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2人で1人なうちら  作者: つつじ ももか
35/42

チョコレート

---------35----------



 それから数日後。病室で学校の宿題をしていると、ノックの音がして扉が開いた。つかおじが顔を覗かせて、手には何かを持っていた。


「やあ、理恵果。宿題か、頑張っているな」

「うん。ちょっとでも勉強しとかないとね。その手に持ってるの、何?」

「先に宿題を済ませておくといい。ほら、お菓子だ。選ぶのに迷ったがこんな感じのでいいか? 一応、美香里から好きな物は聞いておいたんだが」

「ありがとう! つかおじも気が利くね」

「ははは」


 ベッドデーブルに置かれたお菓子たちを見ると、テンションがあがって勉強のモチベーションもあがる。さっそくナッツの入ったチョコレートを食べながら宿題の続きをする。口の中が幸せで嬉しくて、思わず鼻歌なんかを歌う。


「そうして、お菓子を頬張って楽しそうにしてるのを見ると……思い出すな」

「んー……何が?」

「目元なんか、よく似ている」

「え、誰に? おばさんに?」

「いや、お前の母親の小さい頃にな」

「へぇー……えっ?!」

「まぁ、いいから続きをしなさい」

「……私の母親? 小さい頃って?」

「宿題が終わったら、教えてあげよう」

「ぶぅー……わかった」


 私と私の母親の小さい頃が似てる? もう、つかおじったら、もったいぶっちゃって。気になって集中出来なくなったじゃん。でも、話の続きを聞きたいから、仕方なくシャーペンを持ち直して問題を解き始めた。奥歯でナッツを噛み砕くと、甘い味と別の味がした。



「終わった! ふー」

「お、頑張ったな、えらいえらい」

「んー……何かつかおじ、私のこと、子ども扱いしてない?」

「実際の所、子供だしな。私の母からすれば孫娘と言ってもおかしくはないが」

「へっ?」

「まぁ、これを見れば分かるさ」

「うん?」


 つかおじが手提げ袋から、何かを取り出して私に手渡した。これって、アルバム? ピンク色の可愛らしいデザインの表紙の真ん中に「理恵果」と名前が書かれている。その下に生まれた日付、時間、体重などが記してあった。これって……。


 段々と早くなる心臓の鼓動を感じながら、かすかに震える手でアルバムをめくる。最初の見開きページには、眠っている赤ちゃんの写真が何枚か貼ってあって、大人の字で「すやすやと眠る理恵果。とってもかわいい……」などと書かれている。次のページにはミルクを飲む赤ちゃんが可愛く写っている。そのまた次のページをめくると、そこには赤ちゃんを抱いた女の人が写っている写真があった。その女の人の笑顔をみると、ドクンと胸が高鳴った。


「つかおじ、この、女の人って……」

「ああ。お前を抱いてるのは理名子だよ」

「!!」

「続きをめくっていくといい。これは、お前のアルバムだからな」

「……」


 [離乳食ごっくん出来たね][おもちゃで遊ぶ理恵果!]

 写真ごとに一言が添えられている。

 アルバムは全体的に丁寧に可愛らしく作られていて、愛情が感じられるものだった。自分の事をこんなにも大切に残してくれてたなんて知らなかった。

 最後のページには「ママのもとに産まれてきてくれてありがとう」と書かれた瀟洒な小花柄の楕円形のメッセージカードが貼られていた。

 ママ……。


「マ、マ……」

「ああ。お前に対しては、自分の事をママと言ってたな」

「……」

「理名子に会った時に言われたよ。理恵果の事を頼みます、と」

「……」


 頼みます……? 私の事を……?

 …………。

 こんな素敵なアルバムを作ってくれたのに、なんで私に暴力をふるったの?

 産まれてきてくれてありがとうって……。

 私を抱いている写真の、ママのやさしそうな目。その目を見つめていると、胸が苦しくなって、どうしようもなくて……切ない気持ちがどんどん沸いてくる。

 ママ、ママ……。

 嗚咽している私の背中を、つかおじが優しくさすってくれた。


「私と理名子は兄妹なんだよ」

「……!」

「母は同じだが、父が違う。異母兄妹じゃなくて、異父だな」

「いふ……?」

「理名子の母……お前からしたら、おばあちゃんだな。おばあちゃんとおじいちゃんの折り合いが良くなかった時期があって、その時に理名子を身篭ったらしい」

「……」

「簡単に言えば、おばあちゃん……私にとっては母だが、彼女は浮気をしてしまった。それが原因で父と浮気相手──お前のもう1人のおじいちゃんだ──の間には喧嘩が絶えなかった。そういう事があったんだ。その影響からか、母はよく理名子に当たっていた」

「叩いたりしたの……?」

「私は理名子を庇って守っていた。親同士の争いで傷つく彼女を可哀想に思った。父は違うが、兄妹には変わりないからな」

「……」

「小さい頃は、よく一緒に遊んでいた。理名子もチョコレートが好きで、舐めずに噛み砕くように食べていたな」


 つかおじの言うことは、私にとって色々と衝撃的だった。自分の上の世代で起きていた事に対して、特にママが自分の母親から暴力を受けた事に驚いていた。


「理名子は明るく優しい性格だったが、段々と荒んでいってしまった。高校生の時に今の夫──名前は高梨剛、もう離婚しているが──と出会って、交際を経て結婚したようだ。そして、その2人の間に産まれたのが理恵果、お前なんだ」

「……」

「せめて自分の子供には嫌な思いをさせたくない、そう思って産まれたお前をとても愛していた」

「……どうして? それじゃあ、どうして……?」

「さっき目元が似ていると言っただろう? これは推測だが、自分を虐げた母親のイメージをお前に投影して……そこに何かあったのかも知れない。だが、どんな理由があったとしても、お前に対してこれほど酷い仕打ちをして許される事などないんだ」

「……」



 つかおじは手提げ袋から、もう1つのアルバムを取り出して私に渡した。さっきのアルバムよりも大きめで、少し重たい。ページをめくると、幼稚園での私の写真が沢山ある。美香里と一緒に写っているものや、私とママの2人で写っているもの、それに美香里のお母さんを含めた4人が写っている写真もあった。

 園服に身を包んだ美香里と私は、仲良く寄り添って笑みを浮かべている。幼稚園以外の公園や美香里の家で一緒に遊んでいたり、遊園地へ一緒に遊びに行った時の写真もある。何だか懐かしいな……。


「みかりん……。みかりんのお母さんも笑ってる」

「理名子も美香里の母も、お前たちが幼い頃は子供を愛する普通の母だったんだろう」

「……」

「本人から聞いたのだが、夫との些細な喧嘩が絶えず、その度にお前の父は家を出ていた。そんな中でも理名子は働きながら、懸命にお前を育てていた」

「……」

「色んな事が重なって──もう自分でもどうにも出来なくなってしまったのだろう──それで身近にいる弱い存在の理恵果、お前に酷く当たったようだ。私の母が理名子にしたように、な。そして、その事を知られないように表の顔と裏の顔を持つようになった」



 つかおじは座っていた椅子を立って、窓の景色を見ている。私は話してくれた事を頭の中で整理しようとして、アルバムをもう一度じっくり見てみた。


「アルバムには、お父さんの写ってる写真が一枚もなかったけど……」

「それがどういう理由なのか、理恵果には何となく分かるだろう?」

「……」


 もしかしたら、お父さんの写真もあったのかもしれない、破って捨てたのかもしれない。目を瞑ってお父さんの顔を思い出そうをするけど、頭には何も浮かんでこなかった。2つのアルバムをベッドデーブルに置いて、自分と自分の両親について考える。そして、つかおじが言っていたママの言葉を思い浮かべた。


(──理恵果の事を頼みます──)


 ママ……。

 私をぶったり蹴ったりしたのは、わざとじゃなかったの? ママも……私みたいにお腹やお尻をぶたれたの? その時は辛い気持ちだったの? 夫婦の関係って、そんなにも壊れやすいの?

 おばあちゃんが浮気をしていたのもびっくりしたし、その浮気相手との間に生まれたママの過去にも色々と考えさせられた。そして、私はそのママの子供……。


「つかおじ、おばあちゃんは……今どうしているの?」

「おばあちゃんは、亡くなった……自害したんだ」

「えっ……」

「自分が浮気をした事で、周りに迷惑をかけてしまったと言って随分と後悔をしていた。娘の理名子にも酷い事をしてしまった、そして夫にも悪いことをしてしまったと」

「……」

「先ほどから理名子という言葉や、それにまつわる話をしてきたが……理恵果、どうだ? 前と比べて母に対する印象は変わってきたか? 入院前は名前を聞くだけで、気を失う程だったが」


 あ……そう言えば私……取り乱したり、怖い気持ちになったりしてない……。話を聞き始めた時は胸がドキドキしてたけど、それは悪いものじゃなかった。それにこうして、ちゃんと話も聞けるし話せる。意識を失っている間に、私の心の中で何かが変わったの……? おばあちゃんが自殺した……もしかしてママも?


「つかおじ! ママは自殺とかしないよね? おばあちゃんみたいに、自分を責めて……」

「そうならない為に、私は見守るつもりだ。妹だからな……」


 つかおじは窓の外を見ながら、こちらには目を向けないまま答えた。その横顔は、どこか遠い所を見つめているようだった。


「取調べを受けているって、そう言ってたよね? ママはどうなるの……?」

「執行猶予がつくかもしれないが、ある程度の処罰は免れないだろうな。まあ、一番大きい処罰はもう受けた。お前の親権……それを理名子は失った。それだけでも十分すぎるだろうな」

「……」

「自分が浮気相手から生まれたという精神的重圧……辛かっただろう。子供の頃は学校でからかわれたり、蔑まれていた。『浮気者の子供』だとか言われて、よく泣いていた」

「ひどい……そう生まれたくて生まれたわけじゃないのに……」

「おばあちゃんが自害した時は、理名子はもう心の平静を失ってしまっていて……自害の直前に書かれた遺書があって、それを形見のように大切にしていた。読んでみるか?」

「……つかおじが持ってるの? ママの形見なのに?」

「理恵果、お前にも読んで欲しいと手渡されている」


 つかおじはジャケットの内ポケットから封筒を取り出して、私の手のひらにそっと乗せた。白い封筒が少し色あせて茶色くなっている。中の手紙を手に取ると、古びた紙の匂いがして、万年筆で書かれた達筆な文面が目に入ってきた。



(前略──明日あたりから寒さも一段落するそうです。春が待ち遠しいですね。私はしてはいけない事をしてしまいました。稔さんとの仲が上手くいかず、こともあろうか稔さんの友人である弘さんに甘えてしまったのです。結果として司と理名子には辛い思いをさせてしまって……特に理名子にはきつく当たってしまって可哀想な事をしたと思っています。出来ることなら、当時に戻って育てなおしてあげたい──中略──例え父が違っていても、貴方達は私の大切な子供です。こんな事で罪滅ぼしになるとは思わないけど、司、理名子、兄妹で手を携え、元気に生きていってください。母、理江)



 自害した人、それも自分のおばあちゃんの遺書を読むのは、とても辛くて胸が痛い。ぐすぐすと泣いていると、つかおじが遺書を持つ私の手を握ってくれた。大きくて、あったかい。美香里の手とはぜんぜん違う、がっしりとした男の人の手だ。でも、少し震えているように感じたのは、気のせい?


「藤堂稔と三条弘。2人の祖父を持つのは、理恵果にとっても複雑だろう。自分の祖母が自害した事もショックだったろう。同じ思いを私も理名子もしていたんだ」

「……」

「この手紙……お前に大切に持っていて欲しいそうだ。自分の世代での事が、娘の理恵果にまで影響を及ぼしてしまってすまない……そういう想いがあるのだろう。もちろん私にもある。だから、こうして離れに住んでもらっている。お前には幸せになってもらいたい。亡き母、理江の為にも、理名子の為にも、そして理恵果自身の為にも、な」


「……私もママも、ママのママも、『理』って字が名前にあるんだね」

「ああ。今までの話は児童福祉司や警察には話してある。理名子がお前にした仕打ちは許すことの出来ない事だが、経緯は知っておいて欲しかったんだ」

「うん……大切にするね、ママの形見」

「それから、これは生前のおばあちゃんの写真だ。少し古いが、不安な時や幼児退行が起きそうな時……もう大丈夫そうだが、お守りみたいな感じで持っていてくれ」

「ありがとう……私のおばあちゃん、初めて見た。何となくママに似てるかも」

「目元がな、遺伝だな……」



 ルーズリーフの透明ファイルに、古びた懐かしい匂いのする写真と遺書を大切にしまった。退院したら、もうちょっと良い入れ物に入れなきゃ。これはママが大切にしている写真と形見の手紙なんだから。

 残りのチョコレートを音を立てて噛み砕くように食べて、それを飲み込んだ。

 今度は何だか優しい味がした。

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