Section-6
更新履歴 21/10/23 文章のレイアウト変更・表現の修正
(何かあるかな……?)
とある空き教室で一人、古びたロッカーに顔を突っ込んで、そこに視線を巡らしながらかき回す。
その内容物をひと通り確認し、何か異変が無いか、詳しくチェックしているのだ。
私がそんな、小説に出て来る探偵の真似事じみた、地道な調査に勤しんでいる理由。
それは無論、この学校のどこかに残されているかもしれない、倉田先生の痕跡を見つけるためだ。
だからこそこうして、端から見れば見苦しい姿になることも構わず、熱心に作業へ取り組んでいるのである。
しかし残念ながら、その意気込みも空しく――
(うーん……特に目立つ物はなし、か)
いくら探し回ろうとも、目当ての物はさっぱり見つからなかった。
単に教室の備品を引っかき回しているだけ、という状態になっていたのだ。
これはどちらかと言うと、学校を荒らしている、と表現するのが適切だろう。
そこでいったん、私はその作業を中止し、近くに置いてあった椅子へと移動した。
そこに腰かけて、軽く休憩をとるために。
そうして心を落ち着けた上で、頭の方も整理し、今後の方針を改めて決めることにしたのだ。
(ふう……ま、あんまり根を詰めてもしょうがないからね)
ちなみになぜ一人なのかと言うと、それは望月さんと相談して、そう役割を分担したから。
彼女はレクリエーションルーム、私はそれ以外の担当を受け持つことになったのである。
要は一人が見込みの多いところを重点的に、もう一人が幅広く捜索を行っていく、という手法を選んだわけだ。
時間が限られていることを思えば、手分けをするのがセオリーだし、間違いなく妥当な選択だろう。
ただし正直、具体的にどうすべきか、という指針は全く定まっていなかった。
レクリエーションルーム以外の場所を探すと言っても、候補がたくさんあり過ぎて、容易に対象を絞りきれなかったのだ。
なのでやむを得ず、とりあえずは総当たりだとばかりに、手近な教室から調べ始めたのだが――
(手応えないことこの上なし、と……)
結局のところ、先生と関わりのありそうな物は、ひとつとして見つからなかった。
付近の教室をいくつか巡り、机やらロッカーやら掃除用具入れやら、果てはゴミ箱の中まで漁ったと言うのに。
とんだ無駄骨、と表現するより他は無い。
ゆえにその結果を受けて、私はしっかり反省する。
(やっぱり無策は良くないな……)
当てもなく探しても駄目、しっかり今後の方策を練るべきだ、と。
時間が迫っているので焦ってしまったが、やはり闇雲に動いてはいけないのだろう。
その方針に従い、私は逸る心を落ち着かせて、静かに思考を巡らした。
もう一度倉田先生のことを思い出し、彼の取ったであろう行動を想像、それを捜索に役立てようとしたのだ。
(先生のやりそうなこと、か……)
するとそれがきっかけとなったのか、前触れもなく突然に――
(あ……)
ある風景が、鮮明に脳裏へ蘇ってくる。
それはまだ私が、この異常な状況に追い込まれる前の記憶。
かつて通っていた学校の、他には誰もいない二人だけの夕刻の教室で、先生に話しかけた時のことだ。
『あれ? 倉田先生、お仕事ですか?』
教壇の所にいた先生は、私のその呼びかけに、いつも通りのぽややんとした態度で応じた。
『ああ……春日井さん。うん、ちょっと次の授業の準備をね』
そんな先生の姿を、私は強い想いを胸に秘めた状態で、まっすぐに見つめていた。
それはあの人に、どうにかして自分を特別なものだと認識させたい、という正直な欲望である。
だって当時の先生――まあ今もだが――にとっての私は、あくまで数多くいる生徒の一人に過ぎない。
それが有象無象と十把一絡げにされているようで、どうしても気に食わなかったのだ。
だからとにかく、自分という存在を、『他とは違う何か』としてその心に刻んでおきたかった。
とは言えそれを態度に出すのも、どこか負けたような気分になってしまう。
なので私は、そのまま素知らぬ顔で会話を交わすことを選んだ。
『授業……この前みたいなのですか?
言葉はすごいんだぞ、っていうやつ』
先生はその質問に、何の気なしに応じてから――
『いや、今度は普通の授業の……ってあれ?』
すぐこちらの言葉の意味に気づいたらしく、慌てて詳細を聞き返してきた。
『ひょっとして春日井さん、この前の授業に興味持ってくれてる?』
私がそれに返したのは、本当に感銘を受けたと悟られぬための、オブラートに包んだ答えだ。
別に素直な回答でも良かったとは思うが、まあ何となく気が進まなかったのである。
『えっと……まあ、そうですね。
面白かったと思います。あまり聞いたことのない話でしたし』
先生はそのほどほどの称賛を聞いて、嬉しそうな反応を見せていたのだが。
しかし直後、少し気になる事を言い出した。
『だろ~? やっぱりそうだよね、本当にいい話だからね!
いや、理解者が増えて嬉しいなあ』
そしてその発言内容を、反射的に確かめた私へ――
『理解者が増えた?』
ちょっと自慢げに、詳細を教えてくれた。
『実はこのクラスの斉川君っていう生徒がさ、君と同じに、あの授業を面白いって言ってくれたんだ。
うんうん、いやホント、感動的な話だったよね!』
どうやらどこかの生徒に授業を褒められたのが、嬉しくてしょうがなかったらしいのだ。
相変わらずまっすぐで素直で、本当に可愛い人だった。
とは言え一方、そんなあの人の振る舞いは、少しばかり腹立たしくもあった。
先生の授業について、最初に言及したのが自分ではない、ということがわかったから。
であれば当然、先生の中の私の印象は、そのナントカ君より薄くなることだろう。
どういうつもりかは知らないが、そいつには後でお仕置きが必要だな、と私は密かに心に決めていた。
ともあれ今は目の前のこと、と私は割り切り、先生との会話を続けていった。
『そうですね。きっと私やそのナントカ君だけじゃなくて、みんなそう思ってるはずですよ。
実際すごくいい授業でしたし』
しかし今度は素直に褒めたと言うのに、なぜか次いで先生は、急に言葉の勢いを弱めた。
『ああ……うん。だと、いいんだけどね。
どうなのかなあ……』
そしてその煮え切らぬ態度を訝しみ、詳しく確かめた私に――
『……? 自信無いんですか?』
ひどく弱気で、自虐的な発言を返してきた。
『いやホラ、僕ちょっとさ、色々世間とはズレてるからね。
みんなが何に興味があるのかとか、実はあんまりわからないんだよ。
春日井さんの言うように、僕の授業が心に残ってくれるといいんだけど』
どうやら『自分では良いと思うけど、他人もそう思うとは限らない』ことを、ひどく憂慮していたようなのだ。
自らの価値観があまり普通ではない、という自覚があったからだろう。
それだけに尚更、『面白い』と言われたことが嬉しかったに違いない。
そう先生の内心を理解した瞬間、私はふと閃めくことがあった。
これは重要な情報を聞き出すチャンスかもしれない、と気づいたのだ。
弱みにつけ込むようで、少し気が引ける感覚もあったが、しかし見逃すという選択肢も無かった。
なので早速、その目論見を実現させるため、まずはと軽い会話のジャブを打ち込んだ。
『確かに、ちょっとズレてるのはその通りですね』
次いでその一撃に、特に怒った様子もなく応じた先生へ――
『相変わらずはっきり言うなあ、春日井さんは。
まあ自分で言ったことなんだけど』
自分が気になっている事柄について、たいへん遠回しに言及した。
私がそれを狙っていたと悟られないよう、これ以上ないというほど慎重に、限界まで何気ない風を装って。
『ええ、地位とか名誉とかに興味なさそうですし、目立つこととか嫌いそうですし、友達もあまり多くなさそうですし、それに……
恋人とかも、いなさそうですからね』
ただそれに対する先生の答えは、ひどく意外なものだった。
『いや、まあ、確かにそう……
ああでも、馬鹿にしてもらっちゃ困るなあ。
僕にだって友達はいるし、もちろん恋人だって……』
そこへ漂う地雷の気配に、私は思い切り怯んだ。
そんな話は聞きたくないから、今すぐ黙って欲しい、と猛烈に感じたのだ。
自分で質問をしておいて、またずいぶんと身勝手な話である。
それでも聞きたくないのは事実なので、私はすかさず先生の話を遮った。
少なからず願望の交じる、直接的な問いをぶつけることによって。
『でも、今はいないんでしょ?』
結果先生は、急に顔を曇らせて、拗ねたような口調でそれに応じた。
『……いいじゃないかそんな話は……』
そのわかりやす過ぎる反応に対し、私は心の中で勝利の雄叫びを上げる。
(よし! 勝った!)
いやもちろん、何にと聞かれても困るのだが。
とにかく勝ったぞ、という感覚があったので、私は存分に満足した。
そんな手応えに気を良くする私と、情けない顔でしおれる倉田先生、その両者の対比をしばし堪能していたところ――
『……あ。これ、いつも持ってるキーホルダーですよね。
先生のお気に入りなんですか?』
私はふと教壇の上に、見慣れた物が置かれているのを発見した。
それは先生が常に持ち歩いている、金属製の小さなキーホルダーだ。
そこには英語で綺麗に、『goodspeed』と刻印されていた。
国語の教師には不似合いな気がしたので、良く覚えていたのである。
先生は私のその質問に、我に返った様子で応じた。
『え? ああ、うん。
そうだね、確かにお気に入りと言えばお気に入りかな。
まあご利益は大して無いんだけど』
その答えがちょっと意外だったので、私は思わず聞き返したのだが――
『ご利益……? これ、お守りか何かなんですか?』
先生はその直後、一気にいつもの調子を取り戻した。
『ああ。【goodspeed】と言うのは、【あなたに幸運がありますように】みたいな意味だからね。
不幸を避け、幸運をもたらすお守りなんだよ』
それを見て当然、私は察することになった。
ああ先生はきっと、これの由来について説明したいんだろうな、と。
本当にそういうの好きだよな、と呆れ交じりに感心しながら。
そこでちょっとしたイタズラ心を胸に、わざとその流れに乗って、先生の望むであろう答えを返してあげた。
『スピードなのにですか?
速さと幸運に、いったい何の関係が?』
すると倉田先生が、ぱっと顔を輝かせ、勢い込んでその解説を始めようとしたので――
『おっ……興味があるのかい?
じゃあ、詳しく説明しようかなっ!』
私はすかさず、冷静にその出鼻を挫いた。
『手短にお願いしまーす』
その瞬間先生は、見てわかるくらいにはっきりと落胆した。
『厳しいなあ、春日井さんは……』
私はそんな先生の反応を、ただひたすらに楽しんでいた。
素直に感情を揺れさせるあの人が、愛おしくてしょうがなかったから。
ちょっと性格悪いんじゃないか、なんて思うこともあるが、まあ本心なので否定しようがない。
そんな私の内心は知らぬままに、先生はすぐ楽しそうな顔に戻り、例のお守りについて解説し始めた。
『まあ色んな由来があるんだけどね。
【speed】という単語には、古くは【成功】という意味があったらしいんだ。
良き成功を、つまりは貴方にいいことがありますように、って意味合いだよ。
旅立つ人に贈る言葉として有名だね』
そしてそれに、感心しながら応じた私へ――
『へえ……英語にも詳しいんですね。国語の先生なのに』
またも私の想像を超える、驚くべき答えを返してきた。
『そんなの当然じゃないか。
英語だって、どこかの国の【国語】なんだからね。
好きでも不思議はないだろう?』
そのせいでちょっとだけ、本音が漏れてしまった。
『それは……意外です。
国語教師なんてみんな、日本語の美しさがどうこうとか言いそうなのに』
ただ先生はそれに対し、まったくもって当たり前という口調で、自らの考えを語った。
『美しさの基準なんて人それぞれだよ。
例えば薔薇と桜の美しさを比較したところで、薔薇が好きな人はそちらを美しいと言うし、桜が好きな人はそちらを美しいと言う。
別に議論で決まるようなものじゃないさ。
日本語と英語だって同じだよ』
深い洞察に裏打ちされたその話を聞いて、私は改めて先生を見直した。
見た目や振る舞いはぽややんとしていても、やっぱりすごい人なんだな、と心から思ったのである。
だと言うのに次いで、私の口から出てきたのは、素直さなんて欠片も無い言葉だった。
先生の話に容易く感銘を受けている、という事実を知られるのが、何となく恥ずかしかったから。
『先生ってホント、こういう話になると良く口が回りますよね』
先生は苦笑いしながら、そんな私の発言を受け止めていた。
怒ることも機嫌を損ねることもなく、ただ静かに穏やかに。
『口が回るって……いい話をしてるつもりなんだけどなあ』
不意に思い出された、そんな温かい記憶達――私はしばし声もなく、その懐かしさに浸り続けた。
緊張感で張り詰めた自分の心が、緩く解きほぐされていくのを感じながら。
またそれをきっかけに、胸の内にひとつ、強い想いが芽生えてくる。
(やっぱり……何も言わずにいなくなるとは思えないな)
この突然の失踪事件は、先生本人の意志によるものではない、と。
きっと何か深い事情があって、私達の前から姿を消したのだ、と。
そうはっきり、確信を持ったのである。
だって、あれほど『言葉』というもの、『気持ちを伝える』ということを大事にしていた人なのだ。
例えどんな状態に陥っていようとも、その志を完全に忘れ去ってしまうとは思えない。
少なくとも何か、私達宛てのメッセージのようなものを残しているはず、という妙な予感はあった。
するとその感覚に導かれたのか、突然脳裏に、鮮やかな閃きが舞い降りてくる。
(国語教師……か)
もし先生が、軍人ではなく、今も教師として行動していたとするのなら。
そう考えた瞬間、あの人の痕跡がありそうな場所に、ひとつだけ心当たりが生まれたのだ。
完全に憶測ではあるが、他に思いつくこともないわけだし、とりあえず調査はしておくべきだろう。
そこで現状、唯一の足がかりとも言えるその場所へ――
(先生……いったいあなたは、私達に何を伝えたかったんですか?)
私は一人、不安と期待が入り交じる気持ちを抱きつつ向かった……




