第七話 私も連れて行って
少女は急いでいた。
早くしなければアランは行ってしまうだろう。その前に何とか引き止めなければ。
そんなことを思いながら、少女は妖力を使うために動きやすい服装に着替えていたことを幸運に思った。
アランがどこにいるのか、という肝心なことを聞きのがしてしまっていたことに気付いた時には、もうサーラは応接間についていた。ドアを開けるも、そこには当然のごとくに誰もいなかった。
なので、今は屋敷中を全力疾走している最中である。
途中何人かの使用人に出会い、その度に何事かと驚かれたが、サーラは気にも留めずに走り続けた。
アランは何処なのだろう、自分もついていきたい、ということしか頭になかったというのが主な理由だ。すでにアラン至上主義になりつつある少女は実にまっすぐだった。
「アラン!」
やっとその姿を視界にとらえて嬉しそうに叫んだ少女は、そのままその人物の胸に飛びこんだ。
「サーラ? どうしたの、そんなに息を切らして」
年端のいった少女に飛びつかれても、アランはあまり表情を変えなかった。少しぐらついただけで、しっかりとそこに立っている。しかし彼は十分に驚いているのだ。非常に、非常にわかりにくいが。
もちろんサーラにはすぐに分かった。自分の行動で彼の感情を動かせたことが嬉しくて、声を弾ませる。
「アラン、巡回に行くんですって? リリスから聞いたわ」
「うん、これから行くけど。サーラも来る?」
サーラが言い出す前に先回りされ、彼女は大きくうなずいた。
「もちろん行くわ。そのために来たのよ」
気合十分と言った少女を見て、アランはその頭をなでる。彼の唯一の愛情表現に、サーラは猫のように目を細めてその手に頬を擦りつけた。
そんな、他人が見ればコーヒーがミルクココアになるくらい砂糖を吐き出しそうな光景を、たまたま見てしまった者がいた。
「何やってるんですか、公衆の面前で」
呆れたように呟く青年の名は、サティラスという。この屋敷の執事でありアランの侍従たちをまとめる侍従長だ。実に冷めた青年だが、その仕事はきっちりとしていて隙がない。アランが重宝している側近の一人だった。……もちろん砂糖は吐かない。吐きたいのはやまやまだったが。
「あら、何か不満でもあるの? あなたも可愛い彼女がほしいなら、その仏頂面をやめたらいいんじゃないかしら。笑えば様になると思うんだけど」
「やめてください気持ち悪い。私は女性に興味はありませんよ」
その答えを聞いて、サーラは驚愕して目を見開く。
「それは知らなかったわ……あなたってば男に興味があるの……!?」
「んなわけないでしょうが。ふざけるのもいい加減にしてください」
ふざけているのではなく本気だったのだが、それを言ったらもっと怒られそうなのでやめておいた。
「そう、それはごめんなさい。けれど、あなたどうしてここにいるの?」
さらりと話題を変えると、サティラスは何とも言えない呆れた顔をしながらも説明を始めた。
「旦那様に正式な依頼が来たからですよ。この町にある有名な屋敷で、『堕ちた』妖精が発見されたらしいです。まだ『堕ちた』ばかりで精神が不安定なので、今のうちに『還して』ほしいとの連絡を受けました」
何やら明確な依頼に、サーラは目をぱちくりとさせる。リリスの話では念のためくらいの依頼だったはずなのだが。いつの間にそんなに本格的になっているのだろう。
「依頼が来たのはつい一時間ほど前です。急がなければいけません」
真面目な顔でそう締めくくったサティラスに、サーラは考えることをやめた。まあいいか、という心づもりである。
「分かったわ。私はこのままでもすぐ行けるから、早速行きましょうか」
「……あなた、私の話聞いてました?」
奇妙なものを見るような視線と言い草に、サーラは首を傾げた。
「何が?」
「だからですね、この依頼は正式に『堕ちた』妖精が出たといっているんです。危険なんです。どうしてわからないのですか」
聞き分けの良くない子供に言うように、サティラスは眉をひそめた。サティラスは常識人なのだ……少し堅物すぎるぐらいに。
しかし、それに反してサーラは常識の斜め上を行く少女である。そんな視線に屈するほど柔ではない。
「別に構わないでしょう。私だっていつかは妖精を『還す』ことをするようになるんだから、今のうちに経験を積んでいても何ら問題はないはずよ。極論、アランがいれば私は死なないし」
最終的に辿り着いたあんまりな理論に、サティラスの許容量は簡単にオーバーしてしまった。
「あなたは馬鹿ですか」
言ってしまった後に、サティラスは後悔する。どれだけ箱入り娘でも、この少女は主人が決めた生涯の伴侶だ。さすがに無礼が過ぎたと今更ながらに気付く。
普段ならばこんな失態は犯さないサティラスなのだが、この時ばかりは感情を制御することが出来なかった。自分の無礼な態度に内心舌打ちしながら、黙って頭を下げた。
「無礼なことを申しました。申し訳ございません」
今度は完全に感情を無視することが出来た。しかしどうやってこの少女の同行を取りやめようかと試行錯誤していると、不意に上から声がかかる。
「別に怒ってないから、顔あげていいわよ。私はあなたのそう言う素直なところ、別に無礼だとも思ってないし。逆に、感情さらけ出してくれた方が楽だとも思うしね」
あっけらかんとした口調に、思わず顔を上げたサティラスは驚愕した。目の前にある少女の顔には、本当にどこにも不機嫌そうな色は見られない。
「私の実力は目の前で見ないと分からないでしょうし、あなたもついてきたらいいと思うの。アラン、いいかしら」
最後にアランの顔を見たサーラは、夫の顔を見てきょとんとした。傍目には分かりにくいが、これは結構不機嫌な時の表情だ。
「あら、私何かしたかしら?」
「僕そっちのけで会話を交わされると何故だかもやもやする。君とサティラスを一緒に連れていくことを許可するから、僕のことを見ていてくれると嬉しいんだけど」
普通の令嬢ならば赤面して顔を逸らすようなセリフを吐かれても、サーラは顔色一つ変えなかった。……というかただ単にその言葉の意味がよく分からなかっただけなのだが。
「……? 私はいつもアランしか見えていないわよ? ほかの人間に興味はないから」
これまた結構なセリフを吐くサーラ。夫が夫なら妻も妻である。完全な似たもの夫婦だ。
その場でただ一人の常識人であるサティラスはすでに唖然としていた。自分の主人も結構な変人だと思っていたが、というかそのせいで結婚してもうまくやれるのかと気にしていたが、そんな心配はしなくてもよかったようだ。アランよりも変な人間は初めて見た。
しかしそんなサティラスを置き去りに、二人は着々と話を進めていて、気づいた時には三人で依頼人のもとへと向かうことが決定してしまっていた。
それはいつもは自分の仕事なだけに面食らった。なんだかこのコンビといると自分の調子が狂う。
しかしそんな心情になっているサティラスのことなどつゆほども理解できていない二人は、さっさと準備を進めてしまっているのだった。