第十六話 疑心と信頼
予備計画。妾には極秘で進められてきた作戦計画であった。
こういったクーデターが発生した際に即座に鎮圧できなかったときのための計画。それは妾を海上の戦艦に退避させた上で、戦艦の艦砲を以て反乱分子を「粛清」するという恐るべき計画だった。それも、その命令を妾に下せという。この理由として、既に各国の大使館にはクーデター発生の一報が届いているのは必常で、その証拠に帝国大使館のベアトリス大使から緊急魔導通信にて「帝国は扶桑皇国皇帝に助力の用意がある」という一報とアルト合衆国からは「合衆国は合衆国民救助のための用意がある」と魔導文が送られてきている。頭が痛い。
そもそも論でクーデターが発生することが前提だったということが一番の問題である。
「いまさらだが、なんでクーデターを発生するよう仕向けたんじゃ? お主なら穏便にことを済ます方法もあったであろう?」
「私の祖国である日本は陸軍の暴走で、日本は2度目の世界大戦に飲み込まれたといっても過言ではありません。同じ道を、扶桑皇国には歩んで欲しくないために、陸軍の反乱の芽を摘む必要がありました。それも可及的速やかに。それがクーデターを起こさせて、それを制圧するのが最善手であると考えた結果です」
「ふむ、そうか。なるほどな」
もしかしたら、もしかしたらだが、この機に乗じて、小六が妾に謀反を起こす気なのかと疑っている。そうすれば十分に「筋が通ってしまう」からだ。先ほどの説明も確かに筋が通っているが……。ひとまず、その懸念を頭から振り払う。たとえそうだとしても、小六のメリットは薄いはずだ。小六の献身を信じるしか妾にはできない。
「ですが、先ほど説明したのは予備計画でも、最悪の計画です。あくまでも海に退避していただくことが第一前提であり、最優先となります。そして、この計画は『陛下が戦艦に乗っている』と思わせることが最大の目的です」
「わかった。戦艦にはいく。だが、引っかかる。なぜこんな杜撰な事態になったのだ? お主なら事が起きるとほぼ同時に、陸軍大将の首を捕まえるくらいの準備をしておくだろうに」
「そのことですが……私の予測よりも1か月程早い蜂起なのです。陛下には明日にでも話そうと思っていたのですが、本来の計画ではそれに併せて近衛師団や陛下直属騎士軍団が早期に動き、武装蜂起と同時に制圧する予定でした。ですが、現状はこの有様です。まるで誰かが私の計画を勝手に奪っていったような……そんな気すらします」
話どおりなら予備計画なるものが既に立案されていたことに納得する。
だが、一方でこの後手に回る感じは、誰がこの計画を奪ったかが理解できる。
「ふむ。それは、恐らく……」
思い当たる節がある。このタイミングで陸軍のクーデターで一番誰が得をするのか。
そして、その必要があるのか。
だが、そのことをこの場で口にするのは憚られる。なぜなら、それを企図した人間は間近にいるのだから。
それよりも、事が済んだら小六をどうやって責任を取らすのかと考える。そのことを思案するうちに、話が途切れるのを待っていたらしいキリュウが、焦げ茶色でごわごわした厚手の服をアイシャに渡す。それはキリュウが来ている服と同じもののようであった。
「陛下にはこの『飛行服』を着ていただきます。新品でありますが、軍用品ですので着心地に関しては目を瞑っていただけないでしょうか」
「それを着ることには何も問題ないが……、飛行服とはなんだ?」
「はい。アイ県視察の際は皇帝専用機でしたので、室温調整の魔導術式が掛けられており、このような服は不要でした。ですが、、本日の飛行機は完全な量産型の軍用機でして、術式がないのです。そのため、飛行中は非常に寒くなります。それを防ぐための防寒具です」
「なるほどな。心得た」
「陛下。あちらの部屋でお召し替えしましょう」
アイシャに連れられて、恐らく兵士用の仮眠室の一つを間借りする。部屋の前にはムツキがたつ。
それはツナギになっており、生地の内側には起毛がある。キリュウは着心地に関しては目を瞑ってほしいと言っていたが、存外に着心地は良く、むしろ冬場であればこれで過ごしたいくらいだった。
脱いだ簡易礼服はアイシャの手により素早く綺麗に畳まれ、どこから出したのかわからない革鞄に仕舞われる。
「アイシャ。すまぬ」
「きっとリンレンが信じる小六はぁ、心からリンレンのことを思って居るよぉ」
飛行服を広げながら、アイシャは応える。急に普段通りの言葉遣いに驚く。そしてアイシャは、妾の眼を射抜くように見る。その目は、真剣そのものだった。
「ふむ……そうだな」
「だからぁ、小六のことを、しっかりと信じてあげてぇ。彼は一途だよぉ」
アイシャのおっとりとした言葉遣いと裏腹な力強い言葉は、友達として妾のことを思ってくれているからこそでる言葉だった。
「ありがとう。だが安心せよ。妾は尤も小六を近くで見ておる。彼の献身を見逃すほど目は悪くないつもりじゃ」
「それならいんんだぁ。あとぉ……正直申し上げますと、小六様が召喚される直前まで、我々近衛師団は腐っておりました。『我々は本当にこの陛下にお仕えするのが正しいのか?』と……。ですが、今は、陛下の剣となり盾となり、責務の完遂に務めることに何の揺るぎありません。これは、陛下が陛下の責務を務めようと、努力されているからです。陛下、貴女は変わっている。そのことを努々、忘れないようにしてください」
友達として、一人の近衛としてのアイシャの言葉が胸に刺さる。
アイ県での査察で農民の女性から投げかけれたあの言葉。アイ県での視察。御前会議でのこと。対合衆国同盟祝賀会でのこと。そして、今日の空戦魔導士への攻撃……。
「妾は、立派な皇帝になれているのか?」
「はい。陛下は皇帝になられています」
急に認められ、涙が出る。
誰かに認められることへの喜びがこれほどまでとは。
「それと……さっきの『最も小六を近くでみておる』っていってたけどぉ、それは小六も一緒だよぉ。だって、『リンレンは変わってきてる。本当の意味で皇帝になろうと努力されてる』って、小六がいってたよぉ」
声音を小六に似せるアイシャだが、あまり似ていない。だが、小六が真剣に言っていたことを理解した。
「そんな話いつのまに……」
「あれは私が皇居勤務の日だからぁ、1週間くらいまえだったかなぁ。丁度休憩中に廊下で会ってぇ、その時に話したのぉ」
「なるほどな」
かなり布が余った飛行服だが、アイシャが手慣れた手つきでゴム紐で捲し上げては留めていく。
あまり時間は掛らず、余った布が手や足を隠すことはなくなった。
「では陛下。私も着替えます」
アイシャはそう言うや否や服を脱ぎ去っていく。妾の礼服は綺麗に畳んでいたのに、自分の服などはえらく雑に畳んでいた。
そして自分の分の飛行服に着替え始め、そこで気づく。
「……陛下」
「……アイシャがそういう人間であることはわかっていたが……」
妾が着るにはちょうどよさそうな大きさの飛行服を、アイシャは足を突っ込んだ状態でいた。
すぐに妾自身もゴム紐を外しはじめ、アイシャが赤面しながらまた、着替えを手伝うことになった。
思っていたよりも時間をかけ部屋から出ると、既に小六も飛行服に着替えたようだった。
長身の小六がこのごわごわした茶色の飛行服を着ると、なかなかどうして恰好よく見える。
それに見惚れる間もなく、小六が近づき耳打ちする。
「陛下。少々、お耳に入れたいことがあります。二人きりになりたいのですが……」
耳元で小六の吐息がくすぐり、くすぐったさと気恥ずかしさが襲う。だが、その声音はそういうものではなく深刻な様子であり、耳を傾けることにした。
「ここではまずいのか?」
「はい」
「わかった」
小六の声音に応え、大仰しく咳払いし、注目を集める。
「すまぬが、側近と話がしたい。部屋を貸してほしい」
エチゼンがそれに気づく。
「部屋でしたら仮眠室か、地上まで戻らないとなりません」
「では仮眠室をまた借りるぞ」
そういって、小六を連れ立って仮眠室に入る。
アイシャにはムツキと同じく扉の前に立ってもらう。
すれ違いざまに、小声で命令を下す。
「妾が返事するまで扉を開けるな。命令だ」
「御意に」
ムツキが応える声が聞こえると同時に、扉は閉まった。
扉の閉まる音とともに、小六は小さくため息を吐きながら、懐から小さな魔道具を取り出し、部屋をうろつく。
「それはなんじゃ?」
「静かに」
妾の問いかけに小さくも強い声が帰ってくる。それにムッとするも、いまはとりあえず落ち着く。
「やっぱり……」
小六が小声でいうと、ベッドの下から猫ほどの大きさをした道具が出てくる。
すると小六は、紙に筆を走らせ妾に見せる。
『これは盗聴器。会話を盗み聞きする魔道具です。以後は筆談で。会話は当たり障りのないことをお願いします』
「わか……」
言いかけて、妾も紙に筆を滑らせ、答える。
『わかった。で、なにごとだ?』
「で、妾と話とは何事じゃ?」
『黒幕はエチゼン大将です』
「今後の方針についてです」
『エチゼン? 根拠は?』
「それよりも、今回の騒動の責任についての謝罪が先ではないか?」
『今回の計画を知っていて、なおかつ得をするのはエチゼン大将のみ』
「その通りですね……私の考えが甘いばかりに、後手後手に回ってしまっております。また陛下を危険な目に合わせたのも私の不徳の致すところです」
『他には?』
「それで許されるとでも?」
『騎士軍団よりザギン駐屯所にスルガ大将は不在。また、スルガ大将が皇居攻撃には参加していないことを近衛軍が確認』
「決して許されるとは思っておりません。ただ、この騒乱を静めるためにも、どうか、私を信じてください」
『続けよ』
「では、いまは信じようではないか」
『他の駐屯所はもとより、自宅や別荘にも居ないことが判明。そして、つい先ほど、とあるところへ陸軍の車両が入門したという情報あり』
「ありがたきお言葉。つきましては、陛下には飛行機搭乗後、速やかに南方50㎞地点にある戦艦隊と合流していただきます。その後、戦艦隊は北上し、沿岸部の陸軍を威嚇します。このことは対象となる駐屯所指令には既に承諾を得ております。練兵場なら、射撃も可とまで言われています」
『それはどこだ?』
「なかなか過激な予備計画であるが、まぁ、そうなれば妾も楽をできるわけだな」
『ここです』
「はい。陛下には射撃の号令一つをお願いするところです」
『ここ? ここだと?』
「ははは。任せよ」
『はい。間違いなく、ここです』
「あと、飛行服以外にも頭部保温用の防寒具もあったので、それも離陸までに付けていただきます」
「あ、あぁそうか。わかった」
『最後に、海軍の戦艦にはいきません。もっと良い乗り物を用意しております』
「では陛下、部屋をでましょうか」
俄かに信じたいことだが、これが事実なのか。
それが受け入れたくないようなことでも、受け入れざるを得まい。
さもすれば、すぐさまここを出なければ、妾自身が危うい。
考えながらも、使った紙を灰皿に突っ込み、ことごとく火炎魔法で炭にする。それから部屋を出ようとすると、小六が立ち止まり、懐からおもむろに拳銃を取り出す。
それのスライドを引き、薬室に弾を込めると、安全装置をかけ懐に戻す。
「小六……?」
「ここからは、本当の命がけです。陛下の身は、なんとしても守り抜きます」
そう言って、小六は扉を開けた。
「モコ! すぐに飛行機を出せるか?!」
「もちろんです!」
「では陛下失礼します」
小六は身体強化魔法でも使ってるかのごとき速さで、妾を抱き上げると一気に階段を駆け出す。
モコもそれをみて慌てて駆け出し、ムツキとアイシャがそれを挟む様に前後を走る。
突然すぎて、逆に冷静になる。
回りがしっかり見えるような気がする。
「ま、待て! 逃がすな!追え!!」
エチゼンの声が聞こえる。
あぁ、あれは嘘じゃなかったのか。嘘だと信じたかったことが、真実だということをエチゼンの声が証明してくれる。
「身体強化します。今以上に揺れるので、絶対に口を開けないでください」
小六の言葉で口を噤むと、押さえつけられるような圧がかかる。
とんでもない加速で、階段を駆け上がると、そのまま装甲車に妾を放り込む様に乗せると、小六はハッチを開けたまま拳銃で威嚇射撃する。その間に後方にいたモカやムツキもハッチに転がり込む。最後のアイシャが乗り込むと同時にエンジンが始動し、急発進する。
その荒々しさで頭を壁にぶつけ運転席を睨むと、聞きなれた声が聞こえてくる。
「新予備計画ですね」
「サクヤ! いつの間に?!」
運転席にはサクヤが座り、その隣には魔研の所長がいた。
「なに、近衛騎士団より折り入っての頼みを聞いただけじゃよ」
所長の言葉になにやら嫌な予感がするも、装甲車は爆走する。横には待機していた数台の装甲車が並び、後方にも何台かあるようだった。
そういえば、ドライバーは皆、近衛の者。つまるところ、妾の手札であるのだから当然である。
その後方を海軍の魔導車が続くが性能差は歴然であり、直ぐに見えなくなる。そのまま駆け抜け、飛行場の門扉を突き破り、駐機してある飛行機まで突っ走る。
距離にして残り、残りわずか数百メートルであった。
遅くなり申し訳ございません。




