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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-x 『Fragments』
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Fragment-3

更新履歴 21/11/17 文章のレイアウト変更・表現の修正


 理想に燃える若い教師の転落人生、というやつだろうか。


 我が事ながら、まったくもって陳腐極まりないドラマである。



 一応、最初は良かった。


 ずっと胸に抱いていた夢を、十分な形で叶えることができていたから。


 普段何気なく使っている、『言葉』という存在の凄さを、自分の手で子ども達に伝える夢をだ。


 もちろんうまくいかない事もあったが、それもまた楽しい、と思えるような境遇に私はいたのだ。


 ……あの容赦も慈悲も無い、この世の地獄が始まるまでは。



 それは何の前触れもなく――少なくとも私にとってはだが――突然に起こった。


 人類と機械達との間で、全面戦争が勃発したのである。


 社会を管理運営するためのAI――『ヴァーユ』がそういう決断を下したから。



 当然すぐさま、ニュースやSNSは、その話題で持ちきりになった。


 どこが攻撃を受けたとか、どのくらいの死者が出たとか、そんな情報が大量に飛び交ったのだ。


 巡る毎に混乱を撒き散らし、人々の不安を際限なく増大させながら。



 しかもその『情報』は、やがて『現実』となって私達の元を訪れた。


 どこか遠い存在だった『戦争』という概念が、ごく身近にまで迫ってきたのである。


 平和で平凡な日常生活に、様々な形で悪影響が出ることによって。



 まずは物価が上昇し、食料品から日用品、家電から嗜好品に至るまで、あらゆる商品の値段が異様に高くなった。


 次に物流が滞り、宅配便が届かなくなったり、小売店の棚から商品が消えたりした。


 それからライフラインが途切れがちになって、電気が頻繁に止まったり、蛇口をひねっても水が出てこなくなったりした。


 最後には自由が失われ、外出を禁止されたり、遠隔地への避難を強制されたりした。


 要は戦争中の社会、と呼ぶに相応しい状況になってしまったのである。



 それゆえか人々の心は、瞬く間に荒んでいった。


 所構わず暴力が横行――テロに略奪に家庭内暴力まで――したり、世界各地でクーデターと区別の付かぬデモが起こったり、良くある終末思想が大流行したりしたのだ。


 これではもう、AIに滅ぼされる前に自壊するのでは、と思ってしまうほどに社会は混乱した。



 ただその中でも、私は独り、必死で教師としての使命を全うしようとしていた。


 できる限り生徒達と連絡を取り、彼らの境遇を把握しながら、教育の機会を確保しようとしたのである。


 自分に与えられている、ほとんど全ての時間と労力を注ぎ込んで。



 しかしそれらは、何もかもが無駄な抵抗に過ぎなかった。


 情勢の変化があまりに早く、そして劇的であったせいで。


 私の努力など、戦争という大きな波の前では、浜辺に作られた砂の城より脆いものだったのだ。



 ゆえに一人、また一人と、私は生徒との繋がりを断たれていった。


 遠方に避難したとか、困窮から勉強どころではなくなったとか、戦闘に巻き込まれたとかで、連絡が取れなくなってしまったから。


 要するに私は、生徒が自分の手の届かぬ場所へ連れて行かれるのを、指を咥えて見ていることしかできなかったのである。



 しかもそうこうしている内に、私の境遇にも変化が生じた。


 戦時の特例とかで、私自身も軍に所属させられたのだ。


 無論、断れば投獄されかねないので、受け入れる以外の選択肢は無かった。



 そしてそこでは、慣れぬ軍事教練の補佐などを任され、今までとは全く逆の『教育』を強いられた。


 例えばコミュニケーションの大切さを語っていた口で、上手に敵を破壊する方法を教えた。


 大切な気持ちを伝えるための言葉を、より効率良く戦うために使えと指示した。


 果ては自らの生徒達を、命じられるまま死地へと送り込んでしまった。


 今まで自分がやって来た事を否定する、おそろしく矛盾した行為を強いられたわけだ。


 かつての私――理想を語っていた頃を知る者が見れば、気でも触れたかと思ったことだろう。



 ゆえに私は、当然のように悩みに悩んだ。


 なぜこんな事になってしまったのか、どうにかこの状況を変える手段は無いのか、何か生徒達にしてやれる事はないだろうか……


 そんな風に、苦しく自由の無い境遇の中で、希望を求めて考え続けたのである。



 しかしいくら思い悩もうとも、何ひとつ解決策は見つからなかった。


 人類が存亡の危機に立たされる世界の中では、私一人の力なんて、あまりに小さいものだったから。


 私は蟻地獄の中でもがく蟻も同然の存在であり、ただ無様に沈みゆくことしかできなかったのだ。



 そうして打ちのめされ、無力感に苛まれた私は、挙げ句たいへん情けない行動に出た。


 あらゆる苦悶の果てに、全てを投げ出し、現実逃避に走ろうとしたのだ。


 精神的に追い詰められ、『もう何も背負えない』だとか、『誰かこの苦しみから自分を解放してくれ』だとかの、後ろ向きで暗い感情に呑み込まれていたから。



 そこでまず初めに、定番の手法として、酒に溺れてみようと思った。


 度数も銘柄も問わずに買い込み、手当たり次第浴びるように飲んでみたのである。


 酔えば頭も心も働きが鈍り、少しは楽になると思ったから。



 だが残念ながら、事はそう簡単にいかなかった。


 元々酒の合わぬ体質ゆえに、結局は悪酔いして嘔吐するばかり、という有り様になったのだ。


 懊悩を忘れるのには、まったくもって役立たなかった、ということである。



 それゆえ次は、気分転換になるかもと思い、ギャンブルに手を出してみた。


 なけなしの私財を、ポーカーだのルーレットだのスロットだのに、惜しむことなく注ぎ込んでいったのである。


 後先考えず、自分はもうどうなってもいい、という心持ちで。


 そうして自暴自棄になることが、少しは苦痛を和らげてくれると信じて。



 しかしその試みもまた、あっさりと阻まれることになった。


 戦時ゆえに娯楽が制限され、ギャンブルなんて真っ先にできなくなったのだ。


 当然の成り行きと言えばそうなのだが、とにかく私は、そうやって捨て鉢になる手段すら奪われた。


 ……まあ仮に続けていたとしても、大して気分は晴れなかったと思うが。



 そうしてあらゆる道を閉ざされた私は、最終的に禁止薬物――主に違法で効果の強い向精神薬――に手を出そうとした。


 それを使えば、何とか現実逃避だけは叶うと思ったから。


 体が壊れるとわかっていても、当時はもう、そのくらいしか頼れるものがなくなっていたのである。



 だが結局、求めたその薬物が、私の手元に届くことはなかった。


 理由は単純、そもそも値段が法外過ぎて、私の財力では買えなかったからだ。


 どうやら私と同じことを考える人間が多く、そのせいで相場が跳ね上がってしまっていたらしい。


 需要と供給のバランスによって価格が決まる、という経済の基本法則は、皮肉にもまだ生きていたわけである。



 そんな事情により、私はあえなく現実逃避を断念することになった。


 その程度すら満足に成せぬのか、といくら嘲笑しても足りない体たらくである。


 私はみじめで愚かで、そして何より無力な存在でしかなかったのだ。



 だがそんな役立たずであるにも関わらず、終わりの見えぬ絶望的な戦争の中で、自分が命を落とすことだけはなかった。


 後方支援担当で、直接戦場に立たなかったから、恥知らずにも生き延びてしまったのだ。


 自分の教えた若者達が、その尊い命を散らしていく様を、目の前で見せつけられながら。


 私の心が徐々に死んでいったのは、まあ言うまでもあるまい。



 だからやがて戦況が悪化し、月へと逃げ込むことになった頃には、私はほぼ生ける屍と化していた。


 心が限界まですり減り、現実逃避どころか、『死んでしまおう』という気力すら湧いてこなくなっていたのである。


 もちろん、その時にはもう――



 かつての生徒達の安否は、誰一人としてわからなくなっていた……








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