第二十七話 譲れない思い
閉じ込められて数分が経った。
サクヤは身体強化魔法を用いて、さらには神力も使って扉を開けようとするがビクともしない。
さらに残念なことはこの扉が、厚さ30㎝近い鉄でできている上に、地震の所為で少し歪んだらしい。そうそう簡単には開きそうにはない。
本来はきっと籠城時の作戦所にでも活用するためなのだろう。石作りの壁も、崩れたところを見てみれば、中にはご丁寧に鉄板が打ってある始末だ。
戦時なれば素晴らしき戦闘指揮所として機能するのだろう。だが、残念なことに今は戦時ではない。さらに言えば、ここまで厳重過ぎるといざ逃げる時にはむしろ邪魔だろう。全くもって馬鹿げた造りだ。実際に戦闘を経験しなければ、この造りがいかに馬鹿げていて非論理的な物かわからないのだろうか?
まぁ、サクヤであれば火炎魔法でこじ開けることならば容易いだろうが、その時には扉が開く前に、妾がこんがり焼けてしまうのは目に見えておる。よって、火炎魔法を使うなとサクヤには言ってあるが、どうしたものか。
いっそ妾が神を呼び出すという手もあるが、火之迦具土之命では妾まで焼けてしまうであろうし、他の神々でこの扉をこじ開けれるような神は……あ、一柱おったではないか。
太陽を司る天照大明神が岩戸に隠れてしまった時に、その岩戸を無理やりこじ開けた怪力が!
いや、でもあの神は数多神神話の中ではあまり名前こそ出てこぬが、神話の初めから居る者から存在する神。
火之迦具土之命は妾は多用するが、たしか主神の孫にあたる……といっても、さっきの話を聞いたあとなので、それを鑑みれば、恐らくは神となった107名の幼子たちの間に生まれた子供だろう。
まぁ、生まれたときに火を制御できずに母を焼き殺しそうになったらしく、それに激怒した父に殺されそうになったとかで……他の神々の手助けもあり殺されずに済んだといわれておるがの。
だが、やはり、あの神を呼ぶのは気が引ける。なにせ初めて呼ぶ神であり、神話でも彼の神の性格や行動などはほとんど記されておらぬからじゃ。
じゃが、今は緊迫した事態。この悩む一瞬の暇すらももどかしい!
既にサクヤも精魂尽き果てたといわんばかりの状況だ。扉を前に片膝をつき、肩で息をしておる。
こうなれば、呼ぶほかに手立てがないのだ。
「ええい、ままよ。かしこみかしこみ申す。我リンレン・イワノミヤなり。天手力神よ。御身の怪力を貸し与え給え候」
懐刀で指を斬る。滴らせた血を代価に、怪力の神を呼ぶ。
目の前に神力が集まり、一柱の神が具現化していく。
見た目はやや貧相な体付きに見える。だが、その神威は呼び出したかった神でる。呼び出された神は妾に問いかけくる。
<初にお目にかかる。主神の末裔よ。吾輩の力が必要なるか?>
迷わず「あの扉を開けてほしい」と頼む。
<……なぜ吾輩は戸を開けることばかりさせられるか? 命令とあらば仕方ないが……>
悪態をつきながらも天手力神は扉へと向かう。
サクヤを見て少し驚いたようだったがすぐに会釈した。サクヤも天手力神に会釈を返す。
それは恐らくサクヤの神威を感じての行動だったのだろう。
そして天手力神は扉の前に立ち取っ手に指を掛けると、盛大にその力を込めていく。
すると細かった体の筋肉という筋肉が膨れ上がり、真っ赤に充血していく。
その膨張たるや凄まじく、筋肉の膨らみで彼が着ていた服は破れ飛び、その充血した背筋により、背に鬼面の如き模様を作る。
うーん……妾はもう少し細身の方が好みなのじゃが。おっといかん。この非常時に何を考えておるのじゃ。
して、この神の力。妾が見ておるのを傍目に天手力神はニヤリと笑い、その力でいままでビクともしなかった扉を少しずつ開けていく。
<天岩戸に比べたら…!!!>
この神、自分で自分を鼓舞しておる……。絶対に岩よりも重いから、その扉。などと野暮な突っ込みはせず、任せる。
その横でサクヤは上着を脱ぎ、火照った体を冷ましていた。
そして1分とかからないうちに扉が開けられる。
<では、約束果たしたぞ>
妾に会釈をしながら神力を霧散させていくこの神は、いままで呼んだどの神よりも人間臭かった。
だが、神も元は人の子と知った身としては、さもありなん。と一人納得する。
さて問題だった扉は開いたが、その先に広がるのは、床ぎっしりと崩れた書棚と書物であった。
高さは妾の胸丈近くまである。
これが原因で扉があかなかったのだろう。
もし火炎魔法などで無理に開けていれば、たとえ妾が無事だとしても、部屋を出たと同時に火の海に遭遇しただろう。考えただけで怖気がする。
何はともあれ、いまは時を争う。すぐに執務室に向かわねば。
「陛下。陛下ー!」
部屋を出ようとしたとき、聞きなれた声が聞こえる。
これは、小六の声だ。
「妾はここじゃー!」
「無事でよかった!」
彼は倒れた書棚を飛び石のごとく器用に踏みつけて傍まで来る。
部屋まで来ると妾をそのまま抱きかかえる。
「わ、まて。待つのじゃ!」
「ここは危険ですので、私につかまってください」
いうことを聞かぬやつめ! じゃが、こんな時だからこそ、彼の脚力に頼るほうが良いだろう。
「サクヤさんも早く!」
サクヤも急かされて、部屋から出てくる。
そして瞬く間に駆け出し、廊下を疾駆する。
「執務室ではないのか?」
「会議室です。この地震で城下だけでなく、関東地域で甚大な被害が出た模様です」
「やはり……」
「陛下は大災害のご経験は?」
「妾が生まれてこれが初めてじゃ」
「わかりました。差し出がましいですが、私が指揮を執らせていただけないでしょうか?」
小六の申し出に妾は二つ返事で了承する。
この大地震。もはや妾では手に余るものだ。
「ありがとうございます。この国難、全力で乗り切らせていただきます」
気づけば会議室前。そこで降ろされて、妾は手早く服を整え入室した。
既に数名のものが忙しくしておったが、混乱しているのが見て取れた。
「今回の地震に関しての陣頭指揮は妾の直属補佐官である山本小六が執る! 以後は小六の指示に従うように。妾は大きな指示を出すのみに留める」
妾の号令を聞いて、皆が小六を見ていた。「またこいつが……」という顔をした者もいたが、事がことだけに声を上げての反対はされなかった。
小六はその様子を見て、すぐさま臨時陸軍大将兼皇帝直轄騎士軍団長であるヤマベを招集した。
ヤマベがくるまで、各担当官に情報収集を徹底するように伝える。
サクヤを通して近衛師団を即応態勢にする。現状は空戦魔導士と空軍による空からの状況確認だ。
空軍は独立してから日が浅く、運用される飛行機もまだまだ少ないが、ないよりかはマシである。
それらの指示を出し終えたころ、また大きな揺れがくる。
揺れた。堅牢なつくりであるからこそ皇城そのものは持っておるが、いまので外郭にある見張り台の一本が倒れた。
湧き上がる粉塵と絶望を綯交ぜにした数多の悲鳴。その悲鳴の一つに妾の声が混じっていると気付いた瞬間、どうしようもない恐怖心が襲う。
さっきまでいたあの部屋に閉じ込められて怖かったが、それは閉じ込められたことによる恐怖。だが、いま目の前で起こっている自然の猛威に、妾は畏怖する。
巻き上げられた粉塵がもうもうと立ち上がっていく。
怖い。さっきの怖さとは比べようがないほど怖い。恐い。嫌だ。こんなの嫌だ!
蹲り、肩が震え、呼吸が乱れ、心臓が早鐘のように早く太鼓のように大きな音を立てて脈動する。
肩に誰かが手を置く。その手の主を見る。
そこに優しく微笑む彼がいた。
「前も言っただろ。お前を信じる俺を信じろ。ってさ。俺はリンレンを信じてるから、リンレンは俺が信じるリンレンを信じればいいんだ。大丈夫だから」
何をもって大丈夫なのか。それはわからない。だが、妾は彼を、小六を信じておる。
立ち上がり、深呼吸する。肩の震えは消えた。心臓はまだ少しばかし早いが、大丈夫だ。
「すまなかった。もう大丈夫じゃ」
人とはつくづく単純であるな。傍に愛し人がおる。そして信じてくれている。ならば、もう怖いものなどない。
やはりサクヤには譲れない。
何があっても、この男。山本小六は毛頭ほども譲ってやるわけにはいかない。なぜならば、妾が彼を愛しているからだ。彼が妾をどう思っているかなど関係ない。妾は彼が好きだ。だから譲れない!
「ありったけの関東全域の地図を集めよ! 偵察情報を地図に書き込め! 関東全域……いや国内全ての全軍に非常呼集。関東圏内の陸軍には24時間以内に出動できるよう準備させよ!」
急速に頭が冴えていくのを感じる。妾でも指揮できるではないか。
小六はそれを察したのか、妾の指示に補足命令を下達する。
「海軍は全艦艇を沖合に出すように伝えてください」
そうこうしておる間に、ヤマベが出頭した。
彼は濃柴色の制服姿で出頭した。
かなり慌てて駆け付けたのであろう。襟締がやや曲がっておるが、許容範囲内だろう。
「ヤマベ皇帝直轄騎士団長兼陸軍大将。ただいま出頭しました」
敬礼もそこそこに、手短に要件を伝える。
城下町の被害が甚大なれど、まだまだどうにかできるはずじゃ。
「ヤマベよ。貴官には大働きしてもらう所存じゃ。まず城下の者たちを城に避難させよ。この城はもともと籠城戦も考慮された造りとなっており、備蓄も多い。全ての空き地に野営施設の構築と、避難民の誘導をせよ」
「了解しました」
ヤマベに命令を下達して、次に何をすべきか考える。
地震が起きたときに何が起き、何を行わなくてはならないのか。
元々、地震の多い扶桑国にあって、地震で倒壊する家などあまりない。だが0ではない。
倒壊した家により、火災が発生する可能性もあるが、それよりももっと重大なことがあった気がするのじゃが……津波。そう津波じゃ!
「偵察中の全空戦魔導士に伝達! 皇都湾口に急行せよ! 潮が引くのを確認したら、速やかに湾口全体に氷結魔法で壁を作れ! 極力高く分厚い壁を!」
津波とは、海より打ち寄せる海壁である。
ありとあらゆるものを飲み込み、打ち砕く存在。記録によれば数百年前に皇都地域の1割が海に呑まれて消えたという。そして、此度の地震による津波はその時の比ではないことを、ある手段を以って知る。
「そんなこと、現場の魔導師だけでは到底数が足りません! とても現実的ではない!」
一人の文官が声を立てて反対する。他の者もそれに追随して反対の声を上げる。確かにそうだろう。
妾だって馬鹿げているとは思うが、こうしなければならない。
なぜならば__。
「抜かせ! そうしなければ、地震と津波の多重災害で、皇都が滅ぶ!!」
妾の声で、皆が黙る。
数センチ単位で髪を贄に、ある神を呼び寄せておいた。その神は知識の神。崩彦である。
彼が思念体であるがゆえに、神力を持たぬものに認知できない。彼はこの地震が神々の意思とは関係なく起きたこと、止める手立てがないこと。そして、津波で皇都が滅ぶことを教えてくれた。
このままでは、いけないのだ。
「ですが……」
「陛下。それでしたら、誰よりも適任者がここに」
サクヤが、傅く。
頭を垂れた彼女には神力が溢れている。その神々しいまでの神力は、先ほどまでの疲弊した彼女とは思えぬものであった。
「サクヤよ。お主には近衛師団の指揮を執ってもらわねばならぬ」
「そのことならば、副長でも務まります故、何卒、私目にその任を命令ください」
サクヤの覚悟は、決まっていた。
津波を人の手で防ぐなど、本来ならば不可能である。だが、彼女ならばどうだ。神の力であれば、可能ではないだろうか。
「陛下。サクヤさんに、行ってもらいましょう」
「小六。またサクヤに無理をさせる気か」
「ですが、それ以外に一体どんな手立てがありましょうか!?」
クーデターの時の飛行場での攻防戦や戦艦強襲など、その活躍は国家的英雄に値するものだ。
だが、それでも、彼女は大切な家臣であり、乳母であり……妾のたった一人の最後の家族である。
血こそ繋がっていない上に常日頃より一線を引いているが、それでも彼女は家族なのだ。
だが妾は決断する。
「……サクヤ。頼む」
「仰せのままに」
彼女は飛行石を片手に、窓から飛び出る。火炎魔法を両掌から噴き出し、それによって推進力を得て、皇都湾口へと向かう。その速度は風や飛行機よりも早いように見えた。
妾は椅子に座る。座して吉報を待つ他に、もう妾はやるべきことなど無いように思えたのだが、続々と入ってくる被害報告に頭を悩ませつつ、手早く指示を出す。
この氷壁作戦とでもいうべきものが、間に合うかどうかなど妾は知る由もないからだ。




