Interlude
更新履歴 21/10/20 文章のレイアウト変更・表現の修正
『あ……柳井君。ふふ、今日は何のお話ですか?』
最初の頃とは打って変わった、ずいぶんと馴染んだ口調でそう呼びかけつつ、落ち着いた微笑みを向けてくる図書委員さん。
その柔らかな対応に、俺はかつてないほど大きな安らぎを覚えていた。
なぜなら彼女の前では、『うまく振る舞わなければならない』という緊張感が無いから。
仲間外れにされるかもしれない』という恐怖が、他の友達と違って極めて薄いから。
他に誰もいないこの図書室でなら、そういう心配をしなくても良かったのだ。
その気安さに甘えるように、俺はいつも通り、軽い調子で彼女へ声をかけた。
『こんちは~。どう? 元気してた~?』
ただ図書委員さんは、その呼びかけに応じつつも――
『は……はい。あの……普通です』
ふと何かに気づいたような表情になり、同時に手許で、ちょっと慌ただしい動きをした。
俺が突然現れた時、大抵彼女がやる謎の挙動だ。
毎度のことなので気にしてはいなかったが、ひょっとしたら訪問のタイミングがまずかったのかもしれない。
そんな想像をしたせいか、ふと不安を覚えてしまった俺は、らしくもなく図書委員さんを気遣った。
『あれ? なんか忙しかった?
俺が来たの……ひょっとして迷惑?』
すると彼女は、妙に焦った雰囲気になり、やたら必死な声音でその問いを否定した。
『い、いえ! そんなことないです!』
その大げさな反応に面食らった俺は、次いでまたしても、自分らしくない行動をとってしまった。
『そ、そう? いや~でも俺、うるさいって良く言われるからさ~。
図書委員さんも、実は静かに過ごしたいのかと思って……』
明るく呑気なことだけが取り柄だと言うのに、ネガティブこの上ない発言をしたわけだ。
おそらく精神状態が影響していたのだろうが、これではアイデンティティ崩壊の危機である。
それゆえ急ぎ、俺はその自らの言葉を取り消そうとした。
だがなんと、それよりも早く――
『そ、そんなことはありません!』
図書委員さんが俺の言葉を否定し、さらに凄まじい早口でフォローしてきた。
『あ、いえ、その……それはもちろん、騒がれるのは困りますけど……
でも柳井君は、大声を出したりはしないですし、問題は無いというか……
むしろ柳井君みたいな、本と縁の薄い人が図書室に来てくれるのは嬉しいと言うか……
ええと……何て言えばいいんですかね……』
その話は、長い上にまとまりを欠いていて、彼女の不器用さを如実に示していたが。
しかし一方、俺を傷つけないように配慮している、という気持ちは明確に伝わってきた。
それも一切の打算なく、ただただまっすぐに。
そんな図書委員さんの誠意は、俺の落ち込んだ精神に、じわりと染み渡っていった。
その一生懸命さに、思い切り心揺さぶられてしまったのだ。
まあ以前ならこういう気遣いも、『ちょっと面倒臭いやつだな』という感じ方をしていただろう。
しかし今は逆に、『なんていいやつなんだ』と受け取らずにはいられない。
自らの心境の変化が、他人への印象にも影響を与えていたのである。
だから、思った。
彼女は他のやつとは違う、と。
彼女は俺を裏切ることはない、と。
些細なことで仲間外れにしたりしないし、そういう相手を嘲笑ったりもしない、と。
そんな風に、俺は彼女という人間を認識したのだ。
それはその時の俺に、とても貴重で、他に代え難いものだと感じられた。
どうしても欲しい、絶対自分のものにしておきたい、なんて思ってしまうほどに。
激しく脈動するその衝動に押され、俺はそこで、つい図書委員さんに発してしまった。
『そういや~さ~。図書委員さんって、いつもここで独りで本読んでるけど――』
あまりにも不躾で、デリカシーなんぞ欠片もない質問を。
『彼氏とかいないの?』
そしてそのまま、驚き慌てる彼女に対し、それとなく探りを入れていった。
『は!? え……? か、かれ……し……?』
『え? いるの? 意っ外~』
『い、いません! そんな人!』
『ふーん……そうなんだ』
ただし無論、詳しく聞かずとも答えはわかりきっていた。
今まで図書委員さんと接する中で、その交友関係の狭さは把握済みだったから。
彼氏なんて絶対いるはずがない、と確信を持っていたのだ。
まあだからこそ、こういう質問ができたわけだが。
それでも俺は、心底安堵した。
彼女がまだ誰のものでもない、という事実を多いに喜んだ。
自分にもチャンスがあるとわかって、拳を突き上げたくなるくらい嬉しかったのだ。
そして同時に、抑えきれなくなった。
欲しいと思う気持ちを、占有したいという欲望を。
それ以外は何ひとつ、考えられなくなってしまうほどに。
そのせいでつい、俺は彼女に、いつもの調子で提案してしまった。
何の下準備もなく、いきなり交際を申し込んだのである。
『じゃあさあ、じゃあさあ、いっそ俺達付き合っちゃう?
俺も今、彼女いないし。
それに俺、図書委員さんのこと、結構好みだしさあ。
意外にいいと思うんだよね~、どう? どう?』
しかしその瞬間、ふと冷静になって思った。
これではあまりに言い方が軽いし、冗談だと思われるんじゃないか、と。
もっと真剣に、真面目に告白せねば受け入れてもらえぬのではないか、と。
そう、遅まきながらに気づいたのだ。
案の定、彼女の回答は――
『……き、急に言われても、困ります……』
突然何を言い出すんだこいつ、とでも言わんばかりの、ひどく戸惑ったものだった。
無論表情もその言葉通り、困り果てた風にしかめられていた。
先の懸念が的中し、あっさりフラれてしまった、ということである。
それを理解したせいで、俺は彼女に、おそろしく気の抜けた答えを返すことしかできなくなった。
断られたショックで全身の力が抜け、まともに会話するのも難しくなっていたから。
『あ、そう……ま、そうか……だよねぇ……』
また同時に、内心で己を責めもした。
なんでこんな言い方しかできないんだ、もうちょっと真面目にやれよこの馬鹿、と罵倒し続けたのである。
津波のように押し寄せる、果てしなく深い後悔と共に。
もっとも、真面目な告白がどういうものなのかわからぬ俺では、いずれにせよ結果は同じだったに違いない。
全ては身から出た錆、日頃の行いが悪いせいだ、と諦めるべきなのだろう。
ただそうして落ち込んだ俺に、罪悪感に近い感情でも抱いたのか――
『あの、いえ、ですから……』
彼女は次いで、迷いの感じられる口調で、ひどく曖昧な言葉を返してきた。
『……急じゃなかったら、その……そんなには、困りません……けど……』
その瞬間、俺は提示された一筋の希望に、全力ですがりついた。
『マジで?』
だって、絶対に諦めたくなかったから。
せっかく見つかった安らぎの場を、他の誰かに奪われるのは嫌だったから。
だから単なる気遣いかもしれないその言葉に、そこまで過敏に反応したのだ。
ただし無論、それが同情だろうと憐れみだろうと構いはしない。
見込みが少しでもあるのなら、そこを目一杯に進み続けるのみなのである。
ただひとつ、己が求めてやまないものを手に入れるために。
ゆえに俺は、彼女の配慮への返答として、あまりにも無茶な宣言をした。
『じゃあこれから、毎日言うわ!』
自分にできる事が、そのくらいしか思いつかなかったから。
我ながら呆れるばかり、コミュニケーション強者はどこ行ったんだ、という感じである。
それでも俺は、自らの決意を忠実に実行した。
『図書委員さ~ん、俺と付き合おうよ~』
本当に毎日毎日、決して欠かさずに。
『まだダメ? 今日もダメ? ざんね~ん』
しつこいとか鬱陶しいとか思われるかも、という恐怖をねじ伏せ、手を変え品を変え告白を繰り返したのだ。
『愛してるぜ、雪子。……なんつってな~。どう? どう? 今のカッコよかった?』
こんなにも真剣に、ひとつの事に取り組んだ経験なんて、今までの人生であっただろうか。
そんな奇妙とも言える感慨を、いつだって胸に抱きながら。
そしてその努力の果て、あまりにもうまくいかないせいで、諦める寸前にまで追い込まれた頃――
『よし! 今日こそだ! 図書委員さん、俺と付き合おうよ!』
唐突に、俺の願いは成就した。
『……はい、お願いします』
ようやく彼女が、告白を受け入れてくれたのだ。
具体的にどういう理由で、向こうがそう決断したのかは不明だが、とにかく晴れて交際を開始したのである。
俺が飛び上がるほどに歓喜したのは、まあ言うまでもないだろう。
その高揚感に任せて、俺は決心した。
彼女を絶対に守る、決して失ったりはしないぞ、と。
心の底から自信たっぷりに、ただひとつの憂いもなく。
自分にはそれができるはずだ、と無条件に信じ込んでいたから。
そう、俺はその時まだ――
自分は誰かを守り抜けるほど強い人間じゃない、とは知らなかったのである……




