紅玉の契り 2
2016/11/28 一話分だったものを分化しました。加筆修正などはありません。
それから二日間、ユキホは一切眠ること無く、ほとんどの時間スミナの手を握り、彼女が無事に治る事を祈り続けた。
天谷の尽力もあって、三日目の朝には熱がほぼ引き、スミナの意識もはっきりとするようになった。
「お前、なんで居るんだよ全く……」
上半身を起こしているスミナは、呆れを通り超して少し表情が緩む。
「スミナぁ……」
ボロボロと泣きながら、ユキホはスミナに頭を撫でられている。
「変な夢見てた……」
ユキホの気分が落ち着いた頃、スミナが唐突にそう言い出した。
その夢は、真っ暗な場所に行こうとするスミナの手を誰かが掴んで、そちらへ行かせないようにしている、というものだった。
「そうか、アレはお前だったのか……」
スミナはスポーツドリンクを飲むと、再び仰向けに寝転がった。
「お前なんでそこまで、アタシにこだわるんだ?」
特に他意は無く、ただ単にユキホに訊ねる。
「貴女が欲しいからよ」
据わった目のままニッコリと笑い、その白く細い手を両手で握る。「奇特なヤツだ」、と、スミナはその手の暖かさが、全身に伝わっていくのを感じながら言う。
「で、アタシなんか手に入れて、どうするつもりなんだよ、お前は」
「私の主人になって欲しいの」
ユキホがスミナに対して抱く感情は、彼女が知っている物の中では『忠誠』が一番近かった。――この時点では。
「バカかお前は? 漫画の見過ぎだ」
「見たこと無いわ」
「見た事が無いにしろ、今時、主人もクソもないだろうが」
「そんなもの関係ないわ。特に"私達"みたいな人間にはね」
――裏の住人には、表の常識などは意味を成さないのだから。
「それはそうだけどなあ……」
頭を悩ませるスミナの足元に腰掛けたユキホは、細い木の幹の様な脚を少し持ち上げる。少しはだけた病院着から覗くそれには、おびただしい数の古傷が刻まれていた。
「これ、どうしたの?」
いたわるように腿の辺りを撫でてそういうユキホに、
「アタシは……、変態の玩具にされててな」
スミナは死んだような目でそう答えた。
「そうなの……」
傷の中には、どう見てもいい加減に縫われたものもあった。
「お前、アタシなんかのために怒ってるのか?」
スミナは深紅の瞳を丸くして、まださすっているユキホを見下ろす。誰かに哀れまれた事は頻繁にあるが、自分のために怒ってくれたのは初めてだった。
「当たり前よ。主人に酷いことされて、怒らない下僕は居ないでしょ?」
ユキホは撫でるのを止め、両手でスミナ踝の辺りを持って、その白いつま先に口付けをする。
「ひゃん!? お、おおお前っ! 何を……っ」
裏返った声でそう言った、スミナの頬が瞬時に真っ赤になる。
「これで私は貴女の下僕よ、スミナ」
うっとりとした表情で、ユキホは自分を見下ろす瞳を真っ直ぐ見据えていた。
それを見たスミナは、何かを言おうとしたが、
「……何を言っても無駄みてえだな」
何も言わずにため息を吐いて、滅多に見せない笑顔を浮かべた。
*
「ユキ……、腹減った……」
スミナは傍にいるユキホに、眠そうな声でそう要求する。
「分かったわスミちゃん。何か貰ってくるわね」
そう言って、ユキホはドアノブに手を掛けると、ちょうどドアがノックされる音が聞こえた。
「入るわよ」
ユキホがドアを開けると、長い金髪をサイドテールにした碧眼の少女が入ってきた。ガムを噛みながら彼女の後ろに続く、変な色合いの迷彩ジャケットを着た筋肉質の男が、小さな土鍋を手にしていた。
「何の用だ……」
この二人はスミナとユキホの同僚で、男の方が死体処理担当兼護衛、少女はその主人をしている。
「お粥持ってきてあげたのよ。感謝しなさい」
恩着せがましくスミナにそう言うものの、
「そうか……。どうもな……」
いつもの様に軽口の一つも言わない彼女に、サイドテールの少女は面食らった。
「……やけにしおらしいじゃないの」
ガムを噛んでいる男が、簡易キッチンのIHヒーターの上に鍋を置いた。前髪で隠れ、その表情は覗えない。
「もめる元気がねえんだよ……」
ユキホの手を借りながら、上半身をゆっくりと起こしたスミナは、気怠そうな声でそう返す。
「張り合いがないわねえ……」
帰るわよ、と突っ立っている護衛の男に言うと、はい、アイリ様、とだけ言って、出て行くアイリと呼んだ少女に続く。
ドアが閉まると、ユキホは小皿に粥をよそってスミナの傍らに座る。レンゲで掬い息を吹きかけて、猫舌の彼女が食べられるようになるまで冷ます。
「はい、あーん」
「ん……」
「熱くない?」
「大丈夫だ……」
小皿の中身を食べきると満腹になり、ゆっくりと横になった。
「ユキ……」
皿を小さな流しで洗っているユキホに、スミナは後ろ向きで話しかける。
「なあに? スミちゃん?」
ユキホは蛇口を締めて、手を拭きながら聞き返す。
「私を……、拾ってくれて……、ありがとう……、な」
「どうしたの? 急に」
口角を持ち上げた彼女は、少し嬉しそうに訊く。布団を被っていて、スミナの表情は見えない。
「いや……、今まで言って……、無かったから……、この際言ったんだ……」
「そうだったかしら?」
ベッドに直角に配置されているソファーに腰掛けて、ユキホは小さく笑いながらそう言う。
「多分な……」
少しウトウトし始めたスミナに、
「感謝なんて要らないわ」
ユキホは柔らかな口調で言う。
「私が好きでやってる事だもの」