Interlude
更新履歴 21/10/20 文章のレイアウト変更・表現の修正
ちょっと友達になってやるか、と決めて以降、俺は頻繁に図書委員さんの元を訪れるようになった。
『よっす~、また来たよ~。
調子どう? どう?』
『おっ? 今度は何の本?
へぇ~、相変わらず難しそうなの読んでるね~』
『あっ! 呼び出し入ったから今日はこれで。
まったね~』
そんな風に軽く、何の気なしに訪ねては、何でもない話をしてすぐ帰る。
それをただひたすら、暇を見つけては繰り返していった。
相手の都合なんて、一切構うことなしに。
ひどく適当、かつ自由気ままに振る舞っていた、ということである。
とは言え無論、単に振り回していたのではない。
自分のトークで、きちんと彼女を楽しませてもいた。
普段はずっと無表情な図書委員さんが、たびたび明るい笑顔を見せるくらいに。
十分に打ち解け、心を開いてくれていた、と言っていいだろう。
ちなみにそうして、相手の懐に入り込む最大のコツは、向こうの好きなものに興味を持つこと。
そして変に話を合わせたりせず、可能な限り新鮮なリアクションをとること。
『相手の得意分野に詳しくない』という点を、逆に利用するわけだ。
例えば図書委員さんなら、本の話だ。
『知らないから教えてよ』と話を振り、相手が答えたら、『へえ~そうなんだ、すごいじゃん!』と感心してみせる。
それで大抵の人間は、満足して気を許してくれる。
なぜなら誰だって、誰かに自分の話を聞いて欲しいから。
自分の気持ちを伝え、それに共感されれば、理解してもらえたという喜びを感じるから。
それを取っ掛かりとして、徐々に仲良くなっていくのである。
ただそこからの話の広げ方は、臨機応変だ。
さらに深掘りしたり、途切れたところで新しい話題を提供したりの、経験とセンスが物を言う作業である。
まあ相手がぼっちであれば、そう苦労することもないが。
とにかく俺は、そんな感じで図書委員さんと接していた。
そうやって俺が、彼女と関わりを持ち続けた理由。
それは同情と言うか哀れみと言うか、そういうお情けじみた気持ちも、確かにかなりあったのだが。
しかし今になって考えてみると、本当はその行為を通じて、優越感を得たかったのかもしれない……とも思う。
要するに俺は、ぼっちと自分を対比することによって、自身のコミュニケーション能力の高さを実感したかったのだ。
そうやって己の優位性を認識し、自尊心を補給していたのだろう。
あらゆる自信を失い、自分が特別な人間ではないと思い知らされた今なら、それがよくわかる。
もちろん悪意は全く無かったし、楽しませるつもり満々だったのだが。
相手を見下している部分は、確かに結構あった。
そこは改めて考えてみると、ちょっとばかり反省すべき点である。
もっともそんな失礼な俺にさえ、図書委員さんはいつも普通の態度だった。
どんな話題も黙って聞いてくれたし、帰れと突き放してくることもなかった。
俺がますます調子に乗ったのは、まあ言うまでもない。
だからか次第に、俺は彼女との語らいを、心から楽しむようになっていった。
おそらくは、他の友達のように気を遣わなくて済む、というのが大きかったに違いない。
空気を読む必要が無いので楽だった、と言い換えてもいいだろう。
その結果として、俺が図書室に通う頻度は、徐々にだが増していった。
他の友達と過ごす時間が、いくらか減ってしまうくらいに。
まるで休憩所のように、彼女のことを利用していたのだ。
そんな今までにない振る舞いが、何か引っ掛かりでもしたらしい。
俺はある時、いつも行動している男友達の一人から、突然こんな事を言われた。
『柳井。お前最近、付き合い悪いよな』
俺としては当然、戸惑うばかりだった。
だって確かにそいつの指摘通り、一緒に遊ぶ時間が多少なりとも減ってはいたが。
しかし誘いを断るようなことはなかったし、接する際の態度を変えてもいなかった。
基本は何もかも、今まで通りにしているつもりだったのだ。
だから俺は、その言葉を深刻には捉えず――
『え? そんな事ないって~、何言ってんのさ』
まともには取り合わず、そのまま普段の生活に戻ってしまった。
相手がそう言われて、少しだけ表情を歪めたのに気づくこともなく。
するとその、トラブルと呼ぶにはあまりに些細な出来事をきっかけに、俺の身の回りに変化が生じた。
具体的には友人達が、なぜか皆、ほんの少しだけよそよそしくなったのだ。
例えば用事があって連絡しても、やたらと返事が遅かったりとか。
みんなで遊びに行くのに、俺だけその予定を知らされなかったりとか。
大人数で話している時に、俺が喋り出すと場の空気が凍りついたりとか。
そんな不可解とも言えるすれ違いが、ほぼ毎日のように繰り返されたのである。
一応その現象は、直接指摘すればすぐ解決した。
連絡忘れについてはちゃんと謝ってくれたし、凍った空気もあっさり元に戻った。
深刻な問題にはならなかった、と言っていいだろう。
しかし結局はまた、何度でも似たような異変が起きるので、違和感は日に日に強くなった。
ひょっとして俺、みんなから仲間外れにされているのでは、などと疑ってしまうくらいに。
当然その想像に、俺は震え上がった。
友達がいなくなる、という未来に恐怖した。
自分は孤独に耐えられる人間ではない、と自分で理解していたから。
だからあらゆる手段を使って、彼らの仲間に戻ろうとした。
細かく気配りしたり、場の盛り上げ役に徹したり、面倒な仕事を引き受けたり。
とにかく必死に、ご機嫌とりまがいの努力を続けていったのだ。
結果として無事、そのアピールが実ったのか、しばらくして関係は修復された。
また以前と同じく、みんなが普通に接してくれるようになったのだ。
その反動で、俺が泣き出しそうになるほど安堵したのは言うまでもない。
ただ一方で、心にはわだかまりが残った。
俺達は皆、気の合う仲間ではなかったのか。
一生続くとさえ思えた絆は、いったいどこに行ったのか。
それはこうも簡単に崩れ去ってしまうほどの、脆く儚いものだったのか。
どうしたって、そう首を傾げずにはいられなかったのである。
そしてその悩みの果てに、俺は図らずも、ひとつの悲しい発想に到達してしまった。
『俺は本当に、彼らと友達だったのだろうか?』
本当に俺とあいつらの間に、友情なんてあったのだろうか。
ひょっとしてただ単に、互いを利用していただけなのではないか。
だから少しのすれ違いで、こうもあっさり関係が揺らいだのではないだろうか。
突如、そんな疑問に囚われてしまったのだ。
実際考えてみれば、俺達の関係には、友達と呼ぶには不自然なところが多々あった。
例えばいつだって共に行動し、他の誰より仲良くしてはいたけれど。
その一方では、互いに機嫌を損ねないよう、慎重に配慮し合ってもいた。
あまり気を許していなかった、と言い換えてもいいだろう。
また場を盛り上げるために、友達の一人をイジることは良くあったが。
それを相手がどう感じるか、ということは最初から考えてもいなかった。
こう言われたら傷つくかもしれない、みたいな思いやりはさっぱり無かったわけだ。
それに加えて、嘘をつくことも平気でしていた。
悪意の無いイタズラじみたものから、客観的に見れば嫌がらせと呼べるものまで。
そこに対して、ためらいを抱くようなことはほとんどなかった。
もちろんその嘘の中には、仲の良さゆえのからかいや、人間関係を保つのに必須なものもあったのだが。
しかし当然、全てがそうだったわけでもない。
誠意や信頼が皆無だった、という事実に変わりはないのである。
さらに言えば、実のところ俺があいつらにされたようなことは、俺も誰かにした経験があった。
自分達のグループを最優先せず、別のグループへ浮気した相手に、他のメンバーと共に制裁を加えたのだ。
『仲間外れ』という、自分がやられたら何よりつらいであろう、ひどい手段を用いて。
なぜなら相手のその行動により、自分が無視され馬鹿にされたような気分になっていたから。
また自身のグループの人数が減れば、いつか自分が孤独になるかもしれない、という不安があったから。
それで離反する者に対し、過敏とも言える対処をしてしまったのだろう。
無論それらは全て、自分のためにしていたことだ。
仲間に気を使うのは、多数派から追い出され、自分が孤独な立場にならないよう備えているから。
誰かを傷つけても平気なのは、傷つけた相手の苦しみよりも、自分の楽しみを優先しているから。
他人を平然と騙すのは、その人に対して真摯に接しよう、という気持ちが皆無だから。
自分を無視した相手に制裁を加えるのは、そうやって己の強さを誇示し、自尊心と立場を守りたいから。
俺は自分の『友達』のことを、そんな風に扱っていたのだ。
それは果たして、本当に『友達』と呼べるようなものなのだろうか。
そう俺にしては珍しく、自分について深く考えてみたところ、やはり同じ結論が出てしまった。
俺は本当は、彼らと友達ではなかったのかもしれない、と。
仲間ではあっても、味方ではなかったのかもしれない、と。
親しくはあっても、信じ合ってはいなかったのかもしれない、と。
友達を『必要』としていただけで、『大切』になどしていなかったのかもしれない、と……
それはもちろん、気持ちが落ち込んでいる時に湧いた、極めてネガティブな考え方ではあったのだが。
しかしこんなことはあり得ない、ただの被害妄想だ、とはっきり否定することもできなかった。
物の見方というものが、根本的にひっくり返ってしまったのである。
そのせいで俺は、未だかつてないほど精神が不安定になった。
以前のように『友達』と遊んでいても、同じ満足感が得られなくなったのだ。
周りの人間を信頼できず、常時心に負担を感じるようになっていたから。
そんな苦しい心理状態は、俺の人生哲学にも影響を与えた。
ずっと『楽しければそれでいい』と思っていたのが、『こんな苦しいのはもう嫌だ』に変わったのである。
生きていく上での優先順位が入れ替わった、と言うべきだろう。
結果として、『何か支えが欲しい』『自分を裏切らぬものが欲しい』『安心して日々を過ごしたい』……
そんな風に、強く願うようになっていた。
だからか俺の足は、ごくごく自然に、とある場所へと向けられた――
『あ……柳井君。ふふ、今日は何のお話ですか?』




