第二話 相性のいい二人
突然の前公爵登場に驚きながらも、サーラは先程の名前を頭の中で反芻していた。
アラン…………アラン・ユグラスト?
ということはこの青年が、サーラの生涯の伴侶になるかもしれない男性だというのだろうか?
固まりつつ思考をフル回転していると、サーラの姿に気付いたトルネシア伯爵がぎょっとしたように声をかけてきた。
「サーラ、どうしてアラン公爵と一緒に居るんだ?」
しかし、それに答えたのはアランだった。
「その子は妖精に憑かれていたから、僕がちょっと追い払ったんだよ」
その言葉に、今度は前公爵が眉を上げる。
「おお、もう二人は知り合っていたのか。ならば話は早い。アラン、突然だが、そこにいるサーラ・トルネシア嬢を妻に迎える気はないか?」
その瞬間、サーラは思考を現実に引っ張り戻された。
そうだ。自分はこの青年の妻になるのかもしれないのだと、いまさらながらに気付く。
しかしその事実は、最初ほど彼女の気分を落ち込ませはしなかった。
むしろ、この人と一緒に居ると退屈しなさそうな気がする。
あまり動かない表情が動いた時、サーラの気分は少なからず高揚した。こんなことは久しぶりだった。
いつの間にか、他の貴族たちが固唾をのんでこちらを凝視している。
そんな静まり返ったホールの中、アランは結論を出した。
「そうだね、いいよ。僕は彼女を妻にしたい。……君はいい?」
言いながらこちらへ近づいて、サーラの両手を握る。
「僕が手を放しても妖精が見えた人は君が初めてだ。そんな理由だけど、僕は君と一緒に居たい」
そう言って、アランはこちらをまっすぐに見てきた。相変わらずその表情からは何も読み取れないが、サーラにとってはそんなことは問題ではなかった。
「私、人生が退屈で退屈で、しょうがなかったの。でも、あなたといる時は退屈しない。こんなこと初めてよ。そんな理由だけど、私はあなたの妻になりたい。……喜んで、お受けするわ」
そう返して、サーラはめったに見せない笑顔を浮かべた。
貴族の少女たちは、その瞬間にほとんどが卒倒したのだった。
✡✡✡
「いやはや、お前がアラン公爵と気が合うとはな」
帰りの馬車の中で、父は笑いながら言った。
サーラは首を傾げつつそれにこたえる。
「そんなに珍しいことでもないと思うわ。たぶん私と結婚できるのはあの人だけだし、あの人と結婚できるのは私だけよ」
「それは、他の人に対して言うんじゃないぞ。お前の立場が悪くなる」
「分かっているわ、お父様」
傲慢で言っているのではない、決して。
サーラはあの後、アランと話していたことを思い出した。
「サーラは、妖精に興味はあるのか?」
「あるわ。というか、退屈しないようなものにならなんでも興味あるわ」
本心からそう告げると、彼は興味深そうにこちらを覗き込んできた。
「僕は妖精以外にはあまり興味が湧かないんだけど、君になら興味がわくよ。どうしてだろうな」
「そんなことを言われてもね……私は妖精じゃないわよ?」
少し首を傾けて言うと、アランは考え込むように口に拳を当てた。
「そうなんだろうな、君は妖精じゃない……でも、今まで会ったどの人物よりも妖精らしいよ。僕を怖がらないし」
「怖がられたの?」
きょとんとして聞くと、アランは透明な表情でこちらを見た。吸い込まれそうな瞳に、思わず息が止まりそうになる。
「僕が触れると妖精が見えるって人達は大体そうだよ。妖精が怖いらしい。だから僕のことも怖い」
その理由に、サーラは眉をひそめた。何だ、その不可思議な理由は。
「? ……私は別に、妖精も貴方も、怖いだなんて思わないけど」
サーラは手を伸ばして、アランの髪を梳くようにした。
「あなたは綺麗だと思うわよ。今まで私が会ったどの人物よりも」
「そうだろうか? ……僕はあまり、自分のことを綺麗だとは思えない」
ふっと顔から感情が消えるのを見て、サーラは少し不機嫌になった。
「ちょっと、そういうの止めて」
途端、アランはきょとんとした。
「そういうの?」
「そういう、突然表情消すのをやめてって言ってるの。ただでさえあなたは無表情なことが多いし……私はあなたの表情が変わるところが好きなのに」
「変なところが好きなんだね」
「放っておいてよ。私の趣味がおかしいことくらいわかってるわ」
むすくれたように言うサーラを見て、アランは言った。
「でも、僕は君のそういうところが好きだけど。そういう、自然体みたいな。そういう感じの対応をされるのが好きだ。話し方にも遠慮がないし」
「……やっぱり、何かまずいかしら?」
公爵家と伯爵家では身分が違う。敬語ぐらいは使った方がいいだろうかと聞くと、アランは突然口をキュッと引き締めた。
「それは嫌だ。僕は君が敬語を使ったら口を利かないよ」
そんな横暴な、と思わないでもなかったが、アランからのはじめての我がままなのだし、それくらいは聞いてもいいだろう。
「分かったわ。その代わり、私を避けるのはやめてね」
「?……何で僕が君を避けなきゃならない?」
「そういう時が来るかもしれないわ」
「よく分からないけど、いいよ」
不思議そうに首を傾げながらもうなずいたアランに、サーラは満足したように微笑んだ。
思えば、あそこまで笑ったのは人生で初めてだったかもしれない。
誰かに「笑って」と言われるたびに「笑えば退屈が埋められる?」と聞いていた幼少期を持つサーラである。自分から笑うことなど一生ないと思っていたのに、珍しいこともあるものだ。
他人事のように考えながら、サーラは久しぶりに自分の半生を振り返る。
気が付いた時から、人生というものは退屈だった。
サーラは物覚えの早い子供だった。教えられたことはたいてい一回で覚えてしまったし、それをすぐに行動に移すこともできた。
そのせいか大人には疎まれたりもしたが、サーラは特に気にしないで生きていた。あまり周りに関心がなかったとも言える。
しかしあまりにも物覚えがよすぎた。大抵のことどころか、教えられたことや覚えようと思ったことで覚えられなかったものはいつの間にか存在しなくなっていた。
サーラはその時気づいてしまった。自分がやろうとして出来ないものなど存在しないのではないか----と。
その考えを振り払うかのように色々なことに挑戦してみたが、サーラはその全てを当然のごとくに素早くこなせてしまった。
その瞬間から、サーラは人生が退屈になったことを知った。自分にできないことがない。自分よりも上の存在がいない。それに気づいた時の絶望感を今でもはっきりと覚えている。
自分は、一体何のために----何をするために、この世に生まれてきたというのだろうか?
自分の存在意義を完全に否定されたような心地になりながらも、少女は生き続けた。生き続けてきた。いつか、自分の退屈を埋める存在が現れるかもしれないと、必死に言い聞かせて。
サーラは今、自分はこの時のために生まれてきたのではないかという気がしていた。アランに会って、妖精を見て、サーラは自分の常識を塗り替えられていったように思う。
アランは自分にできないことが出来る人物だ。自分よりも高みにいる人物なのだということに、サーラははっきりと気づいていた。
「私は、きっとあの人に会うために--------」
「ん? 何か言ったか、サーラ?」
首を傾げた父に向かって、静かに首を横に振る。
「いいえ、何も」
父に言おうとしたことも何度かあったが、やめておいた。きっとこれはアラン以外の誰にも理解してはもらえない感覚だろう。だったら言うだけ無駄だ。
一つため息を吐いて、サーラは窓の外を見つめる。
アランに、もう一度会いたくなった。
サーラは結構な天才です。
そして分かりにくいですがアランは結構な妖精好きです。