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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-14 『Our song』
159/173

Section-1

更新履歴 21/11/6 文章のレイアウト変更・表現の修正


 色とりどりのチョークで、『卒業おめでとう』という文字と、ポップな装飾が描かれた黒板。


 どこかから調達したらしい、様々な形に切り抜かれた色紙を、ささやかにお祝いとして飾り付けた壁。


 黒板の横に立てかけられた、いつかみんなで願い事を書き込んだ、このクラスの象徴である旗。


 そして私が教壇の上に置いた、見るからに達筆なフォントで、『卒業証書』と書かれている紙箱。


 今の私の眼前にあるのは、そんな風に様変わりした、いつもの教室の姿だ。



 そうして教室を作り変えた理由はもちろん、ここで卒業式を行うため。

 普通は体育館などを使うのだろうが、この学校にそんな施設はないので、急遽ここをそれらしく仕立てたのである。


 ちなみにその作業を行ってくれたのは、主に先ほど報告に来た望月さんだ。

 かなりの手間をかけてくれたようで、仕上がりは思った以上だし、本当に彼女に頼んで良かったと思う。

 言うまでもないことだが、しっかり感謝しておくべきだろう。


 また感謝と言えば、やはり誰よりも、倉田先生に対してがそうだろう。

 だってそもそも、卒業式をやるという発想にたどり着けたこと自体、全て先生のおかげなのだから。


 その具体的なきっかけは、国語準備室の片隅にひっそりとしまわれていた、卒業証書を発見したことである。

 前回の戦いの後、傷ついた艦についての情報を集める最中に、柳井君がそれを見つけ出したのだ。

 おそらく例のUSBメモリーと同じく、事前に用意してくれていたに違いない。


 そしてその中に、今は亡きクラスメイト達の名前があるのを確認した私達は、すぐに決意を固めた。

 彼らとそれから私達が、確かにここにいたという事実を忘れないために、卒業式を執り行おう……と。

 その結果が、このお手製の式場なわけだ。


 もちろん倉田先生が、どういう意図でこの卒業証書を残したのかはわからない。

 自分で渡すつもりだったのか、それとも自分はいなくなる前提だったのか、何ひとつわかっている事は無いのだ。

 詳しい事情を本人に聞けぬ今、もはや真実を知る手段は皆無、ということである。


 しかしそれでも確かなのは、先生が私達のためにこれを書いてくれた、という事実だ。

 犠牲者が出るかもしれない状況で、わざわざ全員分を用意してくれていたのだ、そう考えて間違いはあるまい。

 ならば何があろうと、その気持ちを無駄にするわけにはいかないし、ここはしっかり自分の責務を果たすべきだろう。


 そう気持ちを新たにしつつ、私は自分が立つ教壇から、こちらを眺めるクラスメイト達に呼びかけを発し――


「みなさん、揃っていますね」


 さらにもう一度、式の始まりを宣言した。


「ではこれから、卒業式を始めます」


 ただその直後、そこへ柳井君が、ひどく楽しそうに茶々を入れてくる。


「はい、じゃあ開会の言葉、どうぞ~」


 私は突然のその要求に、軽く動揺しつつも――


「あ、ええと……開式の辞のことですかね……それでは――」


 それに何とか応えようと、今度はやや固い言い回しで、改めて開会を宣言した。


「ただいまより、県立芦原高等学校、卒業証書授与式を開会致します」


 するとクラスメイト達は、皆それを、温かい拍手で迎えてくれた……のだが。

 柳井君だけは、またしても無茶な注文をしてくる。


「じゃあここで、まず校長先生からのありがたいお言葉~」


 どうやら私に、校長先生が式で述べる、祝辞のようなことを言って欲しいらしい。

 中々の無理難題だとは思うが、しかし雰囲気作りを考えるのならば、そういう演出も必要なのかもしれない。

 となれば式の体裁を整えるためにも、できる限りきちんとやっておいた方がいいだろう。


 ゆえに私は、どうにか頭をひねり、続けてそれらしいことを言ってみた。


「ええと……み、みなさんは無事、本校の全課程を終了いたしました。

 社会に出てからも、ここで学んだ精神を忘れず、立派な大人に……」


 もっともその祝辞もどきは、すぐ慌てた様子の柳井君に遮られてしまう。


「い……いやいやいやいや! そこまで本格的にやってくれとは言ってないって!

 冗談冗談!」


 なんと先の要求、彼は冗談のつもりで言っていたらしい。

 だとしたら真に受けて答えるのは、あまり良くない対応だったのかもしれない。


 そこで私も慌てて、柳井君に謝罪をした。


「そ、そうでしたか……すいません、勘違いしてしまって……」


 すると彼は、顔に苦笑いを貼り付けながら――


「あーいや、それはこっちのセリフと言うか……ハハハ、ごめんごめん」


 ばつが悪そうな様子で、同じように謝ってくる。

 この何とも締まらないやり取りから考えるに、どうやら私の方が頓珍漢なことをしてしまったようだ。

 他の二人も笑いをこらえているし、まあその解釈で間違いはないだろう。


 その自らの置かれた状況に、少なくない気恥ずかしさを覚えた私は、急ぎ取り繕うようにして話題を切り替えた。


「で、では、卒業証書の授与に移りますね」


 そして例の箱を開き、その一番上にあった一枚の卒業証書を、両手で掴んで取り出す。

 そっと静かに、倉田先生であればきっとこうしただろう、と思えるくらいの丁寧さで。


 結果としてどこか緩かった場の空気が、一気に引き締まった。

 いよいよ卒業式の始まり、と言った雰囲気である。

 それを実感して、自然と私の方の緊張感も強まっていく。


 ただ当然、その感覚に吞まれ、式の進行に支障が出てはならない。

 なので私は、いったん深呼吸をして自分を落ち着かせた後、卒業証書に記された文面――最初の卒業生の名前を読み上げた。


「朝倉雪子さん」


 すると不意に、柳井君の顔が固く強張る。

 まるで感情が表に出ぬよう、意図的に抑え込んでいるかのように。

 その理由には察しがつかなくもないが、しかし間違いなく、今ここで触れるべき事柄ではないだろう。


 なので私は、あえて気付かぬふりをして、そのまま自分の仕事を続けた。

 卒業証書に記されている、倉田先生から『朝倉雪子さん』へのメッセージを、静かに読み進めていったのである。


「あなたはいつも、遠慮がちで控えめな人でした。

 あまり自己主張をせず、周りに合わせることが多い人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 ひょっとしたらそのせいで、頻繁に他人に振り回されてしまったかもしれません。

 自分は意志の弱い人間だ、と感じてしまうことが多かったかもしれません。

 自分で自分を評価できず、暗い気持ちになることがあったのかもしれません。


 でもそんなあなたを、頼りにしている人もいるはずです。

 そんなあなたの振る舞いに、救われた人もいるはずなのです。

 きっとあなたのすぐ側、とても近い場所に。


 だからどうか、自分を何もできない人間だとは思わないでください。

 悪い部分ばかりに目を奪われ、良い部分まで否定しないであげてください。

 あなたという人には、確かに誰かを幸せにできるだけの力があったのですから。


 私はそんなあなたを、とても思いやりがある人だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 柳井君はその途中で、急に顔を俯かせると、じっと動かなくなる。

 まるで今の自分の表情を、誰にも見せまいとしているかのように。

 その姿にはやはり、泣き顔を隠そうとしているのだろうか、という印象を抱かずにはいられない。


 ただしそれでいてどこか、祈りを捧げているようにも見えた。

 おそらくだが、『朝倉雪子さん』の安らかな眠りを、一途に願っているのだろう。

 そのひどく悲しげで、しかし真摯さも感じ取れる姿には、大きく心を揺さぶられずにはいられない。


 とは言え無論、ここで式を止めるわけにもいかないので、私は自らの使命に集中する。

 次いでさも目の前にいるかのように、『朝倉雪子さん』の卒業を祝ったのだ。


「ご卒業、おめでとうございます」


 するとそれに応じて、望月さんが自分の席から立ち上がり、神妙な様子でこちらに近づいてきた。

 私はそんな彼女に対し、手にした卒業証書を専用の筒に収めると、軽く一礼してから渡す。


 望月さんは渡されたそれを持って、『朝倉雪子』さんの席――席順は箱の中にメモが残っていた――に歩み寄り、机の上にそっと置いた。

 今でもそこに、本人が座っているかのような丁寧さで。

 私は無言のまま、彼女がその仕事を終えるのを見届ける。


 それから彼女が、自分の席に戻るのを確認した後、次の卒業証書を取り出した。

 いつの間にか顔を上げていた柳井君が、朝倉雪子さんの席に対し、再び祈るように頭を下げるのを横目に見ながら。

 そして同じように、書かれている名前を口に出す。


「春日井真那さん」


 結果その次の瞬間、不意に奇妙な映像が脳裏をよぎった。

 華やかな雰囲気を纏う、それでいてどこか掴みどころの無い綺麗な女の子が、こちらに向かって楽しげに微笑んでいる光景だ。

 確証は無いものの、きっとこの人が、『春日井真那』さんなのだろう。


 私はその強く美しい姿を思い浮かべながら、彼女へのメッセージを読み上げる。


「あなたは長い冬の後に訪れた、輝かしい春の日差しのように、他人を惹きつけてやまない人でした。

 あなた自身の意志に関わらず、誰かを魅了してしまうことの多い人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 きっとそのせいで、望まぬ苦労を強いられることが多かったと思います。

 自分を曲げなければ、困難な状況から抜け出せぬこともあったと思います。

 そんな自身の境遇を、とても理不尽なものだと感じていたのではないか、と私は感じています。


 それでもあなたは、決して自分を偽らなかった。

 また他人に対し、恨みや憎しみを抱いたりもしなかった。

 常に真実と共に生き、内なる悪意に吞まれることもなかったわけです。


 それはやはり、誰にでもできるようなことではありません。

 そうなりたいと願っても、中々実現はできない在り方です。

 なぜなら誰もが、他人に悪意を向けられることを恐れ、そしてもし傷つけられれば、その相手を傷つけ返さずにはいられないから。


 しかしあなたは、そうした常識とは異なる自らの道を、迷わず恐れず進んでいました。

 そのせいで辛い思いをすることも多かったでしょうが、私はそんなあなたを、とても尊敬しています。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 そしてその最後に、惜別の念を込めて、彼女の卒業を祝った。


「ご卒業、おめでとうございます」


 その後は同様のプロセスを繰り返し、再度卒業証書が机に置かれるのを見届けた後、続けて次の卒業生の名前を呼ぶ。


「木原開人君」


 するとその瞬間、今度は望月さんが反応を見せた。

 軽く目を見開いたまま、ピタリと動かなくなったのだ。

 おそらく柳井君と同じ理由からだろうが、もちろんここで声をかけたりはしない。


 ゆえにそのまま、私は卒業証書の読み上げを続けていく。


「あなたはとても、前向きで積極的な人でした。

 いつもみんなの先頭に立って、その進むべき道を切り開いてくれる人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 それはやはり、人間が肩を寄せ合って生きていく上で、とても大切なことです。

 誰かがやらねばならぬことを、率先してやってくれる人がいることは、大いにみんなの助けとなるのですから。

 あなたが恐れることなく、目指す方へ突き進んでいく姿を、心強く思う人は多かったはずです。


 もちろんそれで、大きな失敗してしまうこともあったとは思いますが。

 ただあなたには、それを省みる気持ちがあり、そして側で支えてくれる人もいた。

 その思いを忘れなければ、きっといつだって、物事は良い方向へ進んでくれることでしょう。


 私はそんなあなたを、とても頼もしい人だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 すると望月さんの表情が、悲しくて泣いているような、しかし嬉しくて笑いたくもあるような、ひどく複雑なものに変わった。

 『木原君』の人となりが語られたり、それを褒められたりしたことで、感情が強く刺激されたようだ。


 私はそんな彼女に向け、改めて『木原開人』君の卒業を祝ってから――


「ご卒業、おめでとうございます」


 先ほどよりも少しだけ時間を置いて、こちらへ歩み寄ってきた望月さんに、その卒業証書を手渡す。

 彼女の抱いた想いが、彼にも届いていて欲しい、と内心で真剣に願いながら。


 そして渡したそれを、望月さんが『木原』君の席に置くのを見届けた後、すぐ次に移ろうと……していたのだが。

 しかし私はそこで、証書に書かれていた名前を目にして、心臓が止まるような感覚に陥った。


(……この……名前は……)


 なぜそうなったのかは、まあ考えるまでもないだろう。

 私はここに記されている人物と、きっと深い関わりがあったのだ。

 そのせいで感情を掻き乱され、こうして思いがけず動揺してしまったのである。


 もっともそれは同時に、この今はいないクラスメイトのことを、少なからず思い出せている……ということでもある。

 以前はその名前を見ても、何ひとつ心に反応がなかったというのに。

 であればどんなに辛くとも、その己の変化を喜びながら、自らの責務を果たすべきなのだろう。


 その決意を支えに、私は揺れる感情を必死に抑えつけて、書かれている名前を声に出し――


「久保……擁介君」


 彼が倉田先生から贈られたメッセージを、ひとつひとつ丁寧に読み上げていった。


「あなたはとても、誰かを気遣うことが上手な人でした。

 まるで優しく抱擁するように、他人を守り助けることができる人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 ただひょっとしたら、自分ではその意義がわからなかったかもしれません。

 誰かを支えるという行為では、自分の手で何かを成し遂げた、という満足感は得にくいものですから。

 そのせいで、自分はできる事が少ない人間だ、と感じてしまっていたかもしれません。


 でももちろん、私はそんな事はないと思っています。

 だってそういうあなたに支えられ、その献身に感謝している人が、確かにいたのですから。

 もしあなたがいなければ、自分は何もできなかったかもしれない、と感じている人がいたのですから。

 そうして二人でやり遂げたことの喜びを、もっと分かち合ってもいいのではないでしょうか。


 私はそんなあなたを、自分の身を省みることなく誰かのために働ける、とても勇敢な人だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 ただその途中で、結局は手も声も震え出してしまう。

 自分にとって大切だったのであろう相手が、誰かに認められ称えられていることに、強く心を打たれずにはいられなかったから。

 きっと先ほどの望月さんも、こんな気分だったに違いない。


 そう彼女の内心に思いを馳せて、『なら自分もしっかりしなければ』と奮起した私は、そのまま最後まで己の仕事をやりきった。


「……ご卒業、おめでとうございます」


 同時に長く息を吐き出すと、卒業証書を教壇の上に置いて、しばし動けなくなる。

 その様子を見た望月さんは、何も言わず近づいてきて、証書を『久保擁介』君の机に運んでくれた。

 そして自らの席に戻り、他の皆と共に、静かに私が立ち直るのを待ってくれる。


 とは言えもちろん、そうして待たせっぱなしというわけにはいかない。

 なので私は、無理やりに自分の感情を制御して、次の卒業生の名を呼び――


「……栗原、真希さん」


 まだ少し覚束ないながらも、再び証書の読み上げ作業に取りかかった。


「あなたは、とても明るく元気な人でした。

 そして周りにも、その元気を分け与えてくれる人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 そんなあなたの中にも、きっと悩みはあったことでしょう。

 自分にはできる事があまりない、と感じていたかもしれません。

 周りに迷惑をかけていると感じ、息苦しくなることがあったかもしれません。


 それでも周りに、あなたを憎んでいる人はいなかったはずです。

 心を乱されることはあっても、本気で嫌悪する人はいなかったはずです。

 それは様々な人が関わり合うこの世界において、本来とても尊いなのことです。


 私はそんなあなたを、すごく輝いている人だと思っています。

 まるで希望そのものであるかのような、とても素敵な人だと感じています。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 それを読みながら頭に浮かぶのは、天真爛漫な笑顔を振りまく、小さい太陽のような女の子の姿だ。

 その屈託のなさには、真剣に仕事へ取り組む今でも、つい頬を綻ばさずにはいられなかった。

 先生の言う通り、きっと私達は、ずっとそんな彼女に勇気づけられてきたのだろう。


 そう『栗原真希』さんの明るさに、大きな感謝を捧げつつ、私は彼女の卒業を祝った。


「ご卒業、おめでとうございます」


 だが次いで、卒業証書を望月さんに渡そうとしたその瞬間、予想外の事態が発生する。


「……それ、今度は俺にやらせてくれないか」


 突然橘君が、自分の席から立ち上がりつつ、そう私に提案してきたのだ。

 つい先ほどまで、私が証書を読んでいる間は、ほとんど何の反応も見せていなかったというのに。

 もちろん他のクラスメイト達も驚いたらしく、揃って彼に視線を注いでいた。


 もっともその事情には、間を置かず察しがついたので、私は迷わず彼に託すことにした。


「はい、お願いします」


 すると橘君は、一度頷いてからこちらに近づいてきて、まず卒業証書を受け取る。

 次いですぐさま踵を返すと、『栗原真希』さんの席に歩み寄り、静かにそれを机の上へ置いた。

 同時にわずかに口元を動かして、どこか祈るような囁きを発しながら。


 そうして己の役割を終えた彼が、大切な仕事をやり遂げたかのような――あるいはやり遂げられなかったかのような――表情で、自らの席に戻るのを見届けた後――


「斉川雅幸君」


 私は次の卒業証書を手に取り、また静かに読み上げていった。


「あなたは、誰よりも鋭い人でした。

 人間というものを良く観察して、その内面を深く理解できる人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 だからきっと、それゆえの苦労も多かったと思います。

 他人の心が良く見える、ということはつまり、悪い部分も良く見えてしまう、ということなのですから。

 そのせいで深く絶望したり、色々なものを憎んでしまうこともあったかもしれません。


 それでもあなたは、みんなの幸せを考えてくれていました。

 物事がより良い方向へ進むよう、自分の力を活かしてくれていました。

 そのきっかけが何だったのか、私にはわかりませんが、それはすごく難しい選択だったと思います。


 私はそんなあなたを、とても気高い人だと思います。

 誰かを傷つけぬために、己の苦しさを呑み込んでしまえる、強靱な心の持ち主だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。


 いえもちろん、たまには抱えたものを吐き出していく、という作業も必要なのですが。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 ただその途中で不意に、ひどく不満そうな、それでいて照れ臭そうでもある男の子の顔が頭に浮かぶ。

 このちょっとひねくれた感じの人が、『斉川雅幸』君であるに違いない。

 もしこの人が、今の倉田先生からのメッセージを聞いたら、いったいどんな反応をするのだろうか。


 そんな考えを巡らして、何やら微笑ましい気分になりつつ、私は彼に祝辞を送った。


「ご卒業、おめでとうございます」


 しかしそうして読み上げを終え、望月さんに証書を渡した後、私は戸惑いから手を止めてしまう。

 次に目に入ってきた名前が、口に出すのは少々気恥ずかしいものだったからだ。

 さてこれは、いったいどう対処したものだろうか。


 すると私が、そうして迷う姿を見て、何か察したのか。

 そこで望月さんが、不意に声を上げ――


「あっ……それは私が代わりに読みますね」


 すぐさま進み出てきて、私の手から卒業証書を抜き取ると、どこか楽しそうにそれを読み上げた。


「志藤明さん」


 そして未だ戸惑い気味の私に対し、倉田先生からのメッセージを伝えてくれる。


「あなたは、とても聡明な人でした。

 次にどうすればいいのかを、周りへはっきりと示してくれる人でした。

 その的確な判断力には、誰もが大いに助けられたことでしょう。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 ただやはり、だからこその辛さもあったと思います。

 あなたが優秀であるがゆえに、みんながあなたに頼り切りになってしまうから。

 自分は利用されているとか、嫌な事を押し付けられているという感覚に陥り、不満を持つことも多かったと思います。


 それでもあなたは、決して自らの責務を投げ出さなかった。

 真摯に忠実に、自分がすべきだと思った仕事を果たし続けた。

 そういうあなたがいなければ、きっとみんなはもっと苦しんだことでしょう。

 それはとても意義深く、また価値のある行いであった、と私は感じています。


 私はそんなあなたを、心から誇りに思っています。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 結果ますます照れ臭さが増し、ひどい居心地の悪さを覚える羽目になった。

 他人が褒められるのはともかく、自分が褒められるのはこれほど恥ずかしいのか、と痛感するばかりだ。

 本来の意味からは離れるが、正直穴があったら入りたい気分である。


 そんな私に対し、望月さんはますます頬を緩めながら、卒業を祝ってくれた後――


「ご卒業、おめでとうございます」


 そのまま満面の笑みで、卒業証書を渡してくる。

 私はだいぶ声を上ずらせて、彼女にお礼を言いつつ、そそくさとそれを受け取った。


「……ありがとうございます、望月さん」


 それからその気恥ずかしさをごまかすため、慌てて次に移る。


「で、では改めて……橘幹也君」


 橘君はその呼びかけに、落ち着き払った返事をしてから――


「ああ」


 望月さんと入れ替わりに、私の前に立った。

 私はそんな彼に向け、本当に先生になったような気分で、卒業証書を読み上げていく。


「あなたは、とても理性的な人でした。

 何があっても揺るがず、常に落ち着き払っていました。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 もちろんあなたの中には、人に言えぬ悩みもあったと思います。

 強いということはそれだけで、他人を恐れさせる要素になるのですから。

 皆があなたのように強くはないから、どうしてもそう感じてしまうのです。


 でもあなたはいつも、その力を誰かを守るために使っていました。

 自らの利益のため、他人に暴力を振るったりはしませんでした。

 あなたほどの強さがあれば、簡単にそういうこともできたはずなのに。


 私はそんなあなたを、とても優しい人だと思っています。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 そのメッセージを最後まで聞いても、眼前に立つ橘君の表情は、全くと言っていいほど動かない。

 ただ読み終わると同時に、ゆっくり目を閉じて、深く礼をした。

 まるで今もまだ、教壇に倉田先生が立っているかのように。

 これが彼なりの、まっすぐな気持ちの示し方なのだろう。


 礼儀正しく落ち着いたその姿に、自分も背筋が伸びるような気持ちを味わいつつ、私は橘君に目一杯の祝辞を送る。


「ご卒業、おめでとうございます」


 そして証書を筒に収めて手渡すと、それを受け取った彼が、静かに自分の席に戻るのを見届けた。

 泰然自若という言葉を、自然と頭に思い浮かべながら。


 それから次いで、すぐまた読み上げ作業に取りかかったのだが――


「美山涼さん」


 そこでまたしても、望月さんの表情が変わる。

 二度目となるその顕著な反応に、少なからず憂いを覚えつつも、私は卒業証書の朗読を続けた。


「あなたは、とても勇敢な人でした。

 どんな苦難に見舞われても折れず、凜々しさと涼やかさを失わない人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 ただ本当は、辛いこともたくさんあったのだと思います。

 あなたの強く凜とした姿に、心を掻き乱される人は多かったはずだから。

 人目を引く美しい薔薇だからこそ、その刺を取り去りたい、と考える人もいるはずだから。

 そうして周りに苦しめられ、反感を持つことも少なくなかったのではないかと思います。


 それでもあなたは、自分を見失わなかった。

 周りに否定され、迷い悩むことはあっても、自分を否定することはなかった。

 それは非常に辛い道のりであり、普通であれば、決して貫けない在り方と言えるでしょう。


 私はそれを成し遂げたあなたを、とてもまっすぐな人だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 あなたのことを認め支えてくれる、大切な人達と一緒に。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 すると望月さんは、以前と同じように、泣きながら笑っているような表情を浮かべる。

 その弱々しい姿に胸を痛めつつも、だが止まるわけにもいかぬと、私は最後まで自らの責務を果たした。


「ご卒業、おめでとうございます」


 それから望月さんを気遣って、今回は私が、証書を机に置こうとしたのだが。

 彼女は気丈にも、そんな私を遮るように、教壇の前へと進み出てくる。

 ならばと私も、その気持ちを汲んで証書を渡し、それが持ち主の元へ届けられるのを見守った。


 そしてしばし時間をとり、望月さんが落ち着くのを待った後、次の卒業生――彼女自身の名前を呼ぶ。


「望月和歌さん」


 望月さんはそれに、慌てた様子で返事をしてから――


「……は、はい!」


 すぐまたこちらへ歩み寄ってくると、緊張した面持ちで私の前に立った。

 私はそんな彼女に対し、静かに倉田先生からのメッセージを伝えていく。


「あなたは、とても穏やかな人でした。

 他人と争うことなく、他人を傷つけようとすることもない人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。

 そういう悪意の影が無いあなたに、皆きっと安心感を抱いたことでしょう。


 ただそんな人だからこそ、周囲とのズレを感じることもあったかもしれません。

 自分が普通でないと感じて、自信を失うこともあったかもしれません。

 他人と違うということは、それだけで人を不安にさせるものですから。


 それでもあなたには、そういうあなたを認めてくれる人がいたはずです。

 あなたの存在に助けられた、と感じている人が側にいたはずです。

 きっとその人達が、あなたの価値を証明し、その自信の無さを打ち消してくれることでしょう。


 私はそんなあなたを、とても信頼できる人だと思います。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 結果望月さんが、驚いた風に大きく目を見開き、それからすぐ顔を伏せて動かなくなる。

 胸の内から熱い感情が溢れてくるのを、必死で抑えようとしているかのように。

 自分がそんな事を言われるなんて、本当に思ってもみなかった、といった雰囲気の反応である。


 ゆえに私は、自分も全く同じ気持ちですという思いを込めて、まっすぐ彼女に祝辞を送った。


「ご卒業、おめでとうございます」


 望月さんはそれを受けて、ゆっくりと顔を上げ、か細い声で感謝の言葉を返してくる。

 きっと私にではなく、今はここにいない尊敬すべき人に向けて。

 その円らな瞳の端に、小さな涙を浮かべながら。


「ありがとう、ございます……」


 そして渡された卒業証書を受け取り、大事そうに抱えて、自らの席に戻っていった。

 私としては無論、その背中を静かに見守るだけだ。


 そうして彼女が着席した後、また少し時間を置いてから、私は次の務めに取りかかる。


「柳井満君」


 すると考え事をしていた風の柳井君が、驚きうろたえながら、その呼びかけに反応し――


「え? あ、ああ! はいっ!」


 ひどく慌てた動きで、忙しなくこちらへ近づいてくると、落ち着かぬ顔で私の前に立った。

 私は彼のそんな振る舞いに、少しだけ微笑ましさを感じつつも、冷静に自分の責務を果たしていく。


「あなたは、とても親しみやすい人でした。

 どんな時でも皆を楽しませてくれる、誰より晴れやかな人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 もちろんだからと言って、楽しく過ごせる時間ばかりではなかったと思います。

 あなたはあなたなりに、人との関わり方で悩むこともあったと思います。

 だって交友関係が広ければ広いほど、軋轢が生まれてしまうことも多くなるのですから。


 それでも私は、あなたの存在にすごく助けられてきました。

 あなたの陽気さのおかげで、雰囲気が重くならずに済んだことに、何度も感謝しました。

 あなたがいたからこそ心を救われ、笑顔になれていた人も多いと思います。


 私はそんなあなたを、誰かを幸せにできる力を持った人だと思っています。

 だからこれからもずっと、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 それを聞く彼の表情は、時間と共にどんどん変わっていった。

 驚いて呆気に取られたり、喜びから相好を崩したり、泣きそうなくらいに歪んだり……と、目まぐるしく大忙しだったのだ。

 いかにも柳井君らしいその反応には、やっぱり笑いが込み上げてしまうのを抑えられない。


 たださすがに吹き出すわけにもいかないので、私は最後までポーカーフェイスを貫き、普段通りの口調で彼の卒業を祝う。


「ご卒業、おめでとうございます」


 柳井君はそれに対して、思い切り涙声になりながらも、いつものように明るく返事をした。


「はい! ありがとうございますっ!」


 次いで渡された卒業証書を、望月さんよりもさらにしっかりと抱き締めて、涙を拭いながら自分の席へと戻っていく。

 その背中からは、誰かに認めてもらえたことへの喜びが、これでもかとばかりに溢れ出ていた。


 私はそんな彼の後ろ姿を、温かな気持ちで見届けた後――


「結城悟君」


 最後に残った、十二人目のクラスメイトの卒業証書を、静かに読み上げ始める。


「あなたは、色々なことに気がつく人でした。

 この世界に潜んでいる、見えにくいものが見える人でした。

 少なくとも私の目には、あなたはそんな風に見えていました。


 ただそのせいで気を回しすぎ、心が疲れてしまうことも多かったと思います。

 大きすぎる苦労を背負い込み、重圧で潰されそうになることも多かったと思います。

 なぜなら感性が鋭いということは、それだけ精神がすり減りやすい、ということでもあるのですから。


 でもそういうあなたがいなければ、周りはもっとひどい状況になっていたと思います。

 あなたが人知れず苦労を背負うことで、周りの負担は確かに減ったのだと思います。

 その平穏を生み出せるのが、あなたの力なのだと私は感じています。


 私はそんなあなたを、とても意志の強い人だと思います。

 だからこれからもずっと、無理のない範囲内で、そういうあなたでいてくれることを願っています。

 それがあなたという生徒を持った教師として、私が心から望んでいることです……」


 その最中に脳裏へ浮かぶのは、ひどく弱気に見えるが、しかしどこかに強さも秘めた男の子の顔だ。

 これがどうやら、『結城悟』君であるらしい。

 ひょっとしたら先生の言う通り、私も知らぬ間に、彼に助けられていたのかもしれない。


 何となくそう思えた私は、彼の目立たぬ献身に感謝しつつ、その卒業を祝った。


「ご卒業、おめでとうございます」


 そしてその後、またも望月さんの手により、卒業証書が当人の机に置かれるのを見届けた瞬間――


(終わった……)


 大きな脱力感を覚えて、不意に少し体勢を崩し、慌てて教壇に手を突く。

 ずいぶんと急な反応だが、それだけこのお手製の卒業式へ、真剣に取り組んでいたということだろう。

 その仕事を終えて、肩の荷が下り、思わず力が抜けてしまったわけだ。


 またそれはみんなも同じだったのか、全員が一様に、似たような表情をしていた。

 やたらぼんやりしていると言うか、揃ってその全身から、奇妙とも言える虚脱感がにじみ出ているのだ。

 どこか大きな祭りを終えた後、達成感と寂しさを同時に覚え、呆然としてしまった時のような雰囲気である。


 ただその緩みきった空気の中で、私はひとつの発見をする。

 なんと先ほどまで、卒業証書が収められていた箱の底に――


「……あれ? これは――」



 妙に遠慮がちに、手紙のようなものが添えられていることに気付いたのだ……








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