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ムーン・セイヴァーズ  作者: 白洲ヨム
Chapter-11 『Moon jumper』
122/173

Section-1

更新履歴 21/10/23 文章のレイアウト変更・表現の修正


 色褪せた古い床を、一人そっと踏みしめつつ、春日井真那は静かな廊下を歩いていた。



 そこで目に映るのは、年季の入った校舎と、窓から差し込む眩しい日差し。

 またその窓の外には、緑深い森と、抜けるような青空が見えている。


 要は絵に描いたかのような、穏やかさ溢れる学校の日常風景、ということである。

 もし仮想空間でなければ、鳥のさえずりでも響いてきそうな雰囲気だった。


 そんな環境であれば、この歩くたびに軋む床も、風情があって悪くはない。

 なので私は、その響きを音楽のように奏でながら、さらに散歩を続けていく。


 その最中に抱く感想は、言うまでもなくひとつ――


(んー……平和!)


 あまりにも呑気でのどか、というものである。

 安穏とし過ぎていて、戦争のことなど忘れてしまいそうになるくらいに。


 まあそもそもの事情を思えば、ここは兵士のリラックスのために作られた空間のはずだし、そうなっていて当然なのだが。

 殺伐としていたらそれこそ大問題、ということである。

 そんな考えをぼんやり巡らしつつ、私は戦いと戦いの合間に訪れた、わずかな休息の時間を満喫していた。


 しかもそうやって、機嫌良く余暇を過ごしているところへ、さらに喜ばしい事態が発生する。

 ふと廊下の先に、よく知る後ろ姿を発見したのだ。


 ゆえに早速、軽やかな足取りで歩み寄りつつ、その人物に声をかけた。


「志~藤さんっ!」


 するとそれに反応し、彼女がこちらを振り向く。

 同時に深い色合いの瞳がこちらに向けられ、長く艶やかな黒髪も、細い体へ巻き付くように流れた。

 相変わらずの古式ゆかしい、冴え冴えとした美貌である。


 それでいてその表情は、どこか無垢にも思える。

 誰も足跡をつけてない雪原というか、きちんと整えられたベッドのシーツというか、いわゆる『手つかず』な印象を強く受けるのだ。

 見ているだけでからかいたくなってくる相手、なんて言ってしまってもいいだろう。


 そこでさらに彼女へ近づいた後、元気に挨拶しながら、勢い任せに抱きついてみた。

 きっと動揺するだろうな、と内心で期待しながら。


「やっほー、元気?」


 ただそんな私の突撃は、思いのほかあっさりと受け流されてしまう。


「春日井さん……急に抱きついたりしたら危ないですよ」


 その冷静な対応に、私はかなり拍子抜けした。

 声音にも態度にも動揺を見せない、彼女の落ち着いた振る舞いが、ひどく意外だったからだ。

 何だか軽くあしらわれたようで、ちょっと悔しさを感じなくもない。


 なのでこのままでは終われぬ、とばかりにもうひと押ししてみた。


「大丈夫大丈夫、志藤さんやわらかいから」


 しかしやはり、彼女に慌てる素振りはない。


「もう……仕方のない人です」


 ちょっと困った様子で、優しげに微笑むだけだったのである。

 これではまるで、本当に子ども扱いでもされているかのようだ。


 ゆえに思わず、私は正直な感想を述べてしまう。


「あれ……? なんか、反応が大人~。

 前までと全然違うなあ」


 それに対して彼女は、一瞬考え込むような素振りを見せた後、その理由についての予測を告げた。

 無理なくごく自然に、しかしどこかに拭えぬ悲しみを覗かせながら。


「それは……そうですね。『色んなこと』がありましたから。

 ひょっとしたら、少しくらいは大人になったのかもしれません」


 そこで初めて、私は自分の失言に気づく。

 志藤さんの返事によって、『本当に』色々あったということを思い出したから。

 どうやら気分の良さに流されて、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったらしい。


 なのでその失態を取り繕うため、慌てて彼女の言葉に同意した。


「あ……うん、そうだよね。色々、あったもんね」


 しかし結局、その後が続けられなくなり、二人の間に変な空気が漂い始める。

 体勢も抱き合った状態のままだし、端から見れば、さぞかし滑稽だったことだろう。


 そんな状況に困り果て、どうしたものかと悩んでいると――


(……あっ!)


 そこにとある人物が、都合良く通りかかった。

 私はこれ幸いにと、すぐ志藤さんから離れ、その相手に声をかける。


「あ、望月さん。

 やっほー、どうしたの? こんなところで」


 同じくクラスメイトの、望月和歌さんだ。

 彼女は私の呼びかけに対し、ちょっと意外という表情を見せてから、すぐに落ち着いて応じた。


「春日井さん……と志藤さん。

 はい、今は倉田先生に、まとめたデータの報告をしに行くところです」


 それに私が、ごく普通の反応を返すと――


「あ、そっか。先生の仕事手伝ってるんだよね」


 望月さんもまた、ごく普通の反応を返してきた。


「はい。ただの事務作業ですけど」


 いわゆる当たり障りの無い会話、というやつだ。

 要は彼女と、ごく一般的で他愛のない雑談を交わしたのである。

 私が今までの人生で、いつも知り合いの女子達とそうしてきたのと同様に。


 ただまあ、そうなってしまうのも当然だろう。

 私と望月さんは、そんなに仲が良いわけでも、頻繁に会話を交わす仲でもないのだから。

 元はと言えば、友達どころかクラスメイトですらなかったのだし、話題が平凡になってしまうのも無理はない。


 それでも、望月さんに対する私の印象は、今まで周りにいた女子達とはかなり違っている。

 妙な気安さを感じるというか、自分でも不思議なくらい心の距離が近いのだ。

 きっと異常な状況を共にくぐり抜けてきた、という連帯感があるからだろう。


 もちろんこれは、非常に珍しい現象である。

 私は基本的に人嫌いなので、表面上はともかく、他人に気を許すことなど滅多に無いから。

 志藤さんや他の皆にも似た感覚があるし、どうやらこのクラス、私にとって居心地の良い場所に変わりつつあるようだ。


 その平和な感覚に押されて、私はまた、ちょっとだけ踏み込み過ぎてしまった。


「そう言えば……望月さんも雰囲気変わったよね」


 私のそんな、何の考えもなく放たれた感想に、少し驚いて答えた彼女と――


「そう……ですか?」


 やはりどこまでも呑気で、全く配慮の無いやり取りをしてしまったのだ。

 先ほど、志藤さんにそうしたのと同じように。


「うん。落ち着いたって言うか……

 なんか、強くなった感じ?」


「だといいんですけど……まだまだで……」


「そんなことないって。すごく変わったよ~」


 ただその直後、私はまたしても気づかされることになった。

 望月さんにもまた、『色々』あったに違いないという事実を。


 なぜなら彼女が、『すごく変わった』という私の発言を聞き、それを静かに肯定したから。


「そう……かも、しれません」


 しかも強い意志を感じさせる、ひどく大人びた笑顔を浮かべながら。

 何となく気弱なイメージがあったので、かなり意外という印象である。

 その複雑な反応によって、私は再び自分が失言したことを自覚し、改めて己の無遠慮さに呆れる。


 またそれと同時に、強く思わされもした。


(……みんな、変わっていってる)


 志藤さんも望月さんも、精神的に成長しているのだ、と。

 きっとここでの異常な経験を糧に、それを乗り越えることで逞しくなったのだろう。

 ひょっとしたら私が知らぬだけで、他のクラスメイト達もそうなのかもしれない。


 そんな想像がふと、自分だけが置き去りにされている、という感覚を生み出す。

 私だけ進歩が無い、変化も無い、何より成長していない。

 二人の落ち着いた佇まいを前に、そういう劣等感が湧いてきてしまったのだ。


 そのせいか少しばかり、居たたまれない気分になった私は、慌てて二人に別れを告げた。

 内心を気取られぬよう、いつも通りの自分を装いながら。


「あ、届け物の最中なんだっけ。

 仕事の邪魔しちゃったね、ごめんごめん。

 じゃあ二人とも、またね」


 そして穏やかに見送ってくれた彼女らから離れ、また廊下を一人歩み始める。

 特に当てもなく、二人の進行方向とは逆を目指して。


 そんな私の周囲に広がるのは、先ほどと同じ、穏やかな学校の風景のみ。

 しかし抱く心境の方は、これまでと大きく異なっていた。

 何となく落ち着かず、妙に浮き足立った気分になってしまうのだ。


 そのせいなのか自然と、とりとめのない物思いが頭を駆け巡る。


(私は……何がしたいんだろうな)


 自分の望みは何なのか、これからいったい何をすべきなのか。

 珍しくそんな、青春の悩みのような考え事をしてしまったのだ。

 成長していくクラスメイト達の姿を前に、自分もそうならなければならない、という衝動が芽生えてきていたから。


 ただし無論、その結論は本来考えるまでもない。

 やるべき事もやりたい事も、実のところは最初から決定済みなのだ。

 今までは単に、とある事情から、意図的に目を逸らしていただけである。


 私がずっと心に秘めてきた、その切なる願いと言うのは――


(……あ!)


 そうらしくもなく思い詰めながら、廊下をさらに進んだ瞬間、私はまたも顔見知りに突き当たった。


(斉川君!)


 何とも絶妙なタイミングで、前方の廊下の先から斉川君が現れのだ。

 しかもただでさえ強面な顔を、さらに抽象画のようにしかめつつ、しきりに首を傾げながら。

 いかにも困り果てています、といった様子だ。


 彼のそんな姿を見ていると、自然に私の中のイタズラ心がうずいてくる。


(ちょっとぐらいは、いいよね)


 軽く冗談を言ってからかおうかな、なんて考えが浮かんでしまったのだ。

 慣れぬ悩みにより生まれた、精神的なストレスを解消するために。

 当人には迷惑千万な話だと思うが、まあわりといつものことだし、きっと大丈夫だろう。


 なので早速、私はその見つけた格好の獲物……ではなく楽しい玩具……でもなく大切な友人に、あえてハイテンションに声をかけた。


「さ~いか~わくん!」


 しかし斉川君は、その私の呼びかけを聞いても動揺せず、ふと気づいたという風に返事をしてくる。


「ああ……春日井か」


 おそらくは彼、よっぽど重要な考え事をしていたのだろう。

 それに気を取られるあまり、私のわざとらしい態度に反応が無かったのだ。


 その軽い扱われ方が気に入らなかったので、私はさらに彼をからかったのだが――


「どうしたの? なんかすごく陰気だよ?

 まあいつものことだけど」


 やはりそれにも応じず、斉川君は次いで、ひどくおかしな質問をしてきた。


「ああ……実は倉田が見当たらないんだ。

 職員室だけじゃなく、学校のどこを探しても。

 春日井は何か、心当たりとか無いか?」


 もちろん思い当たる節は無かったので、素直に知らぬと答えようとした……のだが。

 しかしちょうどその瞬間、私は不自然な感覚に襲われる。


(……あれ? なんか……揺れてる?)


 なぜだか突然、全身が小刻みに震動しているように感じたのだ。

 例えるならば、自分がバイブレーション機能を起動したスマホになったよう、というのが適切だろうか。

 無論、何が起こっているのかわからず、大きく首を傾げるのみである。


 ただそうこうしている内にも、さらにその揺れは強まっていった。

 視界に映る学校の風景も、激しくブレて見えるような有り様だ。

 その感覚を抱いているのは同じなのか、眼前の斉川君の表情も、ますます怪訝そうに歪んでいる。


 ただその辺りで、ようやく私は気づいた。

 この謎の震動の原因が、良く良く考えてみれば当たり前の、だが決してあり得ないものだということに。


(空間全部が揺れてる……これって、まさか!)


 そう、なんとこの仮想空間内にある、作り物でしかないはずの学校に――


(地震!?)



 突如、大きな地震が発生していたのだ――








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