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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-14 『Our song』
163/173

Section-5

更新履歴 21/11/10 文章のレイアウト変更・表現の修正


「機体の調子はどう? 志藤ちゃん。

 整備は万全のはずだから、問題ないと思うんだけど」



 母艦の外に広がる宇宙空間を、一人静かに漂う志藤明へ、柳井満はそう呼びかけた。

 職員室の倉田の席に陣取って、その机に置かれたPCを使い、彼女の機体のコンディションを確認しながら。


 志藤ちゃんはその俺の問いかけに、機体の状態を確かめるように一回転してから、丁寧に回答する。


『はい、大丈夫です。ありがとうございます』


 ならばとそれに応じて、俺は母艦を軽く操作し、例のブースターを射出した。


「はいよ、じゃあこれ!

 こっちも問題ないか、確認しといてよね!」


 彼女はすぐさまその声に反応して、艦から出てきたブースターを器用にキャッチすると、同じく異常が無いかをチェックし報告してくる。


『はい……こちらも大丈夫です』


 そうして二人で行っているのは、もちろん旅立ちの準備である。

 これから月へと向かう予定の、志藤ちゃんの機体の状態を確認しつつ、同時に必要な装備を渡しているのだ。

 万が一の事があってはいけないので、可能な限り入念かつ慎重に。


 また当然その作業の対象は、志藤ちゃんだけではない。

 実際彼女の報告の直後、俺の元には、もうひとつ別の声がかかった。


『柳井。こっちも頼む』


 志藤ちゃんとは逆の方向にいる、橘幹也からの依頼である。

 こちらはこれから、先ほど来た道を逆に辿って進み、その先で迎撃戦闘を行う予定だ。

 絶対に勝ちを望めないほどの、強大かつ膨大な敵の軍勢を相手にして。


 要は自分が必ず死ぬ、とわかった上で、敵軍の足止めをしようとしているわけだ。

 その決断を自発的に下した、こいつの相変わらずの強靱な精神には、心底驚嘆せざるを得ない。


 とは言えそんな感想、今ここでわざわざ告げることでもない。

 なので俺は、すぐ橘の依頼に応じ、何事も無かったかのような口調でブースターを射出する。


「はいよ! 受け取ってくれ!」


 橘はそれを受け取ると、手際良く稼働具合をチェックしてから、淀みのない答えを返してきた。


『こちらも問題なし。行けそうだ』


 するとその直後、ふと俺達の間に沈黙が訪れる。

 今までスムーズに進んでいた会話が、突如完全に途切れてしまったのだ。

 まるで三人揃って、喉に何か詰まりでもしたかのように。


 理由としてはやはり、会話を先に進めたくなかったからだろう。

 ひと通り準備が完了したことで、別れを告げねばならぬ状況になったものの、皆それを切り出しづらいのである。

 もちろん本来であれば、今のいつ敵に追いつかれるかわからぬ状態で、のんびりしている暇など無いわけだが……


 ただ次いでそこに、そうして尻込みする俺達を後押しするような、優しい声が響いた。


「あの……二人とも、どうかご無事で。

 その想いが遂げられるよう、私も微力ながら祈っています」


 作業に勤しむ俺の後ろで、ずっと静かに控えていた望月さんが、志藤ちゃんと橘に声をかけたのだ。

 その言葉通り、二人の道行きを心から祝福するように。


 それでどうやら、両者とも気持ち的に吹っ切れたらしい。

 まず橘の方が冷静に、続いて志藤ちゃんが名残惜しそうに、自らの出立を告げてくる。


『ああ。行ってくる』


『はい……私も行ってきます』


 望月さんはそれに、離別の悲しみを微塵も感じさせない、穏やかな口調で応じた。

 きっと二人の旅立ちが湿っぽくならぬように、と配慮をしたのだろう。


「はい。行ってらっしゃい」


 ゆえに俺も、そんな彼女に合わせて、明るく二人の旅立ちを祝った……のだが。

 そこでなぜだか、突然妙な事を口走ってしまう。


「はいよ! じゃあ二人とも……祝福と幸運に満ちた、良い旅を」


 結果として橘に、怪訝そうな声で突っ込まれる羽目になった。


『……なんだそれ』


 もっともその理由は、自分でも良くわからなかったので、ぼんやりとした答えを返すしかなくなる。


「いや……なんか、急に思いついたから言ったんだけど……何だろ?」


 しかしそこは志藤ちゃんが、何か察した風に助け舟を出してくれた。


『いえ、良いと思います。

 私もみなさんの旅に、祝福と幸運があることを願っていますから。

 きっと、また会う日まで』


 その言葉に思うところがあったのか、橘は珍しく感傷的な雰囲気で、それに同意する。


『そうか……そうだな。

 俺もみんなの旅に、祝福と幸運があるよう願ってる。

 ……また、会う日までな』


 するとどこか嬉しそうに、望月さんもそんな二人に続いた。


「はい……私もです。

 どうかこれからのみなさんの旅に、祝福と幸運がありますように。

 また会う日まで」


 そのやり取りを聞きながら、俺は真剣に思う。


(ホント……そうだよな)


 これからのみんなの旅路に、尽きることのない祝福と幸運があればいい、と。

 そしてまた会うその日まで、どうかそれが続いていてくれ、と。


 例えその旅が、再会なんて決して望めぬような、遠く果てないものだったとしても。

 残酷なほど残りわずかの、とてつもなく短いものであったとしても。

 先に死のみが待つ、絶望的な道のりであったとしても。

 それでも心底、嘘偽りなしに、皆の幸せを願っているのだ。


 ゆえにそれらの想いを込めて、泣きそうになるのをこらえつつ、俺は二人に離別の言葉を贈る。


「ん……また会う日まで……な……」


 その言葉を合図に、橘と志藤ちゃんが、それぞれ抱えているブースターを起動させた。

 そして徐々に加速し、みるみる内に母艦から遠ざかっていく。

 二人ともが己の使命を果たすため、この学校から旅立っていったのである。


 俺はその凛々しい姿を、完全に捕捉できなくなるまで見送ってから、次に望月さんへ声をかけた。

 これから彼女はどうするのか、それを確かめるために。


「さて、と……こっちはどうする?」


 望月さんはその質問に、静かに落ち着いた口調で答える。

 どうやって死を迎えるのか、という重たい問いであるにも関わらず、ひどく気丈にだ。


「私は……教室に戻っていようと思います。

 やっぱりあの場所には、一番たくさんの思い出が残っていますから。

 柳井君はどうしますか?」


 そんな望月さんの回答を聞いて、不意に思いつくことがあったので、俺はそれを素直に告げた。

 最期を迎える場所を選ぶのなら、思い出の場所と似たところがいいだろうな、とぼんやり考えながら。


「俺は……図書室に行こうと思ってる。

 もうちょっとだけ、ここでやることやってからだけどな」


 望月さんは詳細を一切聞かぬまま、あっさりとそれに応じる。

 何かしら事情がある、と察してくれたからだろう。


「そうですか……では、私はこれで」


 またその際、別れの言葉がシンプルなのは、きっともう全て済ませた後だから。

 今さら名残を惜しむこともない、ということである。


 ゆえにこちらも同じく、さっぱりとした別れの挨拶を返した。


「ああ……これで」


 すると望月さんは、笑顔で軽く一礼してから、速やかに職員室を出て行く。

 迷う素振りの全く見えぬ、いやむしろ迷いを振り切ろうとするかのような、決然とした足取りで。


 俺はそんな彼女の後ろ姿を、やはり見えなくなるまで見届けてから、自分の作業に戻った。

 母艦のコントロールを、自動航行に切り替えておこうとしたのだ。

 管理する者がいなくなっても、しばらく現状の維持くらいはできるように。


 ただし、その途中で――


(ぐっ、あ……体、が……!)


 急に猛烈なめまいを感じて、俺はやむなく作業の手を止める。

 そしてその感覚が消え去るまで、しばしじっと動かずに耐え続けた。

 歯をきつく食いしばり、お願いだからもう少し我慢してくれ、と自分を必死に励ましながら。


 結果として何とか、体が自由を取り戻してくれたので、急ぎ作業に復帰する。

 自身の不調には構うことなく、艦の航行に関する設定を行ったのだ。


 その際は、できるだけ敵から離れるよう、進路を月に向けておいた。

 同時に付近に敵を感知したら、全ての出力を防御に回すよう設定もしておく。

 とりあえずはこの辺が、安全上最善の選択だろう。

 これで晴れて俺の役目は終わり、後は自由に振る舞うのみ、ということである。


 しかしそう決めて、俺が立ち上がろうとしたその瞬間、通信越しに遠慮がちな声が聞こえてきた。


『……まだそこにいるか、柳井』


 先ほど出立したはずの、橘の声だ。

 すでに母艦から大きく離れたあいつが、なぜか今になって連絡をしてきたわけである。

 となるとひょっとして、機体かブースターに、何か深刻な不具合でもあったのだろうか。


 そう心配になった俺は、慌てて橘に、トラブルの有無を問いかける。


「橘か? いったいどうした?

 何か事故でもあったのか?」


 ただし向こうは、その俺の危惧を否定した後、妙に歯切れ悪く質問をしてきた。


『いや、そうじゃないんだが……お前に少し聞きたいことがあってな。

 何て言うか……さっき、何か感じなかったか?』


 そしてそのおかしな問いかけに、首を傾げながら応じた俺へ――


「何か感じなかったかって……ずいぶん曖昧だな。

 それにさっき、っていつのことだよ?」


 いかにも悩んでますという風に、やたらと曖昧な説明をしてくる。


『さっきってのは……みんなで歌ってる時……の話なんだが。

 実はその間中ずっと、近くに何かいるっていうか、誰かが側にいるような気がしててな。

 もちろん気のせいだと思うんだが、ひょっとしたらお前も、と思って……』


 『みんなで歌っている時』とはつまり、卒業式の最後の合唱のことだろう。

 どうやら橘はあの時、側に誰かがいるような感覚があったらしい。

 その口振りからして、自分でも気のせいかと思うほどの、はっきりしないものだったようだが。


 ただ残念ながら、俺の方には何の覚えもない。

 教室には確かに四人しかいなかったし、他に誰かがいる気配なんて一切無かった。

 きっとこいつは、あの場の不思議な空気に影響されて、何か妙な勘違いをしているのだろう。


 しかし内心でそう思いつつも、俺は橘の問いを肯定した。

 これは嘘だと自覚した上で、堂々と相手に同意したのである。


「ああ、感じたぞ。

 確かに誰かいるような気がした」


 橘はそれに、ひどく訝しげに応じてきたが――


『……本当か?』


 俺はそんなあいつを押し切るべく、まるで見てきたかのように、卒業式の事を語って聞かせる。

 もしあの時、こいつの側で誰か歌っていたのであれば、きっと彼女であろうと固く信じながら。


「本当だ。お前の側に、ちっさくて可愛くて、めちゃくちゃ元気そうな女の子がいたぞ。

 それでお前の袖をちょこんと掴みながら、力一杯あの歌を歌ってた。

 いやあ、あれは中々幸せそうだったな~」


 要は栗原真希のことを念頭に、完全な作り話をしたのである。

 自分の命と引き換えに、『順化調整』の鎖から解き放たれた俺は、まだ彼女のことを覚えているから。

 であればやはり、嘘だろうと何だろうと、これが今の俺の為すべきことだろう。


 そんな想いの元に語られた、俺の誠意が詰まった嘘に、橘はかなり間を置いてから答えた。

 いつも通りの冷静な口調で、ただ少しだけ曖昧に。


『……そうか。言われてみれば、そんな気もするな』


 その同意が、俺の言葉を本当に信じてのものなのか、それとも信じたふりをしているだけなのかはわからない。

 俺の気持ちを汲んで、表向き合わせてくれた、という可能性は否定できないのだ。

 こいつは無愛想に見えて、意外に気遣いもする男だから。


 とは言え例えそうであっても、俺は自分の為すべき事を為したはずである。

 もちろん嘘なんかつかずに済む、もっと良い方法もあったのかもしれないが、しかし自分として精一杯のことはできた。

 完璧ではなくとも、それで十分に満足なのである。


 ただそうして、自らの働きに満足したその瞬間、ふと胸に強い衝動が湧き上がってくる。

 それは橘に対して、もう一度謝罪……と言うか、懺悔をしておきたいという気持ちだ。

 きっと今、栗原の話をしたことがきっかけとなったのだろう。


 俺はそれに流されるまま、つい橘に、ひどくつまらぬ事を聞いてしまった。


「なあ……俺のこと、軽蔑してるか?」


 橘はその出し抜け、かつ意図不明な質問に、特に動揺もなく応じる。


『……どうした? 急に』


 そのいつも通りの落ち着いた態度に、俺は許しを得たような気分になり、結果として自分の話が止まらなくなった。

 堰を切ったように、と例えられそうな勢いで、己の心の内を語っていったのだ。


「いや……俺ほら、前にその……みんなを置いて逃げようとしたことがあったじゃないか。

 それで部隊に犠牲者が出たから、戦力が減って……後の戦いもキツくなった。


 だからあれがなければ、もっと生き残れる人数は増えたんじゃないか、誰もいなくならなくて済んだんじゃないか、ってずっと思ってて……」


 しかし途中で、結局は言葉に詰まって黙り込む。

 自らの過ちで犠牲者が増えた、という事実に怯え、それへの罪悪感で溺れそうになっていたから。


 実際俺のあの行動がなければ、巻き込まれただけの雪子は死ななかっただろうし、俺の機体が使えなくなることもなかった。

 またそれにより戦力が減らなければ、斉川や春日井が助かったかもしれないし、栗原だって生きていられたかもしれない。


 要は俺の弱さのせいで、死ななくてもいい人間が命を落とした可能性がある、というわけだ。

 改めてそう思うと、罪の意識が後から後から湧いてきて、精神状態は悪化していく一方である。


 そうして独り苦しむ俺に対し、橘は少し考えるように間を取った後――


『そう、だな……』


 先ほどの質問の答えとして、あまりにもこいつらしい、容赦のない一言を浴びせてきた。


『まあ、根性の無い奴だとは思ってるな』


 その強烈な一撃を食らって、俺はさすがに深く落ち込み、ぼんやりとした答えしか返せなくなる。

 相手の指摘が事実だとわかってはいても、これほどはっきり肯定されるのは辛かったから。


「……そう、だよなあ……やっぱり……」


 ただしそんな俺をよそに、橘はすぐ話を続け――


『でも……』


 ひどく予想外の、今度はおそろしくこいつらしくない、温かな慰めの言葉をくれた。


『……俺がお前の立場だったら、同じことをしていたかもしれない。

 そういう風にも思うな』


 それへの驚きで、俺はまたしても言葉に詰まる。

 今度は先ほどと違う、嬉しさが原因の沈黙だ。

 そんな風に言ってくれる、とは思ってもみなかったせいで、すぐには反応できなかったのである。


 ただし当然、黙ったままというわけにもいかないので、俺は慌てて橘に礼を言った。

 陰気な懺悔に真面目に応じてくれた、その心意気に強く感謝をしながら。


「そ、そっか……ありがとよ」


 もっともあいつの方は、普段通りあっさりと対応するだけだったが。


『……別に、礼を言われるようなことはしていないんだがな』


 おかげで何とか、こちらもいつもの調子を取り戻せたので、とりあえず素直な感想を述べておく。


「いや……やっぱりお前はすごいよ」


 するとそれに照れた、というわけではないのだろうが、橘が不意に黙り込んだ。

 俺の賞賛に対し、何か思うところでもあったかのように。


 そしてしばしの後に、自らその沈黙を破り、急にひどく曖昧な質問をしてきた。


『……お前、少しおかしくないか?』


 ただその意図が不明瞭過ぎて、すぐには掴めなかったので、俺は首を傾げながら聞き返したのだが――


「おかしいって……なんだよ? どこが変なんだ?」


 そこへ橘は、おそろしく鋭い指摘をぶつけてくる。


『何て言うか……妙に声が弱くて、まるで重傷を負った怪我人みたいに聞こえるんだよ。

 ひょっとしてなんだが……お前も今、俺と同じような状態なんじゃないのか?』


 俺はそれに図星を突かれ、返す言葉が全く出てこなくなった。

 なぜなら橘の言った通り、俺の体調はすでに、死を意識せざるを得ないところまで悪化していたから。


 具体的に言うと、まず視界が半分ほど闇に覆われており、しかもその闇は徐々に広がっている。

 脳の視覚野とかその辺りが、じわりじわりと機能を停止し始めているかのように。


 加えて全身に強い倦怠感があり、動かそうとすると鉛のように重い。

 こちらは体のあちこちに、巨大な鉄アレイを括り付けられているみたいな感覚である。


 さらには頭痛がひどいし、めまいもひどいし、吐き気だって常に感じていた。

 風邪と脳振盪と乗り物酔いが同時に来た、と例えればわかりやすいだろうか。

 要は体の異常が、遠からず自分は死ぬのだろう、と確信を持てる段階まで来ていたわけだ。


 それでもみんなの前では、無駄な心配をかけぬように、どうにか気を張って隠していたのだが。

 その頑張りも空しく、ちょっとした声の異変で、橘には見抜かれてしまったらしい。

 他人に興味無いような空気出してるくせに、そいうところは鋭いやつだよな、と改めて舌を巻くばかりである。


 とは言えまあ、今となってはもう、自身の不調を隠す理由も無い。

 そこで俺は、正直に己の抱えた事情を白状する。


「うん……実はお前に助けてもらった時、大怪我したみたいでな。

 その時からずっと体がおかしくて、しかもどんどん悪化してるんだ。

 正確にいつまで生きてられるのか、ってのはわからないけど……

 たぶん、ここに敵が来るまでは持たないかな、と思う」


 すると橘は、何か納得したように一言呟くと、そのままじっと沈黙した。

 ひょっとしたらだが、今の俺の話に驚き、言葉を失っているのかもしれない。


『そう、か……』


 そんな相手の反応に、何となく気詰まりを覚えた俺は、冗談っぽい自虐で場の空気をごまかそうとする。


「ハハ……ま、自業自得だけどな。

 いやホント、根性無いよなあ、俺」


 しかし橘はそれに、またもこいつに似合わぬ、嬉しい励ましをくれた。


『いや……そんな状態でずっと戦ってたんだから、立派なもんだ。

 俺はそういうお前のこと、結構すごいやつだと思ってるぞ』


 その言葉に胸を突かれ、俺は今度こそ本当に泣きそうになる。

 普段の態度が無愛想なだけに、突然こういう事を言われると、余計に感動してしまうのだ。

 ホントにギャップの力って恐ろしいよな、なんて場違いな感想を抱かずにはいられない。


 とは言えそうして感動するあまり、この最後の会話が湿っぽくなってしまうのも、たぶん俺達には似合わないはずだ。

 そこで自らの涙を隠すため、俺はあえて、話題を軽いものに切り替えようとした。


「あ~あ、なんか話が辛気臭くなっちゃったな。

 もっと明るい話がしたいぞ、俺は! 何かないのかよ?」


 そしてそれに応じた橘と、これまでと何ひとつ変わらぬ、どこか間の抜けたやり取りを繰り返していく。


『明るい話……?』


「そうそう! テンションがパーッと上がって、楽しくなるやつ!

 ひとつくらいはあるだろ?」


『……俺にそんなものを求められても困る』


「なんだよ~、ホントにノリ悪いな~。

 たまには付き合えよな~」


『そんなのはいつもの事だろうが。今さらだぞ』


「冷たいわ~、ホントに冷たいわ~。

 外の宇宙空間くらい冷たいわ~」


 またその果てに、俺達は二人揃って吹き出し、抑えきれぬとばかりに笑い合った。

 まるで昔の、何も知らない頃に戻ったかのように、腹の底から思い切り。

 同時にこの会話のおかげで、一時だけでも苦痛を忘れていられることに、心から感謝をしながら。


 だが次いで、そんな楽しい時間の終わりを告げるように――


「うっ……」


 突如として俺は、無視できぬ体の異常に襲われ、思わず苦悶の声を漏らす。

 ずっと続いているそれが、ますますその度合いを強めてきたのである。

 どうやら本格的に、命のタイムリミットが迫っているらしい。


 そんな俺の呟きを聞いて、こちらの状態を察したのか、橘が話を切り上げようとした。


『……じゃあそろそろ、俺は行く。まだやる事が残ってるからな。

 お前もそうしろ』


 俺は力を振り絞り、やっとの事でそれに答える。


「ああ……任せた」


 直後、一切の余韻を残さずに、通信は途切れた。

 実にあっさりした態度だが、まあ残り少ない時間を無駄遣いさせまい、とあいつなりに気を回してのことだろう。


 ならば当然、俺がやるべきことはひとつである。

 そのらしくもない気遣いに、精一杯応えることだ。

 例えこの体が、もう満足には動かぬ状態だとしても。

 そう決意すると、俺は全身に力を込めて、机に手を突き立ち上がる。


 そして重い体に鞭打ち、それを引きずるようにして歩き出した。

 さらにそのまま職員室を出て、校舎の廊下を通り抜けつつ、一心に図書室を目指して進む。

 まるで深海にでもいるかのような鈍さで、しかし着実に一歩一歩、折れそうになる自分の心を奮い立たせながら。


(あと少し……あと少しでいいんだ……)


 結果その奮闘の甲斐あって、俺は何とか、力尽きる前に図書室へ到達できた。

 なので続けて、最後の力を振り絞って受付の椅子に近づくと、そこへ倒れ込むようにして腰かける。

 それこそ、糸の切れた操り人形か何かのように。


 その時にはすでに、体は限界を迎えていて、一歩たりとも動けなくなっていた。

 どうやらここまで、ということらしいが……ただ当初の目的は果たせたし、これ以上頑張る必要もあるまい。

 そう割り切ると、俺は全身の力を抜き、押し寄せる苦痛に抗うのを止める。


 すると自然に、意識が曖昧になっていき、同時に睡魔のようなものを感じ始めた……のだが――


(……そう言えば)


 その根深い倦怠感の中で、俺はふと思い出した。

 つい先ほど、橘から聞かされた不思議な話を。


(歌の時、誰か側にいた気がする……か)


 卒業式の最後に歌っている時、誰かが自分の側にいたような気がする、というあいつの話だ。

 それが今になって、妙に強く心に引っかかったのである。


 だってその現象が、改めて考えてみると、とてつもなく素敵なことだったから。

 『もしあの卒業式に、いなくなったみんなも来ていたら』という想像を、素晴らしいものと感じたわけだ。


 実際本当にそうだったら、どんなに良かったことだろう。

 ただでさえ感動的だったあの卒業式が、さらに思い出深いものになっていたはずなのだから。

 それを感じていたあいつには、少なからず嫉妬と言うか、羨ましいという気持ちを抱かずにいられない。


 ただし仮に、現在の俺にその現象が起こったとしても、実は何の意味も無い。

 なぜならもはや、俺の世界は完全な暗闇に閉ざされていたから。

 目の機能に限界が来て、明るさを感じることさえできなくなっているのだ。


 また同時に耳もやられたのか、聞こえてくる音がひどく遠い。

 先ほど椅子に倒れ込んだ際、その衝撃で響いたはずの音でさえ、聞き取れるかどうかギリギリの状態なのだ。

 これではもし、誰かにすぐ近くから話しかけられたとしても、気づくことは困難だろう。


 要は雪子が側にいたとしても、今の俺には、その姿を見ることも声を聞くこともできないわけだ。

 手探りでしか互いの存在を感じ取れぬ、月明かりすら差し込まぬ、深い夜の闇の中にいるように。

 何とも悲しい人生の終幕だが、まあ結局のところは、自業自得と諦めるより他はない。


 そう強引に割り切りつつ、次いで俺は目を閉じた。

 叶えようのない未練を捨て去って、ただただ静かに。

 自身を食い尽くしていく穏やかな暗黒に、そっと己の全てを委ねながら。


 しかしそうやって自らの運命を受け入れ、人生に幕を引こうとした、その瞬間――


(……ん?)


 ふと何か、温かさのようなものを感じる。

 光も音も捉えられなくなったこの体を、熱を持った何かが包み込んでいる、という感覚が生じたのだ。

 まるで見えない誰かが、自分を抱き締めてでもいるかのように。


 そしてその謎の現象に対し、かすかな希望を抱いた直後、俺は確かに見た。

 すでに闇に閉ざされているはずの、光なき己の目で――


(ああ……やっと、会えたな)



 今にも泣き出しそうな、それでいて心底嬉しそうでもある、愛しい人の笑顔を……








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