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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-12 『Moon watcher』
135/173

Section-1

更新履歴 21/10/27 文章のレイアウト変更・表現の修正


「ずるいよ、先生」



 志藤から出撃を指示された直後、レクリエーションルームへ向かおうとしていた俺の耳に、ふとそんな声が聞こえてきた。

 責めるような言葉とは裏腹の、どこか悲しげな春日井真那の呟きだ。


 それに反応して、俺が声の方を振り返ると、棒立ち状態の春日井の姿が目に入った。

 その表情がいつになく暗いのは、きっと倉田のことで、心をかき乱されているせいだろう。

 実にらしくない振る舞いだが、まあこれだけ色々な事が立て続けに起こったのだ、さすがに無理もないというところか。


 とは言えあいつが、そういう感情を口に出すことは決してない。

 周りの人間――特に俺――に頼るとか甘えるとか、そんな発想自体を持たぬやつだから。

 どれほど精神的に追い詰められていようと、弱音を吐くことは絶対に無いのである。


 ゆえにそんな春日井を心配し、軽く声でもかけておこうか、と一瞬思ったのだが――


(……そんな柄じゃないな)


 すぐさまその、似合わぬ思いつきを振り払った。

 下手な気遣いをして、かえってあいつを傷つけたら元も子もない、と感じたから。

 俺はそこまで、自身のコミュニケーション能力を信用してはいないのだ。


 またこの異様な状況の中で、何を言うべきなのかわからなかった、という事情もある。

 どうすればその負担を減らし、彼女な支えとなれるのか、さっぱり見当がつかないのだ。

 どうしようもなく無力な男、と己を卑下するばかりである。


 もっともこういう状態は、実のところさして珍しくもない。

 思えば春日井に関することになると、俺はいついかなる時もこうであった。

 あいつが何をしようとも、周りからどんな扱いを受けようとも、じっと傍観するのみなのだ。


 なぜなら自分に、あいつを救うことができるとは思えなかったから。

 自分の知恵と力で、あいつに望むものを与えられる自信が無かったから。

 それで結局、ただ側に突っ立っているだけの、石像にも等しい存在に成り果ててしまうのである。


 しかしそれでいて、こちらの心はいつだって春日井に揺り動かされる。

 激しく掻き乱され、いいようにもてあそばれ、簡単に手玉にとられてしまうのだ。

 玩具のような扱い、なんて言ったっていいだろう。

 俺とあいつは、出会ってからこの方、ずっとそういう関係だった。


 要はこちらの意志が全く届かぬのに、向こうは何もかも思うがままに振る舞う……という一方的な間柄なのである。

 手を触れることすら許されぬ、天女か女神のような存在、と例えるに相応しい。


 だと言うのに、その俺にとっては遥かに遠い、あいつの自由な心を――


(倉田は……動かした)


 あの日あの時あの瞬間、倉田は目一杯に動かしてみせた。

 たった一度の授業で、春日井の心の中に、揺るがぬ居場所を確保してのけたのだ。


 もちろんその授業は、当時あいつのクラスにいた俺も、しっかり聞いていたわけだが。

 そこで俺の頭に浮かんだのは、『これはすごい』という、珍しく素直な感想だった。


 だって今までに、言葉についてのああも深い考え方を、一度も聞いたことがなかったから。

 どんなに高名な学者だろうと口にせず、どれほど権威ある学術書にも書いていない、この世の真実――だいぶ大げさだが、そんな風に感じたのである。


 いやひょっとしたら、単に俺が知らないだけで、誰かが語っていたのかもしれないが。

 それでも俺にとって初耳の、感服すべき哲学だったのは事実だ。

 こいつこんなにすげえやつだったのか、と俺が倉田を見直したのは言うまでもない。


 またそう感じたのは、どうやら春日井も同じだったらしい。


 だってあいつは俺と話す時、頻繁に倉田の話題を出してくるから。

 いつになく楽しそうな表情で、声にもはしゃいだ雰囲気を漂わせながら。

 俺も含めた、他の有象無象のことなんか、ほとんど気にもかけていないというのに。


 そんな春日井の態度に接して、俺は倉田に強い嫉妬を覚えた。

 あいつの心に居場所を確保した、倉田公平という男を激しく妬んだ。

 あいつに気にかけてもらえる倉田のことが、心底羨ましくてしょうがなかったのだ。


 だから実は、倉田に対し、嫌がらせのような発言をしたこともある。

 例の授業の少し後、胸に悪意を秘めた状態で、つまらぬちょっかいをかけたのである。


『こんにちは、先生。いやあ、この前の授業面白かったですね』


 具体的には、まず授業の称賛から入り、相手がそれに反応したところで――


『え? そうかい?

 いやあ、そう言ってもらえると嬉しいなあ。

 ありがとう、斉川君』


 ごく自然に、好意的な風を装いながら、その手応えについて聞いた。


『その後はどうです? 他の生徒から何か反応ありました?』


 すると倉田は、決まり悪そうな苦笑いをしながら応じた。


『いやあ、ハハハ。……君が最初かなあ』


 そして俺が、その回答にわざとらしく驚いてみせると――


『おや、全然反応は無かったんですね』


 倉田はますます、残念そうな表情になった。


『情けないことにね。

 うーん、結構いい話だったと思うんだけどなあ……』


 一応そのやり取りは、だいたい予想した通りのものであった。

 俺は倉田がそう答えるだろう、と見込んだ上でその質問をしたのだ。


 なぜなら例のあの話は、確かに価値あるものだったとは思うが、ちょっとばかり常識から外れすぎていたから。

 みんなはきっと、あれをどう受け取り、どんな評価をしたらいいかわからず、すぐにはリアクションをとれなかったのだろう。


 結果、そうこうしている内に時機を逸し、感想を伝えぬまま日常に戻ってしまったのだ。

 倉田に落ち度はなかったと思うが、まあ人間――特に高校生なんてそんなものである。


 俺はその辺りの事情をわかった上で、あえてこの話題に触れたのだ。

 言うまでもなく、相手がショックを受けるだろう、と期待しての行動である。

 我ながら性格が悪いな、と冷笑するより他はない。


 それでも当時の俺は、そんな倉田にさらなる追い討ちをかけた。

 春日井の件により、少なからず自分を見失っていたので、あまり自制が利かなかったのだ。


『そうですかぁ……残念でしたねぇ……

 じゃあつまりあれですか、先生のやったことは、全部無駄な努力だったってことになるんですね』


 だがそこからは、こちらの予想通りの展開とはいかなかった。


『全部無駄、か……そうだね、君の言う通りかもしれない』


 なんと倉田が、俺の卑劣な嫌味をあっさり受け入れた上で、さらに立派な哲学を披露してきたからだ。


『でも実は教育って、わりとそういうものだと思うんだよ。

 その場ですぐ役立つっていうよりは、後々必要な時に思い出して助けられる……みたいなさ。


 だからあの授業が、みんなにとってのそういう存在になってくれればいい……とは思ってる。

 都合の良い期待だろうけどね』


 当然俺の方は、さらに惨めな気分になるばかりだった。

 互いの覚悟の違いと言うか、信念ある者と無い者の差を、はっきりと突きつけられてしまったからである。


 なのでそのミスを取り返すため、俺は皮肉を交えつつ、何とか倉田をやり込めようとしたのだが――


『へえ……手応えもないのに、良く頑張れますね。

 折れない心ってやつですか。立派なもんですよ』


 結局それも、いつもの笑顔を浮かべたあいつに、ひどくあっさり潰されることになった。


『いいや、手応えならあったよ。

 だってほら、君が面白かったと言ってくれたからね。

 今はもう、それで十分さ』


 皮肉ごとまとめて、まっすぐに肯定されてしまったわけだ。

 絶対的な敗北感と言うか、どう足掻いても勝てない相手、と感じずにはいられなかった。  

 あいつは情熱と包容力があって、それでいて高圧的なところのない、本当にいい先生だったのである。


 そうして倉田の人柄に触れ、俺は改めて、自身の卑小さを自覚させられることになったわけだが……

 実はそれをきっかけに、死ぬほど柄じゃないことを考えるようになった。

 なんとあいつに対し、あれだけ悪意を持って接しておきながら――


(自分も努力すれば、あんな風になれるのだろうか)


 そんな願望と言うか、向上心みたいな意志を抱いてしまったのだ。

 この俺みたいな、どうしようもないひねくれ者がである。

 今こうして振り返ってみても、大声で叫んで暴れ回りたくなるくらい恥ずかしい。


 まあそれはきっと、憧れのようなものだったのだろう。

 人の悪意ばかり見てきた人間が、初めて本当の善意ってやつに触れたから、ついつい羨望の念を抱いてしまったのだ。

 本当にお笑い草な話だが、果ては自分も教師になろうかな、なんて考えることさえあった。


 だからこそ、怒りは深かった。

 自分が倉田に騙されて、戦争に送り込まれていたのだと知り、経験が無いくらいに荒ぶった。

 きっと珍しく心に芽生えた尊敬の念を、無惨に踏みにじられたからだろう。

 それほど俺は、あいつに入れ込んでいたわけだ。


 まあ結局その話には、倉田も俺達と同じように、洗脳されている被害者だった……という落ちがついたわけだが。

 しかしそうとわかった今でも、複雑な気持ちは残っている。


 なんで簡単に洗脳なんてされたんだ、もっとうまくやれなかったのか。

 お前が頑張っていれば、春日井は傷付かずに済んだんじゃないのか。

 身勝手とわかっていながらも、そんな風に倉田を責めずにはいられなかったのである。


 もっとも本来、俺にそんな事を考える資格は無い。

 側にいるのに何もできぬのは、むしろ俺の方なのだから。

 ここはやはり、自分で運命を動かす力の無い者として、それに相応しい振る舞いをすべきだろう。


 ゆえに俺は、回想をそこで打ち切ると、未だ立ち尽くす春日井の方へ視線を戻した。

 他にすべき事が見つからなかったので、じっと黙って、再び動き始めるのを待つことにしたのだ。

 憂いを帯びた顔で佇むその姿を前に、己の無力さをこれでもかと噛み締めながら。


 すると間もなく、春日井がこちらを振り向き、毅然と自らの意志を告げてくる。


「大丈夫。行こう、斉川君」


 その立ち姿は、呆れるほどいつも通りの、強く美しい春日井真那だった。

 要は誰の助けも借りず、あっという間に自力で立ち直ったわけだ。

 俺の気遣いなど、端から不要だったということだろう。


 そんな自身の現状に、この上ない情けなさを感じながらも――


(いや……今は、やるべき事をやるだけだ)


 それも慣れたこと、と自らを納得させ、呼びかけてきた春日井に頷き返す。

 そして間を置かず、彼女と共に走り始めた。

 何よりも今、自分の為すべき事がある場所――



 あの戦いで満ちた、漆黒の宇宙を目指して。








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