Epilogue
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『なんか……ごめんね』
あり得ぬほどしおらしいその態度に、俺はかつてないほど激しく動揺した。
それが決して短くはない付き合いの中で、一度たりとも発生していなかった事態だから。
なのですぐさま、その真意を確かめるため質問を返す。
驚愕のあまりつい、少しからかい気味の口調になりながら。
「お……おいおいなんだよ、急に改まって。
お前らしくないじゃないか、ええ?」
ただそうして茶化されたにも関わらず、やはり春日井の言動に変化はない。
同じく弱気に、詫びの言葉を続けるのみだったのだ。
『うん……なんか、すごい迷惑かけちゃったから。
ああ、いや……そうじゃないのかな。
迷惑なんて、軽いものじゃないよね。
斉川君を、死ぬような目に巻き込んじゃった。
本当に、ごめんね……』
もちろんこちらとしては、混乱して呆気に取られるばかりである。
(嘘だろ……? 何だよ、これ……)
だってあの、己の自由を何より大切にする春日井真那が、素直に謝っているのだ。
意外と予想外と思いがけないが重なって、もはや前後不覚と表現できそうなほどのパニック状態である。
正直言って、何かの間違いだろこんなの、という疑いを抱かずにはいられない。
しかしその後いくら待っても、先ほどの謝罪に続く言葉は無かった。
春日井はずっと、俺の返事を待っているかのように黙ったままなのだ。
どうやら冗談ではなく、本気でこの状況に罪の意識を感じているらしい。
そういういつになく殊勝な、春日井の振る舞いに接して、俺の心に浮かんだのは――
(何言ってんだよお前……それは違うだろ!)
なんと脳が沸騰するくらいの、猛烈な怒りだった。
俺は春日井の謝罪に対し、相手を許すどころか、思い切り腹を立てたのだ。
それが少なからず理不尽な反応だ、とわかっていながらも抑えきれずに。
なぜ俺が、そんな感情を抱いたのかと言うと――
(お前は、お前はそんなやつじゃないだろうが!)
それが俺の良く知る、いつものあいつの振る舞いではなかったから。
俺が内心で密かに、そうであってくれと願っている姿ではなかったから。
要は自分のイメージとの違いに怒った、ということである。
そう、俺が思う春日井真那は、『迷惑をかけたから』という理由で謝るような人間じゃない。
むしろ『それがどうしたの?』とでも言わんばかりの顔で、涼しく流してしまう女なのだ。
どんな状況でも変わらず、憎たらしいほど余裕たっぷりに。
ああそうだ、あいつは常に堂々と、そして見るからに凜としていた。
何ものにも囚われず、思うまま奔放に生きていた。
閉ざされた世界を抜け出せぬどころか、最初から動くことさえなかった、不甲斐ない俺とは違って。
だからそんな春日井に、俺は激しく焦がれた。
あいつの存在自体が、生きていく上での大きな救いとなっていたのである。
そしてその認識が覆されたからこそ、ここまで激しく荒ぶっているのだ。
だから、だから俺は――
「……ふざけるなよ」
きっとあいつなりに、誠意を尽くして謝罪したのだろう春日井を、力の限り否定した。
「何を謝ってんだこの性悪が。
今さららしくねえこと言いやがって……
そんなんで、俺が騙されると思うなよ!」
荒く容赦の無い口調と、罵倒に近い表現を使って。
『気に入らない』という感情を、声に目一杯込めながら。
要は普通になるんじゃねえ、平凡な存在に落ちるんじゃねえ、と。
誰が許しても俺が許さない、俺はそんなの絶対に認めないぞ、と。
そうやって明確に拒絶し、自分の願望を相手に押し付けようとしたのだ。
その勢いのまま、俺はさらに春日井を追い込んでいく。
「そんな事を言ったって無駄なんだよ。
散々苦労させられてきて、お前の本性はわかってるんだからな。
少し謝ったくらいで許される、とか甘いこと思うんじゃねえ!」
もちろん本当は、あいつも普通の高校生で、人並みの悩みがあることもわかってる。
別に本気で幻想を抱き、女神だと信じ込んでいるわけではないのである。
だがそういう部分を、俺に対して出して欲しくはなかった。
それを実感してしまうことを、俺は何よりも恐れていた。
太陽と思っていたものが、ただの電球に過ぎないと思い知らされ、大切な支えを失う気がしたから。
つまりはまあ、自分の中のイメージを守れ、と必死で駄々をこねたわけである。
厄介なアイドルのファンとか、あるいは思い込みの激しいストーカーみたいなものだ。
あまりにみっともないというか、本来なら切腹ものの恥ずかしい言動だろう。
ただそれでも、俺はずっとあいつを支えてきた。
どんな扱いを受けようとも、文句ひとつ言わずついてきた。
果ては迷うことなく死地に飛び込み、こうして地獄まで付き合いさえしたのである。
であれば例え身勝手だろうとも、少しくらいはわがままを言ったっていいはずだ。
ゆえに強く、強く乞い願う。
心からの誓いと共に、必死で願いを捧げる。
全てお前の望む通りにする、どんな時もお前を支え続ける、何があろうとお前を裏切らない。
本当は普通でもいい、俺になんか見向きもしなくていい、心のまま自由に生きてくれていい。
だからお前は特別で、最高で、手が届かぬほど素晴らしいものだ、と思わせてくれ。
つまり――
「これから死ぬからって、まともな人間になろうとすんな。
いいからいつもみたく、最後まで自信満々でいろや。
それでこその、お前だろうがよ……」
『最後まで、俺の女神でいてくれよ』
どこまでも素直じゃない言葉に乗せて、俺はそう懇願したのである。
客観的に見たら気色悪いであろう、しかし精一杯の純粋な祈りを込めて。
頼むから応えてくれよ、という悲壮なほどの焦りに駆られながら。
もはや胸の内は、隅々までその想いのみで埋め尽くされていた……
しかしそんな願いとは裏腹に、直後に会話がぷつりと途絶える。
俺のその発言を聞いても、春日井が何も答えてくれなかったからだ。
すでに周りには誰もいないから、辺りに広がるのは完全な静寂のみである。
その重い沈黙の中で、俺は早くも後悔を始めていた。
こんな言い方をして、責めていると受け取られたらどうしよう。
いや当然そう感じるはずだから、きっと人間のクズみたいに思われてしまうだろう。
それが何より怖くて、ひたすらに震え上がっていたのだ。
ただ俺が、その恐ろしい想像に蝕まれ、窒息しそうになった瞬間――
『……ふむ』
突然いつもの調子を取り戻した春日井が、沈滞していた空気を振り払い、急に驚くべき指摘をぶち込んでくる。
『それはつまり、最後まで俺の女神でいてくれよ、っていう意味かな?』
こちらとしては当然、言葉に詰まって黙り込むしかない。
予想だにしない形で図星を突かれ、何と答えていいか、さっぱりわからなかったからである。
心の中では、『お前ホントに何なんだ、それはさすがに鋭すぎるだろ』という抗議が、絶え間なく乱舞し続けていた。
そこへ容赦なく、春日井はさらなる追い討ちをかけてくる。
『答えが無いってことは、まあ認めているのと同じだよね。
うーん、さすが斉川君。ものすごく気持ち悪いなあ~。
えっ? だってそうでしょ。
同い年の女の子にそんなこと言う? 普通言わないと思う。
本当にそういうところ、残念極まりないよね~』
結果として俺は、心の柔らかい部分をめった打ちにされ、精神的に瀕死の重傷を負った。
ひた隠しにしていたことを知られた上、それを揶揄されたことで強いショックを受けたのだ。
生身の体であればきっと、地面に倒れ込みのたうち回っていただろう。
だがそうして独り、無様に苦しみ悶えているところへ、次いでふと春日井から――
『ですがまあ、いいでしょう』
まさしく女神と例えるに相応しい、あり得ぬほどに驕り高ぶった、しかしそれでこそこの女という託宣が下される。
『これからもずっと、私に尽くすと言うのならば、あなたの女神になってあげます』
なんとまあ、傲慢極まりない発言であろうか。
ただの高校生の分際で、平然と自分のことを神と称するのだから。
普通の男であれば、『なんだこいつ危ねえ女だ』と、呆れ返るところに違いない。
しかし、それを聞いての俺の感想は――
(ああ……そうだ! それでいい!)
一切ネガティブな印象の無い、全面的な肯定であった。
だって遠からず死ぬとわかっていながら、こんなにも大それた事を口にするこいつが、自分の理想そのままだったから。
要はこれぞまさに春日井真那だ、と心底安堵したわけである。
そう、いつだって自由闊達天衣無縫、媚びず怯えず省みずに、障害全てを颯爽と蹴散らしていく。
それで非難されてもどこ吹く風、顰蹙はむしろまとめ買いした挙げ句、輝く笑顔で残らず弾き飛ばす。
果てはあらゆるしがらみ飛び越えて、大空高く舞い上がり、ついには月まで行ってみせる。
それが俺の思う、俺が憧れ、俺の望んだあいつの有り方なのである。
今の発言はまさに、その認識を何ひとつ裏切らぬ力強いもの。
まさしく人ならざる女神の所業、ああ本当に素晴らしい、とひたすら感嘆するのみだ。
それゆえ楽しげな気分で、俺はその派手な言動をイジり回す。
「へへっ……この状況でそんなこと言うなんて、本当に性悪だな。
変わってなくて安心だ」
ただあちらはやはり、動揺が欠片もない口調で、容赦なくそれを斬り捨ててきた。
『あなたに言われたくはありません。
真摯な謝罪に対して、騙されないぞなんてどういうつもりですか。
人格が歪みすぎです。
そっちこそ変わってなくて、呆れるばかりですね』
おかげで自然と、口からは笑いが漏れてくる。
「ハハハ……ハハハハ……」
話を続けられなくなってしまうくらい、繰り返し絶え間なく。
その無闇やたらと強気な態度が、いかにもこいつらしくて、どうしても笑わずにはいられなかったのだ。
もはやただただ、気分が良くなっていくばかりである。
春日井はそんな俺を、しばらく何も言わず放置していたのだが。
しかしやがて、俺がいい加減笑い疲れてきた頃合いに、ふと真剣な口調で話しかけてきた。
『……ねえ、斉川君』
そしてその突然の変化に対し、すっかり落ち着きを取り戻して、軽く緊張しながら応じた俺へ――
「……ん?」
おそらくずっと聞きたかったのであろう、とある質問をぶつけてくる。
『倉田先生は……やっぱりもう、生きてはいないのかな』
俺はしばし考えてから、正直にそれに答えた。
素直で妥当で、そして残酷な推測を。
「……あいつの性格から考えて、もし生きてたら、俺やお前を放っては置かないと思う」
ただ全て覚悟の上だったのか、春日井は意外にあっさりとそれを受け入れる。
こいつにしては珍しく、妙に感傷的なセリフを添えながら。
『そっか……じゃ、向こうで会える、ってことなのかな』
その普段と違う反応が面白かったので、俺はついそれをからかってしまった……のだが――
「おいおい、なんだ向こうって。
追いかけていって愛の告白でもする気か?」
なんとその挑発に対する解答は、今度はいかにもこいつらしい、おそろしく強気なものだった。
『冗談。まずはあの人に何があったのか、詳しく事情を聞く必要があります。
知りたいことわからないことが、山のようにありますから。
その後はまあ、私を騙した上、置き去りにしていった件についての制裁です。
情状酌量の余地を考えながら、刑を執行することになるでしょう。
それ以外の話は、全て刑期を終えてからです』
凄まじいまでのその理不尽さには、さすがに突っ込みを入れざるを得ない。
「いやいやおいおい! 刑期ってそんな……」
しかしそれを遮って、春日井はさらに臆面もない要求を追加する。
『それと! 愛の告白は倉田先生の方からになる予定です。
その辺りお間違えのないように』
果てしなく上から目線のそんな発言に、俺はまたも笑いをこらえきれなくなった。
「クッ……ハハハハ……ハハハハハッ!」
最後の最後まで、春日井真那は春日井真那だ……という事実が、可笑しくてしょうがなかったから。
死が間近に迫っていることすら忘れ、気持ちを軽やかに弾ませてしまうくらいに。
沸き上がるその感情に従って、俺は再度、半笑いで春日井を茶化す。
「いやホント……お前そういうところだぞ!
そんな自己中心的だから、色々顰蹙を買うんだよ!」
あいつはそれに対し、やはり強気に、俺をイジり返そうとしていたのだが――
『二度目になりますけど、顰蹙を買うとか何とか、あなたにだけは言われたくありません。
あと斉川君、相変わらず笑い方が気持ち悪……』
だがその最後、聞こえてくる声に、突然強烈なノイズが交じった。
まるでどこかからジャミングを受け、通信を妨害されたかのように。
とは言えすでに、周りに敵は不在だから、ジャミングされていることはあり得ない。
おそらく通信機能自体が、何らかの不具合を起こしたのだろう。
その原因は無論、ひとつしか考えられない。
それを本人も把握したのか、春日井は急に勢いを失い、ひどく弱気なことを言ってくる。
『あー……うん。ちょっと、限界みたい』
限界とはつまり、機体の機能停止がすぐそこに迫っている、という意味だ。
受けた損傷から考えて、今の状態を維持できる時間は、おそらくもう一分と残ってはいまい。
まああれだけの砲火に晒されたのだ、むしろここまで良く耐えた、と褒めるべきだろう。
ただそう認識した瞬間、俺は言葉に詰まり、まともな会話ができなくなった。
自らの太陽が、永遠にこの世から消え去ってしまう、という現実に心底怯えていたから。
「……そうか」
そんな俺に、春日井はいつもの口調で、決定的な言葉を告げる。
『じゃ……お先に』
その言葉には当然、激しく動揺し絶望を覚えたのだが。
しかしそれを表に出して、こいつに余計な負担をかけるわけにはいかない。
なので俺は、荒れ狂う感情を押し殺し、可能な限り平静を装ってそれに応じた。
「……ああ」
そういう俺の不器用な気遣いを、あいつなりに汲み取ってくれたのだろう。
次いで春日井が、最後の力を振り絞るように話しかけてくる。
『斉川君』
そして辛うじて残っていたひと欠片の理性で、その呼びかけに答えた俺へ――
「……何だ?」
もの凄くこいつらしくはないが、しかし俺にとっては何よりも嬉しい、温かな一言をくれた。
『ありがと……』
当然のように俺は、その感謝の言葉を聞いて、今までの苦労が全て報われた気分になる。
あいつの役に立てていた、という確かな実感を得て、大いに満足したのである。
人生の成功を掴み取ったような状態、と表現したっていいだろう。
ただしまるでその代償のように、直後に春日井からの通信は途切れた。
またすでに残骸と化していた機体の方も、それに伴い一切の動きを見せなくなる。
間違いなく、一足先に旅立ったのだろう。
つまり今この瞬間、俺の世界からは、永遠に太陽が失われたわけだ。
俺はその喪失感に打ちのめされ、身も心も激しく震わせた。
(ぐっ……う……ああああ!)
同時にその奔流の中で、ただひたすらに嘆く。
(くそっ、くそっ……くそおおお!)
あれだけ美しい存在が、この世から失われてしまったことを。
手の届く場所にいながら、自分がそれを守りきれなかったことを。
そして最後の瞬間まで、優しい言葉ひとつかけてやれなかったことを。
数えきれぬほどのそんな後悔と、絶え間なく湧き出す悲憤に塗れ、独り悶え苦しみ続けたのである。
それゆえ自然と、その感情を声に乗せて、咆哮を上げようとしたのだが――
(……いや。そんな事したら、向こうで何を言われるかわからんな)
寸前で、その愚行をぐっとこらえた。
先に天国へと向かったあいつが、ひょっとしたら今もこちらを見ているかもしれない、と感じたから。
要はこの期に及んで、格好をつけたということである。
だだっ広い漆黒の空間に、こうして寂しく放り出されている最中だと言うのに。
まあそんなくだらない見栄を、死の間際まで張るのも俺らしいだろう。
そう己を笑いつつ、俺は静かに目を閉じる。
すぐさま自身にも訪れるであろう、避けようがない死、それを受け入れるための準備として。
何の躊躇もなしに、ごくごく自然な精神状態で。
するとその直後、意識が闇に喰われていく感触が生じた。
五感の全てが急速に鈍くなり、そのまま失われていっているのだ。
燃え尽きたロウソクの火が、ひとつひとつ弱まり消えていく時のように。
ただ俺は、その波に抗うことなく、そっと身を任せる。
自分の存在そのものが消えていく感覚を、全身で味わいながら。
それでも心に、ある種の穏やかさを抱えたまま。
俺がそうして死を恐れず、また拒絶もしなかった理由は――
(もうここに、あいつはいないからな……)
太陽なき世界に、もはや未練がなかったから。
暗いだけのこの場所で、自分がこれ以上、生きていけるとは思えなかったから。
後はただ、あいつのいるところへ向かうのみ、という心持ちだったのである。
そのたったひとつ、純粋にして最も強い想いだけを胸に――
(さて……行くか)
俺は独り、不帰の旅路へと赴いた……
以上をもちまして、『春日井真那・斉川雅幸編』の完結です。
次回からは、月へと向かう道に立ちはだかる最後の関門に挑む、『最終作戦編』を開始いたします。




