私の右手は幼い
畳に転がって天井をながめていると、手の跡や人の顔が見つかって面白い。私と一宮柾人は子供の頃から飽きることなく、木目にもっともらしい物語をつけて遊んだ。中学校に進学した私たちにとって、既に子供らしい遊びとなっていたにも関わらず、彼は誘いを断らなかった。混み入っていく世界と情報を忘れるために天井をながめる。詰襟姿の彼がわずかに目を細めて接吻したその日まで、私は真実そう信じていた。
「何か反応しろよ」
微動だにせず天井をながめている私に、柾人は口の中でぼそぼそとそう言うと、そっぽを向いて寝転がった。
「唇と唇がくっついただけでしょう」
言葉にするのも馬鹿らしい。感情のない接吻に意味はない。冗談ならばなおさらだろう。鼻を鳴らすと、横からごそごそと音がした。彼の肩越しに音の正体を確かめる。近所の本屋のカバーのかかった薄い文庫本が見えた。彼が輪ゴムを外してページをめくる前に、私は柾人の背中にそっと身体を沿わせた。
「ああ、そういうことをするから勘違いするんだよ、この活字中毒め。他の男にするなよ」
「ダメ?」
「……まあ、俺にするならいいよ」
柾人は先ほどと同じように口の中でぼそぼそと返事をした。
彼の本を読むスピードは速い。私が八割読む間に、すべてページを読み切ってしまう。私が読み終わるまで手持ち無沙汰になると、彼は本を支えたまま、輪ゴムを引っぱったり伸ばしたりした。
「それ、気が散る」
「……じゃあ、あげる」
柾人は手早く輪ゴムをねじると、私の左手の薬指につるりと入れてしまった。彼は心許せる相手ではあるが、それ以上の感情はない。長年一緒にいるので隣にいるのに馴染んでしまっただけである。彼は相変わらず本の世界にいる私に小さく唸ると「感想は?」と尋ねた。
「輪ゴムが邪魔にならなくていいね」
彼の喉が小さく鳴った。それと同時にページが繰られて、私は安心して物語の世界に旅立つ。
「お前は昔からそうだ、近付くと逃げる」
「普段は誰も近付けないよ」
「まるでけだものだ」
「その言葉は、君にそっくり返してやろう」
ごろりと仰向けに寝転がって両手を天にかざしてみた。左の薬指が鬱血しはじめている。まるで死人の指をつぎはぎしたような色だ。あわてて輪ゴムを外そうとする彼に、私は薄く笑って左手を差し出した。
「身の丈に合わないことをするからだよ」
外した輪ゴムに産毛がひっかかった。
「私は右手、君は左手。左手に指輪があっても、右手は幼いままだ」