Section-2
更新履歴 21/9/11 文章のレイアウト変更・表現の修正
さて、この俺、木原開人には。
現在、絶賛片思い中の女の子がいる。
彼女の名前は、望月和歌。
同じ学校に通う、同学年のクラスメイトだ。
その身長はほどほどで、肌は健康的に白く、髪は艶やかな黒のミディアムロング。
発する声は優しく、物腰も穏やかな上に、性格は柔和で温厚。
そんなお淑やかさと奥ゆかしさの塊、とでも言うべき超絶完璧美少女である。
そして今のところ、恋人がいる様子はない。
おまけに端から見ていて、特定の想い人が存在するような印象も無い。
つまりは完全フリー、ということである。
なので彼女に対し、密かな想いを寄せる身としては、ここらでもっと積極的にアプローチしておきたい……ところなのだが。
(今は……ちょっとな)
俺はあえてそのチャンスを直視せず、いったん心の奥底にしまい込む。
いつものように通学しているその途上、朝の日差しが降り注ぐ狭い校庭を、独りとぼとぼと歩きながら。
そうして俺が、彼女に対して消極的な態度をとる理由――それは先のゲームでの不調が引っかかり、気持ちが後ろ向きになっていたせいである。
テンションが落ちていたので、行動を起こす気にならなかった、というわけだ。
もちろんそういう自分のことを、情けないやつだと思いはする。
だってちょっとゲームがうまくいかなかったくらいで、実生活に響くほど気分を落ち込ませているのだから。
小学生かお前は、と指摘されても反論のしようはない。
とは言えこれほど気持ちが乱れている時に、恋の駆け引きなんてしたところで、成功する見込みなどありはすまい。
慌てふためいた挙げ句、何かやらかすのが関の山、というわけだ。
今までだってずっと隠してきたんだし、ここもひとまず先送りでいいだろう。
ただそんな風に、手早く悩み事を片付けた瞬間――
(そうそう、保留保留っと……ん? あれ?)
俺はふと、その現実逃避をきっかけとして、己の行動に潜む不可解な点に気づいた。
(そう言えば……なんで俺、自分の気持ちを隠してたんだ?)
自分がなぜ、今まで一度も彼女にアプローチをかけなかったのか。
それが突然、疑問に思えてきたのである。
だって今は確かに、不調で前向きにはなれぬ状態だが。
そうでない時も、望月さんを好きになってからたくさんあったはずだ。
いつだって彼女は、ごく身近にいたのだから。
それなのに俺は、具体的な行動を何ひとつ起こしていない。
告白ならまだしも、多少のアピールさえしてこなかったのである。
いくらでもあったチャンスを、ひとつ残らず見過ごしてきた、というわけだ。
そんな己の心の動きに対し、俺は強い引っ掛かりを覚える。
(これじゃ……なんか……)
具体的にそれが、何かと言うと――
「最初から、叶わぬ恋だと諦めてたみたいだな……」
自分が恋の成就そのものを放棄していたのではないか、という疑いだ。
だってそうとでも考えなければ、到底説明のつかぬ振る舞いだから。
俺はどうやら、彼女と恋仲になるのは不可能、と思っていたらしい。
ただし当然、告白して断られたわけではなく、また恋のライバルに心当たりも無い現状で、そんな風に考えるのは不自然である。
例え相手が、どれほどの高嶺の花であろうとも、だ。
いったいどうして、そこまで自信を失っていたのだろうか……
(うーん……?)
……などと俺が、独り物思いに耽りつつ、少々恥ずかしい呟きを漏らしたところへ――
「……へえ、意外」
前触れなく後ろから、南極の風みたいに冷厳な、美山涼の呼びかけが届く。
「木原でも、『叶わぬ恋』なんてするんだ?」
その挑発じみた声音に、俺は自らの失態を激しく痛感し、身震いするほど背筋を冷やすことになった。
どうやらあいつ、死ぬほど間の悪いことに、先の俺の独り言を聞いていたらしい。
もちろんこれは、極めて由々しき事態である。
想い人のごく近しい友人、しかも自分が極めて相性の悪い相手に、秘した心の内を知られてしまう可能性があるから。
紛れもない大ピンチの到来、というわけだ。
しかしだからこそ、ここではっきり動揺してしまったら、『今のは聞かれて困る発言でした』と自白するようなものなので――
(くそっ……何とかごまかすしかない!)
俺は必死で平静を装いつつ、ゆっくりと声の方を振り返る。
そしてそこにいた自らの天敵と、正面切って真っ向から対峙しつつ、あえて先ほどの不都合な事実を肯定した。
「ああ、もちろん。そりゃあ恋ぐらいはするさ」
そして続けて、すかさず鋭い反撃の一言を放つ。
強気な態度に出ることで、先の呟きから敵の意識を逸らすために。
「まあ、お前の方は違うみたいだけどな。
その口と性格の悪さじゃあ、当然ことだろうがね?」
結果として美山が、きつく目を細めて黙り込んだので、俺達はそのまま膠着状態に陥った。
面と向かって睨み合いつつ、互いを無言で牽制し続けることになったのだ。
ちなみに向こうがそういう反応をした理由は、おそらく相討ちで大ダメージを被りたくなかったからだろう。
言い争いを繰り返した挙げ句、発言が諸刃の剣になってしまう、という事態を恐れているのだ。
おかげでどうにか、自身の失言をごまかすことには成功したわけだが――
(で……これからどうするかな)
結局のところ、続ける言葉が無いのは、こちらとしても同様である。
できることと言えば、せいぜいしかめっ面をして、視線をぶつけ返すくらいなのだ。
これでは延々今の状態が続きかねないし、はてさていったい、この苦境をどう打破したものだろうか……
ただそんな風に俺が、美山と二人、間抜けな意地の張り合いをしていると――
(……ん?)
そこへ不意に、春の日の薫風のような声が届き、固い空気を瞬く間に穏やかなものへと変貌させた。
「スズも木原君も、ほどほどにね。
ホームルームに遅れちゃうよ」
それに誘われ、声の方を振り返った俺の目に映る人物――それはもちろん、我が想い人、麗しの望月和歌である。
その立ち居振舞いには、相変わらず上品で優雅な印象があり、全てにおいて美しく洗練されている。
反骨精神が服着て歩いているような、あの美山涼とは大違いである。
いやはや本当に、こうして眺めているだけでも、幸せな気分が湧くばかりだ。
しかしそうして、思わず彼女に見とれてしまったせいで、再び美山から強烈な突っ込みを食らうことになった。
「……何、じっと見つめてるの? ストーカー?」
その変態扱いに対し、俺は当然のように強く腹を立てる。
なぜならこれでもう、望月さんと普通に話すのは難しくなってしまったから。
せっかく巡ってきた、貴重な会話のチャンスだったというのに。
邪魔しやがってこの野郎、と反感を持たずにはいられない。
だがここで喧嘩腰に言い返してしまっては、結局いつもと同じパターンである。
望月さんの仲裁を、自分で無駄にしてしまうことになるわけだ。
空気もまた悪くなるだろうし、可能な限りそれは避けたかった。
ならここはどう対処すべきなのか、と瞬時に考えを巡らした俺の脳裏へ、次いで――
(……あっ!)
ふと出し抜けに、誰のものかはわからない、謎の発言がよぎる。
『大丈夫だよ、望月さん。
カイトは別に怒ってるわけじゃないから。ただ――』
その瞬間、ごく自然な流れで、俺はひとつのアイデアを閃いた。
(そうだ!)
そしてそれに従い、意図的に明るい笑顔を作りながら、反論代わりに他愛のない冗談を口にする。
「いやー、すまんすまん。
ほら、望月さんが可愛いからさ、ついつい見とれちゃって。ハハハ……」
こうして軽くボケをかませば、すかさず的確な突っ込みが入り、場の空気が温まると思ったからだ。
要は即席漫才で、この窮地を切り抜けようと考えたわけである。
これできっと問題が解決され、望月さんと話しやすくなることだろう。
そんな目論見を胸に秘めつつ、俺はそのまま何もせず待機し、やがて来るであろう相方の援護射撃を待ち続けた……のだが――
(……あれ?)
待てど暮らせど、期待した突っ込みはやって来なかった。
誰一人言葉を発せず、ひたすら空気が冷え込んでいく、という時間が流れるのみになったのだ。
独り満面の笑みを浮かべる、滑稽な俺を置き去りにして。
もっともそれは、本来当然のことだ。
だって望月さんは基本、他人のボケに突っ込みを入れるような性格ではないし、美山の突っ込みはキツいだけで、大抵雰囲気を険悪にするから。
つまり俺には元々、漫才の相方がいなかった、というわけだ。
合いの手なんて、待ち望む方が間違いだったのである。
ただ、それならそれで――
(いや、ええと……俺、なんで……?)
なぜ自分はあんな冗談を言ったのか、という疑問が湧いてくる。
しかも、そこまで親しくもない女子達相手にだ。
無思慮無配慮無神経、とにかく信じ難い行動と表現するしかない。
本当にどうして、自分のボケを誰かが処理してくれる、などと思ったのだろうか……
そう思考停止状態に陥る俺の前で、次いで不意に望月さんが行動を起こした。
この空気に耐えかねたかのように、気まずそうに顔を伏せたまま、静かに別れの言葉を告げてきたのだ。
「……あの、私、先に行ってるから」
そして俺の横をすり抜け、小走りに校舎の方へ去っていく。
もちろん、こちらとは一切目を合わせることなしに。
目前で展開された、その自分を避けるかのような彼女の振る舞いは、容赦なく俺を絶望の底へ叩き落とした。
(やっちまった……)
自身の犯した大きなミスを、否応なく実感させられたから。
これでは完全に、ただの空気が読めない痛い奴である。
きっと彼女は俺に対して、そういう印象を抱いたことだろう。
その事実を突きつけられ、俺はめまいを覚えるほどに落胆する。
そんな俺を、そこで意外にも、横にいる美山が気遣ってきた。
「……なんか、いつも以上におかしいけど。
何、大丈夫? 体調でも悪いの?」
よりにもよって、天敵に心配されてしまった、というわけだ。
それほどに今の俺は、情けない顔をしているらしい。
おかげでますます、気分の落ち込みは強まっていく。
だがこいつに同情される、という状況もそれはそれで悔しい。
なので俺は、必死に己を奮い立たせ、精一杯の虚勢を張った。
「……ほう。お前が俺を心配するなんて、珍しいじゃないか」
ただそれで向こうも、加減の必要は無いと判断したらしい。
次いでひどくあっさりと、いつも通りのキツい一発を叩き込んでくる。
「別に心配はしてない。単に迷惑してるだけ」
となればもう、弱っている俺の方は、力なく無意味な呟きを絞り出すしかない。
「……そりゃ、どうも」
そこへさらに、傷だらけの心を抉り抜く、強烈な追い討ちをかけてから――
「教室には、正気に戻ってから来てよね」
美山は早足で、颯爽と歩き去っていく。
先に校舎の中へと消えた、望月さんの後を追いかけて。
こちらを気にかける素振りは、もう一欠片もなかった。
俺はその姿を、敗北感にまみれながら、成す術もなく見送る。
そして時間をかけて、必死にぐらついた精神を立て直した後、ようやく行動を開始した。
深いため息をつきつつ、誰もいなくなった寂しい校庭を、重い足取りで歩き始めたのだ。
その最中、俺はただひたすらに、後悔だけを繰り返す。
(何やってんだ、本当に……)
自分の場違いにも程がある、痛々しい発言。
またそれをフォローすることなく、そのままにしてしまった迂闊さ。
それらをずっとずっと、繰り返し悔やみ罵り続けたのだ。
積極的になるってああいうことじゃないだろ、と深く反省しながら。
しかしそうして、鬱々と自虐に沈む中で、ふと心に同じ疑問が湧いてきた。
(……何で俺、あんな事を言ったんだろう?)
自分がどうして突然、あんな似合わぬ冗談を閃いたのか。
そしてなぜ実際に、それを言おうなどと考えてしまったのか。
その理由が不思議と、いくら頭をひねろうとも思い出せないのだ。
例の失敗をする直前、確かに何か、きっかけのようなものはあったはずなのだが……
(うーん……?)
……などと、胸の内を不可解な思いでいっぱいにしつつも、俺はなぜか――
(……でも、いいと思ったんだよなあ)
心のどこかで、強い確信を持っていた。
先ほどの状況であれば、ああいう冗談こそが、場を和ませるための最善の選択肢であると。
失敗した今であっても、そう思わずにはいられないのだ。
まるで、いつか誰かが――
『ただ望月さんが可愛くて、ちょっと照れてるだけでね』
そうやって自分を助けてくれた、とはっきり知っているかのように……




