2つのきもち
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「どお? みかりん。車酔いとかはしてない?」
「大丈夫。保健室でけっこう寝させてもらってたから」
「ほんとに? また我慢とかしてないよね?」
「本当に。我慢してないよ、りえりん」
ハンドルを握って運転している千津叔母さんが、ちらりと後ろを確認してから前を見ながら話しかけてきた。
「美香里さん、調子はどうかしら。もう、大丈夫?」
「はい。りえりんがずっと看ててくれたので。あっ、理恵果さんが」
「いいのよ、私の前では呼びたい呼び方で。美香里さんがみかりんで、理恵果がりえりんなのね」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「そんな敬語を使わなくてもいいのよ? 私はむしろ敬語よりも、普段の話し方で言われた方が嬉しいから」
「そうだよ、みかりん。うちらは親友だし、私はおばさんの事は本当のお母さんだと思ってるし」
「私だって、2人とも実の娘だと思っているのよ?」
車は車道を滑るように走っている。窓に流れていく景色はすっかり夜で、建物の明かりや反対車線の車のライトなどが流れてゆく。それを見ながら私は小さく呟いた。
「娘……ね」
「うん? 何か言った? みかりん」
「ただ、娘って言葉を聞いたら色々思っちゃって」
「お母さんのこととか?」
「うん」
「そういえば、理恵果も私たちの家に来て間もない頃は、複雑そうな表情をしていたわね」
「あー……。あの頃は確かにそうだった。おばさん。みかりんもね、きっと私と同じでお母さんに対して、2つの気持ちを抱いてるんだよ」
「好きと、嫌い。ってことかしら?」
その言葉を聞いて、心臓がドキっとした。
そう。私はお母さんが嫌いで、大嫌いで。でも大好きなんだ。自分でもどっちの気持ちが本当なのか分からない。分からないから不安になる。もし、会った時に何を話していいか分からない。そして悩んでまた不安になる。
「……」
「みかりん、お母さんのこと考えてる?」
「不安になるの」
「不安?」
「好きなんだけど、嫌い。嫌いだけど、好き。どっちが私の気持ちなんだろう?」
「あー、それは分かるよ。みかりん。私もお母さんに酷く叩かれてすごく痛くて大嫌いだって思うけど。1人になると、好きと嫌いが混じって不安になるよ?」
「詳しくは分からないけれど。きっと美香里さんのお母さんも、理恵果のお母さんも1人の人間で色んな事情があって、どうしようもなくて子供にあたってしまってから後で後悔をしていると思うわ」
「事情はあるのかもしれない。でも、おばさん。それを子供のうちらに分かってっていうのは、あまりにも勝手過ぎるものだって思うんだ」
「……。そうね。大人の事情と言ったって、子供には分からないものね」
そう千津叔母さんは言うと、少し黙り込んでしまった。
大人の事情、か。確かにお母さんは、お父さんが死んじゃったり色々あったかもしれない。ずっと私に連絡をして来ないっていう事は、もしかしたら私と向き合うのが怖いのかもしれない。私がお母さんと会うのが怖いように。
本当の愛情の通った母と娘の関係って、一体どんなものなのかな? 私には想像できないし、本当の愛情さえも分からないや。
「私のお母さんはね、みかりん。私が中学の頃に離婚したの」
「そうなんだ。あ、じゃあ、あの頃から始まったの? りえりんの人格変わりのこと」
「うん……。母子家庭って色々あるよね」
「ん……。私の家も、母子家庭だね。その母に私は捨てられて孤児だし。りえりんのお父さんは、今どうしているの?」
「さぁ……知らない。面会とかを裁判所で年に何回かするって事はあったけど、私は行かなかったから」
「そっか……。りえりんも色々大変だったんだね」
「みかりんほどじゃあないけれどね」
車の窓ガラスにかすかに映る自分の顔。私はどっちに似たんだろう? お父さんかな? お母さんかな?
もし、お母さんに似てたら……ちょっとやだな。
「りえりんは、お母さん似なのかな、それともお父さん似なのかな?」
「わかんない。お父さんの顔は、もうあんまり思い出せない」
「お母さんは?」
「……思い出したくない」
「そうだね……。そうだよね」
車は沈黙に包まれたまま家に近づいていく。やっぱり今日はお母さんの居る自宅には寄らなくて正解だったかな? 自宅かぁ……。今はどちらかというと理恵果と住んでる離れのほうが自宅にふさわしいと思う。
程なくして、車は家に着いた。千津叔母さんが「車をとめてくるから、先に降りてらっしゃい」と言われたので、私たちは車の後部座席のドアを開けて降りた。
「月が見える」
「ほんとだ。みかりんは、よく空を見上げるね」
「うん。何となく自然に、ね」
「本当は空を通してお母さんを見てたりして」
「ぎくっ。りえりんするどい」
「だって、それは私も同じだから」
家の駐車場に軽自動車を駐車する千津叔母さん。それが終わるまで私たちは待った。
やがて車のドアから出てきた千津叔母さんは、車のドアを施錠してからこちらに向かって歩いてくる。
「2人ともおまたせ。それじゃあ、門を開けてお家へ行きましょう」
「おばさん、ありがとう」
「迎えに来て送ってくれて、ありがとうございました」
「美香里さん。いいのよ、普段の言葉使いで。私も美香里さんのこと、さんづけで呼ばないで呼び捨てにしてもいいかしら? そう呼びたい気分なのよ」
「はい、分かりま……。うん、呼び捨てでも全然」
「ありがとう。もう1つお願いを言わせてもらえば、普通に理恵果みたいに『おばさん』って呼んでくれないかしら。これは、私のわ・が・ま・ま」
「ふふっ。わがままなんですね、おばさんって」
「みかりんのことを、自分の子だと思いたいんだよ。おばさんは。だよね?」
「そういう事ね。本当は、お母さんって呼んで欲しいんだけどね、ふふ」
「お母さん……ね。なんか恥ずかしいな」
「私はおばさんの事はホントはお母さんって呼びたいけど。みかりんと同じでちょっと恥かしいかも」
「急には無理かもしれないわね。でも、もしかしたら、そう遠くないうちに私はあなた達のお母さんになるかもしれないわよ?」
「それってどういうことですか? あ……」
「みかりん、無理しなくて自然に話せるようになればいいよ」
「あ、うん」
「そうね。自然な言い方で構わないわ。わがままを言っちゃったわね」
「そんなことないです。嬉しかったし。いつかはお母さん、って呼べたらって思います」
「私も、自然に任せるよ、みかりん」
「ごめんなさいね、無理を言って。でも、今言ったことは本当よ。立ち話もなんだし、とにかくお家の中へ入りましょう」
「そうだね、おばさん」
「そう……だね。おば、おばさん」
「みかりん、無理しちゃって」
「だってぇ」
「ふふふ。さあ、お家に入ったらあなた達は先にお風呂なんでしょう? 私は本宅でごはんを作ってあげるから、今夜は一緒に食べましょう」
「やった! ごはん作らなくて済んだ。ラッキー」
「りえりん? なんか先行き不安なんだけど」
「私だってちゃんと料理つくるよ? みかりんは心配性だなぁ」
「りえりんは大らか過ぎるよー」
「足して2で割ったりして」
「そういう問題かなぁ」
「ほら、いくよ?」
千津叔母さんと私たちは家の門を通っていく。私たちは離れに、叔母さんは本宅へ戻っていく。
離れの玄関の扉の横には、欧風のお洒落な玄関照明が点いていて、2人の帰りを心待ちにしていたようだった。
玄関の鍵をあけて中に入ると、ほっとして気分になる。もう、ずっと前からここに住んでいる気分になる。まだ、2日くらいしか住んでいないのにね。
「ただいまスイーホーム、チャララン♪」
「ただいま。……ただいま、か」
「どうしたの? みかりん」
「何でもない」
「まーたー。隠し事はダメだよ?」
「うん。何か、もう前から住んでいるみたいだなぁって」
「そう言ってくれると嬉しいな。着替えて早くお風呂に入ろう? お腹すいちゃった」
「りえりんみたいに、おおらかになりたいな」
「そんなことないよ。みかりんはみかりんでいいんだよ。無理に直さなくてもいいってば」
「そうね、私は私だもんね」
「そうそう」
あわただしく靴を脱いで、お家にあがる。私は式台に腰掛けて理恵果に声をかける。
「りえりん」
「なあに?」
「ローファーの汚れを落としたいんだけど。クリーナーとかってある?」
「確か、靴箱にあったような。勝手に探して使っていいよー」
「りえりんは、帰った後に汚れ落とさないの?」
「みかりんに任せた」
「ぶぅぅ。しょうがないなあ」
えっとクリーナー、クリーナー。……これかな?
私はローファーの汚れをクリーナーで綺麗にする。理恵果のローファーの汚れも落とす。
足の大きさは同じくらいかな? 私が23cmだから、23.5cmくらいかな?
綺麗になった2足のローファーを靴箱にしまう。さて、着替えよっか。
洋室の扉を開けると、照明が点いていて理恵果がもう手早く着替えてる。
「りえりん、はやいー」
「うん。先にお湯を出して、お風呂場を暖めとくから」
「わかったー。トイレのナプキン入れに入ってたタンポン借りていい?」
「うん、そういえば、みかりん、そろそろとか言ってたもんね」
「そうなの。だから念のため」
「らじゃー」
理恵果は、もう裸になって隠そうともせずに、「うーしゃむい!」とか言いながら廊下を着替えを手にお風呂場の方へスタスタと歩いていった。私も早く温まりたい。
洋間のエアコンが動いていて、室内の気温を調節している。同じように手早く制服を脱いでハンガーに掛ける。裸になると胸を着替えで隠すように両手で覆って、理恵果の居るお風呂場へと歩いていった。