Interlude
更新履歴 21/10/16 文章のレイアウト変更・表現の修正
あの雨の日に訪れた、運命と呼ぶにはあまりにも軽い出会いの後、柳井君はたびたび図書室に現れるようになった。
今と何も変わらぬ、本当に適当極まりない調子で。
『や~、来ちゃった! みたいな感じで。
どう? 調子の方は。
図書委員さんは楽しくやってる~?』
そして特別何をするでもなく、ただただ脈絡の無い話をして帰っていった。
どういうつもりかさっぱりわからない、と困惑する私を置き去りに。
つまり出会った当初から、私は彼に振り回されていたのである。
しかし不思議と、嫌な気分にはならなかった。
静かな時間を邪魔する厄介な存在、とは感じなくなっていたのだ。
彼のどうしようもない騒がしさは、以前と何ひとつ変わっていなかったというのに。
なぜ私の心境が、そういう風に変化したのかはわからない。
ただまあきっと、人との関わりに飢えていたとか、あるいは自分を覚えていてくれたのが嬉しかったとか、そんなような話だろう。
元の友人の少なさゆえに、その程度でも舞い上がってしまったわけだ。
それを図書委員らしく、故事成語を引いて解説するのなら、『飢者甘食』というところだろうか。
お腹が減っていれば何でも美味、という意味の熟語だ。
我ながら呆れるほど単純な反応だが、とにかくそういう心持ちでいたのである。
だから最初に会った時、彼に頼まれた仕事――『読めそうな本を選ぶ』というあれだ――にも、少ない知識を総動員して取り組んでみた。
自分の個性を活かした作業が、誰かに認めてもらえるかもしれない、という可能性に心を踊らせながら。
もっとも残念ながら、そうして選んだ本で、彼が喜んでくれることはなかった。
『え、本……?
あ、ああ~、そういやそんなこと頼んでたね~。
ありがとありがと』
その話題を持ち出した時の、向こうの曖昧な反応から、それは明確にわかった。
おそらくは、頼み事自体を忘れていたに違いない。
私の努力は、完全な空回りに終わったと言っていいだろう。
それでも私は、十分に満足していた。
他人のために働く、というこれまでにない体験が、日々の生活に張りを与えてくれていたから。
要は柳井君のおかげで、珍しく充実感のようなものを得られていたのである。
無論、彼はあんな人だから、相手をするのが面倒になることも多かった……が、それ以上の満足感があった。
普段は静かで、たまに柳井君というスパイスがある毎日を、私は楽しく過ごしていたのだ。
最終的にはむしろ、その来訪を心待ちにしてしまうくらいに……
ただし、そのゆるく穏やかな日常は、ある時またもや劇的に一変した。
その発端は、いつも通り図書室で喋っていた時、突然柳井君が――
『そういや~さ~。図書委員さんって、いつもここで独りで本読んでるけど――』
全くの予想外な上、私にはどこまでも縁の薄い、とんでもない質問をしてきたことだ。
『彼氏とかいないの?』
それに私は、当然のように慌てふためき――
『は!? え……? か、かれ……し……?』
『え? いるの? 意っ外~』
続いた彼の確認に、つい正直に答えてしまった。
『い、いません! そんな人!』
すると彼は、妙に含みのある口調でそれに応じた。
『ふーん……そうなんだ』
その瞬間、私の頭の中では、勢い良く妄想が渦巻き始めていた。
これはどう考えても、告白される流れなのでは?
朝倉さん、実は俺あなたのことが……みたいな話が、これから始まるのでは?
そういう期待が、胸の中で一気に膨らんでいったのだ。
なぜならこの状況が、おそろしくメジャーなシチュエーションだったから。
今まで無数に接してきた、あらゆるフィクションにおいて、さんざん触れてきたやり取りだったのである。
ついつい愚かな予測をしてしまうのも、まあ無理からぬ反応と言えるだろう。
とは言え無論、心のどこかではわかっていた。
あれはあくまで作り話であり、現実にはそうそう起きたりなんかしない、と。
いくら夢見がちな私でも、そのくらいの分別はあったのだ。
よってすぐその妄想を振り払い、私は冷静さを取り戻したのだが。
しかしそんな努力は、次いで呆気なく無駄なものへと変わった。
『じゃあさあ、じゃあさあ……いっそ俺達、付き合っちゃう?
俺も今、彼女いないし。
それに俺、図書委員さんのこと結構好みだしさあ。
意外にいいと思うんだよね~、どう? どう?』
なんとあり得ないはずの妄想が、突如現実のものとなってしまったのだ。
フィクションの世界が、そのまま本の中から飛び出してきたかのように。
もちろん理想とは遠くかけ離れた、ひどく軽々しい上に、ひと欠片の誠意も感じない口説き文句ではあったのだが……
とにかく、好意を伝えられたことに違いはない。
つまりは男性から、生まれて初めて愛の告白を受けたのである。
ただし当然、全く経験の無いことゆえ、私は激しく動揺した。
そのせいでつい、彼の告白に対して、何とも曖昧な答えを返してしまった。
『……き、急に言われても、困ります……』
すると彼は、それにひどく暗い口調で応じた。
『あ、そう……ま、そうか……そうだよねぇ……』
予想以上に落ち込んでしまった、というわけだ。
私に告白を断られて、彼なりに結構ショックだったらしい。
せっかくの気持ちを無駄にした上、心を少なからず傷つけた、と言い換えても良いだろう。
その事実に、私は心の底から怯えた。
だってこの一件のせいで、二人の関係が悪化するかもしれないから。
それにより彼が、もう図書室へ来なくなってしまうかもしれないから。
そういう未来に対し、自分でも驚くほどの恐怖を抱いたのだ。
それはきっと、偶然得られた希少な友人を、どうしても手放したくなかったからだろう。
充実感のある生活、という得難い幸福を失いたくなかったのだろう。
そう、私は自分でも気づかぬ内に、独りには戻れない精神状態になっていたのだ。
ゆえに慌てて、彼を引き止めるため、その場を取り繕おうとしたのだが――
『あの、いえ、ですから……』
結局は、いかにも私らしい、おそろしく煮え切らない返事をしてしまった。
『……急じゃなかったら、その……そんなには、困りません……けど……』
ただ意外にもその瞬間、柳井君は急に表情を明るくして――
『マジで?』
私の度肝を抜く、あまりにも彼らしい、ポジティブ過ぎる回答を返してきた。
『じゃあこれから、毎日言うわ!』
そしてそれから、本当に毎日、会う度に告白をしてきた。
『図書委員さ~ん、俺と付き合おうよ~』
『まだダメ? 今日もダメ? ざんね~ん』
『愛してるぜ、雪子。……なんつってな~。どう? どう? 今のカッコよかった?』
もっともその言い方が軽く、真面目さが全く無かったので、容易に信じることはできなかった。
やっぱりからかっているだけなのかな、と思ってしまうことの方が多かった。
彼の言葉は、私の心に全く響いていなかったのだ。
それでも、邪険にはできなかった。
単純に、そう言ってくれること自体が嬉しかったから。
他人の好意を感じる、という体験に心揺さぶられていたから。
要はこれほど言うのだから、柳井君も本気ではあるんだろうな、と思うようになっていたのだ。
言葉は響かずとも、行動の方は強く響いていたのである。
これはそろそろ、告白を受け入れてたっていいかもしれない……なんて、心境が変化してくるくらいに。
もちろん彼は、私の理想の王子様なんかではなかったけれど。
夢に描いていた相手とは大違いの、何やらひどく薄っぺらい人だったけれども。
しかし変わり映えの無い私の生活に、新しい風を取り入れてくれたのは事実である。
私はそんな柳井君を、自分に新鮮な何かを与えてくれる人として、いつしか強く求めるようになっていた。
最終的には、騒がしい厄介者から、側にいて欲しい人に変わっていたのだ。
だからさんざん、優柔不断に迷い抜いた挙げ句、私は――
『ようし! 今日こそだ!
図書委員さん、俺と付き合おうよ!』
『……はい、お願いします』
彼の三十四回目の告白を受け入れた。




