図書館の恋 3
ようやく有也が動きます。
2014/01/03 誤字訂正
チャイムの音が校舎内で響き渡り、週番の号令で今週最後の授業が終わった。教師の姿が見えなくなった途端に、一際騒々しくなる教室内はいつもの光景だ。
答えが出ないまま迎えた金曜日。
使っていた教科書類を片付けながら、有也はそっと息を吐いた。
本当は、答えなんてとっくにわかっている。ただ、それをどう行動に移したらいいのか、その術がわからないだけだ。
こういう時、自分の経験不足を歯がゆく思う。
祐ならどうしたらいいのかを知っているだろうと考えては、そのたびに彼の過去に―――過去の相手に嫉妬する。
年末の喧嘩のとき、自分さえ彼への気持ちを揺らがせなければいいと思ったのは本心だ。
一方で、その本心が祐の有也に対する思いを心から信頼していないという証拠であり、自分に自信がないのを認めることなのだと気付いた。
彼が自分を選んでくれたのは嬉しい。
でも、どうして自分なんだろう、と未だに悩む。
彼は好きだと言ってくれる。
でも、それは何時まで向けられるのだろう、と未来に不安を抱く。
今だけを見つめればいい。
そんな刹那的な見方をできるほど、有也は割り切れる性格でもない。それどころか考えた瞬間に歩を進められないほど怖気づく。
そして何よりも恐いのが、体の関係を持つことで彼に幻滅されないかということだった。
彼も、もちろん自分も、これまでの恋愛対象は異性で、特に祐はこれまでの過去に比較対象を持っているはずだ。
有也と関係を持つことで、我に返ってしまうことはないのだろうか。
あの優しい目を二度と向けられなくなるかもしれない。
それを想像しただけで踏み出そうとする勇気が萎んでしまう。
何か一つでもいい、後押しして欲しい。
誰かに頼りたいと思ったせいか、ふと図書館で知り合ったもう一人の人物が脳裏を過った。だが、彼に相談するには祐との関係を一から話す必要がある。
同時に、話すことで彼に距離を置かれてしまうかもしれないと想像もでき、それを嫌だと思う自分がいる。
図書館での様々な出会いは、祐を含め有也の交友関係を広げたのだと今更ながらに自覚する。
その居心地の良さから、有也は自分から何かを起こそうという気にならなかった。それが正直なところなのだろう。
人に甘えて、自分にも甘くて。
今回は、そのツケなのかもしれない。
「……メール?」
持ち帰る教科書を仕舞おうとして、鞄の奥底で光る携帯電話に気付いた。差出人は、有也を悩ませ続ける張本人。
有也の頭を占めるような内容が書かれていたらどうしよう。
一気に心臓が高鳴るのを宥めながらメールを開く。
【明日、何時に図書館へ行く?】
ある意味、いつも通りの用件メール。
頭の中で木霊する、あまりにも簡潔なその画面を有也は呆然と見つめる。
この一週間、有也の頭はずっと彼との関係について悩み続けていたのだ。
現状に満足していた自分と、変化を求める祐との違いを改めて突き付けられて。
次に同じ状況になった時、自分はどうするのだろうか、と自問自答し続けたこの一週間。
自分が取った行動で、祐との関係がどうなるのかと考えれば考えるほど、嫌な想像が頭から離れなくなったというのに。
あれだけ人を悩ませておきながら―――と思わず悪態つきかけて、ふと有也の身体から力が抜けた。
「………いつも通り、か」
改めて、届いたメールを読み直す。
いつもなら平日の夜に雑談めいたメールのやり取りをするのに、この一週間は彼から届かなかった。
祐は、本当にいつも通りなのだろうか。
「有也、帰るのか?」
荷物を慌ただしくまとめて立ち上がった有也に、級友が声をかけてくる。それに手を振りながら、お先、と教室を後にした。
駐輪場で携帯電話を取り出し、リダイヤルで恒也を呼び出す。
受験シーズン真っ只中の中学三年生ということもあって、彼はすでに自由登校の身だ。滑り止めも順調に決まり、あとは本命の結果を待つばかりである。
数回のコール音を経て、怠そうな声が応えた。
「悪いけど、今日の晩飯任せていいか?」
前置きもなしに用件を切り出せば、顔の見えない相手の動揺する気配がある。
弟の反応は当然だろう。これまで体調を崩した時以外、有也は食事作りを放棄したことはなかったのだ。
『……急に、どうしたの?』
「どうしても今日、行きたい場所があるんだ」
どことは言わない。
誰、とも言わない。
ただ相手に頼みたいことだけを言う兄に、しばらく沈黙が続いた後で苦笑が届いた。
『ようやく動くんだ?』
「……恒也?」
『誰かは知らないけど、最近の溜息の原因に会いに行くんでしょ。さっさと解決してくれないかなーって思ってたんだ』
「……そんなに煩かったか?」
『知也が正の字で数えるくらいにはね。あ、父さんたちを誤魔化す理由は考えておくけど、日付変わるようなら自分で連絡しろよ』
「―――恒也!!」
弟が何を指したのか気づいたときには、じゃあね、という声とともに通話が切られていた。携帯には通話終了という文字が画面に表示されている。
きっと自宅では腹を抱えて笑っているだろう弟の姿を想像した有也は、複雑な表情を浮かべた。
恒也だけでなく知也にも溜息を見過ごしてもらえなかったという事実は、それだけ心配をかけたのだろうとも思う。
帰った後で顔を合わせることを想像すると、微妙に面映ゆい。
「その時はその時だよな」
自分を納得させるように呟くと、有也は自転車に手をかけた。