重要参考人保護申請/8
死の穢れ、というものは、生きている者にとって、毒のようなものだ。
「だが、穢れは肉体を害するものではない。いや、勿論、不調となって現れることはあるのだが。穢れに侵されたからといって、それで直接、肉体が害されることはないんだ」
穢れという毒が犯すのは、魂なのだ、と佑慎は言う。
「致死量の穢れに触れた魂は、死に落ちる。死に落ちた魂は、死者の住むべき場所である黄泉へと送られる」
問題は。
「穢れによって魂だけが死んでしまった場合、魂を失っても肉体はまだ生きているということなんだ」
魂を失った肉体は、ただ肉の器として意思もなく、思考もないまま、亡霊のように生き続ける。
だが、普通なら、それもそう長いことではない。
人の生とは魂と肉体とが揃って初めて成立するもので、魂を失った肉体はどれほど健康であったとしても、やがて衰弱して死んでいくのだという。
だが、その死ぬまでの間、が平穏に過ぎるとは限らない。
「魂を失った肉体は、当然のこと、自身に入るべき魂を求める。失ったものを取り戻そうとする。君は、心神喪失状態の人間が突然他人を襲った……というニュースを聞いた事があるか?」
「ああ、……はい、あります」
年に一度か、二度。その手の話題はニュースに上る。
たしか、何とかいう症候群だと、病名が付けられていたように憶えている。
「あれは、空の肉体が他者から、生きた魂を奪い取ろうとする本能的な行動だ。獣の理屈と同じで、餌を捕食するようなものだと思っていい。そして、魂が死んでしまうほどの穢れに侵されている肉体に接触された場合、被害者にもまた、死の穢れが感染する。―――我々は、それを抑える為の対策を執り行う仕事をしている」
感染。
その言葉に、今日の昼、保健所職員のふりをして裕信達が学校を訪れていた、その事実が不意に思い浮かんだ。
「待って下さい。それじゃ今日、小石川が倒れたのは」
「……ああ、そうか。君は同じクラスだったのか」
そうだ、と佑慎は頷いた。
「小石川和人は穢れに侵され始めていた。が、まだ死に至るほど重篤ではない」
彼には、ごく薄くだが皇族の血が入っていたから、と為仁を見る。
「日本の皇族が神の血を継いでいる、というのは、神話じゃない。事実だ。……その血が、あの少年を守った。神の血は穢れを弾く。もっとも、大量に襲いかかられれば防ぎきれるものでもないが……そのお陰で、彼は体調を崩すに留まった」
「まあ、だからといってそれで終わり、ってことでもないんだけどね」
そう続けたのは、これまで佑慎に説明を丸投げしていた洸逸だ。
「つまりさあ、あの子は穢れに侵されてた……イメージとしてはこう、包み込まれてるような感じ? だったんよ。で、憶えてる? 穢れってうつるの。感染すんの。つまり、あの子と接触した人達もヤバいってことなのよ」
「…………!」
昼休みの検査を思い出す。
では、あれは。
「……学内に穢れがあることには、僕が気付いた」
突然、ぽつり、と為仁が呟いた。
柔和な顔立ちが厳しく引き締まっている。
「おそらくは、これも血のせいだろう。現宮家の中で唯一、僕は穢れの気配が解る。そのため、時折こうして、ここに協力しているんだよ」
だから、通報は、僕がした。
―――穢れがある、と。校内の一斉捜索と浄化を要すると。
「で、その通報で俺たちが派遣されたって訳。ちなみに、君らが会議室で検査を受けてる間に、教室のほうも念の為に浄化してあるから。安心していいよー」
あの子以外には、まだ感染してなかったのが幸いしたよねっ。軽い口調でそう続けた洸逸の目の下には、よく見ると、濃いクマが描いたようにはっきりと染みついている。
「まあそれで一応、校内も全部見て回ろうってことで。一日掛けて敷地内全部、見て回ってさあ。やっと終わったよー帰ろ帰ろーって外に出て、車乗ろうとしたらいきなりコイツが、権能まで使った全力疾走かましやがって」
コイツ、のところでまた洸逸の手が、べしっ、と佑慎の後頭部を叩く。
「為仁殿下の護衛も兼ねてたっつーに、何だよって追いかけていったら、まあ君がああなってた訳だな」
ここまでが、まあ、ざっと経緯の説明ね。そう締めくくって、洸逸がぐい、とエナジードリンクの缶を煽る。
ごくごくと喉を反らせて、半分ほども一気に飲んだだろうか。
「でさ、問題はこっからなんだけど」
ぷは、と口を離すと同時に、その目が、幸人をひたりと捉える。
無口で堅い佑慎、優雅な為仁、という中にあって、唯一軽剽な印象を持つ洸逸にしては、やけに鋭すぎる視線だった。
まるで、幸人をその奥底まで見透かしてしまいそうな。
「君、炎神だよね。何で検査通り抜けちゃったかなあ」
エンジン。
先刻、佑慎も口にした言葉だ。そう、そして、今まで大人しく聞いてきた説明の中にも、いくつか引っかかる言葉がある。
「待って下さい。その……エンジン? とか」
さっき楸さんが言ってた、浄化、とか権能とか。そういうの、まとめて。
「俺には意味が解らない。穢れ、とかいうものの話は解りましたけど、じゃあ乙津が何しようとしてたのかとか、俺がなんだとか。そういうのは、いったいどうなってるんですか」
「あー……。そうねー、そこねー」
まさかの無自覚かー。独りごちて、洸逸は天を仰ぐ。
そうして、隣に座る佑慎の左足を、げしっ、と蹴り飛ばしていた。
「お前もさあ、ホントさあ……。ちゃんと確認取りなさいよ。あー、まず、幸人くんさあ。君、この穢れとかこういう話って、今まで聞いたことあった?」
「いえ、ないです」
あるはずがない。こんな、オカルトじみた話。
マンガやアニメやラノベの域だろう。とても、大真面目に省庁の職員がしている話とも思えなかった。
「ダヨネー。そもそも、この話は秘匿されてんの。どのくらいかってーと、もう国家の上層部しか知らないレベル。同じ宮内庁職員、所属してる式部職の中でさえ、まあ式部官長と副長と……その補佐レベルの職員じゃないと知らないよねーってカンジ。そのレベルで秘匿されてんの」
神祇職、ってのは基本、儀式の中でも特に神事に関わるものを担当する部署だから。そこからの拡大解釈で、まあ神事っちゃ神事だわなってことでうちらがここの所属に納まってる訳だけど。
「で、うちの仕事―――穢れの浄化だのに関しては、神社本庁と連携してる。あっちにはマジモンの能力者がいるからね。こっちにもいないことはないけど。やっぱ神力の籠もったお札だのなんだのって大量に必要だから、こっちの神祇職だけだと手が回らないっつーか」
でも、それはあくまで裏方というか―――後方支援の話なんだよね。
そう言って、洸逸はまた、缶を煽った。
「んじゃあ、俺たちの所属する部署、庁外行動課って何? っつー話になんだけど。まあ実働部隊だよね。浄化したり、穢れに魂を殺された肉体―――通称で「黄泉落ち」って言ってんだけど、それを抑えたり片付けたりすんのが俺たちの仕事」