Epilogue
更新履歴 21/10/20 文章のレイアウト変更・表現の修正
ふと目を開けると、白い天井が見えた。
そして背中には柔らかい感触があり、すぐ近くには白いカーテンが巡らされている。
また周囲に人の気配は皆無で、耳に聞こえてくる音も無い。
状況からしてどうやら、ここは保健室のベッドの上らしい。
それを認識した瞬間、当然のように俺は混乱した。
(あー……んん? はい? 何これ?)
確かつい先ほどまで、自分は宇宙空間で戦っていたはずなのだが。
どうして突然、こんな場所に移動しているのだろうか。
うまく事情が把握できなかったせいで、そんな疑問に囚われ、少しばかり呆けてしまったのだ。
ただ次いでそこへ、そうして戸惑う俺を正気に戻す、感情を抑えた低い声が届く。
「……目が覚めたか」
その急な呼びかけに驚いて、声がした方へ目をやると、そこに仏頂面の橘がいた。
彼は相変わらずの内心が読めぬ顔で、ベッドサイドの椅子に座り、静かにこちらを見つめている。
おそらく俺が目覚めるのを、脇でずっと待っていたのだろう。
そんならしくもないクラスメイトの姿に、俺は軽い微笑ましさを感じ、何やってんだとツッコミたくなったのだが――
(……いや! 待て!)
直後、唐突に思い出した。
自分の身に、いったい何が起こったのかを。
俺の見守りなどという、あまりに不似合いな役目を果たす橘の姿が、それに気づかせてくれたのである。
ゆえに慌てて飛び起きながら、状況を確認するため、矢継ぎ早に橘を問い質す。
「あれからどうなった! 何が起きた! 敵はどうしたんだ! なんで俺はこんな……」
しかし彼は、そんな俺の言葉を遮って、冷静にこちらの体調を確認してきた。
「落ち着け。まずはお前の体のことだ。
ずいぶん無茶したみたいだからな。
どこか不調はないか?」
そしてその質問に、泡を食いながらも何とか答えた俺に対し――
「え? ああ、いや……特に……」
短く返事をしてから、しばし考え込むように沈黙する。
「そうか」
それからいつも以上に事務的な口調で、手短に事実のみを告げてきた。
「敵はもういない。俺達が全て片付けた。
その後お前を回収して、母艦に帰った。
それから保健室に運んで寝かせて、今の状況になった。
わかったか?」
その何事も無かったかのような態度に、少しばかり面食らいつつも――
「あ、ああ……そうか」
おかげですっかり落ち着きを取り戻した俺は、ようやく事の次第を把握する。
(そっか……こいつが助けてくれたんだな)
あの絶体絶命の危機から、起死回生のアイデアにより脱出した俺は、すぐに意識を失った。
こいつはそのコックピットブロックを回収し、母艦まで運搬、こうして学校に戻してくれたわけだ。
敵もその際、同時に撃破してしまったのだろう。
要するに俺は、あのおそろしく分の悪い賭けに勝ったのだ。
ほぼ確定状態だった死の運命をはねのけ、意地汚くも生き延びてみせたのだ。
よくやったぞ自分、意外にやるじゃないか、と自画自賛せずにはいられない。
そういうこちらの様子を見て取り、十分に落ち着いたと判断したのだろう。
次いで橘は、早口で必要事項を伝達してから――
「じゃあ俺はもう行くぞ。
柳井が目を覚ました、って志藤達に報告しなきゃならないからな。
お前はまだ休んでろ。
教室に戻るのは調子が万全になってからでいい」
即座に立ち上がり、こちらの返事も聞かず、保健室を出ていこうとする。
いかにもこいつらしい、淡泊極まりない態度だ。
普通であれば、裏切り者に対して罵倒のひとつもありそうなものだが、本当に変わった男である。
なんて事を考えつつ、俺はぼんやりと、去り行くその背中を眺めていたのだが――
(……あ)
心が落ち着き、頭が回り始めたせいで、否応なく気づいてしまった。
なぜこいつがこうも淡泊なのか、どうしてこんなにも早く、この場を立ち去ろうとしているのか。
その根本的な理由に、ようやく思い至ったのだ。
それと同時に、俺は橘を呼び止める。
「橘」
すると橘の足が止まり、辺りに奇妙な緊張感が漂い始めた。
こちらを振り返る素振りはないが、しかし強く意識しているのは明白にわかる。
向こうもこれから何が起こるのか、すでに予測がついているに違いない。
まあ本来はここで、黙ってこいつを見送るべきなのだろう。
だって何をどうしようとも、もはや起きてしまったことは覆せないのだから。
全て受け入れ、静かに飲み込むのが最善の選択、というわけである。
それでもやはり、俺は問いかけてしまった。
答えが絶望しかないとわかっていても、一縷の望みにすがりつかずにはいられなかったのだ。
「ユキコは?」
俺のその問いに対して、橘も橘なりに気を使ったのだろう。
ひどく遠回しに、そして最低限の言葉で、事実だけを淡々と告げてくる。
「……ここには、いない」
その瞬間、体が急激に重くなり、次いで冷や汗がじわりと噴き出してきた。
それに加えて腹部へも違和感が生じ、かすかに吐き気まで催してくる。
まるで腹の中に、胃が破裂するほどの泥を流し込まれたような感覚だ。
そうして苦しみつつも、俺は橘に対し、どうにか返事を絞り出した。
みっともないところを見せるわけにはいかない、という一心で、今にも砕け散りそうな理性を繋ぎ止めながら。
「そう、か……」
橘はそんなこちらの声を聞いて、一瞬迷うような素振りを見せていたが。
しかし結局、そのまま振り返りもせずに、再び別れを告げてくる。
「……じゃあな。お前はもう少し休め」
そして静かに、保健室を出ていった。
変に慰めたりしないところは、何ともあいつらしいという印象である。
結果としてただ独り、静かな空間に取り残された俺は、自然と思い返し始める。
もうここにはいない、自分の大切な人の姿を。
その面影を追って、幸せな思い出の中へと逃げ込むかのように。
(ユキコ……)
そこで頭に浮かんできたのは、記憶にはっきりと焼き付いている、様々な彼女の姿だ。
お気に入りの本を読んでいる時の、静かで落ち着いた横顔とか。
俺のくだらない話を聞かされて、それでも笑ってくれた時の明るい声とか。
あるいは喧嘩して怒って拗ねた時の、少しだけ曲がった唇とか。
絶対に守ってやりたいと思わせる、不安げにさ迷う瞳も忘れられない。
そしてやはり、他の何よりも強く心に残っているのは――彼女が死の間際、最後にくれた言葉だ。
『ありがとう!』
それを思い出した瞬間、当然のように俺の感情は爆発した。
「ああ、ゆきこ……ゆきこぉぉ……ああぁぁ……」
眠っていた悲しみが再発し、嵐となって荒れ狂い始めたのだ。
空っぽになった胸の内で、心そのものを打ち砕かんばかりに強く激しく。
何やらそいつに身を任せて、力の限り暴れ回りたい気分である。
ゆえにその衝動の赴くまま、俺は頭突きするように枕へ顔をうずめると、ただひたすら悲嘆に暮れる。
「なんでだ……なんでこんな事に……
どうしてお前が死ななきゃならないんだ……
おかしいだろうがそんなのよぉぉ……」
とは言えもちろん、その原因は明々白々。
悪いのは全て、この俺なのである。
俺がみんなを裏切ったから、その上とんでもない無茶をしたから、だから彼女は死ぬことになった。
あらゆる責任は、この救いようのない大馬鹿野郎にあるのだ。
「ちくしょう……ちくしょう……馬鹿野郎……馬鹿野郎ぉぉ……」
しかしそう自らの責任を理解していても、やはり嘆かずにはいられなかった。
喪失の痛みに、悶え苦しまずにはいられなかった。
辺り憚ることなく四肢をばたつかせ、駄々をこねる子どものようにのたうち回りながら。
だって彼女を失ったことが、あまりに悲しかったから。
あんな良い子が死ぬという現実に、どうしようもない理不尽さを感じていたから。
原因がどうであろうと、責任が誰にあろうと、心の底から慟哭せずにはいられなかったのである。
そんな俺の頬を、溢れた涙が止めどなく流れ落ちていく。
そしてそれ以上に大量の鼻水が、顔の下半分をこれでもかと汚して回った。
(うえええ……う゛え゛え゛え゛……)
俺はその両方を拭うことなく、また声を抑えたりもせず、ずっと泣き続けた。
長く長く、気の遠くなるほどの時間、愛する者の死を悼み続けたのだ。
ただその果てに訪れた、ありとあらゆる感情を吐き出し尽くして、いい加減涙も鼻水も枯れてしまった瞬間に――俺は、ひとつの決意を固める。
(……よし。泣くのはここまでだ)
こんなみっともない振る舞いはここまでにして、以降はいつもの明るい『柳井満』に戻ろう、と。
急に落ち着きを取り戻し、そう自らのすべきことを定めたのだ。
今までずっと、暴風雨のごとく荒れていたのが嘘のように。
俺がそんな風に、突如として自制を取り戻したその理由は――
(だって……それがお前の願いだからな)
雪子が俺に、そう願ったから。
それこそ彼女が俺に残した、最後の望みだから。
他の何よりも強く、あいつは『明るく楽しい柳井満』を求めていたわけだ。
『お願いだから、いつもの明るいミツル君に戻ってよ……ミツル君……』
ならば当然、何があろうとその願いを果たさなくてはならない。
力の限り、それを叶えるため奮闘しなくてはならない。
例え心が傷だらけで、本来ならば、そんなことができる精神状態ではないのだとしても。
その一度の選択によって、これから先、ずっと苦難を背負うことになるのだとしても。
それでも己を奮い立たせて、やり遂げなければならないのである。
自分のせいで悲しい目に遭った、愛しい人に対し、唯一のしてやれることとして。
決して揺るがせにはできぬ、俺の人生最大の使命というわけだ。
もっとも実のところ、それはそう大して難しい行いではない。
だって心にもない事を言うのは、俺の得意分野だから。
本心を隠して生きるなんて、ほとんど日常茶飯事だから。
むしろ自分に向いてる、と表現したっていい。
であれば必ずや、俺はその使命を果たせることだろう。
薄っぺらく身勝手な自分の性格が、逆に力強い支えとなってくれるわけだ。
そんな己のいい加減さに、今はただ感謝しかなかった。
その決意と共に、俺は一念発起して体を起こし、保健室のベッドから立ち上がった……のだが――
(よし、やるぞ!)
しかし次の瞬間、そんな俺を嘲笑うかのように、突如として体へ異変が生じる。
(あ……れ……?)
急に足がもつれ、大きくバランスを崩してしまったのだ。
しかも同時にめまいや、強い吐き気のような感覚にも襲われた。
今度は精神的なものではなく、完全に純粋な肉体の変調である。
加えてそれに伴い、視界もぼやけて歪み始める。
まるで車酔いと船酔いと二日酔いが、一度に押し寄せて来たかのような気分だった。
もちろん二日酔いの経験は無いが、とにかくそんな状態になってしまったのだ。
ただし、その唐突な異変は――
(……ん? あれ、消えた?)
間もなく、一瞬の内に消失する。
すでにめまいは治まり、吐き気も吹き飛んで、視界に至ってはいつも以上にクリアである。
体調不良の残滓など、影も形も無い。
その不可思議な事態に動揺しながらも、俺はすぐさま、原因についてあれこれと思索した。
ただ結果として、あまりにも残酷な、ひとつの恐ろしい可能性に到達してしまう。
(まさか……脱出の時に……?)
機体を破壊して、コックピットブロックを摘出し、強引に脱出したあの時――そこで何かの拍子に深刻な怪我を負ったのでは、と推測したのだ。
もの凄い無茶をしたのは事実だし、そういう事故が起こっていてもおかしくはないだろう。
となればおそらくは、脳が損傷したに違いない。
めまいとか感覚の異常とか、そういう意識、認識系統の不調が起きているのだから。
まあ神経やら何やらが直接繋がっている物を、力任せに無理やり引き千切ったのだ。
何か異変が起こっても不思議はない……と言うか、大怪我をするのが普通である。
むしろ当然の結果、と呼ぶべきなのかもしれない。
そう自身の状態を把握した瞬間、俺はふと、その裏付けとなる現象が起きていたことに気づいた。
(そうか……俺、ユキコのことを覚えてる……!)
それは自分が、朝倉雪子の記憶を完全に保持している、という事実である。
戦いで犠牲となった以上、本来なら『順化調整』の働きにより、すでに忘れ去っているはずなのに。
その不自然な事態こそが、体の異変を強く示唆しているのだ。
なぜそうなるのかという根拠は、以前斉川が語っていた、『順化調整』についての説明にある。
『一応、コックピットブロックが深刻なダメージを受ければ、自然と『順化調整』関連の機能が停止することもある、と言ってはいたが……
まあそんな状態になれば、中の人間も無事じゃいられないだろうし、どっちにしても無意味な話だな』
つまり『俺が彼女を覚えている』こと自体が、『機体のコックピットブロックに深刻なダメージが生じた』ことの証明になるわけだ。
『順化調整』が停止する原因なんて、他に考えられないのだから。
俺の体が危険な状態にあるのは、もはや明白な事実と言ってもよかった。
その一連の認識は、俺に否応なく、過酷な現実を突きつけてくる。
(じゃあ俺……死ぬのか?)
この体の異変は、これからもどんどん進行していくのではないか。
そして今ではなくとも近い将来、限界を迎えて命が尽きるのではないか。
そんな想像に取り憑かれ、心臓を握り潰されるような恐怖を味わったのだ。
もちろんこの考えは全て、単なる憶測に過ぎぬものなのだが。
しかし先ほどの不調に関しては、他の説明が思いつかないし、やはり真実なのだろう。
無茶の代償はとてつもなく重かった、ということである。
当然俺は、その事実に激しく打ちのめされた。
あまりの恐ろしさで全身の力が抜け、まっすぐ立っていられなくなるくらいに。
何だか今にも、床へ崩れ落ちてしまいそうな状態である。
せっかく生き延びたというのに、結局このまま、死を待つしかないのだろうか……
ただその残酷な現実に敗北し、心が砕け散りそうになった……次の瞬間――
(……いや! まだだ!)
俺は内心で咆哮し、四肢に力を入れて、必死に体を支えて踏み止まる。
まだ終わったわけではない、こんな事でへこたれてなるものか、と気合いを入れて自らを奮い立たせたのだ。
なぜそうやって、俺が恐怖に負けず踏ん張れたのかと言えば――
(暗いのは……俺らしくないからな!)
そんなのは『いつもの俺』らしくない、という思いがあったから。
鬱陶しいくらいに、明るく陽気で脳天気なのが、まさしく柳井満という人間だろう……と明確に認識していたから。
要は先ほど芽生えた、『明るく楽しい柳井満』でいなければという使命感が、俺に絶望へ抗う力を与えてくれたのである。
そしてそんな風に立ち上がれたのは、もちろん雪子のことを覚えていたから。
もし彼女の存在を忘れていれば、弱い俺の心は、きっと脆くも崩れ去っていたことだろう。
体の件と引き換えだとわかっていても、やっぱりお前はすごいよ、本当にありがとう……と、改めて感謝せずにはいられなかった。
ゆえにその想いを支えにして、俺はうつむいていた顔を上げ、次いで強引に『自分らしい』笑みを浮かべる。
それから再度足に力を込めると、愛した人に捧げる、明日への宣言と共に――
(ユキコ……見ててくれよな!)
力強く、次の一歩を踏み出した――
ついに、来てしまった。
何より恐れていた、その時が。
避けられぬ死地へと誘う、悪魔の号令が放たれたのである。
ゆえにもはや、一刻の猶予も無い。
これを放置してしまえば、『彼ら』の命が危なくなるから。
すでに、タイムリミットは訪れたのだ。
だから私は、行動を起こさねばならない。
明日への扉を、この手で開くために。
例えそのために、どれほど重い代償を支払うことになろうとも。
とは言えこれは、チャンスでもある。
彼らが生き延びるために残された、唯一の希望でもあるのだ。
ここを逃せば、後に残されるのは、緩やかな絶望のみである。
であれば当然、迷うこともためらうこともない。
自らの成すべきことを成し、後は彼ら自身に託すべきだろう。
そういう未来を掴み取るため、ここまで耐えに耐えてきたのだから。
そんな風に己の行く道を定めてから、意を決して行動を開始する。
我が身に課せられた、『教師』としての使命を全うするために。
そう、私は、『生徒』達の無事を心より願いながら――
『ああ、どうか、どうか彼らの先行きが――』
自分に残されている、最後の仕事をやり遂げたのだ……
『祝福と幸運に満ちた、良い旅でありますように……』
以上をもちまして、『朝倉雪子・柳井満編』の完結です。
次回からは、とある女神とそれを取り巻く二人の男の物語、『春日井真那・斉川雅幸編』を開始いたします。




