第二十八話 怒れる男と追う女
混迷するかに思われた会議室は、妾と小六の采配によりどうにか指揮所としての機能を全うしていた。
あくまでも大雑把な指示を妾が出し、それに小六が補足であったり、指示を出された担当官に必要な人員や機材を説明してくれていた。文官たちもこの非常事態に関わらず、誰も焦らず、落ち着いて行動してくれていたのも大きな要因だろう。魔導無線機が20台近くが近衛の者により運び込まれたお陰で、被害報告を速やかに受け取れすぐに指示が出せるためにどうにかなっている。その近衛の中に、ムツキとアイシャも混じっておるが、今は彼女達のことを気に掛けている暇など妾にはない。彼女たちも同じようで、他の近衛と同じように、続々とくる報告に指示を出していた。
「急報! ヨコス軍港より急報!」
ムツキが大きな声で報告する。
その表情は絶望的なものだった。この事態でなお絶望するほどの急報……。
ただ事ではない。
「なにごとじゃ?」
「引き潮を観測! 戦艦オオワダツ が着底するほどだそうです!」
「なんだと!?」
それに小六が反応した。
彼はその目を光らせ、ムツキに詰め寄っていく。
その表情は鬼気迫るもの。声をかけるにかけれず、妾は開いた口を噤む。
彼をそこまで駆り立てるのは、彼が召喚される前の世界。もと居た世界で地震に、津波により多くのものを失ったからだ。それを知る妾は、彼に掛ける言葉を持ち合わせていない。
「今この時間は満潮か? 干潮か?!」
「満潮です」
「……っ!!」
彼は言葉を失い、その拳を固く握りしめる。その拳は細かく震えるほど、強く握りしめられている。
「陛下。この津波は海抜10m以上……下手すれば15mまで大地を駆け上がり、関東全てを洗い流すかもしれません」
「な……!」
今度は、妾が言葉を失った。
崩彦が教えてくれたのは、「皇都が滅ぶほどの津波がくる」というものだけである。
皇都の多くが海抜0mである。人が多く暮らすこの皇城下町の海抜はたかだか3m前後である。
もし、本当にそんなことになれば、サクヤを向かわせた意味などほとんどないに等しい。
それどころか、全くもって無駄なことをしたわけだ。
「軍港は拡張工事により喫水12mまで対応しています。ですが満潮にも拘わらず戦艦が着底するほどの引き潮となれば、5m以上の引き潮です。地震発生から30分経過して、これほどの引き潮……今より約30分後、大津波が来ます」
「……30分しかないのか?」
「あくまでも最短ですが」
「空母着底の報告も入りました!」
「西関東沿岸部でも引き潮を観測。4m以上の引き潮です!」
無線機を片手に次々と報告が入ってくる。
これほどの広範囲に亘る引き潮。引いた潮は帰ってくる。巨大な水塊となって、帰ってくるのだ。
知っていたのに止められない。絶望と呵責により、自らの顔から血の気が引き青くなっていくのがわかる。なんてことだ。妾はこの津波を予見できたのに、わざわざ崩彦を呼んでまで知っていたのに……!
バン!!!!!!!
轟音とも表現すべき音が、突如として会議室に木霊す。その音に、妾は正気を取り戻した。
絶望などしている暇など無いと言わんばかりに、小六はその怒りを壁にぶつけていた。
彼は拳を打ち付けた壁に亀裂が入る。
その拳は砕け散り血が噴き出していた。だが、そんなことはお構いなしに、彼は何度も壁に拳を打ち付ける。
突飛すぎる行動のあまり、妾だけでなく誰もが彼に声を掛けられないでいる。
「あっちだけじゃなく、こっちでもかよ。こっちまで、奪われて、たまるか……!」
彼の剥きだしの感情が、彼の口からこぼれ出る。
殴るのを止め、両手を壁に着いていた。
治療をしようと数名の近衛が駆け寄るが、近くまで行った瞬間、立ち止まった。
血が噴き出していた拳からは血が止まり、傷が瞬く間に癒えていたからだ。
異常
その言葉に収斂される光景に、小六に釘付けになった。小六自身も自らの体の異常に気が付いたようだが、ただ拳を一瞥して「そうか。やっぱり」と呟いた。
「小六。大丈夫か」
意を決して話しかけると彼は笑ってこちらを見る。
だが、目が笑ってなどいなかった。
無理矢理作った笑いの所為で、彼の表情は得も言われぬものだった。
「大丈夫です。ただ一つ、陛下に伝えねばならないことがあります」
「なんじゃ?」
この場で伝えたいこととは、一体どのようなものだろうか。彼の表情と相まって想像ができない。
そして彼の纏う空気が、徐々に魔力を帯びたものへと変わっていく。それも、神の力のごとき魔力が。
「私はきっとこの大災害を収めるために、召喚されたのだと思います」
彼は自らの異変に戸惑う素振りもみせない。ただ、淡々と妾に語り掛ける。
彼に起きた異変に戸惑う妾のことなど眼中になく、自分の為に語りだす。
「故に私は、私が為すべきことを為してきます。サクヤさんだけに負担を掛けられませんて」
彼の表情はいま、屈託のない爽やかな笑みで満たされていた。
いまこの瞬間こそが、自らの運命だと。自らが為すべきことを見つけたとばかりに……。
彼は、自分のために力を使わない。すべては妾の我儘といえる召喚により始まった。彼が為したいことなど妾が知ろうともしなかったのに、ただ妾が為そうとすることを助けてきてくれた。
「ならば、お主に妾は言わなくてはならないことがある」
だったら、今度は妾が彼の為そうとすることを助ける番じゃ。
だからこそ、妾は皇帝としてではなく、リンレン・イワノミヤとして掛けねばならない言葉がある。
「この指輪を返す」
右手の薬指につけていた指輪を、指から外す。
真夏の木々の葉を連想させるような深い緑色の石が嵌め込まれている指輪は、彼からの愛の告白と共に受け取ったものだ。あれ以来、この指輪は肌身離さず付けている。大事な指輪である。
渡された小六は複雑な表情を浮かべていた。
「帰ってきたら、お主が左手の好きな指に付けてくれぬか?」
「……あぁ、喜んで」
彼は立ち上がり、纏った魔力をを巧みに操り、宙に浮かぶ。
その姿を見ていたのは妾だけはない、多くのものが見ていただろう。
妾と小六とが恋仲にあることが白昼の元に晒されたわけだが、どうでもよい。
隠すようなことでもなかったし、いずれわかることだからだ。
「ではリンレン。行ってきます」
彼は指輪を握りしめ、空を舞う。
彼が傍にいなくても、妾にもう不安などなかった。
飛行戦艦で感じたようなあの寂しさもない。あるのは、この場を収める責務への覚悟のみ。
「関東全域に非常事態宣言発令! 皇都全域及び、関東地域の沿岸部に避難命令を出せ。一人でも多くのものを救え!」
「「「「「「承知しました」」」」」
この場に居る全員の声が重なり合っての返答に、妾は満足する。
こんな状況にあって、誰一人として絶望などしていないのだ。
いや絶望していた者もいた。誰よりも自分だった。
だがもう絶望する必要もない。
なぜならば、妾の最後の家族であるサクヤと、これから家族になる小六が向かっているのだから。
この会議室に居るもの皆が先ほどまでの光景を目の当たりにして、絶望などしている暇などないと、奮起しているのが見て取れた。
そしてまた、余震がくる。
だが、その揺れは徐々に弱くなっているように感じられた。
そんな中、アイシャが妾の前に立つ。
「陛下。上申がございます」
「申せ」
「では……陛下。いえ、リンレン、小六君をおいかけてぇ」
「は?」
突然の言葉に「は?」としかでてこない。どういう風の吹き回しなのか。
「リンレンはぁ、小六君を旦那にするって、決めたんだよねぇ。だったらぁ、夫の傍に居らずして何が妻ですかぁ! 小六君と傍にいるのはサクヤ師団長でもいいのですかぁ?!」
「アイシャ……お主」
「陛下。近衛見習いもこの場の助っ人にきてくれました。私も協力できます」
「ムツキまで」
いつの間にかアイシャに並んでムツキまでもが妾に行けという。
二人はこの状況を理解できていないようだ。
「いやしかし、この場を取り仕切るものが居らぬようになってしまうではないか」
私情よりも公を優先すべき。皇帝たるもの、私情に流されてはなるまい。
二人の言葉に心が動かぬわけではない。妾だって、可能であれば今すぐにでも小六の傍にいたい。役に立ちたい!
だが、妾は皇帝。扶桑皇国第100代皇帝リンレン・イワノミヤなのだ。
小六にいつまでもおんぶにだっこしてもらう訳にはいかぬ。
「ならば問題ありません。空軍大将兼海軍大将代行。ただいま出頭しました」
現れたのは白い軍服に身を包んだハシヤだ。
ニヒルに笑う彼の背後には同じような軍服を着たモカと、背広姿でこの国の地質や地理、地形に最も明るい男がいた。
「国土保安庁長官フルタ。遅ればせながら参上しました」
「お主ら。遅かったではないか」
アイシャとムツキの戯言からどうにか逃れる口実を得た。
あれ以上、二人と話をすれば心が完全に動いていたはずだ。
「お話は伺いました。あとは我々にお任せください」
「えっと……どういうことじゃ?」
先回りされた言葉に、逃げ道が塞がれた。
このままでは、妾は現場を放り出して男に走る不良皇帝ではないか!
「国土保安庁としましては、津波などの想定浸水経路などは策定済みです。これに基づき、避難を促します。また、この非常事態につき、魔導による岸壁構築術式を構築中です」
「空軍と海軍は、人員の数で速やかに避難が行えるように計らいます。つまり、陛下がここにいなくても、この指揮所は機能を十全に活用できます」
「お主らまで……」
まるでのけ者にされたような感覚である。心強いものの、妾は妾が為すべき事から逃げるわけにはいかない。
しかし……部屋を見渡せば、皆が妾の顔を見ている。それも読心術など心得のない妾でもわかるほど、同じ考えを皆しておるようじゃ。それは須らく「さっさといけ!」というものである。
「陛下はお気付きではないでしょうが、ここにいる者は皆、陛下を信奉しております。故に、陛下の幸せこそが我らの幸せでもあるのです」
ハシヤの言葉に、妾の心は動いた。
音を立てて転がっていくようにすら感じる。
あぁ、追ってもよいのだな。
「ムツキ、アイシャ。両名は今より直属近衛の任を与える。妾についてこい」
「「仰せのままに!」」
ここまでお膳立てされて行かないほうが不義理だ。彼らは妾を信じてくれておる。ならば、妾が彼らを信じねば一体どこのだれが信じれるだろうか。
「ハシヤ! この場は任せたぞ」
「はっ!」
ハシヤの返事に呼応して、指揮所となった会議室はより一層、苛烈な状況になっていった。
だが、妾に不安など微塵もない。
「では、陛下。いきますよ」
「リンレン。いっくよぉ!」
幼き頃のように、ムツキとアイシャと手を結むぶ。
懐かしさと、言葉に表しようのないこの感情が妾を鼓舞していく。
「目標小六! 全力で飛翔せよ!!」
「「了解!」」
妾を真ん中に、アイシャが右を、ムツキが左にいる。
二人は空いた掌からサクヤを真似たのか、火魔法による火炎を噴き出して飛んでいく。
初体験の生身の空の散歩は、凍てつくような寒さで身を強張らせる。眼下を見れば、海が見えるが、いくつもの大きな岩礁などが太陽に晒されている。
潮を引いているのだ。それも、想像絶する規模で。
小六の元に、一刻も早く。否。1分1秒も早く!
彼の傍に居るのは、妾じゃ! サクヤではない!
流れていく景色だが、前を見据えれば見えてくる。
とてもおおきな氷壁が。
その氷壁を作るサクヤも見つけたが、小六の姿が見えない。
「サクヤ!」
「陛下! どうしてここに」
「説明はあとじゃ。小六は、小六はどこじゃ!?」
「小六様なら、さらに沖合の方へ向かいました」
「わかった。作業を続けよ」
「はい……アイシャ。ムツキ! 帰ったらわかってるでしょうね?」
「ご勘弁を!」
「急ぎますのでぇ」
彼女らは怒られるのを悟ったのか、さっきよりも猛速で駆け抜ける。
それに晒さられる妾としては速度に恐怖を感じるものの、なにも文句はない。
小六と共に歩むためならば、この程度の恐怖、造作もない。
今、いくからな。絶対に、お主の傍から離れぬからな!
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、悲しくも命を落とした方々に、この場を借りて、哀悼の意を捧げます。
誰しもが、災害なんかに遭いたくないでしょうし、ましてや自分が被災するなんて夢にも思わない方も多いと思います。
ですが、誰でも被災する可能性は等しくあるのです。
決して、311を忘れてはいけません。
決して、忘れてはならない。
掲載日 2019年 3月12日




