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雨と雨

作者: まゐ

 個室に1人だ。辺りは静寂。時折鳩の鳴き声が聞こえて来る。


 全校舎のトイレが和式から洋式へとリフォームされたのは半年前。お陰で俺はこうして蓋を閉めた便座の上に座って居られる。


 立っているよりは良いのだけれども、やはりずっと同じ姿勢で座り続けるのは苦痛を伴う。お尻と腰がさっきからずっと痛み続けていた。


 昼休みに用を足しにトイレの個室に入った所、閉じ込められてしまった。今回は、上から水やら掃除用具やらを投げ込まれるでも無く、無言でドアが開かなくなった。


 クスクスと微かに聞こえて来た忍笑いと、何事かを囁き合う空気の多い声。足音すら消し去ろうとそっとトイレから出て行く数人の気配が消えると、俺は1人で取り残された。


 言葉も出ない。ただ溜息だけがフッと出た。


 午後の授業開始のチャイムが鳴り、校内が静かになると、俺は洋式トイレの蓋の上に乗り、壁に手を掛け隣の個室を覗いた。当然の事ながら誰も居らず、ドアも開いている。


 何とかして隣の個室に移るとそこから出て、閉じ込められていた個室のドアの前を見た。モップや水のなみなみと汲まれたバケツやらで器用に入口を塞がれている。


 何というか、滑稽だ。これをやった奴等も。それによって閉じ込められた俺も。


 廊下に出た。授業中の廊下はシンとして、時折聞こえる教師の声と指された生徒の声、話し合う声やチョークで強く黒板に書き殴る音、そういった音に少しエコーが掛かって耳に届き、いつもの学校とは違う場所に居る様な錯覚を感じる。


 俺はトイレの入口の正面に腰を下ろして目を閉じた。今更遅れて授業に出る気にもなれない。


 6月になった。梅雨になり、雨が降っている。5月の連休終わりからのストレスは、そこから繋がる雨の季節に移行して膨れ上がり、出口を探して巡った後に俺に向かって吐き出された。


 毎年そうだ。この時期が1番辛い。特に今年は『アイツ』が居るからより一層酷い。『アイツ』が俺のクラスに転校して来てからというもの、平和な日は消えた。


 今日は朝、上履きが無かった。昇降口横の花壇に半分埋められていた。雨上がりの土を被りドロドロになった上履き。クスクスと聞こえる忍笑い。悪意のある好奇心で辺りは溢れていた。困る俺を見て楽しむ、梅雨の気晴らしエンターテイメント。


 汚れた上履きを履く勇気は俺には無かった。


 そのまま職員昇降口に行き、保護者来客用のインターフォンを押す。出て来た用務員に「間違えて上履き花壇に落としちゃいました」そう言いスリッパを借りた。


 その間、俺を指差し手を叩いて笑うクラスメート達。用務員の目にはどう映っていただろうか?


 きっと、ヤンチャな俺が変な悪戯をしてクラスメートを笑わせている、と思っだろう。


「お前何やってるんだよ」


 笑いながら俺の肩に腕を掛けて来る男子、転校生の山根だ。


「泥だらけの上履き履けよ、クソが」


 誰にも聞かれないように俺の耳元でそう言って腹を殴った。うっ、とくぐもった声が漏れた。


「・・・すいません」


 謝る俺。その謝罪は、用務員には上履きを汚してスリッパを貸して貰い迷惑を掛けた事に対しての謝罪と取られた事だろう。実際には、山根の願い通りに汚れた上履きで1日過ごさなかった事への謝罪なのだが。


 教室に行くと、机が臭かった。中を覗くと魚の骨やら内臓やらが見える。生ゴミらしい。


「何か臭いんだけどー」


 山根が言う。そして俺の机の中を見て言う。


「あれー?雨森君何で学校にゴミ持って来てるの?臭いよ普通に」


 俺は机を持ってゴミ箱に向かおうとした。その途中肩を叩かれる。


「何してんの?」


 掛けられる声。俺は振り返り山根を見た。彼の目は冷たい。その目を見てしまったら、俺は動けなくなった。何も言えず、何も出来ず。


 山根は、固まった俺から机を奪い取ると、俺の頭の上にゴミをぶち撒けた。途端に広がる酷い匂い。


「あー、ナニナニ?お前がゴミなんだ!ハハ!くせーな!帰れよ!」


「・・・すいません・・・」


 俺は謝って、そのまま教室を後にしようとした。もう今日はダメだ。このまま帰るしかない。


「おい、どこ行くんだよ」


 山根は、冷たい目のままで俺の制服の胸倉を掴んだ。


 コワイ・・・。


 殴られるのはもう慣れた。別に大丈夫だ。が、山根の目が、どれだけ見ても慣れない。


「汚したんだ、掃除位するよな?」


「・・・。」


 俺は何も言えなかった。正解が、分からない・・・。


「何黙ってんだよ!」


 冷たい目のまま怒鳴られる。身が縮む。


「・・・すいません」


 体が冷たくなる。冷たいのに何故か更に汗が噴き出て体温を奪う。寒い。体が震えた。


 精一杯の努力をして、視線を下げて床を見た。山根の目が見えなくなる。少し体が楽になる。


 クラスメイトが、バケツと雑巾を俺に向かって投げて来た。頭と胸に当たって床に落ちる。


 クスクスという堪えた笑い声が教室を支配する。このクラスは、俺をターゲットにする事で強い絆でもできているのだろうか。


 怖かった。山根と、山根を中心とするこのクラスが怖かった。


 でも、学校を休む気にはならなかった。家族は知らない。俺のこの状況を。休んで、心配を掛けるわけには行かない。


 俺さえ我慢すれば、問題なく時間が進む。耐えてさえいれば、皆んなの日常は守られる。日頃のストレスも解消される。


 俺さえ、我慢すれば。

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