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珍獣襲来

ヴァラスキャールヴを後にしたゼルダたちは、ルーディの案内で城下町へとやってきていた。初めて見るアスガルドの町の光景に、ゼルダは好奇心でいっぱいの目をキラキラと輝かせる。質素且つ簡素な石作りの家屋の色合いは、ニヴルヘイムの町をどことなく連想させる。


「意外だ、アスガルドの町というからには、もっと派手で嫌味な空気を漂わせておるものだとばかり思うておった。空が晴れ上がっておるから明るく見えるくらいで、常に曇り空のニヴルヘイムの町と似たようなものなのだな……」


昼時の市場には屋台と人々が溢れ、活気に満ち溢れている。屋台の棚に並べられている品物にゼルダは目を奪われる。


「僕も、町にいる方が落ち着きます。一番落ち着くのは、書斎ですけれど」


ニヴルヘイムにいた頃は、ヨハネスの屋敷を抜け出しては野山を駆け巡ったり、町へと繰り出していたりしていたことを思い出す。天候が悪く屋敷から出られない時は、ルーディの書斎に邪魔をしにいったりしたものだ。彼の書斎は書物まみれで掃除が出来ず、常に埃っぽい。少しは整理をしたらどうだと言ってみたら、「何処に何の書物が転がっているのか、きちんと把握している」という答えが返ってきた。そんな馬鹿な、と思ったのだが残念ながら事実でルーディの記憶力の良さに脅威を感じたと、ゼルダは懐かしそうにしみじみと語る。


「おお、そういえば。ルーディが時折買うてまいる土産のお菓子は、此処にはあるのかの?」


ヨハネスの代理としてアスガルドを訪れる機会の多いルーディは、出かけた先で土産を買って帰ってくる。ヨハネスお抱えの料理人ゾイゼが作るお菓子とは異なる、素朴な風味のお菓子が大変美味しかったことを覚えているゼルダは、彼に尋ねてみた。


「恐らくは……ああ、この料理も美味しいですよ」


「何と!ルーディ、買うてたもれ!」


食べ物に興味津々のゼルダはルーディの腕を掴み、彼を引き摺るようにして人混みの中を突き進んでいく。子供のようにはしゃぐゼルダをにこやかに見守っているベルガの隣で、腕を組み、虚空を見上げて考えて込んでいる青年が一人。


「どうかなさって?若しかして、何方かがもう暗殺者でもお雇いに?」


ベルトが何者かの気配を察知したのだと判断した彼女は、背伸びをして彼の耳元に唇を寄せる。


「ヴァラスキャールヴを出たあたりから、見張られているように感じる……だが……」


「何か、おかしなことでも?」


「そうだな、敵意が感じられない。妙な視線だ……隠す心算がないのか、それとも隠しきれていないことに気が付いていないのか……」


拭いきれない疑問に、ベルトは眉根を寄せる。ベルガは頤に人差し指を当て、暫し考える。


「貴方が危険が少ないと判断するのであれば、今暫く様子を窺いましょう。あちらの出方を見なければ、あたくしたちも手が打てないわ」


先手を打つことは容易だが、その後が面倒だ。下手をすれば、それを差し向けてきた者の思うつぼとなり、主君の不利となる可能性もある。


「ベルガ、ベルト!汝らも早う参れ!」


早速サンドイッチを頬張っているゼルダが二人を呼ぶ。二人は顔を見合わせて頷くと、主の許へと駆け寄っていった。






**********






大喰らいのゼルダが満足出来るほどに買い物をした一行は、市場の近くの公園へと移動する。池の畔の四阿を陣取り、備え付けられていた木の机の上に戦利品を広げて昼食を取り始めた。


「ゾイゼの作る料理が美味であるのは勿論だが、庶民が食すものも美味であるな。ブレイザブリクで出された料理よりも、此方の方が儂は好みだ」


高級食材を使っている訳でもない、特別な調理法を用いている訳でもない。けれども確かな満足感を与えてくれる庶民の食べ物に、ゼルダは感心してやまない。そして、それを教えてくれたルーディに多大に感謝する。


「ゼルダ様、食べ物を召し上がりながらお喋りなさるのはお行儀が悪う御座いますわ。ほら、お弁当をつけていらっしゃいますわよ?」


「む、すまんの、ベルガ」


主の行儀を嗜め、口元についたソースと葉物の欠片を拭い取るベルガは楽しそうに目を細める。アスガルドに舞い戻ってきて初めて、安らぎを覚えたとばかりに。


「ベルトが飲んでいるのは珈琲だな。砂糖とミルクはなしか、匂いがせぬ……」


「はい、仰る通りです」


「そのような苦いものを平気な面をして飲むとは……ベルトの味覚はどうかしておるのではないか?」


砂糖をティースプーンに大盛り三杯、そしてたっぷりのミルクを注がなければ珈琲を飲めないゼルダに言われたくない。ベルトは口と表情に出さなかったが、ベルガとルーディは彼の心の内を察したのだろう、声を出さないように肩を揺らして笑った。


「ルーディが飲んでおるのはミルクティーだの、それも甘めの」


「御名答。流石はゼルダ様、お鼻が宜しいですね。庭師のゼーテが作った茶葉とは少し風味が違いますが、美味しいですよ。一口、召し上がられますか?」


「うむ、頂こう」


ルーディが快く差し出したカップを受け取り、一口飲もうとした瞬間だった。


<キャーッ!間接キス!?いやーん!!!>


離れた位置から聞こえてきた甲高い少女の声に反応し、ゼルダはカップに口をつける寸前で動きを止める。声の主はこれだけ離れていれば声を出しても気付かれていないと思っているのかもしれないが、地獄耳ともいえるゼルダの聴力は確りとそれを拾ってしまっている。


(……間接キスとな?)


不快になる言葉が聞こえてきた方向へと目を動かす。ゼルダたちがいる四阿から斜め前方にある大きな樹の陰に隠れ、好奇心に満ちた目で此方を凝視している少女――少女の姿をしたゼルダと似たような年頃ではないだろうか――がいた。彼女は頬を赤らめ、鼻息も荒く口元からだらしなく涎を垂らしている。


「……」


――妙な物体を発見してしまった。残念ながら嬉しくない。

ベルトには及ばないが、己の視力の良さを恨みたくなる。


「如何されましたか、ゼルダ様?」


一口も味わうことなくカップを返却してきたゼルダの様子がおかしい。だが原因が見当たらず、状況が把握出来ないルーディは首を傾げるばかりだ。

ゼルダは紙で出来たナプキンの上に置かれたフォークを手に取ると素早く立ち上がり、大きく振りかぶった。


「気色が悪くてたまらんわ、この不審者がぁ!!!」


「ぎゃ――――――っ!!!」


勢いよく投げられたフォークの先端が、木の陰に潜んでいた不審者――金髪の少女の眉間に突き刺さる。彼女は絶叫しながら仰向けに崩れ落ちると、ぴくぴくと痙攣した後にぴくりとも動かなくなった。


「……ゼルダ様、手加減はされましたか?」


“アルファズル”の腕力は伊達ではない。その証明に、フォークの先は深々と突き刺さっている――下手をすれば頭蓋骨を貫通して脳に達しているかもしれない。手加減は一切されていないのだろうと容易に想像出来たが、それでもルーディは敢えて尋ねてみたのだった。


「ああ、すっかり失念しておった。死んだか?」


悪びれた様子はなく、ゼルダは平然と答える。


「……害は少ないだろうと思って放置していたが……まさかゼルダ様自らが手を下されるとは思わなかった」


「あたくしも思わなかったわ」


「え?二人とも気が付いていたの、この娘のこと?」


彼女の存在に全く気が付いていなかったのはルーディだけのようだ。






**********






「“黒鋼”の君付きの監査役となりました、“ノルニル”のスクルドと申します。えっと、好きなものはぁ〜……」


額に突き刺さったフォークを引き抜かれ、血を噴出した傷口をベルガに治癒してもらった不審者の少女――スクルドは、元気を取り戻すと早速自己紹介を始める。胡乱気な目をしている四人を順番に眺めては頬を赤らめ、身体を軟体動物のようにくねくねと揺らす姿に、悪寒を感じざるを得ない。


「ベルト、此奴を捨てて参れ。寒気がする、視界に入れとうない」


「御意のままに、我が君」


胸を手を当てて会釈をしたベルトは、スクルドを小脇に抱えると何処かへ捨てに行こうとして歩を進める。


「嗚呼、絶対服従の主従関係……でゅふふ、萌えるぅ〜……じゃなくて!捨てないで、捨てないでください!!!」


ベルトから逃れようと手足をばたつかせるが、彼が重力に干渉して彼女を担いでいる為、ふわふわとした浮遊感を味わうことしか出来ない。逃げ出すことが叶わず、ただただ滑稽な姿を披露することしか出来ないでいるスクルドにゼルダが追い討ちをかける。


「貴様には関わらぬ方が良いと儂の本能が告げておる。さらばだ、二度と見えることもなかろう」


「ひ、ひどっ!!爽やかに微笑みながら言われた!!!お願いです、大人しくしますから捨てないでください!そんなことになったらウルズにこっ酷く叱られちゃいますぅぅぅぅぅっ!!!」


涙目のスクルドは顔の前で手を合わせ、ベルトに抱えられたまま拝むようにして懇願してくる。


「ウルズとは?」


ゼルダの問いには、ベルガが答えた。


「“ノルニル”の長に御座います。過去を映し出す“ウルズの泉”の守護者であり、帝国最高裁判所の最高裁判官でもある人物ですわ。あたくしが耳にしたことのある噂では、ニヴルヘイム公並みに頼もしい御方だとか」


「ハンス並みだと?恐怖でしかないな……」


蒼白になり冷や汗をだらだらと流しているスクルドを見た限り、どうやらウルズはベルガの言った人物像に近いようだ。


(……後程、監査役の交代を願い出れば良いだけか)


仕方がない、ヨハネスに似ているというウルズに免じて今回は見逃してやろう。


「大人しうしておると誓うのであれば、儂を中心に半径3メートルまでは近付くことを許す。良いか、己の職務を全うでよ。余計なことは決してするでないぞ」


ベルトから解放されたスクルドは地に足をつける。解放された喜びで目を爛々と輝かせている彼女は、碌でもないこと口走った。


「了解致しました、“黒鋼”の君!うっふっふ、物陰から“黒鋼”の君とダイナマイトバディ美女と無表情美青年と眼鏡男子を眺める楽しい御仕事……!」


「前言を撤回する。ベルト、今直ぐに此奴の存在自体を葬れ」


「御意のままに、我が君」


ベルトは静かに、腰に佩いた剣を抜き払う。


「ぎにゃぁぁぁぁぁっ!!!」


喉元に刃を突きつけられたスクルドは、一瞬で青褪めると急いで後方に飛びのき、ゴキブリのような動きでもって素早く移動するとゼルダの脚に絡みついた。


「冗談ですって!消さないで、私の存在を消さないでくださいぃぃぃぃぃっ!!!」


「ええい、儂に気安く触れるでない、この変態!!!」


「嗚呼、程よく太い引き締まっている素敵な太腿……!」


吸盤でも付いているのではないかと疑ってしまうほどに、スクルドはゼルダにべったりと貼りついている。彼の太腿に頬ずりをし、恍惚とした表情を浮かべて自分の世界へと飛び立ってしまっている彼女は非常に気色が悪い。


「離れよと申しておる!聞いておるのか、変態!!!」


ゼルダの腕力ならば、いとも容易くスクルドを引き離すことが出来るのだが――何故だろうか、どうしても触れたくない。両腕は言うことをきかず、宙を彷徨うばかりだ。首を動かしてみれば、冷や汗をかき、慌てふためく主を楽しげに眺めている美女が目に入る。


「ベルガ、笑っておる場合か!助けよ!!!」


「普段の御姿に戻られたら宜しいのではないかと、我が君」


青年の姿から普段の少女の姿へと変化すると、ベルガの助言通りにスクルドがあっさりと離れる。ほっと胸を撫で下ろしたゼルダが目にしたのは、不満そうに顔を歪めるスクルドだった。


「チッ、つまんね……」


「何だ、この変わり様は……っ!」


額に青筋を浮かべ、怒りが過ぎてプルプルと小刻みに震えるゼルダの頭を、ベルトが宥めるように撫でる。


「えぇと……随分と面白い子だね?どうしたんだい、ベルガ?」


紅い目を細めてスクルドを見つめるベルガにルーディが声をかけると、彼女は意味深長な笑みを浮かべる。


「古い伝承にある“ノルニル”の三姉妹……それも“必然(スクルド)”の名を戴く者がゼルダ様の前に現れるとは、ね。何かあるのではないかしらと、ついつい勘繰ってしまいますわね?」


考えすぎなだけであると良いのだけれど。そう溢して小さく息を吐く姿が艶かしい。


「僕は彼女の存在は特に問題がないように見えるよ……ううん、そう願っているだけかもしれないけれど。ところで、この状態のままエリューズニルに向かうのかな?」


角を生やし――元々生えているが――完全に御機嫌斜めモードへと移行したゼルダは、敵意を剥き出しにしてスクルドを睨みつけている。スクルドはスクルドで、ゼルダを怒らせた原因であるというのに、負けじと嘲笑を浮かべている。


「……仕方がないわねぇ……?」


豊満な胸の谷間から鞭を取り出し、ベルガが冷笑を浮かべながら彼女らの元へとゆっくりと歩み寄っていく。殺気を感じとったルーディが「くわばらくわばら……」と拝んだのを偶然目撃したベルトは、そっとその場から空間移動したのだった。


「おふざけが過ぎますわよ、御二方……」


「ぬ?」


「え?」


昼下がりの公園に、少女二人の耳を劈く悲鳴が響き渡る。


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