バスで登校
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ぱたぱた……。パタパタ……。キッチンとダイニング、それに洗面所が賑やかな雰囲気。
理恵果と美香里の足音だ。洗顔をしてから制服に慌しく着替えて髪型を整える。理恵果は髪ゴムで低めの高さのポニーテールにしている。私は、両側の耳の下辺りで髪ゴムで留めて2つくくりにする。耳の上で結んだり、高くポニーテールをすると男子生徒の欲情をそそらせるからという理由で、校則では普段の学校生活では禁止されている。私立なら、もっと緩い校則だろうし、私たちのような地味な制服じゃなく、スカートのデザインが可愛かったり、色んなセーターなどのバリエーションも多いらしくて少し羨ましい。まぁ、公立高校だから仕方ないっていえばそうだけど。
「みかりん、パンが焼けたよ?」
「ありがとう、りえりん。はい、カフェオレ」
「ありがと。みかりんはオレンジジュース?」
「うん。なんか酸っぱいものが飲みたいの」
「ほぉほぉ。ふぅん……」
「なぁに?」
「なんでもない。オレンジジュースもいいなぁ」
「じゃあ、はんぶんこする? お腹のなかでミックスジュースになっちゃうけど」
「あ、そんな歌あったね」
「ちっちゃい頃になんかよく聴いたような……」
「うん。テレビの前で一緒に踊ってた、ふふ」
「あはは。そうだっけ、りえりん」
「うちらは小さいときから、よく一緒に遊んでたりしたよね。小学校も中学も、そして高校も一緒だし。幼稚園の時に、みかりんってば鉄棒で、めっちゃぐるぐる回ってるんだもん。あの時はすごいなぁと思った」
「あはは。鉄棒はどういうわけか得意で、くるくる回って、そして鉄棒から降りた後にふらついて転んだりね」
「みかりんは程度っていうのが無くて、何でも一生懸命にがんばってたよね?」
「うん。それって良いことなのかな」
「いいんじゃない? 一生懸命になれるのは、良いことだよ」
「でも、度を越すこともあったからなぁ」
「そういう時は、私がよく面倒みてたからね。みかりんが幼稚園の教室で、はしゃぎまわって机の角に頭をぶつけて血が出た時は、ほんとびっくりした。死んじゃうかと思った」
「あはは。私、わんわん泣いてて先生たちが『肉が見えてる』とか言っててびっくりしてたっけ。ふふ、そんな事もあったなぁ……」
「それから病院に行って注射をしてもらったんだっけ」
「うん。頭の怪我を治してもらって、何かお尻に注射されたけど。私、その時に全然泣かなかったんだって」
「みかりんは我慢強いところもあるね」
「我慢しすぎるのも、なんだけどね」
私の前髪の生え際から3cm後ろくらいの所には、髪の生えていない所が線を引いたように2cmくらいあって、そこだけ頭皮が白く見えている。きっと毛根の細胞ごと無くなっているんだろう。
小さい体なのに、とてもすばしっこい私はやんちゃで、かけっこも男の子に負けないくらい足が速かった。ただ、マラソンとかは苦手で後ろから数えたほうが早いくらいだったけど。
結局、ミックスジュースにはならずに、私たちは自分の飲み物を飲んで、クルミののったパンを頬張ってもぐもぐしてから、ごちそうさまで朝食が終わって私たちは食器を洗って片付けた。
それから歯を磨いて、リップを唇に塗って乾燥対策をして、姿見で格好を確認する。よしっ、オッケー。
廊下を歩いて玄関で靴をトントンして履く。まだ1年使ってないローファーは黒く綺麗に光を放っている。戸締り、電気の消し忘れはチェック済みだ。スマホも充電100%。
「みかりん、本宅に挨拶してから学校に行こう?」
「はーい。もうお昼近い事を言われないかな?」
「大丈夫だよ。気にしない気にしない」
「うんっ」
ヒューと風が開けた玄関のドアから足を通っていく。だいぶ涼しくなったなぁ。もう少しで理恵果の誕生日だなって思った。
「理恵果の誕生日って、もうすぐだよね」
「うん。そうだね」
「何かお祝いとかしたいね」
「したいねぇ」
「ちょっと考えとく」
「あはは、ちょっとだけ?」
「うん。ちょっとだけ、うふ」
「なんだろうなぁ」
本宅に着いたのでピンポンを押すと、しばらくして千津叔母さんがドアを開けて「おはよう」と声をかけてくれる。時間のことなんて、何も思ってないような笑顔だった。
「おはよう、おばさん」
「おはようございます、叔母さま」
「2人で学校に行くのね。気をつけて行ってらっしゃいね」
千津叔母さんには、理恵果から私の境遇については話してもらってある。それを分かってるから、私の事を実の娘のように扱ってくれている感じがすごく嬉しかった。
挨拶が終わってから、家の門を開けて閉じて通学をする。普段は自転車なんだけれど、今日は少し体がだるいので普段は使わないバスで行くことにした。理恵果も寝不足だしね。
バス停まで2人は、ぺちゃくちゃとしゃべりながら歩いた。私は通学バッグを背中にしょっていて、理恵果は赤い通学リュックに、くまちーの小さいぬいぐるみを付けている。んむー、私も何かサリサリのを付けたいけど、あれは普通の町のお店には売ってないからなぁ……。
「りえりんのリュックのくまちーのぬいぐるみ、かわいいね」
「うん! くまちー好きだから。みかりんは何も付けてないけど?」
「うん……。サリサリはお家に忘れてきちゃったから」
「取りに行きたい?」
「行きたいけど……。ちょっと怖い」
「そっかぁ。私でよければ一緒について行くけど?」
「うーん……。どうしようかなぁ」
歩きに合わせて小さく揺れる理恵果のくまちーを見つめながら考える。いいなぁ、サリサリを通学バックに付けたいなぁ。一応自宅の鍵は持ってきている。理恵果が一緒に居てくれるなら、学校帰りにシュパパって、すばやく家から持ってくるのもアリかな。
「それじゃあ……お願いしてもいい?」
「アイス、ね」
「はいはい」
バス停に着いて、バスが来るのを待つ。風はもう秋の冷たさだ。膝が隠れるくらいのスカートが少し風に揺れる。たとえ強く吹いて、もしもスカートがめくれても黒パンを履いてるから下着が見えることはない。
車道を通る車を何となく見つめながら、バスが来るのを待つ2人。バス停には私たちしかいない。こんなお昼近くに制服姿の2人が立ち止まっているのは確かに目立つかな。
時々、車の運転手がこちらの方をチラリと見ていく。だいたい男の人だ。その視線の意味を私たちはよく知っている。どうせ顔やら足やら、色々見ているんだろう。車に乗っているのに、よく瞬間に見れるものだよね。
昔は、やたらと丈の長いルーズソックスというのが流行っていたらしい。どうなんだろう? それってかわいいのかな? よく分からない。うちらの靴下は、黒色で足のくるぶしが隠れるくらいの高さのもの。喪服に見えなくもないくらい地味だ。まぁ、冠婚葬祭の時には制服なんだから、それはそうね。ちなみにお母さんが学生だった時は、靴下を三つ折りにする校則だったらしい。うーん、三つ折りって何かお嬢様って感じがする。そんな事を考えていたら理恵果が口を開いた。
「みかりん。なんか通り過ぎる車の窓から、時々視線感じるね」
「うん。きっといやらしい目で見てるんだよ。私の足なんか見て面白いのかな?」
「みかりんの足は私より細くてずるい」
「えぇ? りえりんくらいのが健康的でいいと思うけど?」
「そうかなぁ。自分ではよくわからないや」
「だよね」
「でも、みかりんのひざ小僧はキレイだと思う」
「毎日ひざとか、かかととかに薬用のボディクリームを塗ってるからかな」
「出た。お手入れに余念の無いみかりんの美意識! 女子力高すぎるよ~」
「あ、バスが近づいて来たよ?」
「本当だ。んしょ」
通学リュックを背負いなおす理恵果。私も通学バッグのつかみ手を握り直す。
バスがバス停に停まった。プシューという音がして扉がガラガラと開く。ノンステップバスだ。私たちはバスの真ん中の開いた扉から乗って、一番後ろの席の端に並んで座る。
この町は地方の田舎なので、都会のような電子カード式の支払いが出来ない。よくドラマとかでピッってするのに、実は憧れている。整理券を取って、印字された番号にあわせた金額をお財布から出して運賃箱に入れる昔のシステムらしい。
扉が閉まってバスが動き出す。駅まで20分くらい。そして駅のバスターミナルから学校直通のバスに乗り換える予定だ。窓際の理恵果は、まだちょっと眠たそうだった。
「りえりん、眠たい?」
「うん……。ちょっと」
「私が起こすから、少し目をつぶってたら?」
「ん。そうするー。ありがと、みかりん」
瞳を閉じて力を抜いたのか、理恵果の頭が私の肩に凭れ掛かる。それを見て、私は心の中で「ごめんね、ありがとう」と呟いた。寝不足の原因は私にあるから。ちょっとでも楽にしていてくれたらいいな。
バスの車内アナウンスの電子音声がお知らせをする度に、乗る人と降りる人がいる。このお昼近い時間だと、席は割りと空いている。おばあちゃんとかのお年寄りが多いかな?
私は流れていく景色をぼうっと見たり、スマホを触ったりしている。しばらくバスに揺られて駅へ向かう。
「次は終点、○○駅です。ご乗車ありがとうございました。終点、○○駅です」
電子音声が到着する旨を機械的に告げる。理恵果を起こさないと。
「りえりん。理恵果? バス着いたよ? 降りるよ、起きて?」
「う……ん。ありがと、みかりん」
バスを降りる支度をする。普段は自転車なのでバスの定期などは持っていない。ええと、300円ってことは、いくらだろう? 理恵果の離れからバスに乗るのは、初めてなので分からない。
「りえりん、バスのいくらかな?」
「私もバスに乗るのは、すごい久しぶりだから……いいよ、300円で」
「わかった。降りる支度はオッケー?」
「うん。オッケー」
バスの運賃箱に整理券と運賃を入れながら「ありがとうございました」と運転士さんにお礼を言う。半そでからのぞく陽に焼けた逞しい腕に白い手袋をした男性の運転士さんは「ありがとうね」と言い返してくれた。理恵果は少しうつらうつらしながら、運賃を支払う。眠そうなのを察したのか、何も言わずに運転士さんは軽く頭を下げた。
バスを降りるともう駅前だ。お昼前の駅前は、いろいろな人が行き交う。私は理恵果の手を引きながら乗り換えるバスターミナルまで歩く。途中、制服を着た女の子が見えた。セーラー服だから中学かな?
その時、私は何故か気分が悪くなった。自分でもよく分からない。ただ、セーラー服の襟を見たら気分が落ちた。どうして?
顔をぶんぶんと振って気持ちを振り払う。2つくくりの毛束が左右に揺れる。
背中の通学バッグを背負い直して、私たちはバスターミナルに停まっている高校行きのバスに乗る。こっちのバスはさっきのと会社が違う。違うので、今度は前のバスの扉から乗らないといけない。ややこしいなぁ。実際、それでお年寄りが乗り口を間違えて運転手さんに言われる。前からか、真ん中からか、一緒にしてよね。と心の中で思った。
高校行きのバスはガラガラに空いていて、私たちしかいない。それでも席は一番後ろ。後ろからの視線がイヤだからだ。
定時にバスは出発して高校までノンストップで走っていった。
学校の敷地内にあるバス停まで、理恵果を寝かせて私もちょっと目をつぶった。
駅前で見たセーラーの襟が脳裏でまだ燻っている。何故か分からないけど、私は高校がセーラー服でなかったことを心から感謝した。
時間は、もうお昼を過ぎている頃だった。