重要参考人保護申請/7
為仁は笑って、幸人の肩にぽん、と手を置いた。
「大丈夫。この二人は怪しいけど、君に危害を加えることはないよ」
「……はい」
「おーおー。散々な言われかたしてますよなぁオイ」
男がぶー、と唇を突き出して文句を垂れる。事実でしょう? と為仁が、それは清潔ににっこりと微笑んでいた。
「さて、では行きましょうか。いつまでもこうしているのもね。彼も襲われていたんだから、安全な所で一息つきたいでしょう。―――コウイさん、車を回して貰えますか」
「へいへーい。おいギィ、車回せってよ」
コウイ、と呼ばれたのは、痩せてひょろりとした男のほうだった。
「俺は殿下のお傍を離れる訳にはいかない。コウイ」
「いやさっき全速力で離れてったお前が言う事じゃねえよな!?」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人を見て、為仁が笑う。
そんな様子に、やっと自分にとっての「普通」が戻って来たような気がして、幸人はようやく強張っていた肩から力を抜いた。
「……あの、先輩」
「うん?」
「その。……これから、どこに向かうんですか。あんまり遠いとかだと俺、」
「……ああ」
そうか、そうだよね。知らない所にいきなり連れて行くと言われてもね。
そう独りごちた為仁はうんうんと頷く。
「大丈夫、そんなに遠くない。すぐ近くに地下鉄の駅もあるよ。いや、帰りは勿論、車で送っていくつもりだけど」
「そうですか」
「それに、君も多分、知っている場所だ」
「え、そうなんですか」
どこだろう。都内で知っている、となれば、いくらでもあるような気がするが。
考える幸人に、ニヤリ、為仁は、これまでと雰囲気の違う笑みを浮かべた。
「住所で言うなら、千代田区だ。千代田区一番の一」
それは、おそらく、知っている者からすれば有名な住所。いつか本で読んだこともあった、と記憶を浚って、幸人はぽかん、と口を開けた。
ふふ。為仁が悪戯を成功させた子供のような顔で笑う。
そうして言った。
「君を皇居にご招待する。もっとも、連れて行くのは、その敷地内にある宮内庁だけどね」
―――と。
◇
宮内庁式部職神祇部庁外行動課一係 班長
それが、改めてと渡された名刺に記載された、抜刀男の肩書きだった。
「多田佑慎だ。先ほどは失礼した」
このままでは障りがあるから、と一時席を外し、戻って来た男は軍服のような、警察官の制服のような服を身に付けている。
鍛えられた長身が纏うとあまりにもぴったりで、一度目にしてからはこの男が軍人以外の何者にも見えなくなった。
「ああ、これは。出向扱いで防衛大に通っているから、その制服だ」
あくまでも、所属は宮内庁だ。
幸人の戸惑いに気付いたのだろう、佑慎は生真面目にそう付け加える。
「なんで宮内庁の職員が防衛大? って思うよなー。皇宮護衛官とか皇居警察だってフツーに警察官なのに。意味解んないだろ?」
あ、俺はこっちね。そう言ってひょろい男が渡してきた名刺には、同じ部署が所属として書かれていた、が。
「偉そうに見えるかも知んないけどー、俺はただのパートってだけだから! 本業は大学生な」
楸洸逸、と書かれた名前の左上には、短く「顧問」と記されていた。
「……防衛技術に関して、アカデミックに学ぼうとするなら、国内に防衛大以上の場所はない。入軍する訳にはいかない以上、出向という扱いになるのは当然の話だと思うが」
「そもそも宮内庁の職員に防衛技術って何だよ、って話なんだよそこは。気付けバカ」
ぺしん、洸逸の気軽な片手が佑慎の高等部を叩く。
顔が軽く前へつんのめるほどの威力だったそれに、しかし佑慎は表情をぴくりとも変えないまま、幸人の向かい側のソファへ腰を下ろした。
「先輩は……」
「うん?」
三人掛けの応接ソファ。
幸人の並びには、為仁が優雅に腰を下ろして、出されたコーヒーを嗜んでいる。
「この人達と、知り合い……なんですか」
「ああ、うん。そうだね。僕もちょっと関わっていて……立場としては、アルバイトという扱いになるのかな?」
後半の疑問は、佑慎へ向かって投げかけられていた。
「殿下は協力者という位置づけでリストアップされています。報酬については、案件ごと随時支払う形になっているかと」
「ハハ、そこは気にしないでください。国民の安寧に寄与することは、我々皇族の義務でしょう。……僕の生活そのものが、報酬の前払いを受けているようなものと言える」
「御身の献身に、感謝と敬意を」
きりりとした略式の敬礼が、佑慎から施される。為仁は僅かに肩を竦めただけで、それを受け取った。
通された部屋は、ごく普通の応接室のように見えた。
宮内庁。一般庶民には中々縁のない場所で、庁舎が皇居の敷地内にあるということさえ幸人は今回、初めて知った。
「―――少しは落ち着いただろうか。君が良ければ、説明に入ろうと思うが」
四人の目の前には、それぞれ飲み物が置かれている。
為仁と幸人の前には、職員が運んできてくれた来客用のコーヒー。
佑慎の前にはボトルに入った水、洸逸に至ってはデザインが特徴的な缶のエナジードリンクが置かれている。
それが宮内庁、という場所の堅苦しさを、僅かに和らげてくれるような感じがした。
「まず、君の名前を聞いていいか」
「あ、……佐峰幸人、学修院高等部二年生です」
「そうか。では佐峰くん、まず今回君が見たことについて説明する。また、我々の側にも君に聞きたいことがある。君の見たまま、体感したままを素直に話して貰えると助かる」
「はい」
ふー、とひとつ息を吐き出して、佑慎が居住まいを正した。
「……まず、君を襲っていたあの黒い影のようなものは、穢れ、という」
穢れ。
……聞いた事のない単語ではない、が。
「一般には概念的なものとされているが、実際にああして存在している。穢れは生きているだけで溜まっていくものではあるが、君を襲ったのは、それとはまた別のものだ」
それは、死の国から溢れ出した穢れ、なのだという。
―――始まりは、大正十二年。
関東大震災が切欠だったと、佑慎は言った。
「我が国において、死者の穢れは根の国に送られる」
そもそもが、激動の時代だ。
黒船来航以降の開国、倒幕にまつわる争い、第一次世界大戦と、短期間にこれまでにない大規模な死者が出ていた。そのことで、死者の穢れの浄化が間に合っておらず、少しの切欠で飽和する寸前だったと予想されている、らしい。
そこに起こった、関東大震災。
死者、行方不明者が十万を超えるその一撃が、おそらくはとどめになったのだろう、と。
「一気に大量の死者と、その穢れが流れ込むことで、根の国がパンクしたと思ってくれていい。封じ込めておかなければならないものが、溢れて逆流した。そして、現世に―――我々の暮らすこの社会に姿を現した」