Epilogue
更新履歴 21/11/13 文章のレイアウト変更・表現の修正
『アキラちゃん、起きて。着いたよ』
とても深い眠りの中で、誰かにそう呼びかけられた気がして、志藤明は目を覚ました。
そして異様に重いまぶたを、時間をかけてゆっくり持ち上げ、閉ざされていた目を開く。
まるで何年も眠っていたかのような、息を吸うのにも苦労するほどの、猛烈な気怠さを感じながら。
ただその直後、私は激しい戸惑いを覚えた。
(あ……れ……?)
確かにまぶたを開けたはずなのに、目に見えるものが何も無かったから。
なぜだか視界が、隅々まで漆黒の闇で満たされているのだ。
一応厳密に言えば、視界のそこかしこに、辛うじて薄い光が瞬いてはいたのだが。
しかしそれは、周囲がどうなっているか識別できるほどの、はっきりした明るさを持ってはいない。
今の私にわかるのは、せいぜい自分が仰向けに寝ている、ということぐらいである。
となるとどうやら、私が今いるここは、とても暗い場所であるらしい。
外の光が差し込まぬよう締め切られている、とかそんなところか。
それでこんな風に、闇以外はほとんど何も見えぬのだろう。
とは言えそれがわかっても、未だ詳しい状況は不明なまま。
ゆえに私は、すぐさま起き上がり、周囲の様子を確かめようとしたのだが――
(……え? 何で……?)
そこで初めて、自分の体がうまく動かないことに気がつく。
全身が異常に重く、どれだけ必死に力を込めても、わずかに痙攣する程度なのだ。
まるで骨折でしばらくギブスを装着し、無事に治癒してから、それを取り外した直後のように。
しかもそれに加えて、睡眠時間が長すぎたせいなのか、頭の方も満足に働かない。
脳味噌の重量が増したような感覚があって、やたらと鈍くぼんやりとしているのだ。
こんな状態では無論、まともに思考することなど不可能なので、自身に起きた異変の原因を突き止めることは難しい。
結果として私は、しばし続いたその無益な格闘の果てに――
(……もう、駄目)
あっさりその努力を放棄し、完全に体の動きを止めた。
どこなのかもわからぬ場所で、なぜかもわからぬ苦労を強いられるこの状況に、心が耐えられず挫けてしまったのだ。
すでに胸の内にあるは、『まあ何でもいいか』という、ひどく投げやりな気持ちのみである。
するとそうして諦めたことをきっかけに、突然強烈な眠気が襲ってくる。
ずいぶん寝た後のような気がするのに、また意識が薄れてきたのである。
無論挫けた心では、その猛威に抗うことなどできないので、私は再度緩やかな微睡みへ沈んでいくことになった。
ただ次いで、そんな私を引き止めるかのように、不思議な現象が発生する。
先ほど目覚めのきっかけになった、どこか懐かしい謎の声が、力強い励ましの言葉をくれたのだ。
『頑張って、アキラちゃん。せっかくここまで来たんだから。
あと少しだよ、さあ起きて』
その瞬間、突如奇妙な衝動が全身を貫いた。
この声に応えなければいけない、それこそが自分の義務だろう、という感情が湧き上がってきたのである。
全身を蝕んでいた重苦しさが、残らず吹き飛んでしまうくらい鮮烈に。
それに突き動かされて、私はもう一度全身に力を込め、重い体を持ち上げていく。
牢獄に繋がれた囚人が、自らを拘束する鎖を引き千切り、自由を掴み取ろうとする時ように。
使命感にも似た想いで、挫けそうになる心を必死に奮い立たせながら。
そうしてようやく、私は体を起こすことに成功したのだが。
ただそれと同時に、ようやく暗闇に慣れ始めた目が、全く馴染みのない光景を捉えていた。
(ここ、どこ……?)
それは眼前に果てしなく広がる、殺風景で無機質な空間の姿だ。
そこにはおよそ生活感というものが存在せず、何の装飾も無い床や壁が、なめらかな金属質の光沢を放つのみである。
母艦の格納庫と似た雰囲気の部屋、と言えばわかりやすいだろうか。
そしてその空間のほとんどは、巨大な建造物めいたもので占められている。
それは人が入れるくらいの金属製の引き出しを、隙間なく積み上げ敷き詰めたような、ひどく奇妙な物体だった。
『人間を大量に貯蔵しておくための倉庫』と例えるのが、不謹慎ながら正確という気がする。
ちなみに自分が寝ていたのも、その引き出しのような物――蓋は開かれている――の内部である。
横の巨大な構造物から引き抜かれ、無造作に床へ置かれたそれに、一人押し込められていたのだ。
一応その引き出し――見ようによっては棺桶――もどきの中には、ベッドのような物も敷かれてはいたのだが。
しかし大きさは人間一人分ちょうどで、余計なスペースはほぼ無い。
着ている服も、病院で検査の時に着るような質素なものだし、何やら運ばれてきた荷物のような気分である。
もちろん、自分がなぜこんな扱いを受けているのかはわからない。
体は動いても、未だ頭の方がはっきりせず、記憶が曖昧なままだから。
本当にどうして、私はこんな場所で、一人孤独な眠りに就いていたのだろう。
ただそんな風に、解決しない疑問に対し、大きく首を傾げながらも――
(でも……行かなきゃ)
一方で、私の胸の内には、ひとつの明確な欲求が生まれていた。
それはここではないどこか、目指した場所へたどり着かねばならない、という猛烈な義務感である。
その感情は、虚ろな頭や重い体とは裏腹に、熱く激しく燃え盛っている。
ゆえに私は、すぐ首を巡らして、辺りに何があるかを確認した。
自分が向かうべき場所を探すため、周囲の薄暗い空間に、くまなく視線を走らせたのだ。
すると、ほどなくして――
(あ……)
遥か遠く、例の巨大な構造物の端に、小さな緑色の光を発見する。
ビルなどの非常口の標識を思い起こさせる、淡いがそれでいて目に付く色である。
きっとあそこには、この空間からの出口があるに違いない。
そう認識した瞬間、私の中の衝動が、よりいっそう勢いを増した。
あの場所へ行かなければならない、その先を見なければならない、と強く感じたのである。
私はその沸き立つ想いを、力に変えて――
(行こう……!)
さらに全身へ力を込めると、自分が収まっていた、引き出しもどきの縁に手を掛ける。
そして体を引きずりながら、それを跨ぐようにして乗り越え、床に足をついた。
寝起きゆえの緩慢な速度ながらも、しかし休むことなく確実に。
だが私は、そうして立ち上がると同時に――
(あっ……!)
大きくバランスを崩して、床へと倒れ込み、強かに全身を打ち付けてしまう。
未だ体が本調子ではなかったせいか、手足に十分な力が入らず、うまく体を支えられなかったのだ。
当然その痛みにより、私はしばし同じ場にうずくまり、声も上げられぬまま苦しむ羽目になった。
ただそうして悶える私の身に、次いでひどく奇妙な現象が起こる。
(あれ……誰か、いる……?)
突如として全身の、床と触れていない部分に、確かな温もりを感じたのだ。
まるで誰かが、うずくまる私の背中に覆い被さり、優しく抱き締めてくれているかのように。
おかげでみるみる内に、体を苛んでいる痛みは引いていった。
それにより何とか動けるようになった私は、再び四肢に力を入れて立ち上がる。
そして冷たい床を裸足で踏みしめ、一歩一歩進んでいった。
産まれたての子鹿と揶揄されそうな、ひどく頼りない足取りながらも、必死にただ前だけを向いて。
結果として徐々にだが、体が感覚を取り戻し、思い通りに動かせるようになっていく。
どうやらこの体の不調は、長く動かさずにいたせいで、全身の筋肉が強張っていただけらしい。
これならもう、今後は問題なく動けるだろう。
そうして調子を取り戻していく私にも、先ほど抱き締めてくれた気配は、常に離れず寄り添ってくれていた。
何度も繰り返し、『大丈夫』『頑張って』『もう少しだよ』と、励ましの声をかけながら。
それに力を貰って、私はますます足取りを確かなものにしつつ進んでいく。
するとその途中で、不意に例の巨大な構造物に動きがあった。
突然天井付近の暗い空間から、同じく巨大なロボットアームのようなものが現れ――
(あ……他の人達も……)
あの引き出しのような物体を、立て続けに構造物から引き抜き、床へ並べていったのだ。
それこそ収納された荷物を、順番に取り出しているかのように。
そして引き出されたそれらは、間を置かずその蓋を開放し、内部を露出する。
そこからはさらに、私と似た格好の人間が、続々と姿を現した。
みんな揃って、いかにも起きたばかりという雰囲気である。
どうやら私と同じ境遇の人々が、今まさに目覚め始めているところらしい。
長く列車で旅をしてきた乗客達が、その終わりを知らされた時のような光景だ。
私はそんな状況を横目に、その先陣を切るようにして、例の緑色の光の方へ歩いて行く。
そうして長い距離を進み、ようやく目標の場所へと到達したところで、私は――
(通路……?)
緑色の光の下に、奥へと続く通路が伸びているのを発見した。
しかもその先には、明らかに他のものとは違う、白く強烈な光が見えている。
おそらくあれが、外に繋がる出口なのだろう。
その認識は自然と、胸の内にある、そこを目指さねばならぬという衝動を強めた。
ゆえに私は、それに引き寄せられるようにして、見つけた通路の中へと入っていく。
しかしそうして前へ進んだ瞬間、私はとある異変に気づいた。
(あれ……?)
例のずっと声をかけてくれていた気配が、今度はこちらを追ってこなかったのだ。
一歩進む毎に、どんどん距離が開いてしまうのである。
どうやらもう、私について来る気は無いらしい。
それに強い不安を覚えた私は、慌てて後ろを振り返り、その気配を目で探す。
すると自分の後ろ、通路の入り口辺りに、うっすらとだが見えた。
私を見つめて優しく微笑む、どこか見覚えのある男の子の顔が。
彼は自分は太陽の下へは行けないんだ、とでも言わんばかりに、静かに闇の中へと留まっている。
その姿を見て、ふと心の内に、後戻りをしたいという衝動が芽生えた。
まだここにいたい、あの人と離れたくない、と思わず願ってしまったのだ。
正直、今すぐに駆け寄って、目一杯抱き締め合いたい気分である。
だがそんな私を、その願望以上に大きい、強烈な使命感が押し留める。
ここで立ち止まっては駄目、必ず先へ進まないと……という熱い想いが、後ろ向きな気持ちにブレーキをかけたのだ。
きっとそれは許されない行いである、と心のどこかで感じているからだろう。
だからその未練を振り切り、私は前を向いた。
闇の中に佇む、ずっと自分を励ましてくれていた、優しげな男の子を置き去りにして。
おそらくこれこそが、彼の想いを無駄にしない選択なのだと、必死で己に言い聞かせながら。
そこへふと、男の子の声だけが追いかけてくる。
まるで別れを告げるかのような、どこか寂しげな感情が含まれた口調で、最後のひと押しをくれたのだ。
『大丈夫、アキラちゃんならできるよ……』
そして私の後ろで、男の子の気配は完全に消えてなくなった。
夜の帳の内を漂っていた闇が、朝の光を浴びた瞬間に溶けていくように。
おそらくはもう、遠いところへ行ってしまったに違いない。
それでも私は、決して振り返ることなく、ただ前だけを見て進んでいく。
自らの向かうべき場所、すぐそこにある希望の光を目指して。
そんな悲しい奮闘の甲斐あって、ついに例の光の下へと到達した私は、早速その中に身を躍らせた……のだが――
(っ……!)
直後、強烈な光に目を突かれ、思わず立ち止まる羽目になった。
明るさに慣れていないせいで、一時的に視界を奪われてしまったのだ。
ゆえにすぐ立ち止まり、体がそれに対応するまでしばし耐える。
それからおそるおそる、閉じている目を開いた。
目が明るさに慣れたかどうかを確認しつつ、ゆっくりと慎重に。
その先に何が見えるのか、期待と不安を等しく胸に抱えながら。
結果として、私の目に飛び込んできたのは――
(……海?)
ささやかな潮騒と共に、そっと繰り返し打ち寄せる白い波。
視線の遥か先で揺らぐ、世界を一直線に切り分ける水平線。
足元に広がる、美しい波跡が幾重にも刻まれた巨大な砂浜。
息を吸い込んだ際に鼻孔をくすぐる、濃厚で活き活きとした潮の香り。
そういう『まさしく海そのもの』と表現するより他は無い、壮大な風景であった。
私はそれに圧倒されながらも、迷わず一歩を踏み出して、その砂浜の中へと進んでいく。
細かい砂粒に足を取られても構わず、波打ち際まで移動したのだ。
なぜなら一刻も早く、目の前にあるものが夢ではない、と確認したかったから。
そう願いつつまっすぐ歩いて、海と浜との境界線に到達した私は、即座に打ち寄せる波の中へと足を踏み入れた。
そしてその温度や質感や臭いを、自らの体でしっかりと味わう。
それは紛れもなく、生きている『海』の感触であった。
その感覚を胸に、今度は自分の歩いてきた方を振り向く。
陸地があるはずのそちらに、何があるのかを確かめるために。
そこで最初に見えたのは、底面のみが砂浜に埋もれている、母艦に良く似た形状の――きっと今まで自分が乗っていたのであろう――巨大な艦。
次いで砂浜の先に広がる、背丈の低い植物が青々と茂った草原。
さらにその向こうに連なってそびえる、なだらかで緑深き山々。
また頭上には、太陽のようなものが輝いていて、その周囲は白い雲と青い空で彩られている。
要は――艦を除けば――地球と良く似た、ひどく馴染みのある光景が広がっていた、ということである。
もちろん、偽物などではない。
海も空も大地も太陽も、またそこに立つ自分の体も全て、確かな存在感を持っているのだ。
疑念を持つ余地すら無いくらいに、はっきりと揺るぎなく。
その鮮やかな実感は、自然と私に思い出させた。
(そう……だ……私、これを……)
自分がこの光景を求めて、長い長い旅をしてきたのだ、ということを。
数多の犠牲を払いながらも、決して足を止めることなく、ここまでやってきたのだということを。
ようやくクリアになった頭で、私はその事実を理解したのである。
つまりは長く遥かな旅路を完遂し、新天地に到達できた、ということだ。
断腸の思いで置き去りにしてきた、大切な友人達の想いを一身に背負い、見事それを成就させたのだ。
その確信は私の心を、溢れんばかりの喜びで包み込んでいった。
しかもそこに、再び声が聞こえてくる。
それはここへはたどり着けなかった皆からの、しかしその無念さは微塵も感じられぬ、心よりの祝福の言葉達だ。
『よう、やったな』
『おめでとう、志藤さん!』
『やっぱりすごいね、志藤さんは』
『おめでとうございます、志藤さん』
『まあ……何だ。おめでとう』
『おめでとー! 志藤さん!』
『いや、やったねぇ! 志藤ちゃん!』
『あの、おめでとうございます!』
『おめでとー、さすがは志藤さん』
『ああ、おめでとう。……いや、それぐらいは俺でも素直に言うって』
『おめでとうございます、志藤さん。
本当にここまで、よく頑張りましたね』
『おめでとう、アキラちゃん。
僕はアキラちゃんなら、絶対に出来ると信じてたよ。
本当に、おめでとう』
そのひとつひとつが、私にこの上なく大きな歓喜と――
(でも……みんなは……!)
それ以上に強い、壮絶な痛みをもたらした。
なぜなら聞こえる声が全て、現実感の薄い、とても遠く儚いものだったから。
生き残ったのは自分だけという事実を、改めて突きつけられてしまったわけだ。
それにより膨れ上がる寂しさと、心を責め苛む罪の意識に、私の精神は千々に引き裂かれていく。
ただしその一方で、胸の内に確かな達成感はあった。
それはきっと、全員の想いを背負って、目指す新天地まで来られたから。
皆の献身を無駄にせず、自らの使命を果たすことができていたから。
例え代償が重くとも、犠牲と引き換えに得られたものも大きかった、というわけである。
だからその手応えを支えに、私はしっかりと背筋を伸ばして立つ。
挫けそうな己の心を、湧き上がる達成感で繋ぎ止めて。
私の道行きを祝福してくれたみんなへ、これ以上恥ずかしいところを見せないように。
そして、思った。
ならば自分もまた、彼らに何か言葉を贈りたい、と。
二度とは会えぬだろう皆に、最後の手向けを行わねばならない、と。
その目的を果たすため、私は静かに考えを巡らしていく。
結果、ひとつ明確に伝えるべき事がある、という結論に至った。
(ああ……そうだ……)
確かに今の私は、ほとんど何もわからない状況に置かれているけれど。
これから自分にどんな未来が待っているのかなんて、全く予想もつかないけれど。
それでも無事、ここにたどり着くことができた。
たくさんの人の力を借りて、ほとんど不可能としか思えない、おそろしく困難な目標を成し遂げられた。
その成果に誇るべき価値があることは、どうあれ変わることのない事実なのだ。
だから私は、確信を持つ。
自分が今この場にいることこそ、皆で苦難を乗り越えた証である、と。
だから私は、心から願う。
その尊い事実を、自分を支えてくれたみんなにも伝えたい、と。
それが今の私の、最も純粋にして強い望みだった。
その感情がもたらす衝動に、私は激しく突き動かされて――
「ああ、みんな……私、私――」
今ここにいられることの喜びを、大切な仲間達に届けるため、声を限りに全力で叫んだ――
「私、生きてるよ!」
これにて『ムーン・セイヴァーズ』は完結となります。
本作を最後まで読み、彼らの戦いを見届けていただいたことに、作者として心からの感謝をいたします。
本当に、ありがとうございました。
これ以降は、本編で語られなかった部分を描く番外編になります。
よろしければそちらもご覧ください。




