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カーブミラー

作者: 高遠響

 あそこの角にあるカーブミラー、知ってますか? そう、高速道路の下の側道沿いの、二つ目の点滅信号のところですよ。あそこ、普段からあんまり人通りがないから押しボタン式でね、点滅なんです。ほんとの事言うと、返って危ないですよ。特に夜中。側道だからって言っても、皆結構飛ばすんです……。そこへ無灯火の自転車なんかが押しボタンも押さずに、ふらふら出て来て、ぽぉ~んって跳ねられたりする。

 だからカーブミラーが付けられたらしいですよ。効果? さあ、どうでしょうね。相変わらず事故は多い。ご存じでしょ? 今年に入ってもう二件。ここ数年続くよねぇ。こないだの事故ではついに死人が出たしねぇ。

 とにかくカーブミラー、ちゃんと確認して、ほんと、気を付けてくださいね。



 

 真夜中の側道は街灯がほとんどなくて、恐ろしい程真っ暗だ。上を見上げると高速道路が不気味な圧迫感を漂わせながら、白く無機質な流れを作っている。

 高速道路の真下は高いフェンスで覆われている空間で、申し訳程度に公園や駐車スペースが作られている部分もあるが、昼間でも滅多に人の姿を見ない。陰気な、重い湿気を含んだ暗闇がフェンスの向こうにあるだけだ。

 自分の車のヘッドライトの部分だけが浮かび上がり、フェンスが流れて行くのが見える。ヘッドライトのせいでフェンスの向こう側の闇が余計に際立って見える。

 この側道は嫌いだ。残業で帰りが十時を回ったりすると、この側道では前にも後ろにも他の車の姿はない。延々と続くフェンスと闇。陰々滅滅いんいんめつめつ、気が滅入る。

 カーステレオの音を大きくして、ただひたすら闇の中を車を走らせる。

 こういう時バックミラーは見たくないものだ。後部座席に誰かが乗っているような気になって仕方ない。当然誰も乗ってなんかいないのだが。

 少しでも早くこの道を抜けたいと思うから、ついアクセルを踏み込みがちになる。が、このフェンスにはところどころ切れ目があり、稀に無灯火の自転車や車が出てくるのだ。

 側道の左側は高い土手と畑が連なっているのだが、その向こうには住宅地があるらしく、少し先に行ったところに細い生活道路があり、側道と交差している。小さな、うっかりすると見落としそうな交差点。こんな時間は特に気を付けなければならない。道路に飛び出す猫みたいに、いきなり飛び出してくる莫迦がいる。まったく危なっかしいことこの上ない。

 交差点のもう片方の道は対向車線につながる連絡通路だ。どこの側道もそうなのだろうが、大概一方通行になっていて、高速道路下の空き地を挟んで対向車線がある。高速道路の高架下を横切るような形で、ところどころに細い連絡通路が作られているものだ。

 遠くに見える点滅信号が青に変わったのが見えた。あそこには押しボタン式の小さな横断歩道がある。誰かがボタンを押したのだろう。私の車がそこにさしかかる時には信号はきっと赤になっている。それにしても真面目な歩行者がいたものだ。こんな夜にわざわざ歩行者ボタンを押すなんて……。

 私はアクセルから右足を離し、ゆっくりブレーキを踏んだ。予想通り、私が信号の下に着くのと信号が赤に変わるのは同時だった。

 暗い交差点。ヘッドライトにぼんやり浮かび上がる白い横断歩道。カーステレオからは不釣り合いなくらいに軽快な音楽が流れている。

「……?」

 私は横断歩道の右側を見、左側を見た。

 通行人の姿はない。押すだけ押して、車がたどり着く前に渡ったのか。

「なんだよ……」

 迷惑な話だ。それならわざわざ押すなよ。いやがらせか。と、小さく舌を鳴らす。が、いまさら信号無視というのも大人げないだろうから、大人しく信号が変わるのを待つ事にした。

 再び信号が点滅になったので、私はアクセルをゆっくり踏んだ。が、すぐにまた急ブレーキを踏んだ。

 カーブミラーに白い人影が映ったのだ。

「おっせーんだよ」

 私は交差点の真ん中で止まり、不機嫌な顔でカーブミラーの反対を見た。

 誰もいない。

 カーブミラーを再び見た。

 そこには人の姿はない。丸い磨き上げられた鏡には吸い込まれそうな闇と静寂が映っているだけだ。

 不意にぞくっと背筋に冷たいものが走った。私は焦りながら、しかし出来るだけ注意深くアクセルを踏んだ。

 交差点を抜けた。そのまま車を走らせる。

 今のはなんだったんだろう。確かにカーブミラーに人影が映っていた。……いや、目の錯覚だったんだろうか。そうだ、そうにきまってる。残業で、きっと、目が疲れてたんだ。帰ろう。早く、帰ろう……。




 カーブミラーに映る人影。そんな噂がまことしやかに流れ始めて二年程になる。地元の名前をググってみたらウィキにこの話が載っていたというおまけ付きで、最近はちょっとした肝試しのスポットにもなっているらしい。そうなるともう一つ調子に乗って、動画を載せようぜ! という話になった。

「うまくいったら、テレビで採用されるかもしれないし。ウ~チューブがいい? ペコ動がいい?」

 そんな事を言いながら俺らは側道へ向かった。


「確かに、気持ち悪いよなぁ」

 俺は交差点に自転車を止めて、辺りを見回した。

 街灯のない側道。上には灰色の高速道路、暗闇と側道を仕切る長いフェンス。無言で点滅する黄色の信号。小さな交差点を挟んで、俺の対角線上にあるのはカーブミラー。

「なんか出て来ても不思議じゃないねぇ」

 連れは嬉しそうに背負っていたデイバッグからハンディカムを取りだした。

「よ~し、心霊スポットレポート、第四弾! スタート!」

 こいつは本当にオカルト好きだ。ま、俺も嫌いじゃないから付き合ってるんだけどさ。

 連れはビデオを点滅信号に向けた。そしてゆっくりとカーブミラーへとパンする。

 手前に向けた小さな画面には闇を映す丸いカーブミラーが映っている。

 カーブミラーをゆっくりとアップにしていく。

 小さな画面を通して観るカーブミラーはそれだけでなんだか不気味だ。ちょっとしたホラー映画のワンシーン。

 そう言えば、クラスの女子が真顔で説教してきたな。だめだよ。遊び半分でそんな所に行っちゃ。なんかあったらどうするの! なんて真剣な顔で言ってた。あいつ、霊感あるって有名なんだよな。そんな事を思い出すとますますホラー映画みたいに思えてくる。でもあいにく、俺には霊感のかけらもないらしい。生まれてこの方、そういうものを一度も見た事はない。……でも、出来たら見たくはないから、霊感なんてない方がきっと幸せだろうな。

 連れのこいつにしたって、霊感なんてこれっぽっちも持ち合わせちゃいないだろう。だからこそ心霊スポットめぐりなんて暇な事してるに違いない。

「なんか映りそう?」

 俺は連れの耳元で囁く。

「ば~か、そんなに簡単に撮れるかよ」

 連れは笑いながら一旦ビデオを止めた。

「え、もう終わり?」

「まさか。せっかく来たのに、こんなにすぐに終わっちゃ面白くないだろ。色んなアングルで撮っておこうと思って。」

 連れは静まり返った交差点を横切り、カーブミラーの真下に立った。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってね」

 再びビデオを構えた。カーブミラーをアップで撮り、ゆっくりとその場で付近を撮る。ビデオはぐるっと向きを変えて俺の方を向いた。

「ば~か。俺を撮ってどうするんだよ」

「……お前、隣にいるぞ」

「!!」

 思わず心臓が口から飛び出そうになる。

「な~んちゃって、マジびびってやんの~!」

 連れがげらげら笑い出した。

 俺は本気でほっとして、一瞬座りこみそうになった。次の瞬間には怒りが込み上げてくる。

「アホか、お前! こういうトコでそういう冗談はやめろよ!」

 連れはビデオを構えたままゲラゲラ笑っている。連れの態度に心底むかついた俺は自転車にまたがった。

「帰る!」

「お~い、悪かったよ、なあ。もうちょっとだけ」

「知るか!」

 俺は怒り狂いながらそのまま帰った。



 だから本当に知らないんだ。その後、あいつに何が起こったのか。ビデオに残っている映像を撮ったのは俺じゃない。本当だって。



 遠ざかる自転車の後ろ姿とあいつのゲラゲラ笑う声。

 自転車が闇間に消えてしまうと、しばらくはそのまま辺りの真っ暗な風景がゆっくりと画面を流れている。

 BGMはあいつの鼻歌。

 交差点。

 暗闇に溶け込んでいく生活道路。

 黄色い点滅信号の光が、青に変わる。

「え?」

 小さなあいつの声。

 押しボタンの場所へ、画面が急に移動する。暗い闇。ただ闇が広がっている。

「……え?」

 反対側の押しボタンの場所が映る。

 が、そこにあるのも、ただの闇。人の姿は、ない。

「なんで?」

 少し震えるあいつの声とビデオの画面。

 画面にオレンジ色のポールが映りこむ。カーブミラーの支柱。

 少し上向きに移動しかけて……。

 画面の動きが止まり、ひきつるようなあいつの悲鳴。

 大きく画面が揺れ、がつんという衝撃音が響き、横向きになった交差点の映像になった。

 後ずさるあいつのスニーカー。

 突然、白い光が画面に溢れ、鈍い衝撃音。

 車のタイヤが大写しになっている。

 車のドアが激しく開け閉めされる音。

 そして、タイヤは白い煙をあげて画面から消えた。

 横向きになった交差点にはあいつが倒れている。

 目を見開き、大きな口を開けて。顔の下に黒い染みが広がって行く。

 じわじわと、まるで生き物のように。

 あいつはぴくりとも動かない。

 静止画像みたいになっているあいつの瞳の中に何かが映っている。

 オレンジ色のカーブミラー。

 ふいに画面がゆっくりと動く。誰かがビデオを持ち上げた。

 あいつの姿が次第に遠ざかる。

 少し高いところから、誰かが俯瞰で撮っている。

 黄色い光に浮かびあがったり消えたりしている、あいつ。

 交差点の真ん中で、へんな格好で横たわるあいつ。

 そして録画は終わった……。


 

 俺じゃないよ。だって、俺の後ろ姿はビデオに映ってる。絶対俺じゃない。本当だって。

 何が起こったか? そんなの知らないよ。誰がビデオをカーブミラーの上にひっかけておいたか? そんなの……知る訳ないだろ。知りたくもない。




 通学の電車の中は女子高生の黄色い声で溢れていた。扉の近くで立っている女子高校生二人が少し声を落として喋っている。

「ねぇねぇ、ウ~チューブの例の奴、見た?」

「うん、見た見た! ちょっと気持ち悪いよねぇ。あれ、本物かな?」

「さあ、噂では本物らしいけど。知ってる? あれってさ、あそこの側道のカーブミラーなんだってね」

「聞いた事ある! やっぱ本当なのかな、あの動画。」

「ねえねえ、うちの彼氏、免許取ったんだよね。……四人でさ、夜中に行ってみない?」

「え~、まじで?」

「うん。かなり、まじで」

 そして二人は首をすくめてくすくす笑い出す。




 ……カーブミラー、ちゃんと確認して、ほんと、気を付けてくださいね。


<了>


夜中に車を運転する方、気をつけてくださいね~。

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[良い点] 何度も読み返すとスルメのように味わい深い作品です。 [気になる点] 語り手が入れ替わる手法が取り入れられていますが、初見の場合読みにくさが先に立ってしまうかもしれません。 二度以上、読んで…
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