Section-6
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「二人でここから逃げ出そう、ユキコ」
情熱的な眼差しでこちらを見つめながら、いつになく真剣な口調で、彼は私にそう提案してきた。
まるでそれが、人生を懸けた愛の告白であるかのように。
その際、下の名前で私を呼んだのは、この話を他の人間に聞かせるつもりがないからだろう。
秘密の話だと示すために、あえて二人だけの時に使う呼び方をしたのだ。
つまり先ほどの言葉は、冗談抜きの本音ということなのである。
ただその真剣さに対し、私は呆けたように聞き返すことしかできない。
発言の意味合いが、すぐには掴めなかったから。
「え? 逃げるって……え? ……どこに?」
彼がそれに返してきたのは、最低限の答えのみだ。
「月だよ」
そのせいで結局、詳しい事情はわからずじまいだったので、私は似たような質問を返したのだが――
「月って……『アヴァロン』とかいうところまで逃げるってこと?」
そこに彼は、なぜかひどく焦った口調で、自らの考えを告げてくる。
「ああ、そうだ。そこまで行けば、安全が確保できるはずだからな。
こんな所にいたら、いつ戦いで命を落とすかわからないし、今すぐにでも逃げなきゃならないんだ。
ほら、さっきだって危ないところだっただろ?」
ただ私がその主張に返せたのは、戸惑いに満ちた曖昧な回答のみだった。
「それは……そう……かもしれないけど……」
なぜなら話が性急過ぎて、まだ頭の中でうまく処理できていなかったから。
とにかく少し、落ち着いて考えたかったのである。
そこでとりあえずの時間稼ぎにと、ひとつ浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「でも、ミツル君……どうやって?
どうやって月まで行くつもりなの?
それは無理、って話になったんじゃなかったの?」
すると満君は、何かためらうように、軽く視線をさまよわせてから――
「それは……その……だな」
次いで完全に初耳となる、驚くべき情報を教えてくれた。
「……実はあの母艦には、俺達の機体でも扱える、長距離移動用のブースターが積んであるんだ。
あ、ブースターってのは、ええと……使い捨ての乗り物みたいな感じかな。
それを使えば、計算上は普通に月まで行けるはずだ。
要するに手段はある、ってことだよ」
私は当然、慌ててその真偽を確かめたのだが――
「えっ……! 長距離移動用、って……そんな物があるの?
しかも月まで行ける……本当に?」
彼からは、思った以上にしっかりした答えが返ってくる。
「ああ。そういう物があるのは確認済みだ。
もちろん実際に月まで行けるかは、やってみないとわからないんだが……
まあそのための装備なんだし、大丈夫だと思う。
……いや、絶対に大丈夫だ!」
どうやら予想の類いではなく、出所のしっかりした情報であるらしい。
詳しい経緯は不明だが、満君は自分の目でそれを確かめたようだ。
これは本当に、期待ができる話なのかもしれない。
しかもそれに続けて発した、安全性に関する私の懸念さえ――
「で、でも……確か勝手に月まで行っても、命令違反で殺されちゃう、って話じゃなかったっけ?」
彼は即座に、淀みなく解決してしまった。
「それも大丈夫。
だってまず、母艦から離れれば倉田の手は届かないだろ?
加えて月の連中の方も、今は脱出の準備に手一杯で、こっちに構ってる余裕なんて無いはずなんだ。
つまりはうまくやれば、十分に逃げ切れるんだよ」
自信に満ち溢れた、かなり断定的な口調だ。
彼が本心からそう思っている、というのがひしひしと伝わってくる。
おかげで私の心にも、成功の見込みはある、という強い気持ちが湧いてきた。
ゆえにすかさず、彼の主張へ素直に同意する。
「すごいね……それなら、本当に行けそうだね」
そんな私の反応を見て、満君の口調はさらに明るいものになった。
「そうだろ? やればできるんだって。
何も倉田の記憶を取り戻すとか、わざわざそんな面倒なことはしなくていい。
思い切って逃げればそれでいいんだ。
そっちの方がずっと、生き延びられる確率の高い方法なんだよ」
調子が良いというか楽天的というか、そういう雰囲気が話し方の随所に漂っている。
まるでいつもの明るい彼が、突然戻ってきたかのようだ。
私としては無論、喜びを感じずにはいられない。
その前向きな感情に押されて、次いで私は至極当然の行動に出た。
満君の教えてくれた情報を、みんなにも伝えようとしたのだ。
そうすれば、誰もが助かると思ったから。
「じゃあ、じゃあみんなにも教えてあげないと!
それで全員助かるよね! すぐ教室に……」
しかし彼は、なぜかそれを押し止めてきた。
「待て!」
そして直後、やたらと固い口調で、ひどく不可解な事を言い始める。
「みんなには……言えない。俺達だけで行く」
もちろん私は、その言葉が不思議でならなかったので、すぐ詳しい理由を尋ねた。
「え……? なんで? なんで言わないの……?」
満君はそれに、しばし苦しげな表情で黙り込んでから、観念したように答えてくる。
「……そのブースターっていうのが、ひとつしかないからだよ。
しかも定員は二名までで、クラス全員が使うには足りない。
たぶん倉田が自分用に準備した物だから、そうなっているんだと思うが……
とにかく、それを奪って逃げる以上は、俺とユキコの二人が限界なんだ」
どうやらそのブースターとやらは、数に相当限りがあるようだ。
だから確実に自分達が使うため、みんなにその存在を教えることはできないらしい。
つまり彼の提案は、クラスメイト達を見捨てて二人だけで逃げよう、というものだったのである。
そんな自身の発言が重かったのか、彼は次いで、弁解交じりの懇願を始めた。
「いやもちろん、みんなを見捨てていくみたいで気が咎める、っていうのはわかるんだが。
でも他に方法が無いんだ。
確実に助かるためには、もうこうするしかないんだよ。
頼む、わかってくれ……」
そこで満君が言わんとしたことは、私にも良くわかる。
それが現状で、一番生き延びられる確率の高い方法、という事実は理解できたのだ。
加えて彼が、陰で密かに努力をしていた、というのも伝わってきた。
でなければこんな、志藤さん達でも知らぬような、貴重な情報を得られるわけがないのだから。
きっと二人の未来ため、必死に調べてくれたのだろう。
それは私にとって、いくら感謝しても足りないくらいの嬉しいことである。
でも――
(……そんな事、できないよね)
それでもやはり、彼の提案を受け入れることはできない。
例えその方法が、生き延びるための唯一の希望であろうとも。
なぜなら私には、みんなを見捨てて自分達だけが生き残る、なんて思い切った行動はとれないから。
単純にそれを『怖い』と感じ、実行には移せなくなってしまうのだ。
そういう心が痛むような道を、自らの意志で選び取る度胸が無い、と言い換えてもいいだろう。
また自分の数少ない友人――マキちゃんを失うのが怖い、という理由もある。
彼女がいなくったら、他に友達を作れる保証など無い、と本気で恐れているがゆえに。
要は善意や理性ではなく、臆病さと消極性による選択なわけだ。
多少情けない気もするが、しかしおかげで道を踏み外さずに済むのだから、今はその自分の小心さに感謝したい。
それに話を聞く限りでは、まだ諦めるには早い、という気もした。
今まで知らなかった情報を、満君のおかげでたくさん知れたからだ。
それをみんなにも教えて、全員で一生懸命に考えれば、別の方法が見つかるのではないか……と思っていたのである。
そこで私は、満君を説得するため、自らの想いを伝えようと口を開いた……のだが――
(……あ、れ?)
その寸前で、ふと猛烈な違和感を覚える。
ようやく頭の整理がついたことで、今まで見過ごしていた、不可解な事実に突き当たってしまったのだ。
それは彼の話の中にある、どうしても説明がつかない部分。
基本的で根本的で、本来なら最初に確認しておかねばならなかった事情。
(これって……まさか……)
私はそれを、次いで思わず口に出してしまう。
言わない方がいいと、心のどこかでわかっていながら、しかしどうしても抑えきれずに。
自分のした想像が、あまりにも恐ろしいものだったから。
「なんで……? なんで、知ってるの……?」
そしてその言葉を聞いて、怪訝そうに眉をひそめる満君に対し、自らの抱く悲しい疑問をぶつけた。
「長距離用のブースターがあるとか、月の人達が脱出の準備に精一杯とか……満君は、なんでそんな事を知ってるの?
誰から聞いたの? どうしてそこまで断言できるの?
ミツル、君……?」
するとその瞬間、彼の顔がはっきりと硬直する。
同時に私を見ていた瞳が、内心の動揺を示すように、あちこち忙しなく動き回り始めた。
暴かれたくない秘密について問われ、精神的に追い込まれた、というのが明らかな態度だ。
私はそんな彼の姿を、無言でじっと見つめる。
押し寄せる不吉な予感に、心を丸ごと呑み込まれそうになりながら。
胸の内では、自分の考えていることが間違いであって欲しい、と必死で願っていた。
彼はその私の視線を受け止めつつ、しばし逡巡してから、何とか答えを絞り出していたのだが――
「それは……そのだな……つまり……
密かに調べたっていうか……何て言うか……」
途中で重圧に耐えかねたのか、声を荒らげて、強引に話を打ち切ってしまう。
「……いや、そんな事はどうでもいい!
とにかくそれが一番なんだ! その方法しかないんだ!
だからもう行くぞ!」
そして直後、私の手を取り、力任せに引っ張りながら歩き出した。
有無を言わさず強引に、宣言通りレクリエーションルームへ向かって。
私は突然のその暴挙に、悲鳴を上げ抵抗する。
「痛……痛い! 待って……待って、ミツル君!」
しかし彼は、一切聞く耳を持ってくれない。
振り向くことすらなく、黙って歩き続けるのみなのだ。
頑なな意志を感じさせる、力強く荒々しい足取りで。
このままではきっと、無理やりにでも連れて行かれてしまうだろう。
そこで意を決して、再度叫び声を上げつつ――
「待って!」
私は無い力を振り絞って、何とか彼の手を振り払った。
それから呼吸と、自分の気持ちを落ち着かせながら、心を込めて懇願する。
せめてもう少し考える時間をください、と。
「ちょっと待って……お願い……
少し……少しだけでいいから、待って……」
彼はそんな私を見て、苦しげに唇を噛んでから、すぐ説得に移ったのだが――
「……気持ちはわかる。
でも頼むから急いでくれ。もうそれしかないんだよ。
すぐに行かなきゃ――」
結局そのセリフを、最後まで言い切ることはできなかった。
突如それを遮って、辺りにどこか皮肉げな呼びかけが響き渡ったから。
「へえ……いったい、どこに行く気なんだ?」




