癒死の存在
「俺の知らない天井だ」
目を覚ました俺は、一言そう呟いた。
異世界に転生したらこれを言うのがしきたりだと聞いたことがある。随分と遅くなってしまったが言うことが出来て良かった。
――さて、それはそうとここはどこだろうか。
体を起こして周りを確認する。
部屋の中は薄暗く何も無い。強いて言えば、俺のベッドになっていた藁が大量に積まれているだけだ。
ふと、光の漏れている方に目線を向けると、そこには立派な鉄格子が嵌められていた。
……本当にここはどこなんだ? いや、ここが牢屋なのは間違いないだろうが……。
よく見れば、鉄格子の向こう側にも通路を挟んで同じような鉄格子が見える。
ここは監獄の中なのだろうか。しかし、監獄に入れられるようなことをした覚えは――というかアナザたちはどこだ?
半分寝ぼけていた頭が覚醒し、気を失う前の記憶が思い出される。
たしか、俺たちは不壊狼に襲われて、それで……?
俺は不壊狼に噛まれた自分の肩を見る。
「……治ってる」
誰が治してくれたのだろうか。
たぶんドーラさんだとは思うが、どうも最後の記憶が曖昧だ。不壊狼に肩を噛まれたことは覚えているが、そこから先の記憶がない。
いや、うっすらと、魔力を使ったような使わなかったような……。
……まあ、どちらにせよ俺がこうして無事でいることを考えればアナザたちも大丈夫だとは思うが。
「ん?」
他に怪我はないか、下半身を見ようとして首の違和感に気が付いた。
手で首に触れてみると、何か硬い物の感触が。
「……なんだこれ」
俺の首に何か付いている。
形状からして……首輪だろうか。でも、なんで俺に首輪が? しかも結構厳ついぞコレ。
「ふん」
力を込めて引っ張ってみるが外れる気配はない。
……困ったな。今の状況を一回整理してみよう。
目を覚ましたら牢屋の中にいて、何故か俺の首には厳つい首輪が嵌められている、と。
あれ。でも厳つい首輪ってフレーズつい最近聞いた気がする。どこだったか。
必死に記憶を辿っていると、聞き覚えのある声が掛けられた。
「なんだ、起きてるじゃない」
「ヴィオラさん」
見ると鉄格子の向こう側に桃髪が立っていた。
良かった、見た感じ怪我は無さそうだ。
しかし、他の三人が見当たらない。
「……他の方は?」
「アナザは上にいるし、シェイラとドーラは入り口で待っているわよ。やっぱり二人ともここには近付きたくないみたいね」
「そうなんですか。教えて頂きありがとうございます」
よく分からないが取り敢えず、全員無事のようだ。
だが、上とはどういうことだろうか。 ここは地下なのか?
「すいません、不壊狼に襲われてからの記憶が無いのですが、ここは一体どこでしょうか?」
「ここは冒険者ギルトの地下にある、まあ、言ってみれば冒険者専用の監獄のようなものね」
冒険者専用の監獄……?
俺は思った疑問をそのまま口にする。
「……冒険者専用の監獄とは?」
「ギルドの規則に反した――例えば、他の冒険者の手柄を横取りしたり、意味も無く人殺しを行ったりした冒険者が入る監獄のことよ。中には新人潰しなんていう馬鹿なことをしていた冒険者もいたわね。今は全員『奴隷の首輪』で繋がれているから問題はないけど」
「……」
俺はスッと自分の首に手を伸ばす。
『奴隷の首輪』? 俺が今首に付けてるのって何だっけか。というかなんで俺こんな場所にいるんだっけ。
「あの、すいません。なんで俺はその冒険者専用の監獄にいるんでしょうか」
「まず、不壊狼に襲われたあの後、みんなで急いで意識を失ったアンタを連れて帰ったら、ギルド内で揉め事が起きたのよ」
「揉め事、ですか?」
「そう。D級やC級の弱っちい人たちが大半だったけど、E級のアンタが私たちのパーティーに入ったことに不満があったんでしょうね」
「……ああ」
言われて俺は思わず納得してしまった。
たしか王都の冒険者の七割がD級C級だったはずだ。それがどれくらいの人数なのか具体的な数字までは分からないが、少なくとも俺がアナザのパーティーに入った時に、ギルドにいた冒険者の殆どはD級やC級だったはずだ。
更にD級、特にC級ともなれば殆どがソロではなくパーティーになってくる。つまりあの場に一人でもそのパーティーメンバーがいた場合、俺のことはそのパーティー全員に知れ渡ることになる。
そしてそんな中、受けた依頼の達成に貢献するわけでもなく、ただ一人意識を失った俺がギルドに運び込まれてきたわけだ。
そんな俺を見て周りの冒険者がどんな反応を示したか容易に想像がついてしまう。
考えていると、桃髪が更に言葉を続けた。
「それで、中には意識を失っているアンタに危害を加えようとする奴らまで現れてね。アンタを宿屋で休ませるには危険だということで、一番安全なここで休ませることにしたのよ」
「色々とご迷惑をおかけしてすみません」
「別にいいわよ、アナザにデートの約束して貰ったし。それに、ここは監獄の最奥。簡単には出入り出来ない構造になっているから、アンタに危険が及ぶようなことは絶対にないから安心して」
「……ありがとうございます」
最奥って……。逆に言えば、監獄の最奥じゃないと危険が残るということだろうか。外に出るのが怖くなってきた。というか、なんで俺は首輪を付けられているんだ?
俺は確認のために桃髪に問いかける。
「あの、俺って安全のためにここにいるんですよね?」
「ええ。そうなるわね」
「だったら、なんで俺はこの首輪を付けているんでしょうか」
俺は首を上げて、桃髪に首輪が見えるようにする。
「ああ、それね。それは、アンタがここから逃げられないようにするためのものよ」
「はい?」
俺の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
俺が逃げないようにするため? ……なんで俺が逃げると思ったのだろうか。ここが安全だと分かった今、ほとぼりが冷めるまでしばらく牢屋生活を堪能しようと思っていたのだが。
俺の疑問に思う姿を見て、桃髪が口を開く。
「そういえば説明していなかったわね。まず、アンタにはこの監獄の中である程度まで強くなってもらうのよ」
え?
俺の頭に再びクエスチョンマークが。
いや、桃髪の言っていることは分かる。つまり、今の俺がこのまま外に出ても他の冒険者に倒されるかもしれないから、この監獄の中で倒されないくらいには強くなれよってことだろう。
しかし、その肝心の強くなる方法が分からないのだが。この牢屋の中では碌に運動も出来ない。もしかして、一気に強くなれる魔道具的な物でもあるのだろうか。
そんな俺の考えを察したのか、桃髪が答える。
「この監獄の中には広い運動場があって、そこは強力な魔法防壁で囲まれているから、どんなにギフトや魔法を使おうが壊れる心配はないの。そこでアンタには私たちと強くなるまで戦ってもらうのよ」
「ああ、そういうことですか」
それにしても、それくらいで俺が逃げ出すと思われているのなら心外だな。俺は幼少期から父さんに毎日鍛えられてきたのだ。少しキツイ程度で逃げ出すわけがない。
「取り敢えず、私たちと戦ってもらうのは明日からだから」
「分かりました」
「それじゃ、また明日来るわ」
桃髪はそう言うと、俺に背を向けて歩き出した。
しかし、その足は数歩進んだだけで止まった。
「どうかしましたか?」
「……そういえば、アンタさっき不壊狼に襲われてからの記憶がないって言っていたけど、あの時に【身体能力上昇】以外で何かギフトを使った覚えはない?」
「ギフトですか? どうだったでしょうか……」
【身体能力上昇】以外となると、俺に使えるギフトはないはずだが……。
「ギフトじゃなくて魔法なら何か使った記憶はあります」
「それはたぶんアンタが使った『ボルケーノ』でしょうね。そうじゃなく、例えば魔法を発動させた後に何かギフトを使わなかった?」
……どうだろうか。そもそも魔力切れの影響で魔法を発動させた記憶すらあやふやで、ギフトを仮に使っていても全く記憶にないな。
「すいません、やっぱり覚えてないです」
「……そう」
俺の変わらない返答を聞いて、桃髪が難しい顔になった。
「何かあったのですか?」
「いえ、ただアナザに聞いて来いって言われていただけよ」
「そうですか……」
あれ。そういえば今思い出したが、なんで不壊狼に肩を噛まれた時に【未来視】が発動しなかったのだろうか。少し前まではしっかりと発動していたはずなのに。
「ひとまず分かったわ。何か思い出したことがあれば教えて。それじゃ」
シェイラさんはそれだけ言うと、通路の奥に消えていった。
……言いそびれてしまった。いやまあ、俺が思い出したのはギフトを使ったことではなく、逆にギフトが発動しなかったことなのだが。
というか、本当になんで【未来視】が発動しなかったんだろうか。もしかしてランダムなのか? だとすると、とうとう使えないギフトになってくるが……。
「寝るか」
取り敢えず、明日に備えてもう一眠りしよう。
よく分からないが【未来視】が使えなくても明日はなんとかなるだろう。
俺は積まれた藁の上に飛び込んだ。
◇◆◇◆◇
「『サイクロン』!」
俺が必死に走っている後ろで、名前からして強そうな魔法が叫ばれた。同時に頭の中に、俺が吹き飛ばされて天井にぶち当たる姿が視えた。
俺は魔力を最小限にした『ファイヤーボール』を心の中で幾つも唱え、相手のサイクロンに分散するようにぶつける。
「ッ!」
しかし、それでもサイクロンの威力は殺し切れず、吹き荒れた暴風が俺の体を高く持ち上げる。
映る光景が目まぐるしく変化する中、視界の端に、風を切り裂きながら突進してくる桃髪の姿を捉えた。
俺の【未来視】は発動していない。
ならば、ここは何もせずに風の流れに身を任せるのが正解だ。
「クソッ!」
俺の予想は当たり、桃髪は俺にあと一歩で届くという距離で風の勢いに負け体勢を崩した。
今の内に少しでも距離を取ろう。
そうホッとするのも束の間、頭の中に、体勢を崩したままにも拘らず、無理やりに長剣で胸を貫かれる俺の姿が映る。
慌てて目の前に『ウインドボム』を発動させ、風の流れを変えようと試みるが、もう遅かった。
俺が発動させた『ウインドボム』をも切り裂き、眼前で桃髪の悪魔がニヤリと嗤った。
だが、何もしてこない。
恐らく、恐怖に怯える俺を見て愉しんでいるのだろう。
なんてドSな性格を持っているのだろうか。前世からSっ気のある女性には魅力を感じていた俺ではあるが、この時ばかりは、もはや生きることを諦めた。
「ふっ」
最期の抵抗と小さな希望に賭けて俺は悪魔に向けて鉄の槍を突き出した。一応風魔法も付与してある。
しかし、桃髪悪魔にそんな些細な小細工は通用しない。
俺の突きは簡単に避けられ、お返しとばかりに俺の首は飛んだ。
自分の首無しの体を眺めながら、俺は静かに思考に耽る。
――なんでこうなっているんだろう。
遡ること数時間前。桃髪に連れられ、この運動場に来ていた。
「ヴィオラさん、戦うとは聞いていましたが、本当に全力で魔法を撃っていいんですか?」
手渡された槍を軽く振りながら、俺は問いかける。
因みにこの槍は俺がいつも使っている槍ではなく、魔法によって大量生産された、ただの鉄の槍だ。俺がいつも使っている槍と比べて少々重く感じるが、【身体能力上昇】を使えば問題はない。
「もちろんよ。どんなに重傷を負おうがドーラが完全に回復をしてくれるから安心してかかっておいで」
「まかせて!」
ドーラさんが杖を強く握り締めて頷いた。
「了解しました」
俺は【身体能力上昇】を発動させる。体が凄く軽い。
よし、準備は整った。
「じゃあ行くわよ?」
「大丈夫です」
桃髪に答えながら、俺は持った槍を構える。
さあ、これでいつ来ても――。
「――え?」
突如、俺の頭の中に、血を吹き出した首から上が無い体が映し出される。
「なんだこ」
言い終わるよりも速く、一拍置いて、俺の首に激痛が走る。
「――ぇ」
動いていないのに、次々と視界が移り変わる。
……なん、だ、これ。
切り変わる視界の中で、周囲の雑音が消えていく。
周りを見たいが、何故か首が動かない。
次第に視界も霧がかったように遠のいていき、意識が闇に飲み込まれようとしている。
何も無い世界で俺は確信する。
これ、死んだのか。
そう思ったのを最後に、俺の意識は完全に闇に飲み込まれ――。
『リバイヴヒーリング』
俺の耳にハッキリと声が届いた。
「――え?」
「すまない、大丈夫か?」
パッと前を見ると、シェイラさんが俺の顔を覗き込んでいた。
何が起こったんだ……?
俺が混乱していると、シェイラさんが顔を上げた。
「ヴィオラ」
「なに? 別に、大丈夫なんだからいいじゃない」
「いいじゃない、ではない。いくらドーラの回復魔法で治るとは言え、いきなり首を落とすヤツがいるか」
「ここにいるじゃない」
「ヴィオラ――」
シェイラさんと桃髪が言い争っている。その内容を聞きながら、俺は起き上がる。
「……逃げなきゃ」
無意識の内にその言葉を発していた。
コイツ、マジでヤバイ。
自分に【身体能力上昇】を発動させ、出口と思われる方向に急いで駆け出す。
しかし数秒も経たず、走る俺の手をガッと掴まれた。
「待ってくれ。たしかに、今のはヴィオラが悪かった。だから――」
「やめろおぉぉ!」
俺の心は完全に恐怖で支配されていた。
俺は必死に腕を振り解こうと、奇声をあげながら暴れまくる。
「ドーラ! 急いで精神安定を掛けてくれ!」
「わかった、『キュアリバイヴ』!」
俺の体が淡い光に包まれ、感じていた悪感情がスーと治まっていく。
疲れがどっと押し寄せ、俺は地面に座り込んだ。
「……ハァ、ハァ、ハァ」
「本当に仲間がすまない……」
「……いえ、だいじょ、ぶです」
激しい息切れを起こしながら、俺はシェイラさんに問いかけた。
「おれ、くび、きられたんですか?」
「ああ、そして斬られた首を回復魔法で治したのだ。ドーラが身体、精神の回復魔法を使ってくれたはずだが……取り敢えず、一回休憩にしよう」
「わかり、ました」
俺はその場に仰向けになる。
……思っていた以上に色々とヤバイ。まず、こんなことがあったなら普通、一回休憩じゃなくて本格的に中止にしないか? なんでまた続行しようとしているんだ。
もしかしたら、異世界の方々からしたら首が落ちるのは割と普通のことなのかもしれない。特に冒険者として活動していれば、人間を含む動物が死ぬところなんて何度も見ているかもしれないし。
「……」
……ヤバイな。なんか凄く怖くなってきた。もう一回ドーラさんに回復して貰おう。
それにしても、おれ、絶対にこんな世界馴染めない。