1.マグリット✕✕✕の人生。
「だったらさぁ、いっそ逆に派手に生きてみるのもいいんじゃないか?」
ゾエの言葉は目から鱗。
マグリットは「なるほど」と言葉を漏らした。
✽ ✽ ✽ ✽
マグリットはロベール公爵の娘、つまりは公爵令嬢だ。
美しい令嬢と、貴族だけでなく民たちからも感嘆のため息が上がる麗しさがあった。
あれは一つ歳が上のミシェル王太子が生まれた時。王と公爵家の間で、一つの約束が秘密裏に取り交わされた。
『もしロベール家に娘が生まれれば、王太子の妃とす』
王族と貴族との繋がりを強くする為の、所謂政略結婚というのもだった。
そして翌年、マグリットが誕生した。
マグリット✕✕✕の人生。
政略結婚ながらも、幼き頃よりずっとそばにいた二人はいつしか互いに恋心を抱くようになった。
しかしまだ恋仲と呼べるような、想いを伝え合った仲ではない。許嫁ではあるが、二人の関係は幼馴染といった間柄だった。
あれは十七歳になったミシェルを祝う晩餐会。
王宮の大広間には多くの貴族たちが華やかな時間を楽しむ中、マグリットは誰もいない中庭にいた。
ミシェルが人目を忍んで密かに連れてきたのだ。
中庭にあるバラ園は巨大迷路のような大きな庭園で、二人の姿を隠していた。
昔からここは使用人たちの目を欺いて『かくれんぼ』をしていた、二人の思い出のある場所だ。
今も無粋な貴族の目を盗んで二人きりでいると、ミシェルの様子がいつもとはどこか違った。
(ミシェル、どうしたのかしら?)
突然話すのをやめたかと思えば、真剣な表情で見つめられ、彼の手が優しく頬に触れた。
近づいてくる顔に、何かを感じて瞼を閉じる。
淡い月の光が二人を照らす幻想的な世界。
人に見つかるかもしれない緊張感。
そして、唇から伝わる感触。
全てに胸の鼓動が激しく高鳴って、目眩を起こしそうだった。
これがマグリットにとって、初めてとなる口づけを交わした瞬間だった。
甘いか、苦いかなんて分からない。
ただ体中が沸騰しているように熱かった。
「ずっと一緒にいよう、マグリット」
そう囁くミシェルに、『彼は私を愛してくれている』と、マグリットはミシェルの確かな想いを感じた。
嬉しくて、頬に触れる手に自分の手を重ねる──それが今の精一杯の答えだった。
こうして幼馴染だった二人は、恋人という間柄へと変わり、暫くすると婚約者という関係性へと名が変わっていた。
半年程経って、教会から一人の女性がやってきた。
アルマという可愛らしい女性だった。
彼女には生まれつき不思議な力があった。教会で言い伝えられている、特別な力。唯一彼女だけが使える力。
怪我や病気、さらには心までも癒す、癒しの力だ。
その為、【聖女】と呼ばれていた。
アルマはマグリットと同じく品行方正とした志を持っているが、タイプや考え方が全く違った。
マグリットは、王族に仕える貴族らしい規則遵守な思考で、いつかは王妃になるに高い教養を身に着け、常に温雅貞淑であるべきと考えていた。
アルマは人は平等であり、規律よりも大切なものがあると説いていた。身分も低く教養はあまりないが、愛嬌の良さで人々から好かれていた。
……ミシェルも例外ではなかった。
(……あら?二人、また一緒にいるわ)
気がつけばアルマはミシェルの側にいて、さらにミシェルとの雰囲気が、どこか親しげであるような気がした。
やってきた頃の彼女は、とても控えめで、ミシェルの一歩後ろに下がって歩いていた。隣に並んで歩く事などなかった。
ミシェルも、王族の立場から接し方は誰であろうと公平であるべきと、周囲とはある一定の距離を保っていた。
特に婚約者のマグリットに気遣って、他の女を寄せ付ける事はしなかった。
だが視線の先にいる二人は、とても楽しそうに並んで歩いている。
(……何だか、いや、だわ)
ほんの少しだけ、胸の奥がモヤモヤとしていた。
それはミシェルの隣に自分以外の女がいるからで、それを目撃してしまった、という恋人としての感情だ。
あくまで個人の感情としてであり、彼女自身に対しては不快感を抱いてはなかった──この時は。
「あ、マグリット様ー!」
ブンブンと手を振る元気なアルマに、マグリットは手を上げて軽く振った。
アルマを嫌いにはならなかったのは、こんな風にアルマはマグリットにも懐いていたからだ。
何人かの令嬢たちは、二人の親密さを危惧し、婚約中のマグリットに目撃情報を報告し、悪態をついた。
中には良からぬ想像をしている人もいたが、それでもマグリットは揺るがなかった。
『ずっと一緒にいよう、マグリット』
ミシェルの言葉が耳に響く。
その言葉があるから決して揺らぐ事はない。
マグリットは心の底からミシェルを信じていた。
(昔から王族と教会の繋がりは深い。民の為に手を取り合う事は何も悪いことではないわ。それにミシェルは私に誓いを立てているもの)
ミシェルとの未来を思い描くマグリットは、二人の関係を疑う事はなかった。
ある日、王都からそう遠くはない森に魔族が現れて人が襲われていると、一報が入った。
王太子としての責務を背負い、ミシェルがそこへ向かう事となった。教会側からはアルマも向かうと言う。
「必ず君の下に戻ってくるから、安心してくれ」
そう微笑んだミシェルの言葉を信じて、マグリットは見送った。
ミシェルが戻ってくるまでの間、ずっと彼の無事を祈り、彼の早い帰還を願った。
そして──
(ミシェルは言葉通りに戻ってきたわ!)
急いで王宮へと向かうマグリットだったが、謁見の間で戻ってきた彼らの姿を見て、胸の奥がざわついた。
見つめ合う二人の表情が、これまでと違ったからだ。
ミシェルの眼差しは、自分に向けてくれていたものに。
アルマの眼差しは、自分が向けていたものに。
二人はまるで恋人のような、そんな表情をしていたのだ。
(き、気の所為よね)
マグリットは自分自身にそう言い聞かせた。
けれどその信じる心を踏みにじるように、ミシェルはマグリットを訪ねてくることはなかった。
魔物討伐以降、二人の仲は急激に近くなった。
リグリットのいない場所で、親密になるような何かがあった、それは確かだ。
そして全ては一変した。
ミシェルの隣にいたのはマグリットだったのが、気づけばアルマに変わり、舞踏会でミシェルにエスコートされるのはアルマになっていた。
ようやく焦り始めたマグリットだったが、もう遅かった。
(……ミシェルと話したのはいつだったかしら?)
分かりやすく、ミシェルはぱたりと自分の下へと来なくなった。明らかに避けられていた。
マグリットから話しかけようとしても、いつもアルマが側にいて話しかけられる雰囲気はない。何とか隙を見て声をかけても、ミシェルは気まずそうな顔をして、適当な言い訳をして去っていく。
あんなにも明るく手を振ってくれていたアルマは、マグリットに目すら合わさなくなった。
取り巻きの令嬢たちも次第に離れていき、今となってはアルマの側で楽しそうにしている。
社交界での中心はいつもアルマ。
お茶会にも呼ばれなくなり、舞踏会でも壁の花となったマグリット。
知らぬ間に二人の立場は入れ替わっていた。
「あんたらさぁ、一体何があったの?」
ロベール公爵家を訪ねて来たゾエが言った。
ゾエはマグリットの親友だ。
『アタシ貴女と友達になりたいの!』
あれは確か十歳の頃、お茶会の場でゾエが突然そう言って話しかけてきた。
ロシュフォール子爵の娘で、良くも悪くも素直な性格な彼女は、令嬢らしからぬ言葉遣いや素行で周りからは変わり者と距離を置かれていた。
けれどマグリットは不快にはならなかった。
友達になりたい、と言われたのは初めてだった。
本音を隠して生きるこの貴族の社会で、真っ直ぐな想いを言葉で伝える事は中々ない。
やはり彼女はどこか違った。
想いを言葉で伝えられて、嬉しくならないはずがない。
『ありがとう、嬉しいわ』
そして二人は友達となり、深く信頼し合える親友となっていった──。
──話は戻る。
ゾエは分かりやすく苛立っていた。
あんたら、と言った。ならば自分とミシェルの事だと、マグリットは察した。
「あのアルマってやつ、王子サマを引き連れてブティックで舞踏会のドレス選んでたわ!何なのあれ!?恋人じゃない女をそんな所に連れて行く王子サマも王子サマだけど!恋人がいる男にそんな所に連れて行ってもらうアルマもアルマよ!」
怒りのままに力強く手を叩きつけたテーブルが揺れて、ティーカップがカタカタと音を立てた。
「王子様ではなく王太子様よ、ゾエ」
「そんな細かい事はどうでもいいの!むしろクズ……あんな男にサマをつけてあげてるだけ、アタシは褒められるべきよ」
ゾエは昔からミシェルを【王子サマ】と呼んでいた。その度に【王太子様】なのだと訂正をしていた。
『アタシずっと王子サマだと思っててさ、つい癖でそう呼んじゃうの』
その時のゾエは笑いながらそう言った。
今も癖は直っていない。
「でもさ、舞踏会ってあれでしょ?エスコートは大丈夫なんだよね?」
次にある舞踏会と言えば、十八歳になったミシェルを祝うものだ。
十八歳。その歳になればそろそろ公の場で、次の妃となる女──つまりはマグリットを正式に紹介してもいい年齢だ。
今の王がそうであったように。
誰もが未来の妃のお披露目の場だと噂している舞踏会だが、ミシェルからの誘いは未だない。
しかしそれを正直に言えば、ゾエが教会に乗り込みそうな勢いだ。
「……大丈夫よ、心配しないで」
マグリットはゾエに言った。
けれどそう言ったのは、自分自身がそう思いたかったからだった。
「──大丈夫ですか?」
声が聞こえてきてハッとする。
顔を見上げれば、心配そうな顔をした騎士がこちらを見つめていた。
今は王宮へと向かう馬車の中。今夜は王宮では舞踏会が開かれる。
とうとうミシェルは迎えには来なかった。
けれど文が来た。
必ず来るように、と素っ気なく書かれたその文に、彼からもらう文で初めて嬉しくないと思ってしまった。
「マグリット様?」
何も言わないマグリットに、騎士の表情がますます曇っていく。
この騎士は、王太子が迎えに来ない娘を憐れんだ父が呼んだのだ。
マグリットと同じ歳で、それなりに身分のある男。
その条件に当てはまったのが彼だった。
既に騎士団で小隊を任されるような逸材らしい。
彼は、お迎えにしか行けませんが……と言葉を濁しながらも承諾をしてくれた。
そして今、ぼんやりとしていたマグリットをひどく心配しているようで、眉が八の字になっていた。
何故かリグレットよりも、彼の方が泣きそうな顔だった。
「えぇ、大丈夫よ」
マグリットは気丈に振る舞う。
そうでもなければ、胸の奥に募らせた不安と悲しみで、どうにかなってしまいそうだったからだ。
王宮ついたマグリットに、貴族の目が向けられる。好奇な目や、嘲笑うような目、怒りを向ける者でいた。
ここがひどく恐ろしい場所に思え、体が震えていた。
(怖い……それに、何だか嫌な感じがする。ゾエを探さなくちゃ)
舞踏会では側にいると言ってくれていた。
だからゾエを探そうと背を向けた時、後ろにある大階段から誰かが降りてきたようだった。
大広間がざわざわとどよめいた。
降りてくると言えば主役の王太子。しかし聞こえてくるどよめきは何かおかしい。
どきどきと胸が騒いでいた。
(……見てはいけない気がする)
マグリットはゆっくりと振り返る。
見えたのは王太子。そしてその横にアルマが寄り添っていた。
(どうしてあの子がそこにいるの!?)
大きく張った目は二人から逸らすことが出来ない。
ミシェルはマグリットを見下ろした。まるで蔑むような冷たい目をしている。
そんな目をする彼を見るのは初めてで、マグリットは彼を恐れながらもこの状況に困惑していた。
「マグリット、お前との婚約は破棄させて貰う。そして私はアルマを妃とする事にした!」
「そ、それは、どういう事なの!?」
懸命に絞り出した声は震えていた。
「どういう事だと!?白々しい!お前は聖女アルマを嫉妬して数々の嫌がらせをしてきただろう!」
(……嫌がらせ?なんの事!?)
身に覚えのない話にマグリットは動揺し、声を上げる事すら出来なかった──その様子が、否定をしなかった、と後に言い掛かりをつけられる事になる。
「さらには!王太子である私の暗殺計画まで企てるなど言語道断だ!」
(暗殺計画?ミシェルは何の話をしているの!?)
ミシェルから語られる言葉は全てが覚えのない話で、一度も考えた事などない、考える筈もない話だ。
しかしミシェルは怒り狂っていて、マグリットの弁明できる空気ではない。それ以前に、マグリットは恐怖と動揺から声を出す事が出来なかった。
一方的に言われるままのマグリットは助けを求めて隣にいるアルマへと目を向ける。
アルマは笑っていた。
(あれは、誰?本当にアルマなの?)
勝ち誇ったような笑顔はあまりにも醜くて、マグリットが知る、あの手を振ってくれたアルマからは想像がつかなかった。
「そこの女は王族に手をあげた反逆者だ!捕らえよ!」
大広間に響き渡る声に、マグリットの頭の中は真っ白になった。
程なくして、時の大罪人は死刑に処された。
その暗い空気を掻き消すように、王太子と聖女の婚礼が盛大に上げられた。
教会で永遠を誓い合う二人は、とても幸せな顔をしていた。
まるで初めからそうなる事が決められていたかのような、そんな幸せが溢れた二人の婚礼であった。




