Section-3
更新履歴 21/11/10 文章のレイアウト変更・表現の修正
「以上をもちまして、県立芦原高等学校、卒業証書授与式を終了いたします……」
その宣言に答える者は、今のこの教室には誰もいない。
みんなが三者三様に、じっと黙ったまま、それぞれ別の反応を見せるだけだったのだ。
橘君はいつも通り、いやいつも以上に固い顔をしながら、どこか遠くを見ている。
柳井君は完全に顔を俯かせており、その表情は全く見えないが、わずかに背中を震わせていた。
望月さんは目を閉じ、じっと唇を噛みながら、流した涙の跡を拭っている。
そこに共通しているのは、皆が揃って、何かに耐えているような雰囲気ということだ。
その理由に関しては、まあわざわざ言うまでもあるまい。
自分はどんな顔をしているか、なんて考えたくもないが、きっと私も似たような感じなのだろう。
またその空気に影響されたのか、自然と様々な感情が、後から後から心に浮かんでくる。
それは『この学校から離れたくない』という気持ちや、『いつまでもここで皆と過ごしていたい』という願望だ。
きっと捨て置いて先へ進むには、あまりに多くのものが詰まったこの場所に、強い未練を感じてしまっているからに違いない。
だがもちろん、このままここへ留まる、なんて選択肢は無い。
例え今は平和なのだとしても、母艦がまともに動けない以上、遠からず敵に追いつかれてしまうはずだから。
生き延びたいのであれば、必ずその前に旅立たねばならぬ、ということなのである。
ゆえに私は、力任せに未練を振り切って、皆に出発の意思を告げようとした……のだが。
「……そろそろ、行きましょうか」
なんとそこに、突然橘君が割り込んできて――
「ひとつ、いいか」
前触れもなく突然、寝耳に水と言うか青天の霹靂と言うか、とにかく腰を抜かしかねないほどの意外な宣言を行った。
「俺は月には行かない。ここに残る」
私はそれに意表を突かれ、思わず大きな声を上げてしまう。
なぜ彼が、急にそんな事を言い出したのかわからず、激しく動揺してしまったのだ。
「え……!?」
加えてそれと同時に、他の二人も一斉に橘君の方を振り向いた。
その顔は一様に、呆気に取られたような雰囲気のまま固まっている。
私同様、彼の発言に驚かされたのだろう。
そんな私達に対し、橘君は一切の動揺なく、冷静に自らの意図を説明し始めた。
「安心してくれ。別に自暴自棄になった、とかそういうわけじゃない。
単に俺が月に行っても意味が無いから、ここに留まりたいって言ってるだけだ」
それでも意味が掴めず、ますます首を傾げるばかりのこちらへ――
「月に行っても……意味が無い?」
彼はひどく淡々とした口調で、その雰囲気とは裏腹の、自分が抱えた深刻な事情を打ち明ける。
「実は俺、もう死んでるんだ。
いや正確に言えば、絶対に治らないくらいの重傷を負っている、ってところか。
そういう状態で、あの機体の中に詰め込まれてるんだよ。
だから――」
その想定外過ぎる告白に、私は思い切り度肝を抜かれて、慌てて話を進めようとする橘君を押し止めた。
それからすぐ、発言の詳細について問いかける。
「ち……ちょっと待ってください!
もう死んでるって……どういう事ですか?
なぜ、なぜそんな事がわかるんですか?」
もっとも彼の方は、変わらず落ち着き払った様子のまま、静かに回答をくれるだけだった。
「ああ……それはここに来る直前の記憶が、少しだけど残っているからだ。
その記憶の中で、俺は突然戦闘に巻き込まれて、かなりの重傷を負った。
そして意識を失って、次に気がついた時には、いつの間にかこの学校にいたんだ。
たぶん瀕死だった俺を、軍の連中が無理やり機体に乗せたんだろうな。
戦力の足しにするために、死にかけでも構わずに。
つまり俺は、仮に月へ到着できても、そのまま死ぬだけの状態かもしれない……ってことになる。
行っても無意味だって言ったのは、それが理由だ」
結果として私は、完全に言葉を失う。
橘君がこれまでずっと、自身の死を覚悟しながら戦っていたという事実に、大きな衝撃を受けたからだ。
まあ実際、それはそうだろう。
だって今の言葉が真実であるならば、彼は自らの死を受け入れた上で、生き延びるために努力していたことになるのだから。
そんな矛盾した行い、いったいどれほどの精神力があればできることなのか。
自分には到底不可能な、その辛い戦いを乗り越えてきた彼に、かける言葉など何ひとつ見つけられなかった。
そんな私の代わりに、次いで柳井君が、橘君に話しかけ――
「……なあ。それって、本気なんだよな?」
すぐそれに応じた橘君へ、続けてこれからの事を問いかける。
「ああ」
「……じゃあ、これからどうするつもりなんだ?
ここに残るって言ってたけど、何かやりたいことでもあるのか?」
すると橘君は、その質問に対し、自分の命を一切省みていないような答えを返す。
「月に攻めてくる連中を、ここで迎え撃とうと思ってる。
まあ要するに、時間稼ぎをやろうってことだ。
向こうに行ってから何が起こるかわからない以上、余裕があるに越したことはないからな。
もちろん一人じゃ大したことはできないが、どうせ無くなる命なんだし、有意義に使った方が絶対にいいはずだ」
その自己犠牲が過ぎる発言を危惧して、私は必死に彼を止めようとする。
「で、でも橘君が、その……瀕死の重傷を負っていると言うのは、単に推測なんですよね?
大怪我をしたという記憶があるだけで、現在どういう状態なのかは確認していないんですよね?
ならばすでに、怪我が治癒している可能性もあります。
あるいは月に到達してから、何らかの治療を施すことだって……」
しかしその途中で、彼は私の話を遮り、首を振りながら自身の決意を告げた。
「例えそうだとしても、俺はここに残る。
自分が生き延びられるわずかな確率に賭けるより、俺がここに留まって戦うことで、少しでもみんなが生き延びられる確率を上げたいんだ。
今までしてきた努力を、最後の最後で無駄にしないためにな。
自分でも似合わない事を言ってるとは思うが、一応これが、今の俺の正直な気持ちだ」
私はまたもそれに圧倒され、無意味な呟きを絞り出すしかなくなる。
「そんな……」
なぜならはっきり、『これは止められない』と感じてしまったから。
その口調や振る舞いを見て、彼の決意はもはや動かせぬ、と思ってしまったのである。
本当に残念だが、説得は諦めるしかないのだろう。
せっかくここまで来たのに、まさかこんな事になるなんて、と悔やまずにはいられない。
しかもそこへ、追い討ちをかけるかのように――
「あの……」
なんと望月さんまでもが、橘君と同じようなことを言い出した。
「突然でごめんなさい。
実は私も、ここに残りたいと思っているんです」
当然私は、さらに心を掻き乱されながら、慌ててその真意を問い質す。
「も、望月さんまで……なぜそんな事を?
まさかあなたも、体に何か?
それとも橘君みたいに、ここで敵を迎え撃ちたいとか……」
彼女はそれに、軽く首を振ってから、静かに応じてくれた……のだが。
皆の視線を浴びつつ発されたその答えは、一瞬戸惑ってしまうようなものだった。
「いえ、たぶん体の方は無事だと思います。
確認はしてないんですけど、私には大怪我をしたとか、そういう記憶は残っていないので。
それに私は、あの宇宙で戦いたいんじゃなくて、『ここ』に残りたいんです」
それを聞いた橘君が、怪訝そうな様子で眉間に皺を寄せる。
同じく柳井君も、不思議がっている風に首を傾げるばかりだ。
望月さんの発言の意図が、すぐには掴めなかったのだろう。
ただ私は、いち早く彼女の真意に気づき、信じられない心持ちでそれを確認した。
「それはつまり……『この学校』に残るということですか?」
望月さんは穏やかな微笑みを浮かべつつ、私のその問いかけを肯定する。
「はい」
つまりは宇宙で敵を迎え撃とうとしているわけではなく、今いる学校の方に留まるつもりなのだ。
母艦が撃墜されると同時に崩壊し、自らの命も失われてしまうはずの、おそろしく不安定な空間の中に。
彼女がそんな事をしようと思った動機は、当然のようにさっぱりわからない。
ゆえにその混乱を抱えたまま、私は望月さんに同じ質問をしたのだが――
「なぜ、そんな事を……?」
彼女はどこか晴れ晴れとした表情で、迷わずその問いかけに答えた。
「それはこの場所に、置いていってはいけないものがある、と思うからです。
絶対に離れたくない人が、まだここにいる、という気がするからです。
だから最後の一瞬まで、私はここに留まっていたいんです。
もちろん向こうは、そんな事は望んでいないと思うんですけど……
でもやっぱり、見捨てて行くことはできません。
本当に、ごめんなさい」
その話を聞いて頭に浮かぶのは、トルーパーの改造を嫌がった時の、ひどく強張った彼女の顔だ。
察するにどうも、未だあの中にいる誰かが、望月さんの『絶対に離れたくない人』らしい。
であれば当然、ここを離れてしまえば、その人を置き去りにしていくことになる。
大切な相手をそんな風に扱うのは、確かに胸が引き裂かれるほどに辛いことだろう。
『それをやりたくない』という気持ちは正直言ってわかるし、そんな彼女の選択を否定し、翻意を促す気にはなれなかった。
しかもそうして私が、望月さんの意志を知り、気持ちを沈ませているところへ――
「そっか……じゃあ――」
柳井君までもが発言を開始、まさかあなたまでと怯える私の前で、まさしく予想通りの言葉を発する。
「俺もそれ、付き合うことにするわ!」
私はその度重なる衝撃によって、完全な思考停止に陥り、もうまともな反応すらできない。
釣り上げられた魚のように、口も目も大きく開いたまま、じっと硬直して佇むのみになってしまったのだ。
そんな私の様子を見てか、今度は橘君の方が、柳井君の意志を確かめてくれた。
「お前もこの学校に残る、ってことか?」
柳井君はいつも以上に軽薄な口調で、明るくそれに答える。
「ああ、そうそう。
だって二人が残るんならさ、母艦の管理をする人間が必要だろ?
戦うにしても学校にいるにしても、艦の方は稼働してないとマズいわけだから。
要はフォアザチームというか、ワンフォーオールっていうか? そういうやつさ。
俺もみんなの役に立ちたいんだよ」
もちろん私の方は、その話に全く納得できなかったので、何とか彼を翻意させようとしたのだが――
「それは……それは何とかなるはずです!
艦の航行も学校の管理も、自動で行ってくれるシステムがありますから!
戦闘はできなくとも、普通に維持するだけなら十分可能なんです!
必ずしも、柳井君がここに残る必要は無いんですよ!
だから――」
しかしその話を聞いた彼は、不意にこちらから目を逸らすと、遠回しにそれを拒絶してきた。
内心が如実ににじみ出た、ひどく申し訳なさそうな口調で。
「……それにほら、俺色々やらかして、ずいぶんとみんなに迷惑をかけたし。
そいつをどっかで取り返しときたいな、って気持ちがずっとあってさ。
ここがいいチャンスだ、なんて風に思っちゃったんだよ。
だからその……すまん」
その意外な告白に、私はまたも言葉に詰まる。
柳井君がそこまで罪の意識を抱いている、とは思っていなかったせいで、動揺し二の句を継げなくなってしまったのだ。
無論気にしないで良いことだとは思っていたが、それを口にするには、あまりに彼の纏う空気は重いものだった。
ただ互いの関係性ゆえか、橘君の方は臆することなく、そんな柳井君に温かい言葉をかける。
「お前は十分良くやっていたと思うぞ。
誰も責めたりなんかしてないはずだ。
それでもここに残りたいって言うのか?」
しかし柳井君は、いつになく真剣な表情で、迷いなくそれに答えた。
「ああ」
結果として橘君も、それを受け入れるしかなくなったらしく、どこか無念そうな呟きだけを返す。
「……そうか。なら、俺から言うことは何もない」
そんな二人の姿を、私は息をするのもやっとという状態で、ただ見つめることしかできなかった。
誰もが皆、自らの未来をその手で閉じていく光景を前に、ただただ呆然とするばかりだったのである。
そして否応なく、突きつけられてしまう。
(一人……なの……?)
どう転んでも生き残るのは自分だけ、という残酷な現実を。
せっかくここまで、皆であらゆる努力を重ね、必死で生き延びてきたと言うのにだ。
これではしてきた苦労に見合わぬ、あまりに小さい成果ではないか、と猛烈な無力感を覚えずにはいられなった。
そんな感覚が呼び起こしたのか、ふと私の頭に、ひとつ良からぬ選択肢がよぎる。
(私も……残るべきなのかな?)
いっそのこと、自分もここに留まってしまうか、という発想が芽生えてきたのだ。
みんなの話を聞いて、私も思い出の詰まったこの学校で、彼らと運命を共にした方がいいのでは……なんて風に思えたから。
ひょっとしたらその選択こそ、私達が紡いできた物語の、最も良いエンディングなのかもしれない……
そう心が傾いたところで、不意に橘君がこちらを振り向き、私の意志を確かめてくる。
「志藤。お前はどうする?」
私はそれに、揺らぐ心に流されるまま、肯定の返事をしようとした……のだが。
「……わたし、は……」
なんと、その瞬間――
『アキラちゃん』
突然頭の中に、心が震えるほどに優しく、しかし決して折れぬ意志の強さを感じさせる声が響いた。
『アキラちゃんはいつも、アキラちゃん自身がやるべきだ、と思ったことだけ考えていて欲しい。
たぶんそれが、一番みんなのためになると思うから』
それに後押しされるようにして、私は――
「私、は――」
自らの内に潜む弱さを振り切り、決然と己の意志を皆に伝える。
「私は、月へ向かいます」
そしてところどころ感情を高ぶらせながらも、丁寧に自分の気持ちを語っていった。
「誰かが……誰かが私に、『生きろ』と言ってくれている気がするから。
私に生きていて欲しいと、誰かが命懸けで願ってくれた気がするから。
だからその想いに応えるために、私は絶対に立ち止まれない。
どうしても前に進まなければならないし、またそうしたいと心から思っているんです。
だから私は……一人でも、月へ向かいます……」
結果それを言い終えた瞬間、みんなが揃って笑みを浮かべる。
私の選択を承認し、そして心から祝福するかのように。
私は友達をここへ置き去りにして、ただ一人自分だけが生き延びるつもりだ、と宣言したにも関わらずである。
ゆえにその反応に対し、居たたまれない思いを抑えられなかった私は、罪悪感に苛まれつつ謝罪をしたのだが――
「すいません、私だけこんな……」
みんなからの答えは、とても明るく温かなものだった。
「気にする必要は無いぞ。勝手をしているのは俺達の方なんだからな。
お前は何も間違ってない」
「そうそう! 気にしない、気にしない!
志藤ちゃんがやろうとしてるのは、すごく良いことなんだからさ! 自信持ってよ!」
「あの……私の方こそごめんなさい。一緒に行けなくて。
でも志藤さんが無事でいてくれることを、私も心から願っています」
私はそれに心を揺さぶられ、涙を流しながらお礼を言う。
「ありがとう……必ず、必ず生きてみせます……みんなの分まで……」
そして無理やり、精一杯の笑顔を浮かべた。
最後の思い出、みんなの記憶に残る自分の顔が、みっともない泣き顔にならないように。
これまでの全てへの感謝と、ここで離れなければならないことへの惜別、それから絶対に生き抜いてみせるという決意をも込めて。
するとその瞬間、そうして頑張る私を、誰かが力強く応援してくれた気がした――
『僕はそういうアキラちゃんを、いつまでも応援しているよ……』




