メアリーはシラを切る
こんばんは。
こんな時間に投稿しても読んでくださるあなたはきっと優しい人です。
では、どうぞ。
「それじゃあ、星太さんは毎朝ランニングをされてるんですね。」
琥珀色の瞳が、尊敬のまなざしで見つめてくる。
ちょっと不思議な出会いをした二人、天野星太と白石月花は天野家を目指して歩いていた。あれからゆっくりと会話は続き、今はジャージ姿の星太が朝から何をしていたのか、という話をしている。
「ああ、体を鍛えるために始めたんだけど、目が覚めるしサッパリできて気持ちいいよ。」
「すごいですね…。私はマラソンって聞いただけでも億劫になっちゃいます。」
「俺も最初はそんな感じだったさ。続けていれば慣れるって。」
「慣れるまで続けられるのがすごいんです!普通の人なら三日坊主ですよ。」
「あはは…こうやって褒められるとちょっと恥ずかしいな。でもありがとう。」
だいぶ自然に会話できるようになり、気まずい雰囲気もほぐれてきた。
二人の出会った交差点から歩いて十分ほど経っただろうか。住宅街特有のうねうねとした道が少し開け、今までよりも少し大きな通りに出る。
月花が慣れない景色をきょろきょろと見回していると、星太から声がかかった。
「ほら、そろそろ見えてきたよ。」
その声に導かれるように、月花は星太の視線を追う。
そこには瓦の乗った白い土塀がズラッと続き、真ん中には立派な木製の門が番人のように佇んでいる。これまでの道にあった家も小さくはないのだろうが、文字通り格が違った。
月花は今までも何度かこういった大きな日本家屋は見かけたことがあるが、変な話、改めて人が住んでいる場所なんだと思うと、さらに立派なものに見えてくる。
「すっごい…。」
思わず素直な感想が漏れる。
星太は「まだ門だよ」と、自分の家が褒められたことを嬉しく思いながら得意そうに笑った。
当然のことながら、近づいてみるとさらに大きい。
馬でも通るのだろうかという門を抜けると、綺麗に手入れされた低木が並ぶ道の先に、二階建ての大きな日本家屋があった。
必要以上の装飾はされていないながらも、荘厳さを失わない瓦屋根や玄関。柱の暗い茶色は落ち着いた雰囲気を出しており、白い壁とのコントラストでお互いのバランスを保ち、一つの作品として完成させている。
月花は目の前にある光景をどうにか褒めようとするが、そんな経験はないので月並みな言葉しか出てこない。
「すごいです・・・!なんて言うか、とっても綺麗です!」
「昔は小さな旅館をやってたらしいんだ、今じゃ使用人と俺の二人しか住んでないんだけどね。」
星太が優しく笑って説明をしながらカギを開けるが、月花はまだ珍しいものを見たといった感じで、目の前の建造物を見上げていた。
和やかな雰囲気で入ろうとした二人に、家の中から声がかかる。
「お帰りなさいませ、星太様。月花様もようこそお越しくださいました。」
「ほわあ!?」
突然飛んできた自分への言葉に、不意を突かれた月花はまた間抜けな声を出してしまう。「月花様」だなんて、賞状をもらった時ぐらいにしか呼ばれたことがない。
少し恥ずかしくなりながら声の方を見やると、濃いピンク色の髪をボブカットにしたメイド服姿の女性が丁寧にお辞儀をしている。ゆっくりと開かれたその目は透明感のある緑色で、表情がほとんどないのと相まって、まるで絵画や人形のようだ。
月花とメイド服の女性の目が合う頃に、星太が口を開く。
「ただいま。月花、この人はウチの使用人のメアリー。」
「星太様、私は使用人ではなくメイドです。」
メアリーと呼ばれた使用人、もといメイドは全く顔を変えず、よくわからない返事をする。
「はいはい。この通りちょっと変なところもあるけど、良い人だから安心してね。」
「変なところだなんて、まさか星太様も反抗期に…。」
「ずっと反抗期みたいな人がそんなこと言うんじゃありません。とにかくよろしくね。」
「あ、はあ…。よろしくお願いします。」
初めて見た本物のメイドに驚く間もなく展開されるお互いマイペースなやり取りに付いていけず、月花は生返事をする。
会話と言うよりはお互いの言葉に対する感想文の読み上げあいである。
月花への紹介を済ませた星太は続いてメアリーの方に向き直り、改めて話題を切り出す。
「さて、メアリー。月花の紹介をするまでもなく名前を知っているということは、やっぱりメアリーの仕業だったのか。俺は下宿のことなんて…。」
「さすが星太様、その推理力には敵いません。すごいです、さすがです、かっこいいです。」
「褒めて許してもらおうと思ったのならもう少し丁寧にやりなさい。」
「おや…?星太様、ランニングで汗をかかれたのではないですか?」
「…今はメアリーに話を聞いてるんだよ?」
「レディーの前でそれはいけません。それに玄関でお話するのもなんですし、月花様のおもてなしは私がやらせていただきますので、星太様はお先にシャワーを浴びてこられてください。」
「こら、逃げようとするんじゃない。メアリーは毎回そうやって…。」
「月花様、ほら、星太様少し汗臭いですよねー?ほら。」
「誘導尋問みたいなことを…って人の話を聞きなさい。月花も無視していいから。」
ガンガンと進んでいくのに内容は全く進んでいかない会話に巻き込まれ、月花は「えっ」とか「あっ」としか言うことができない。二人を交互に見ながら手をパタパタさせる様子は、くいだおれ人形のようである。
そんな月花を見て、星太は諦めたようにため息をついた。
「わかったよ、とりあえず俺はシャワーを浴びてくる。ごめんね月花、少し待ってて。」
「は、はい…お待ちしてます。」
なんとなく的外れな返事を聞いた星太は、ランニングシューズを脱ぐと丁寧に向きを揃え、家の奥へ消えていった。
取り残された月花とメアリー。メアリーは星太の後ろ姿にお辞儀をすると、月花の方に向き直る。
「申し訳ありません、月花様。星太様に下宿のことを話すと反対されるかな、と思い、伝えておりませんでした。ですが星太様は優しい方ですので、すぐに許可してくださると思います。」
「そうですか…。」
サラッと自白したメイドは悪びれる様子もない。
月花は特にツッコむ余裕もなかったので、触れずに流し、メアリーもそれを気にせず続ける。
「ああ、朝食はお済みですか?もしよろしければご用意いたしますので、ダイニングへご案内します。お荷物もお任せください。」
「あ、はい、食べてないです。お願いします。」
質問に答えることしかできない月花は、言われるがままにキャリーケースを預け、メアリーに付いて行くのだった。
無言で案内されながら改めて家の中を見てみると、掃除が隅々まで行き届いており、ホコリ一つ見当たらない。本当に二人暮らしなのだろうか。
廊下をまっすぐ進み、突き当たりの部屋に入る。
「こちらです、お好きな席に座ってお待ちください。」
通された部屋は外観と違ってやや洋風で、フローリング床の十畳ほどの部屋が二つ、間仕切りをとって繋がっている。片方には広いキッチンと椅子が六つ並んだテーブル、もう片方にはソファやテレビがあり、よくあるリビングダイニングといった感じである。全体的に明るい色でまとめられており、広々とした印象を受ける。
月花はひとまず三つ並んだ椅子の端に腰をかけた。なんだか今日はどっと疲れたような気がするのだが、残念ながらまだ朝である。さらにこの後のことを考えると嫌な予感しかしないわけだが。
渋い顔をしていると、いつのまにかお盆にお茶を乗せたメアリーが現れた。
「温かいお茶を淹れましたが、もし苦手でしたらお申し付けください。」
気づかいの言葉と共に、丁寧に自分の前に置かれるお茶。そのメアリーの表情は真顔のままであり、微妙な違和感が残る。
しかし外が寒かったので、ふんわりと湯気が上るお茶は素直に嬉しい。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます。いただきます。」
「良かったです、では星太様を待ちましょうか。」
そう言うと、メアリーは月花と反対側の真ん中の椅子に座り、同じように茶をすすり始めた。
「(あれ…?朝ごはんはどうするんだろう?)」
てっきりそのまま朝ごはんの準備が始まると思っていた月花はきょとんとしてしまうが、ごちそうになる側であるのに催促するわけにもいかず、おとなしくお茶を飲んで待つ。
もちろんメアリーに聞きたいことはたくさんあれど、星太なしで始めるわけにもいかないので無言タイムである。
「・・・。」
「・・・。」
「(星太さん早くー!)」
どうにかこの無表情メイドに話題を振らなければ、と月花は覚悟していたが、案外星太はすぐに登場し、ガチャッというドアの音と同時にしゃべりながら入ってきた。
「お待たせ。ごめんね月花。」
沈黙を予想していたのかは分からないが、第一声で月花に謝る星太。
月花がそれに答えるよりも早く、メアリーが口を開く。
「ああ星太様、お待ちしておりました。月花様も朝食がまだだそうで、一緒にお願いできますか?」
「うん。それはいいけど、もう逃げられないからね?」
「まあ、逃げるだなんて。私はそんな…。」
「はいはい。月花、何か嫌いな食べ物とかアレルギーとかあるかい?」
「ええと…ピーマンが苦手です。」
「わかった。二人ともちょっと待っててね。」
自然な流れで質問されて普通に答えたが、メイドが椅子に座ってお茶を飲み、主人が料理を作っているのは不思議な光景である。
月花が疑問に思っている間にも星太は電子レンジとグリルとコンロ2口とを同時に稼働させ、慣れた手つきで踊るように朝食を準備していく。一気に幸せなにおいが部屋に広がり、朝食のメニューを思わず想像してしまう。自分が空腹であると再認識させられ、腹が鳴りそうになるのを我慢する。
突然の食の暴力に月花が必死に耐えていると、メアリーが耳打ちをするようにそっと話しかけてきた。
「月花様、ピーマンがお嫌いとは、かわいらしいですね。」
「んなっ…!」
子供っぽいだろうかと少し気にしていたところを突かれ、言い返せない。
メアリーは無表情のまま指先で唇を隠し、ウフフと煽るようなポーズをしている。まったく自由人なメイドである。
「め、メアリーさん、メイドさんなのにお料理とか手伝わなくていいんですか?」
別にそうする必要はないのだが、月花もメアリーに合わせて小声で返事をする。
仕返しをしようとしてもさらに追い込まれる想像しかできないので、ひとまず話を逸らすことにした。
「ええ、私もメイドですから別に料理ができないというわけではありません。メイドですから。」
「はあ。」
二回も言わずとも聞こえているし、メイド服を着ているのにメイドではありませんと言われても困る。
月花が心の中でツッコミをいれていると、メアリーはチラリと星太の方を見やる。
「…ですが星太様の方がお料理が上手ですし、何よりご本人が楽しそうにしていらっしゃるので、これでもいいかなと。」
「たしかに楽しそうですね、星太さん。」
「今では勝手に冷蔵庫の中をいじると怒られるくらいになってしまいましたが。あっはっはっは。」
メアリーの言う通り、星太は今にでも歌いだしそうである。あんなにもテキパキと楽しそうに動いているのを見ると、大人しく作られるのもアリなのかなあと思ってしまう。二人暮らしだからこその信頼関係といったものなのだろうか?
あっはっはっはと言いながら目も口も笑っていないのはシュールな光景だが。
「はーい、できたよ。運ぶの手伝って。」
そうこうしている間に星太から声がかかる。朝食が完成したようだ。
焼き鮭、玉子焼き、味噌汁、ひじき、きんぴらごぼう、野菜サラダ、ごはん…。朝から6品、大盤振る舞いである。
だからといって量が多いというわけではなく、むしろ食欲は最高潮なので足りないのではないかという勢いだ。
所狭しと並ぶ料理たち。その香りが、彩りが、早くそれを食べろと脳に指令を出させる。
配膳が揃ったのを確認した星太が手を合わせたのを見て、言われるまでもなく二人もそれに続く。
「はい、じゃあいただきます。」
「「いただきます。」」
抑えていた食欲のままに、月花は箸を手に取った。
まず初めに味噌汁。口に含んだ途端に出汁の香りが広がり、まぶたをこじ開けていくように体にスイッチが入る。
続く焼き鮭は、箸で切ろうとするだけでしっかりとした身の弾力がわかり、朝には少し辛いかなという塩加減が自然と白米に手を伸ばさせていく。
つやがあり一粒一粒たっている米が、しょっぱさをとろかしていき、飲み込む時にはその甘味で塩気に驚いた口を癒してくれる。
小鉢の二品も曲者で、少ないながらも確かな自己主張で舌を飽きさせない。
野菜サラダのパリパリとした瑞々しい食感と野菜らしい苦みも他を邪魔せず、またその緑で食卓を彩ってくれる。
全て美味しいのだが、月花が最も気に入ったのは玉子焼きだった。
やわらかくて、甘い。それだけであるのに、他に何もいらないほどに、心を包むようにふわりと舞い降りたかと思えば消えてしまう。美味しいものに対して使うのはおかしい言葉だが『食べた気がしなかった』…。
瞬く間に完食し、ふと周りを見やると星太とメアリーがニヤニヤと(メアリーの表情はそのままだが)こちらを見ている。
「あっ、そのっ!ごめんなさい…。」
なんだか恥ずかしくて思わず謝ってしまう月花。もしかしてかなりがっついていただろうか。
今日は恥ずかしい姿をよく人に見られる日だ。
月花が謝りながらも箸から手を離さないのを見て、星太は軽く吹くように笑う。
「なんで謝るの?ありがとう、そんなに美味しそうに食べてくれて。」
「ふふふ、ですから申し上げたでしょう。星太様は料理がお上手だと。」
二人の言葉はとても優しくて温かくて、まるで玉子焼きのようだった。
そんな空間に自分も加えてもらえたような気がして、自然と笑みがこぼれる。
「とっても美味しかったです…ごちそうさまでした!」
まだ少し照れくさそうに笑う月花を見て、星太は独り言のようにつぶやいた。
「ねえ、メアリー。下宿の話だけど、家主として正式に許可するよ。」
星太の申し出に、メアリーはまた飄々と答える。
「ありがとうございます、星太様。きっとそう言ってくださるだろうと信じておりました。」
「あはは、最初からそのつもりだったか。でもいいよ、メアリーが考えたことなら大丈夫だろうし、こんなに美味しそうに食べてくれる人を追い出すなんてできないよ。」
星太は月花の方に改めて向き直ると、ゆっくりしゃべりだす。
「月花も、そういうことでいいかな?」
質問、というよりは確認であるその言葉に月花も笑いながら答えた。
「はい!」
三人の間には穏やかな空気が流れ、これからの生活が良いものであると知らせてくれているようであった。
…であったのだが。
「ところで星太様、月花様。そろそろ登校しなければ遅刻するのではないかな、と思うのですが。」
メアリーの言葉にハッとした二人が時計を見ると、確かになかなかの時間である。普段は走る道のりを歩き、そのうえゆっくり朝ごはんを食べたのだ。当たり前である。
星太は急いで椅子から立ち上がると、自分の部屋に着替えに向かう。
「メアリー!下宿の細かいことは帰った後で!あと朝ごはんの片付けもお願い!」
「承知しました。」
「月花!キッチンにお弁当があるから!赤い包みの方ね!」
「は、はい!」
それぞれに出された指示に返事をしたのを確認した星太は、急いでダイニングを後にする。
ドタドタという音を聞きながら、またメアリーと月花は取り残されてしまった。
「さて月花様、転校等の手続きに関しましては職員室に直接行けば大丈夫ですので。・・・もし心配であれば私も同行しますが。」
マイペースを崩さないメアリーに苦笑しながらも月花は答える。
「はい、大丈夫です。昨日のうちに電話もしてありますから。」
「承知しました。では行き道は星太様と一緒に登校されてください。」
「わかりました。」
軽い確認をしている間にまたドタドタという音が帰ってくる。
「月花!行くよ!」
「はい、星太さん!」
学生服に着替えた星太に促され、月花も弁当をとって一緒に玄関へ向かう。
穏やかな空気こそあわただしく変わってしまったが、きっと楽しいことに変わりはないだろう。
無表情なメイドの「いってらっしゃいませ。」という言葉に見送られて、二人は出発するのだった。
ありがとうございました。
メアリーさんは書いていて楽しい人です。
もちろん今後とも活躍してもらうつもりなので楽しみです。
次回も濃いめの子が参戦予定です。
自分で書いてて朝ごはん食べたくなったのでお米を研いできます。
では、また見かけたときはお付き合いください。