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ぷっつん、反省、決意

狂気混じりの歪んだ笑みを浮かべたゼルダは、ヘイエダールの首を掴む手に一層力を籠めて絞め上げる。彼の首の骨は、みしみしと嫌な音を立てた。


「う……ぐぅ……っ」


ヘイエダールはどうにかしてゼルダの魔の手から逃れようと、じたばたと手足を動かして抵抗するが如何に戦闘に長けた種族である"アース"であろうとも、外見によらず強靭な筋力を有する"アルファズル"には到底敵わない。

どれほど抗おうとも、ゼルダの腕はびくともしないのだ。


「殿下……!」


主の暴挙を制止しようと、ベルガはゼルダの腕にしがみつく。


「……離せ、ベルガ。邪魔立てするとあれば、如何に汝であろうと容赦はせぬぞ」


完全に頭に血が上ってしまっているゼルダは、冷静な判断が下せなくなっている。彼はベルガに冷眼を向け、そう言い捨てた。


「何事ですか!?」


騒ぎを聞きつけてやって来たのか、幾つもの風穴が開いた隣室からベルトとルーディ、幾人かの使用人が現れる。


「ゼ……殿下!?」


客人を縊り殺そうとしているゼルダと、腕にしがみついて必死に止めようとしているベルガの姿を見たルーディは思わず叫んでいた。


「ベルガ、殿下から離れろ」


前へ一歩進み出たベルトが静かに告げる。ベルガがそれに従って急いでゼルダから離れると、突如彼の身体はふわりと宙に浮いたのだった。


「……っ!?」


ベルトが"スヴァルトアールヴ"の力でもって、ゼルダの周囲を限定的に無重力空間に変化させたようだ。急にヘイエダールの体重を感じなくなったことに驚いた彼が思わず首から手を離した刹那、空中に空間の歪みが生じて出来上がった"門"が現れ、その向こう側から腕が伸びてきてヘイエダールの身体を回収して消えていった。


その場から動くことなくゼルダから得物を奪い取ったベルトは、咳き込んでいるヘイエダールを使用人たちに預けると、無重力空間を解除する。


「……ベルトぉっ!!!」


難無く空中から床に着地すると、ゼルダは血走った目でベルトを睨みつける。標的をヘイエダールからベルトに変更した忘我状態のゼルダが彼に襲いかかろうとした瞬間、首筋に何かが突き刺さったような痛みを感じ、足を止めた。

首に突き刺さったものを手に取ってみると、それは長い針だった。


「殿下、おいたは感心しませんね?」


通りの悪い声の主――ヨハネスの手には、何処からか取り出したのか、吹き矢用の細長い筒が握られている。彼がゼルダの首に針を突き刺した犯人であると分かった。


「ハンス!汝、は……っ!?」


ぐるりと目に映る景色が回転し、強烈な眠気が襲ってくる。あの長針の先端には、薬が塗りつけられていたようだ。


「ふむ?即効性ではなくとも、"アルファズル"である殿下にはよ~く効くようですね?」


病原菌に耐性のないアルファズルは、体内に薬の成分が入ると直ぐに効果が現れてしまうのだ。「因みにこれはルーくん印の強力なやつですのでね」とヨハネスが付け加えたのが聞こえたが、ゼルダの意識はそこで途絶えた。

力を失ったからだが膝から頽れるが、寸でのところでベルトが抱きとめる。


「ベルちゃん、殿下を御部屋へ。恐らく殿下には強すぎる薬ですので、解毒を御願いしますね?ベルくんは此処に残ってもらえますかね?」


「畏まりましたわ、公爵様」


「畏まりました」


ベルトにゼルダの部屋へと空間を繋いでもらい、使用人たちが用意した担架に眠るゼルダを乗せてベルガは去っていく。


「……ニヴルヘイム公、そのような物をお持ちならば、もっと早くに使っては頂けませんか!?」


漸く呼吸が整ったらしいヘイエダールが、非難の声を上げた。目線を彼の首に向けてみると、ゼルダの手形が赤い痣となってくっきりと残っており、ゼルダが本気で殺そうとしていたことが見てとれる。

吼えるヘイエダールに渋々目を向けたヨハネスは、おどけたように肩を竦めてみせた。


「はてさて。何故(なにゆえ)に、私が君を助けなければならないのでしょうかね?」


真面目な面持ちで呟くと、ヘイエーダルは面食らった。

ゼルダに手を汚させまいとあのような真似をしただけなのであって、ヨハネスにはヘイエダールを助ける気など微塵もなかったのだ。結果として、そのようになっただけだ。


「君が殿下の地雷を踏んだからこそ、あのような目に遭っただけですのでね?自業自得、だと思うのですがね?」


「……貴方方は、私を何だと思っているのですか!?私は、陛下の書状を預かってやって来た使者なのですよ!?」


不当な扱いを受けるのは侵害であると、ヘイエダールは尚も吼えた。


「それが何か?私に君が何者であろうがどうでも良いのですがね?」


どんよりと澱んだエメラルドの双眸に、極寒のヘルを髣髴とさせるような冷気が宿る。それは応接間の温度が一気に下がったのではと錯覚するほどのものだった。


「ろくでなし陛下の使者なぞくそくらえ、ですがね?私は陛下が嫌いでしてね、そしてそのことは周知の事実ですのでね?陛下も好きにしろと宣っておられますので、私は憚ることなく御本人の目の前で罵詈雑言を吐く許可を頂いている訳でしてね?」


ヨハネスの気迫に恐れをなし、ガチガチと歯を鳴らして震えだしたヘイエダールに近付いて顔を覗きこむと、彼はにやりと笑った。


「先程君が言ったように私も言わせて頂きましょうかね?……ニヴルヘイムとヘルを統べる私を誰だと思っている?」


「ひ……っ!」


ヘイエダールは情けない悲鳴を漏らし、腰を抜かして、その場に尻餅をついた。その姿はあまりにも惨めだ。


「さて、虎の威を借る狐には御退場願いましょうかね?その(つら)を見ているのにも飽きましたのでね?ベルくん、"いつもの場所"に送って差し上げてくれませんかね?」


「畏まりました、公爵閣下」


命を下されたベルトは、恭しく一礼をする。


「このような場所まで御足労頂きまして、誠に有難う御座いました……糞陛下の使者のヘイエダールくん」


「え、ひ、ひぃ……っ!?」


ヘイエダールの周囲の空間が歪み、彼の身体は徐々に飲み込まれていく。やがて彼の身体は、悲鳴と共に跡形もなく消え去ったのだった。






**********






ヘイエダールを"いつもの場所"へ送った後、ヨハネスはやれやれと言いながら首を振った。


「……ヨハネス様」


ルーディが声をかけるが、ヨハネスは反応を示さない。気に障るような真似をした覚えはないのだが。


「……無視ですか、ヨハネス様?」


溜め息混じりに呟くと、どんよりとした緑瞳がぎょろりと動き、ルーディを捉える。その様は気味悪く、付き合いの長い彼でさえも思わすたじろいだ。


「……ピー」


「……はい?何ですか?」


ぼそりと通りの悪い声で呟かれたので、上手く聞き取れなかったルーディは小首を傾げた。一方、目と耳の良いベルトは確りと聞き取れてしまったのか、表情を変えずにただ目を明後日の方向に向けた。


「パピー、と呼んでくれなければ返事はしません。と、私は以前に君に言いませんでしたかね?」


「……」


成程、それで返事をしなかったのか。

確かにそう言われているのだが、その呼び名にどうしようもなく抵抗のあるルーディは"ヨハネス様"、若しくは"公爵閣下"と呼びたい。然し、眼前の人物の捻れ曲がった性根を嫌というほど知っている彼は、ここで折れないと埒が明かないこともよく知っている。

――頭が痛い。

彼は、覚悟を決めた。


「………………………………パ、パピー………………………………」


彼は、消え入りそうな声で呟いた。その顔は同情を誘うほど引き攣っており、側にいるベルトは彼の内情を思ってか、慰めるかのように彼の肩に手を置いた。


「はい。どうかしましたかね、"未来の娘婿(むすこ)"のルーくん?」


満足気に不気味に微笑むヨハネスに呆れたルーディは、がっくりと肩を落とすが、短く息を吐くと気持ちを切り替えた。

「あの使者殿ですが、ベルトに何処に送らせたのですか?」


「おや、気になりますかね?」


「ベルトに訊いても良いのですが、彼は非常に真面目なので、パピ、イ!が箝口令を布けば決して答えてくれないでしょうから。命を下したパ、パピー、に尋ねた方が良いと考えました」


抵抗のある"パピー"を二連続で使って貰えたことに気を良くしたらしいヨハネスは、にんまりと目を細める。


「そうですね、更にルーくんはどう考えますかね?」


質問には、質問で返された。


(……そうくるのか)


質問に質問で返されたルーディはこめかみに指を当てて、考え込む。

理由は分からないがゼルダと同じようにアスガルドの住人が嫌いらしいヨハネスが、そう易々とヘイエダールをアスガルドに返してやるとは考え難い。ふと、何となく懐から懐中時計を取り出した彼は現在の時刻を確認した。時計の針は、午後3時過ぎを指し示している。

その時、彼の脳裏に一つの可能性が思い浮かんだ。野生の勘と言っても良い。


「まさかとは思いますが、ガルムのところですか?」


「ふむ、流石はルーくんですね。暗示なしで、よく分かりましたね?」


「……有難う御座います」


正解したのは良いが、何故だか嬉しくはなかった。


ガルムとは、ニヴルヘイムとヘルの境にあるグニパヘッリルの洞窟を守る巨狼の名だ。ヨハネスが所有しているその番犬は、洞窟に入ろうとする侵入者を容赦なく食い殺す――と噂されているが、実際のガルムは人懐っこく、比較的大人しいのだった。

だが、何事にも例外はある。

腹を空かせたガルムは、狼の本能が目覚めるのか、噂通りの行動を取るのだ。

ヨハネスは、ヘイエダールをガルムの餌にするつもりか。


「腹を空かせたガルムから全力で逃げ、氷のように冷たいギョッル川を死ぬ気で泳いで渡り、アスガルドまで走る……或いは歩いて帰る遠足が楽しめますね?」


さも愉快気に、ヨハネスの唇が吊り上る。


「……"アース"ならばガルムから逃げ切れるやもしれませんが、そうならなかった場合は如何なされる御心算ですか?」


それは遠足ではなく、嫌がらせ、或いは死刑宣告と言うのではないかと突っ込みを入れたいのを我慢して、ルーディはヨハネスに尋ねる。如何に公爵といえど、処刑に近い真似をしても許されるものではない。


「それは勿論、証拠隠滅するだけですがね?」


「……御叱りを受けませんか?皇帝陛下や、他の方々に」


相手は仮にも皇帝が寄越した使者なのだから、ただで済むとは到底思えない。ルーディは、ヨハネスを心配して言っているのだ。


「さあ、どうなのでしょうね?不思議と怒られたことがないのですがね、ゼル様や、愛しのエリちゃんと愛娘のマーちゃんや"未来の娘婿"のルーくん以外に」


御蔭様でやりたい放題させて頂いておりますが、何か問題でも?

これ以上は有無を言わせないと告げてくる視線に、ルーディは身震いした。本能が、危険を知らせているのが分かる。

"死にかけ公爵"に下手に逆らうべからず、を思い出したルーディは、ごくり、と喉を鳴らした。


「さてさて?それでは、そろそろ殿下の様子でも窺いに行きましょうかね?」


「「畏まりました」」


ゼルダの存在を思い出したヨハネスがベルトに目で合図を送ると、彼は空間を歪めて、ゼルダの部屋へと続く"門"を作り出した。ヨハネスはその向こう側へと姿を消し、二人もその後に続いたのだった。







**********






ゼルダの私室は、現在の彼の心情を表しているのかのように散らかっている。

天蓋つきの大きなベッドの上には、目を覚ましたゼルダが仏頂面で胡坐をかいており、その側ではベルガが静かに控えていた。


「ゼル様、落ち着かれましたかね?」


他人がいない時、ヨハネスはゼルダを"殿下"とは呼ばす、親しみを籠めてこう呼ぶ。彼が歩み寄るとゼルダは眇めた碧眼で一瞥し、即座に顔を背けて無視をした。


「ふむふむ。落ち着かれておられているようですね?」


我が身を突っ走る"死にかけ公爵"は、ゼルダの反応を気にすることもなく、ベルガに勧められ、椅子に腰をかける。


「……何用であるか、ハンス。説教でもしに来たのか?」


唇の両端を吊り上げたまま此方を眺めているだけで、彼は一向に口を開かない。長い沈黙に耐えられなくなったゼルダは痺れを切らし、逸らしていた碧眼を其方に向けて、じろりと睨みつけてやる。


「説教をするつもりは毛頭ありませんがね?ゼル様がヘタレくん――使者であるヘイエダール氏になさったことは、立派な八つ当たりで、ただの暴力ですのでね?ベルちゃんたちが貴方様を止めたのは至極当然のことで、それを咎めるのは……間違いですのでね?」


怒鳴りつけるようなことはせず、ヨハネスは冷淡な調子で諫言を呈した。


「………………………悪かった。後ほど、謝罪をする。ベルガたちも……すまなんだ」


ヘイエダールがゼルダの地雷を踏んだのだとしても、殺そうとするのは頂けない。確かにあれはやりすぎだったと、ゼルダは少し反省する。

ベルガたちに顔を向けて詫びると、彼らは首を横に振った。


「ああ、ヘタレくんには謝罪なさらなくても結構ですのでね?それと、彼は既に此処にいないので無意味ですしね?」


「……何だと?」


予想外の科白にゼルダは瞠目し、眉根を寄せた。


「ゼル様の容量の少なすぎる脳味噌では既に消去されているのかもしれませんが、ゼル様がぷっつんする前に、私はゼル様に申し上げておりませんでしたかね?」


「さりげなく儂を愚弄しておるな、汝は。……まあ、良い。して、汝は何を申しておったか?」


何を言われたのか思い出せず、ゼルダは腕を組んで首を傾げる。


「八つ当たりでソレを殺っちゃうのは一向に構わないのですがね、と申し上げました」


応接間の卓を叩き壊し、残骸をヘイエダールに投げつけまくったあたりで、確かにヨハネスは言っていた。


「それに彼はゼル様の怒りを買う発言をしたのですから、あのような報いを受けても仕方がないのでは?とはいえ、保護者である私の前でゼル様に殺人罪を犯されるのは困りますので、吹き矢を利用して一服盛らせて頂きましたがね。私自身が手を下すのは問題ありませんが、ゼル様がおやりになられてしまうと、監督不行届きでお呼びがかかってしまいますのでね、裁判所辺りに?」


「……左様であるか」


「……ゼル様は今少し、感情を制御する術を覚えられた方が宜しいですね。我々の前では素直で御馬鹿で残念なゼル様で結構なのですが、敵前では、ねぇ?」


本人を目の前にして散々なことを言ってのけるヨハネスは、いっそ清々しい――腹立たしい事も多々あるが。怒る気も反省する気も失せたゼルダは、深々と溜め息を吐いた。


「質問があるのですが、宜しいですか?」


話が一区切りついたところで、ルーディが口を開く。


「何であるか、ルーディ?申してみよ」


「有難う御座います。……ゼルダ様は何が原因で激昂なさったのですか?」


応接間に途中入場してきたルーディとベルトは、事情が把握出来ていない。


「ああ、それはですね。"ミーミルの首"が"神々の運命(ラグナレク)"の時が訪れると告げたようでしてね?皇帝陛下が態々書状を寄越してくださいまして、ゼル様にアスガルドへ帰還せよ、と書かれていたのですよ。御自分で追い出しておいて、帰って来いなどと仰るとは、陛下は随分と都合の宜しい御方ですよね。序でに私にも来るようにと仰せだそうでしてね」


ニヴルヘイムとヘルを統べる公爵であるヨハネスは、皇帝の玉座を巡る争いに参加する権利があるのだから当然と言えば当然だ。だが、玉座にまるで興味のない彼は呼び出されたことが相当気に入らないらしい。


「あのろくでなし皇帝は、"死にかけ公爵"にアスガルドの陽光を浴びて死ね、と仰りたいのですかね?嗚呼、嫌だ嫌だ……」


人差し指を立てメトロノームのように左右に振りながら、ヨハネスは不敬罪も恐れずに愚痴をこぼす。常に曇り空の元で暮らす"ニーベルンク"は太陽の光が少し苦手なのだが、その程度で死ぬ事は決してない。精々立ち眩みを起こす程度なのだが、ヨハネスは余程アスガルドへ行きたくないようだ。


「そう、ですか……」


ルーディは沈痛な面持ちで彼らを見つめると、それ以上は何も言わずに俯いた。ゼルダらがニヴルヘイムへとやって来る前に置かれていた環境をヨハネスから聞いていたルーディは、否応なしに戻らざるを得なくなった彼らを心配してくれているのだろう。


「ルーくん、私のことは全然全くちっとも微塵も心配してくれていませんね?」


"未来の娘婿(予定)"の心を読んだのか、"未来の舅(予定)"は唇を尖らせる。


「あ、すみません。ヨハ……パ、パピー……は図太いので大丈夫だろうと……」


「……」


そのように思われていたとは知らなんだ。

事実を知らされたヨハネスはその衝撃の大きさに俄かに呆然とした後、話題を変えた。


「ところでゼル様。陛下の書状には、ベルちゃんたちの処遇については何か書かれていましたかね?」


ヨハネスの目が、彼が頑なに握り締めているクシャクシャになってしまった紙屑を捉える。


「……否、二人については何も書かれてはおらなんだ……」


「ほほぅ、では、ゼル様は早とちりをなさった訳ですね?」


「……五月蠅い」


図星をさされたゼルダは、気まずそうに顔を背けた。


「ふむ。二人の自由は未だ継続中である、と考えても宜しいのではないですかね?幸い、二人を拘束しに来やがりもしないようですしね。まあ、所詮は私の推測に過ぎませんので、どう御考えになるのか、そこらへんは我が君の御心のままに」


「……汝は何を申したいのだ、ハンス?」


彼の言わんとすることの意味がいまいち解せず、ゼルダは苛立ちを顕わにし、胡乱気な目をヨハネスに向ける。どうやら、短気なのはゼルダの性分のようだ。


「何も考えずに取りあえず行動を起こしてみては如何でしょうかね?無計画なのは、ゼル様の得意分野ではありませんかね?」


「……ハンスよ、それは誉めておるのか?それとも、ここぞとばかりに貶しておるのか?……まあ、良いわ。そうさな、行くだけ行ってみるとするかの?」


と言ってみるものの、内心では「誰が行くか、あの伏魔殿なぞに」と呟いている。


――さて、困ったな?


気持ちを切り替えるにはどうしたら良いのかとゼルダが嘆息すると、ヨハネスは徐に席を立った。


「何時までにはヴァルハラ宮に到着していろ、との指定はありませんでしたので、ゼル様なりに考えられるのも良いのではないですかね?私は暫く留守にする旨をエリちゃんたちに伝えに行きますので、これで失礼致します。また、夕食の折に話し合いましょうかね?」


「……うむ」


ヨハネスはゼルダに向けて恭しく一礼し、のんびりといった調子で彼の部屋から退出していったのだった。







**********






残されたゼルダは俯き僅かに逡巡した後に、ゆっくりと面を上げる。


「……考えたきことがあるゆえ、済まぬが独りにしてくれないか」


三人はゼルダの願いを聞き入れ、静かに退出していった。彼らの背を見送ると、青年の姿から少女の姿に戻ったゼルダはベッドの上に仰向けに転がる。

呆けたように暫くの間天蓋を眺めて、徐に目を閉じた。


(あの糞親父に見えねば、我らの明日は不明瞭なままであろうな……)


碌な思い出のないアスガルドへ戻るのは、正直に言って気が進まない。だが、皇帝の勅命であるので逆らうことは決して出来ない。

けれど、そのこと以上に恐ろしいのは、ベルガたちと引き離されるかもしれないことだ。

あの場所に独りで居続ける勇気と自信は、ゼルダにはない。

若しも彼女らと引き離されるのだとしたら、彼女らはどうなってしまうのだろうか?


(……恐らくベルトは再び、"ヘイムダル"に繋がれるのやもしれぬな)


ゼルダが彼を解放するまで、彼の常はそうだった。

優れた空間把握能力と索敵能力を持つ数多の"スヴァルトアールヴ"を犠牲にして生み出された、索敵と監視を目的とした呪術装置――"ヘイムダル"。アスガルドの防衛の要といえるそれは、犠牲となった者たちと同じ"スヴァルトアールヴ"にしか扱うことが出来ない代物だ。

現在"ヘイムダル"に縛り付けられているのは"シグルドリーヴァ"と呼ばれる女性だが、彼女よりもベルトの方がそれと相性が良いことをヴァルハラ宮に巣食う連中は知っている。

"ヘイムダル"に縛り付けられた生贄に、自我は必要ない。装置に同調し、使命を果たす道具と化すのみ。故に、"ブリュンヒルドの忌み子"と呼ばれる不穏分子であるベルトを幽閉し、監視するにはうってつけという訳だ。

ベルトに反乱を起こす意思がなかろうとも、関係ない。連中はベルトを最高の生贄としてしか考えていないのだ。


(……ベルガは、どうなる?)


豊饒を齎すと謳われる"ヴァン"と、夜の眷属と謳われる"デックアールヴ"の混血であるベルガ。

"デックアールヴ"の容姿と"ヴァン"の証である癒しの力を持つ彼女は、"出来損い"と蔑まれてきたゼルダと同様に"半端者"と罵られて育った。

ベルガは幸運か不運か、アルファズルの癒し手の筆頭である"フレイ"と同等の力を有しており、これ以上同胞をアルファズルに奪われたくないと考えた者たちによってヴァルハラ宮へと送られ、筆舌し難い扱いを受けていた。

そんな彼女にゼルダが出会えたのは、奇跡にも近い偶然だったのだろう。


ゼルダは大切な二人を失うことを、再び地獄に戻すことを望まない。

以前は自身を取り引きの材料にすることが出来たが、今後はそれが通用するのかどうか分からない。


「……やはり、若しもの場合は糞親父を弑し奉り、帝位を簒奪するほかないか?」


ニヴルヘイムでの軟禁生活は、ゼルダにとって幸せを齎してくれた。侮蔑の言葉と視線から解放され、"出来損い"ではなく"アルファズルのグリゼルディス"として扱ってもらえることが、何よりも嬉しかったのだ。

――だが、この日々も間もなく終わりを迎える。

再び得る為には、望みをしなかった皇帝の玉座を手に入れる必要がありそうだとゼルダは考えた。

父である皇帝の首を狙う他に、立ちはだかるであろう異腹の兄弟(けいてい)どもや諸公爵を討ちとらねばならない。場合によっては、長年世話になった恩人のヨハネスを手にかける破目になるだろう。


「……兎にも角にも、様々な事柄を把握せねばならぬな。考えるのは、伏魔殿に赴き糞親父の面を拝んでからであるな」


計画を立てて行動するのは、苦手だ。ならば、何も考えずに行動してから考えたら良いではないか。


(……そのようにしようかと言うたにも拘らず、儂は悩んだな)


先程ヨハネスに言われて、そのようにすると言ったことを思い出す。


「首を洗って待っておれよ、フリードリヒ・ユリウス・カイザー・アルファズル」


皇帝の言葉次第で、ゼルダは大人しくするのか、反旗を翻すのかを決めるのだ。


何が待ち構えているのか分からないからと恐れていては、先へは進めない。

今までそうだったではないか。

自らが動かなければ状況は何時までも変わることはないとゼルダは身を以て知っている。そのようにして、ここまでやってきたのだから。

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