Prologue
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それは別に『運命的な出会い』だとか、そんな格好のいいものじゃない。
ひどく些細なきっかけで、俺の方が勝手に好きになっただけだ。
木原開人はそう、自分とその想い人について振り返っていた。
そもそもの始まりは、大したこだわりもなく選んだ高校の、平凡な入学式での出来事だ。
そこで俺は、小学校で一緒のクラスだった、喧嘩友達の女の子と再会することになった。
そしてその時、そいつの隣に彼女――望月和歌がいたので、偶然知り合いになった……という、たったそれだけの話である。
もちろんその時に、中身のある会話を交わした覚えは無いし、何か記憶に残るような事件があったわけでもない。
まさしくどこにでもある、非常にありふれた出会いだった、と言えるだろう。
ゆえに最初、俺は望月さんに対し、取り立てて強い印象を抱いてはいなかった。
彼女はあまり積極的に喋る方ではなく、また目立つような振る舞いも少なかったから。
要は俺にとって、その他大勢の一人に過ぎなかったわけだ。
だから彼女とは、特別親しくはないが、共通の知り合いがいるので疎遠にもならない……
そういう近くて遠い、顔見知り程度の関係が続いていた。
そんな俺が、望月さんを異性として意識することになったきっかけ――それは出会いからしばらく経ったある日に、学校の廊下で交わした短い会話だ。
彼女はその時、一人でいた俺に、突然向こうから話しかけてきて――
『あの……木原君? ちょっと、いいかな?』
咄嗟にはその名前を思い出せない、という失礼な状態で、それに辛うじて対応した俺へ――
『え……ああ、えーと、望月さん? 何?』
ひどく自信なさげに、ある物を差し出してきた。
『これ……木原君のだったと思うんだけど。
違ったかな……?』
それはわずかに彼女の手に余るサイズの、分厚いネイビーのハンカチだった。
ちなみにその言葉通り、俺の所持品である。
たぶん不注意で落としたか、あるいはどこかに置き忘れていたのだろう。
つまりは見つけた落とし物を、わざわざ届けてくれたわけだ。
そう事情を把握した俺は、早速望月さんに礼を言いつつ、ハンカチを受け取るべく手を差し出した。
『ああ、うん。俺のだ。ありがとう』
結果彼女は、不安から解放されたような表情で、安堵の言葉と共にハンカチを渡してきた。
『良かった。じゃあ、渡しておくね』
そしてそれ以上、話を続けることもなく――
『それじゃ、私はこれで』
別れの挨拶を残し、静かに踵を返し立ち去っていった。
俺としては無論、軽く返事をして、そんな彼女を見送るのみである。
『ああ』
その時、俺と彼女の間で交わされたのは、たったそれだけの会話――忘れ物の受け渡しという、何の変哲もないやり取りのみである。
普通であればそれは、すぐ日々の喧騒に紛れてしまう出来事だろう。
ただしその日常のひとコマは、次いで俺が、何げなく受け取ったハンカチを見た瞬間――
『あれ……?』
恋物語の始まりを告げる、忘れがたき思い出へと変わった。
『なんか……ずいぶん綺麗だな』
その原因は、渡された例のハンカチが、綺麗に折り畳まれていたからだ。
しかも少しのズレさえない、というくらいの美しい正方形に。
あたかもクリーニングか何かに出して、返却された直後であるかのように。
もちろん、俺がそうしたわけではない。
俺にはハンカチを持ち歩く際、きちんと畳むなんて習慣は無いのだ。
いつだって適当に丸めて、粗雑にポケットへ突っ込んでおくだけである。
それは間違いなく、望月さんの手による作業であった。
つまりは彼女、偶然拾っただけの他人の物を、わざわざ形を整えてから持ち主に届けたのだ。
なんと親切というか、思いやりのある行動だろう。
大雑把な俺なんかでは、考えつくことすらない配慮である。
おまけにそのハンカチからは、わずかながら良い香りがした。
洗剤なのかシャンプーなのか、詳しくはわからないが、とにかく女性を感じさせる甘い匂いが移っていたのだ。
それは普段、女性にさほど縁が無く、身近にいるのは母親くらい……という俺にとっては、かなり刺激的な体験であった。
その香りに鮮烈な印象を受け、彼女のことが強く意識へ刻まれてしまうくらいに。
そんなこんなで以降、俺は望月さんの姿を見かけるたびに、視線で後を追いかけるようになった。
その際に少なからぬ、胸の高鳴りを覚えながら。
チョロいと言うか惚れっぽいと言うか、まあ実に単純な反応である。
もっとも当然、それだけが心を奪われた理由ではない。
俺はそうして彼女に注目していく中で、その人柄に様々な魅力を見出していったのだ。
例えば彼女、友達と喋る時はいつも、笑顔で相手の話に耳を傾けていた。
勝手な推測だが、きっと場を和ませる役割に徹していたのだろう。
また変に感情を高ぶらせて騒いだり、友人と他人の悪口を言い合うようなこともなかった。
どんな時も変わらず、穏やかな雰囲気を漂わせていたのである。
そんな節度ある振る舞いが、俺の目にはとても心地良いものに映った。
いつしか彼女を見るだけで、自分も穏やかな気持ちになるくらいに。
普段から度々、ガサツだ粗暴だと指摘されるこの俺がである。
それはたぶん、彼女の持つ周りさえ穏やかにする柔和さを、とても得難く尊いと思ったからだろう。
俺自身はそれと真逆の、無神経で荒っぽい人間ゆえ、余計にその思いが強かったのだ。
この俺、木原開人にとって、望月和歌はそういう存在であった。
だからこそ、容易く心を乱されるほど好きになったのだ。
ゆえにずっと側で見ていたい、そして自分のことも見て欲しい……と願うようになるまで、大した時間はかからなかった。
とまあ、経緯をまとめれば、だいたいそんなところである。
やはりどこまでも月並みで、果てしなく一般的な話と表現するしかない。
俺が普通の人間である以上は、それで当たり前なのだが。
しかし残念ながら、現在その平凡な恋物語に、続きが書かれる予定は一切無い。
なぜかと言えば、それはもちろん――
『 』が、いたから。
俺の目には、『 』と望月さんの気持ちが、寸分の狂いもなく通じ合っているように見えたのだ。
自分では何があろうと割って入れない、と確信を持ってしまうほどにはっきりと。
だから俺は、その己が恋心を、必死に表へ出さぬよう努めてきた。
それをきっかけとして、今の関係が壊れてしまわぬように。
実のところ俺は、そういう肝心な場面で強気に出られない、呆れるほどの臆病者だったのである。
ただし、そんな悩みを抱えてはいても、彼らと過ごす時間はいつも楽しかった。
俺にとって、何よりかけがえのないものだったのだ。
だからこのままで十分だし、できる限り長くこうしていたい。
ずっとずっと、俺は心からそういう未来を望んでいた。
しかし今はなぜか、そんな自分の気持ちを、ひどく遠いものとしか感じられなくなっている。
あたかもその中で、重要な位置を占めていた――
とても大切な『何か』が、知らぬ間に欠け落ちてしまったかのように……




