第七話 皇帝と乙女
昼食会議とは名ばかりのただの昼食。内容は前にも増して酷くなり、白米と小魚と汁物とわずかな漬物。
今日の視察で貰ったものがなければ、実に貧相な食事でる。それでも、民草よりはよほど贅沢な食事。それをありがたく感謝し、噛みしめ、嚥下した。
そして2時間ほど後、午後3時より御前会議が開かれる。
御前会議はそのほとんどの時間を意味のない不毛な議論で浪費し、そして結論は「陛下のなされるまま」で締めくくられ、全くもって意味をなさない会議だった。
そのため、妾が小六を召喚して以降は御前会議は開かれず、小六が調整役として奔走してくれていた。
だが、それも限界であり、一度、正式な場で言い争わせることで、各省庁機関の鬱憤を晴らす場を設けることになった。
今回、に反目しておるのは財務省と新設された国税庁。財務省と皇国軍省。財務省と、皇国軍魔導兵器研究所と軍事研究所。そして財務省と農業庁である。
曰く「最後は財務省が最大の敵」と父上が言って居ったことを思い出す。まさしく、その形相を呈しておる。
此度の会議は荒れることを敢えて狙っているが、果たしてこれがどうなるか。
そしてこのことを持ち出した当の本人は、優雅に珈琲を飲んでいる。
「この御前会議は荒れるなー」
「何を呑気にしておるか。お主が言い出したことであろう」
「それはそうだが、これ以上の各関係部署との調節は、身が持たないよ」
そういうとタバコにマッチで火をつけ一息つく。
サクヤお手製のタバコを実にうまそうに吸い、その紫煙を吐きだす。
「いまさらだが、お主のその広範にわたる知識はすごいの。軍や農業だけでなく、経済や外交関連まで……」
「これは……知識を得るのが好きだっただけですよ」
笑いながら話すが、歯切れが悪い。
この説明好きな男であれば、喜び勇んで話すはずだ。
「まぁ、よい。で、財務省を黙らせなければ、飛行機も装甲車も戦車もトラクターも量産には移行できんぞ」
「それなら問題ないな。彼らの尻尾は既に踏んずけてるし、喉元にナイフを当ててるも同然の状態だ」
「アイ県での査察か」
「それだけじゃなく、色々洗った結果、財務省官僚の横領まで発覚してる。さらに裏金まで……それをチラつかせればかなり譲歩してくれるでしょう」
この男、抜け目ない。
「ところで『小銃』などではどうした?」
「今さらだけど……銃の機構自体はもう出来てるんだけど、火薬がうまくいかなかったから魔石を使った爆発での試験をしてる。今頃、魔導兵器研究所のみんなが実験中かな」
珈琲を飲み干し、タバコを吸いつつ、二本目を用意していた。
「ならもう近々見れるわけじゃな」
「あと1週間は見てほしいかな。装甲車などとは違って、この世界に土台がない技術を使った兵器だから慎重に行きたい」
「うむ……わかった」
嬉々としていたが、さすがにこうも先延ばされては少しばかり心が萎れる。
「だからこそ、今日の御前会議で財務省を黙らせる。魔導兵器研究所兼軍事研究棟の代表で本会議には俺も出席するから」
「お主がか?」
「研究所の所長や職員から『言いたいことは山よりあるが、こういった会議に向かないからよろしく頼む』と言われたからな。出ないわけにはいかなくなった」
「仕方ないな。まぁ3時まではお互い暇じゃ。ゆるりとせんか」
「それはありがたい」
小六は嬉々としつつ、カバンから資料を出し広げ、御前会議に向けた準備をしていた。
妾も各省庁機関から提出された書類を読む。だが皇帝はこの会議には直接口を出さず、あくまでも場を見守ることになっている。
だが、やはりここで一抹の寂しさを覚える。
例え扉の前には近衛がいても、この部屋には妾と小六の二人きりだ。
それなのに、まるで一人きりでいるような寂しさが胸を締め付ける。
「小六よ」
「なんでしょうか?」
自制心が体を制御しようとする。だが、それは、この言いえぬ感情を前にしてあっさりと負ける。
「妾と居って、なにも感じぬのか?」
「え?」
間の抜けた返事。それも仕方ない。いきなりこんな質問をされれば誰だって驚くだろう。頭ではそう分かっていても、心はそれを受け入れられない。
「妾には魅力がないのか?」
資料を投げ出し、小六に詰め寄る。
小六は驚きと共にこちらを見る。
淡い期待が胸中を締め上げる。
「……陛下。どういう意味ですか?」
「っ!」
どうにか自制が効き、言葉を飲み込む。
これを言えば、間違いなくこの関係は終わる。召喚してからというもの、身を粉にして働く小六の献身を裏切る行為だ。皇帝としての自分が、どうにか女としての自分を制御する。
「いや、なんでもない」
本当は言ってしまいたかった。
だが、できない。
この気持ちが、本当にその気持ちなのか。錯覚しているだけじゃないのか。勘違いしているだけではないか。
「すまぬが少し出る。御前会議までこの部屋で自由にしていてよい」
小六の返事を待たぬまま部屋を出て、すぐさまサクヤを呼びつけ私室に行く。
この感情を制御し、整理せねばならない。なぜならば、妾は皇帝なのだから。
サクヤを連れ立ち私室に着く。
何も言わぬまま茶を淹れてくれた。
「なにがあったのですか? 陛下……いや、リンレン様」
「……」
相談したいのだが事がことだけに、言葉に窮する。
よもや妾が男と女の問題を抱えることになるとは思ってもみなかった。
「はぁ。大方の検討はつきます。小六様に惚れられたのでしょう?」
「なっ……! そんなわけ……ある」
サクヤの鋭い指摘に胸が痛い。
「久々の御前会議の前だというのに何してるのですか……。それで、どこに惚れられたのですか?」
サクヤはタバコに火をつける。その紫煙で今はハートをいくつも作っていた。
「話せば長くなるが……初めは容姿や体つきが好みだったというのは事実じゃが、それ以降、小六には世話になってばかりじゃ。はっきり言って、それまでの妾は心底疲れておった。家臣は禄なのがおらず、この国を妾の代で終うことすら考えたほどだ。だが、小六は召喚されてからというもの、身を粉にして働き、我が国が立ち直る基盤をこの2か月で作ってくれた。それに奴はすこぶる紳士である」
「なるほどね……でも、それはリンレン様に男の免疫がないだけで、世の中にはいっぱいいい男はいますわ。だから、召喚に応じて、一生懸命働く小六様に勘違いしているだけかもしれません」
「やはりそうなのかな」
茶を一口飲み、心を落ち着ける。
「自分でもまだ迷われているのでしたら、その迷いを尊重すべきです。まだ陛下は若い。まだまだ悩む時間はあります」
「そうじゃが……この感情が好きというものなのか……それとも別なのか……」
考えても答えは出ない。
答えの出しようがない。
「好きという感情には多少の差であれ独占欲というのも付きまといます。憧れであれば、目標になるものです。リンレン様はどちらですか?」
独占欲。飛行機を見た時に、アイ県での査察で、そして今日の視察で……。
「妾は……」
コンコン!
ドアが急にノックされる。
「山本小六であります。陛下にお目通り願いたい」
「陛下。頑張って来てください」
「え? あ、待って」
妾が止めるより先にサクヤは扉を開ける。
「歓談中失礼します」
「何用じゃ」
「先に人払い願います」
「う、うむ」
サクヤに退席を促す。
また二人だけの空間となる。
「な、なんじゃ私室に押しかけてきおって」
「どうしても伝えねばならないことがあります」
「だから、なんじゃ」
さっきの今である。否応なく期待が膨らむ。
まさか、このタイミングで……。
「陛下、いやリンレン様といて何も感じないわけない。むしろ、いつも緊張しているし初めて会った時から……」
そこで小六は息をのむ。
緊張の一瞬。開口を待つ。
「だけど、今はまだ言えない」
「な、なぜじゃ!」
勢いよく立ち上がり小六に詰め寄る。
顔を胸に沈め、服を掴み、見上げる。
「なぜ今はまだ言えんなどと抜かすのじゃ!?」
自分の頬を涙が伝うのがわかる。
感情が制御できない。
「今言えば、あなたの為そうとする国家再建に、君も私も邁進できなくなる。それは、君が命を削ってまで俺を召喚したことに対するm幅、裏切りだからだ」
「知っておったのか……?」
「書庫で読ませてもらった。召喚の儀に関する資料を」
「……」
召喚の儀。それは召喚に成功した暁には、寿命の半分を持って行かれる皇室伝来の秘技。
そのことを彼は知っていたのだ。
「だからすべて終わったら、俺からちゃんと言う。それで今は納得してほしい」
「……納得できぬ」
小六の首を引き寄せ、唇を重ねる。
一瞬だった。
だが、その一瞬が世界のすべてだった。
「これが妾の答えじゃ。すべて終わったら、必ず。必ずお主の口からいうのだぞ」
「仰せのままに」
ひとしきり涙し、小六の服を濡らす。
何分そうしただろうか。落ち着いて離れる。
「これでお互い涙を見せたもの同士ですね」
「ば、ばか。あれはお主が自滅しただけでろう」
「そうでしたね」
お互いが笑い合う。
今はこれでよいのだ。そう言い聞かせふと時計に目が行く。
短針が2と3の半ばで、長身は8をさしていた。
「か、会議まで時間がない!」
「あ、ほんとだ。不味いな」
「妾は着替えに故、お主は急ぎ会議室に行き、妾が遅れることを伝えよ」
「はい」
小六は一礼し、駆け足で部屋を出ていく。
替わりにサクヤが二人の侍女を連れ入って来る。
「陛下、顔色が良くなりましたね」
「そ、そうであるか」
サクヤは妾の着替えを手伝う。
「でも、目元が赤いのでお化粧が大変ですわ」
「……皆には言うな」
「誰がこんな珍しい陛下のお姿を言いますものか」
先ほどのことを思い出し赤面する。
サクヤが耳打ちする。
(うまく行ったようでなによりです)
振り返るとサクヤはニコニコしながら帯を締めていた。
この侍女長には敵わない。分かっていたものの、胸中は幸福感でいっぱいであった。