Interlude
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変わった人だな、と思った。
普通とは違う人だな、とも思った。
そして――とても魅力的だな、と心から思った。
私があの人――倉田先生をそう意識するようになったきっかけは、その授業に感銘を受けたこと。
こうなる前に通っていた学校で、先生の教育に対しての考え方を聞き、結果として強い興味を持つに至ったのである。
当時先生は、国語科担当の教師として、私達のクラスを受け持っていた。
そして私の運命を変えた、思い出のあの日も、いつも通りに授業を行っていた……のだが。
その最中、突然一人の生徒が、授業内容とは無関係の質問をした。
『国語の勉強の意義』について、先生に問いかけたのだ。
『え? なぜ国語の勉強をするのか、って?』
まあその生徒はおそらく、退屈な勉強から逃れたくてそうしたのだろう。
立場上そういう質問に答えないのはまずい、という教師の心理を利用し、授業の中断を目論んだのである。
そんな生徒の策略に対し、あの人は一瞬だけ、驚きの表情を浮かべて停止した後――
『ふふふ……よくぞそれを聞いてくれました、ってところだね』
次いでなぜだか、やたらと得意気な顔になって、授業そっちのけで思い切り脱線した。
『じゃあ今日は、言葉の素晴らしさについて喋ろうかな。
すごいんだぞ~。君達が普段、何気なく使ってる言葉ってやつはね!
……いや、そう面倒臭そうな顔しないでくれよ。
本当にいい話だからさあ!』
そして生徒達の反応の悪さに慌てながらも、先生らしい口調に戻って、まずはとばかりに長い前置きを始めた。
『それに僕は、別に大げさに言おうとしてるわけじゃないよ。
本当にすごいんだ、言葉ってやつはさ。
例えば、そうだな……みんなにも馴染みのある、百人一首を使って説明しようか。
具体的には、うーん……
【しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで】……辺りがいいかな。
平兼盛という人の歌なんだけど』
それからその話を、ちょっと遠回りしながらも、丁寧に進行し――
『意味は、【自分は恋をしていたけど、それを周りには知られないよう隠してきた。
でも結局は、他人からあなた恋をしてるの? と質問されるくらい顔色に出てしまっていた】
……みたいな感じだね。まあ要するに、恋の歌だ。
そんなこの歌に対して、みんなに注目して欲しいポイントは――』
結果、国語教師としては問題が大ありの、失礼極まりない歌の評価を披露した。
『そもそも、内容的に大したことは言ってない、ってところだ。
だってそうだろ? 顔に出てたせいで、恋心が周りの人にバレちゃった、ってことが書いてあるだけなんだから。
人生の意義とか深遠な哲学とか、そういう含蓄みたいなものは、全くと言っていいほど込められていないんだ。
歌のテーマそのものは、すごく平凡なんだよ』
ただそう言った直後、表現が直截過ぎることに気づいたのか、慌てて釈明――
『ああ、いや、もちろん馬鹿にしてるわけじゃないからね。
そういう感情を、瑞々しく美しい表現で歌にしている、という行為に価値があるわけだから。
単に僕は、人間の考えることは千年前からずっと同じ、ってことが言いたいんだ』
それから改めて、自身の主張を語っていった。
『つまりこういう歴史に名を残すような人も、僕らと同じようなことで悩み、同じようなことで傷つき、同じようなことで喜んでたんだよ。
恋とか友情とか、あるいは日々の小さな出来事とかでね。
ほら、そんな風に考えると、遠い昔の人を身近に感じないかな?
本当はこれ、すごくすごく特別なことなんだ』
そうして導入部を終えた先生は、次いでようやくメインテーマへと突入――
『さてさて、じゃあその説明が終わったところで、早速本題に入ろうか。
実は今の話で大切なのは、どうして僕らに彼らの気持ちがわかるのか、ということ。
千年も前の人が考えていた内容を、なぜ僕らは知ることができたのか、というところなんだ。
そして、それはもちろん――』
今度はいかにも国語教師らしい、極めて真っ当な見解を披露した。
『言葉があったからだ。
そして、文字があったからなんだよ』
さらに先生は、そこから言葉の素晴らしさについての話を広げ――
『言葉があるから、人は他人に自分の感情を伝えることができる。
好きだとか、信じてるとか、これからもずっと友達だよ、とかね。
もちろん、ごめんなさいとか、悪かったっていうのもそうだ』
その有用性を、この上なく熱心に説明していった。
『でももし言葉が無かったら、それを伝える手段はすごく限られてしまう。
ジェスチャーだけでやる、ってのを想像すれば、さすがにそれは大変そうだなって思うだろ?
ちょっとそこの醤油取って、と頼むことにさえ、大きな大きな手間がかかるんだ。
普段は何気なくやってることだと思うけど、本来はとても複雑で難しい行為、というわけだね』
次いできちんと意義についても語ってから、いったん自らの話を、笑顔の問いかけで締め括った。
『言葉はその難行を、極めてスムーズに、しかも他の手段より正確に行うことができる。
これは高度で複雑な社会を形成するのに、必要不可欠な要素なんだ。
あらゆる文明の礎、なんて言い方もできるね。
どうだい? そう考えると、言葉ってすごいなあ、って思うだろう?』
その呼びかけに答える者は、誰もいなかった。
みんなが黙ったまま、じっと先生を見つめるのみだったのである。
まるで話の内容に圧倒され、言葉を失っているかのように。
そんな生徒達をよそに、倉田先生は意気揚々と話を継続――
『そして文字があるから、それを後世の人間に伝えることができる。
自分がその場にいなくても、自分の気持ちを表現することができる。
遠い未来まで、人類という種が存在する限り、半永久的に保存しておく事が可能になったんだ』
ひどく誇らしげに、壮大な主張を付け加えた。
『つまり人は、文字を生み出した瞬間、この世界を統べる絶対の支配者――【時間】に打ち勝つ強力な武器を手にした、ってことなんだよ。
文字もまた、人類の歴史を変えた偉大な発明のひとつ、と言っていいだろうね』
そしてそれを果たした後、最初の質問をした生徒に向き直ると、長い回答の終了を宣言した。
『とまあこんな風に、言葉や文字ってのはすごいものなんだよ。
……で、それを学ぶのが国語の勉強の意義であり、それを教えるのが僕達国語教師の役目だ。
さっきの質問の答えは、これでいいかな?』
ただ呼びかけられた生徒の方は、明らかに動揺した様子で、曖昧な返事をするのみだった。
自分の質問をきっかけに、想定外の話が始まったので、どうしたらいいかわからなくなったのだろう。
先生はそんな自らの教え子を、どこか嬉しそうに眺めていた。
遠足を明日に控え、期待に胸を膨らませる小学生のような表情で。
たぶん先生としては、自分の話に生徒がどんな反応をするか、楽しみで仕方なかったのだろう。
そんなあの人のことを、私は――
(可愛い、な)
とてつもなく可愛い、と感じていた。
普段はどちらかというと落ち着いている人が、今はドヤ顔得意げ喜色満面な様子でいることに、そういう印象を受けたのである。
まあ本人にそれを言ったら、『そこまで子どもっぽかったかな……』と、頭を抱えるに違いないのだが。
なんて物思いに耽る私をよそに、次いで先ほどとは別の生徒が、また先生に質問をした。
からかい交じりに、『そんなに思い入れがあるのなら、言語学者にでもなれば良かったのに』と、ある意味もっともなことを聞いたのだ。
倉田先生はその問いを受けて、困ったように頭を掻きながら――
『う~ん……まあ確かに、研究者って言うのも魅力的ではあったんだけど……』
しかし迷うことなく、今度は自らの志についての話を始めた。
普段のどこかのんびりした雰囲気が嘘のような、意欲と情熱に満ち溢れた口調で。
『僕は伝えたかったんだ。
言葉というのは本当にすごいものなんだ、って。
みんなが何の気なしに使っているそれは、とてつもなく偉大なものなんだ、って。
その事実を、直接自分の口から、できるだけたくさんの人に伝えたかった。
だからこうして、国語の教師になったんだよ』
その一連の話を、他のクラスメイト達がどう思ったかはわからない。
熱心な教師だなと感心したのか、何言ってるんだろうと首を傾げたのか、それとも面倒臭いやつだと敬遠したのか。
教室に集う彼らの表情から、それをうかがい知ることはできなかった。
しかし正直、そんなことはどうでも良かった。
みんなが先生をどんな風に思ったかなんて、少しも重要ではなかったのである。
かつてない大きな感情で、心が隅々まで埋め尽くされて、それどころではなかったから。
そう、私はその時、生まれて初めて――
(……悪くない、かな)
こんな人がいるのなら、学校というのも結構いいところじゃないか、と感じていたのだ……




