Interlude
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さて遺伝子という名の神は、あいつをこの世に産み落とす際、よほど手間暇をかけたらしい。
そんな馬鹿げた妄想をしてしまうくらい、春日井真那はいつだって美しかった。
それは整った顔立ちや、群を抜くスタイルなどの、美しい容姿も無論のことだが。
比重としてはむしろ、その在りようにおいての要素が大きかった。
あいつはいつも颯爽と、凛々と、ただただ光輝いていたのだ。
そんな姿があまりにも眩しくて、直視するのさえ難しくなってしまうくらいに。
実際その飛び抜けた美しさは、周りの人間を自然と狂わせていった。
男はあいつの輝きに魅了され、そしてそれが手に入らないことに苦しむ。
女は己との差を突きつけられ、否応なく自尊心を削り取られてしまう。
本人に悪気も自覚もないまま、周りだけが劣等感の嵐に飲み込まれていくのだ。
特にひどい被害にあったのは、たまたま女神の気まぐれで、仮の伴侶に選ばれてしまったやつだ。
あれも実に、実に哀れな男だった。
まさしく神話のイカロスのように、人の身に分不相応な願いを抱いたせいで、大空から地上へ叩き落とされる羽目になったのだから。
もちろん付き合えた当初は、そいつも幸せを感じていたことだろう。
あれほど輝かしい女が、自らの要求に応え、恋仲になるのを了承したのだ。
喜びから舞い上がって、知り合いにこれでもかと自慢して回るのも、至極当たり前の反応と言える。
であれば当然、大いに期待したに違いない。
春日井真那が、自らの望む理想の恋人になることを。
『恋人ができたらこんな事をしたい』という願いに、あいつが応えてくれることを。
だが言うまでもなく、そんな一方的な欲望を、あの春日井が気にかけるわけもない。
あいつはあいつのまま生きていくつもり満々で、他人のものになるつもりなどさらさら無かったはずだから。
きっと相手が自分に対し、そんな期待を抱いているだなんて、夢にも思わなかったことだろう。
そうした春日井の、交際前後で変わりのない振る舞いに触れて、おそらく男はこう思っただろう。
『なぜあいつは、俺のことを一番に考えないんだ? ひょっとして俺が好きじゃないのか?』……と。
『恋人であればこうして当然』との常識が通じぬ相手を、理解できずに戸惑ったはずなのである。
そして間違いなく、不安になった。
このままだと自分は捨てられるのではないか、あるいは恋人を誰かに奪われてしまうのではないか、と。
元から釣り合いが取れているとは思っていなかった分、なおさらに強く強く。
だから、その行動を束縛したのだ。
自分から逃げていかないよう、あいつの自由を制限し、手許に留めておこうとしたのだ。
空を舞う鳥を捕まえて、籠の中へ押し込もうとするかのように。
そういう心理自体は、正直に言ってわからなくもない。
せっかく手に入れたものを失いたくないとか、これで捨てられたら自分はいい笑いものだとか、そんな恐怖に囚われる気持ちはわかるのだ。
それを引き止めようと、つい強引な手段に出てしまうのも、ある程度なら致し方ないことだと思う。
だがそんなのは、春日井相手に限って言えば、どうしたって無理な話である。
なぜならそれが、天高く飛ぶ巨大な鳳凰を、小さな鳥籠で飼おうとするような暴挙だから。
激しく拒絶され、さっさと逃げられるのが当たり前なのだ。
それすらわからぬ辺り、あいつに相応しい器では無かった、ということなのだろう。
もっとも器が小さいという点については、俺も例外ではないのだが。
だって俺があいつの側にいられるのは、自分が何とも思われてない、と知っているおかげなのだから。
恋愛対象になるのは何があっても不可能、という認識があってこその親しさなのだ。
具体的に言えば、『都合のいい玩具』という立場を受け入れている、みたいな感じだろうか。
例えば普通の男のように、本気になって恋愛関係になろうとすることもない。
友人として親しく関わっていることを、わざわざ他人に自慢したりもしない。
また俺自身が大していい男でもないから、仲良くして周りの女の嫉妬を買うこともない。
そういう安心安全な、厄介事の起きない相手と認識されることで、己の居場所を確保しているのだ。
身の程をわきまえたポジショニング、と表現するのが適切だろう。
俺はあいつに、特別何かをしてもらおうとは思っていないから、今の立場を得られたのである。
……まあ別に、本当にそれ以上のものを望んでいない、というわけでもないのだが。
単に望んでも得られぬとの確信があるから、潔く諦めていられるだけである。
挑戦権を放棄することで、不合格になることだけは避けた、とも言えるだろう。
と言うかそれ以前に、そもそもスタートラインに立てたのさえ、自分の力ではない。
倉田のやつが、話の中で俺の名を出したから、春日井は俺に興味を持ったのである。
そうでなければ、一生まともに絡むことすら無かったはずだ。
結局のところ俺は、そういう取るに足らぬ矮小な人間なのである。
そして他人に対しても、みんなだいたい似たようなものだろう、みたいな冷めた印象を持ってもいた。
それで自身も含めたこの世の全てに、何ひとつ価値を見出せず、皮肉と厭世に浸っていたのである。
しかし、春日井真那は違った。
不遇に腐り、斜に構えるばかりの俺とは違ったのだ。
なぜならあいつは、決して他人に悪意を抱かないから。
また憎しみや恨みに囚われることも、侮蔑や嘲りの快楽に身を任せることもなかったから。
周りにあれだけ攻撃されながら、自分はその汚濁に染まらなかったのである。
加えて自らの境遇が、どんなに孤独なものだろうと、決して折れなかった。
雲を突き抜けるほど高い山の頂で、過酷な環境に耐えて咲く花のように。
寄り集まらねば己を守れぬ連中とは違う、くだらぬ諍いとは無縁の存在なのだ。
まあそうできたのはきっと、空を舞う鳥が、地を這う蟻を気にかけぬような心理だったのだろうが。
だとしても悪意ばかりの世界にいた俺には、おそろしく衝撃的な在りようだった。
その圧倒的な美しさに惹かれ、いかなる時も目を離せなくなるほどに。
そう、俺はあいつに、深く魅了されたのだ。
なんと崇高な存在だろう、とその尊さを噛み締めずにはいられなかったのだ。
あいつがいれば、自らの暗澹たる人生も明るくなるかも、なんて妄想を抱くほどに。
つまり春日井真那は、俺という根っこがひねくれた人間にとって、まさしく人生を照らす太陽のごとき存在となったのである。
ゆえに、心から思った。
その助けになりたい、あいつを悲しませたくない、と。
その身に降りかかる理不尽な不幸を、残らずこの手で打ち払ってやりたい、と願ったのだ。
だってあいつが、自分には理解不能なもので満たされたこの世界で、息苦しさを感じていることがわかったから。
遥か空の上、星の海で輝くことこそが似合う女に、この地球は狭すぎたのである。
そのミスマッチを是正するため、己の全てを捧げることに迷いはなかった。
もちろん今だって、その想いに従って行動をしている。
何があろうとあいつを失うわけにはいかない、あの美しさに欠けがあってはならない、という信念のようなものを持っている。
気色悪い話ではあるが、それこそが俺の人生において、唯一にして絶対のモチベーションなのである。
ただまあ、それも仕方のないことだろう。
だって人間という生き物は――
太陽なき世界では、決して生きていくことができないのだから。




