排除できる。
実行すること自体も簡単だし、まさしく最善の手段と言えるだろう。
もちろん私の中に、それをやり遂げることへの恐れやためらいはない。
だって失われるのは、すでに数えきれぬほどの生徒を犠牲にした、愚かな教師の命のみだから。
惜しむ理由なんて、最初から欠片もありはしないのだ。
私はただ、穏やかに安らかに、彼らの輝かしい巣立ちを見送るとしよう。
とは言えそれらの試みがうまくいったとしても、まだまだ問題は山積している。
例えば本隊の脱出が成功し、監視から解きはなたれた後の生徒達のこととか。
その辺りは現状、何よりも心配で心配でしょうがない。
なぜなら彼らに自由が与えられる時には、もはや私はこの世におらず、何ひとつ手を貸せなくなっているはずだから。
誰にも頼らず、自力で月にたどり着いてもらうしかない、という実に無責任な状態なのである。
安心して送り出したいのなら、やはり十分な下準備をしておくべきだろう。
だから私は、彼らに置き土産を残すことにした。
具体的には母艦の操作マニュアルと、封鎖された格納庫――月まで行くのに十分な物資を収めてある――を開放するコードを、自分のPCに保存しておいたのだ。
使い方に関するメッセージを、まるで遺言か何かのように添えて。
その先行きを案じつつも、しかし自分の力でここまで来た生徒達なら、きっと全て乗り越え生き延びてくれるはずだ……と固く信じながら。
そこに不安要素があるとすれば、これを洗脳状態の私に消されては元も子もない、という点だろう。
実は以前にも、その危惧を形にしたような一件があった。
例の『結城悟』君のメッセージが残された、あの古いカメラを託された時だ。
あれは受け取った直後、たまたま私が正気に戻れたので、何とか事無きを得た――ずっと国語準備室に隠しておき、後々その『相手』へ届けられた――わけだが。
そうでなければ、即座に容赦なく処分されていたに違いない。
そんな事態にならぬよう、『もう一人の自分』への対策も、欠かさず行っておく必要がある。
となるとやはり、用意したそれらのファイルは、簡単に開けないようにしておきたい。
洗脳され、記憶が封じられた私には解けない、特別なパスワードか何かを用いて。
それさえできれば、安全かつ確実に、生徒達へ希望を残せるのだから。
ただしそのせいで、生徒達までアクセスできなくなっては本末転倒である。
つまり『もう一人の私にはわからないが、生徒達の誰かならわかるパスワード』が必要なわけだ。
どう考えても困難な試みだが、絶対にやり遂げねばならぬ作業だし、タイムリミットが来る前に必ず済ませておくとしよう。
そんな風に私は、今後についての様々な考えを巡らし、一応の指針を定めたのだが。
ふとそこで、避けられず自嘲する羽目になった。
(……これじゃあまるで、立派な先生みたいじゃないか)
生徒達を救うと決意しておきながら、今でも彼らに残酷な仕打ちをし続ける自分――そんな奴が、まるで優しい人間のようなつもりでいることに、滑稽さを感じずにいられなかったから。
決して消せぬ罪を犯した後だと言うのに、なんと厚顔無恥な振る舞いだろうか。
どうやら『勘違いをするな、自分のしてきた事を忘れてはいけない』と、もう一度しっかり言い聞かせた方がいいようだ。
己に課した大切な責務を、最後まで全うできるように。
そう、唾棄すべき悪行を働いた後だからこそ、私は必ずや果たさねばならない。
過去の贖罪として、また未来への祝福として、生徒達の明日を守るという使命を。
この身に与えられているもの、その全てを惜しまずに注ぎ込んで。
その想いを胸に、私は願う。
どうか生徒達の未来に、尽きることのない幸運がありますように、と。
これから歩む長い道行きが、輝きに満ちた良い旅路となりますように、と。
きっと遠い場所からにはなるだろうが、心からそう祈りを捧げていよう。
するとそう念じた瞬間、私はようやく思いついた。
(ああ……そうか。これがいいな)
記憶が封じられた私には解けないのに、とある生徒になら解けるであろうパスワードを。
『あの子』にだけ伝わる、尊い祈りの言葉を。
それを私から彼らへの、最後の贈り物にするとしようか。
そこで早速、私は居住まいを正して、再度自らのPCと向き合う。
そして用意したファイルをまとめ、先ほど思いついたパスワードで鍵をかけた。
心の中で、贈るべきその言葉を、祝福するように囁きながら――
(Goodspeedwithmystudents……)




