重要参考人保護申請/11
「はい」
「おとーさんもおにーさんも、官僚なんだっけ? 凄いよねー、エリート一家だ。でもまあ、だからこそ逆にやりやすいってーか、何とでもなるよ? 迷惑のかけ具合は民間企業よりずっと少ないよー」
「いえ」
幸人は、まだ十七才の未成年だ。
当然、家族ごとの保護を提案されていた。けれど。
「ほとんど、独り暮らしのようなものだったので。元々、年に数回、顔を合わせることがあるかないかです。必要ないと思います」
家族、と呼べるような存在など、幸人には「彼」以外いない。
「……そー?」
高校生の口から語られるにしては、いびつな家庭の在り方だっただろう。しかし、洸逸はそれ以上何かを言ってくることもなかった。
「ねー、コージーのマンションってここ?」
「あ、はい、そうです。ここの十一階」
「いいとこ住んでんね! 高級住宅じゃん」
「元々は、母が生きていた頃に家族で住んでいた家だったみたいなので」
だが、母が死に、まず父が帰ってこなくなった。
やがて兄も家を出た。そうして、ただ、幸人だけが取り残された。
ファミリータイプの一室は、寝室が三つに広いリビングダイニング、背の高いほうに入る幸人がゆったり足を伸ばして入れる風呂と、大きなルーフバルコニーが付いている。
「今はただ、広いだけです」
「んじゃ持っていきたい荷物も多いかな。悪いねー、まず必要な日用品とか着替えとかだけ選んで貰うことになっちゃうけど」
「いえ、それは。大丈夫です」
言いながら、いつも通り真っ暗な部屋に帰る。
ただいま、もおかえり、もない家だ。ここ以外に、住む場所もないから住んでいた。ただそれだけの家。
手伝うよ、という洸逸の言葉に甘えて、荷物を纏めた。
数日分の着替えと下着。二、三冊の本。普段使いの小物。筆記用具。
「決まったのがもう夜だったからさー。あと、まだ正式に保護の申請、通ってないからさ。コージーの部屋、手配できないのよ。今夜は俺の部屋に泊まって貰うことになるけど、大丈夫?」
「それは、……ご迷惑をおかけします」
「ああ、うん、その辺は気にしないで。俺んちも、独り暮らしにしては広いからさ。使ってない部屋が二部屋あるしー」
自由に過ごしてもらっていいから、気ィ使わないでねー。預けられたバッグにざかざかと日用品を放り込みながら、洸逸が笑う。
「俺はねー、自分から家族を切ったほう。中学卒業と同時にね、手切れ金渡して家出たのよー」
「え」
さらり、と世間話のように告げた洸逸を、思わず振り返る。
だが、洸逸は幸人を見ていなかった。視線は何気なさを装って、手元の日用品とバッグに注がれている。
「楽よー。めちゃめちゃ楽。何がって気が楽! 期待も落胆もなんもしねーもん。そういうやり方もね、あるってことだよ。コージーが選ぶ側になるんだ」
―――君はいつだって、自分の好きなようにここを出て行けるし、どこへだって行ける。
「コージーもまだ未成年だからさー、保護者の同意書とかちょっと必要になるんだけど。それはこっちで上手くやるからさ。しんどかったら丸投げしてくれていーし。佑慎も俺も、そーいうの慣れてるからさー」
「…………」
「ま、明日には申請も通るだろうし。そしたらちゃんと、落ち着けるとこ用意するからねー。中々ないよー、皇族でもないのに住所が千代田区一番の一になんの。警備の都合上、まとめて敷地内に住んで貰ったほうが楽だってこっちの都合なんだけどさー」
それにあそこ、結界があるからねー。
「一番安全よー。あ、俺んちも安全だから安心して。個人的に色々いじってあるからさ、余計なもんは入れないからー」
「……はい。ありがとうございます」
軽く見えるこの飄々とした男にも、切った、というような家族との確執が、もしくは事情があるのか。
楽しい話でもないだろうに、出会ったばかりの幸人を引き受けてくれている。それを感じる。
(それに、俺には)
お前がいたんだよな。いつも一緒に。
「えっちょっと待ってコージー、それは無理でしょ。ダンベルはバッグに入れちゃダメでしょ!」
「あ、いや、これ片方五キロの軽いヤツなんで」
「いやキミ頭良さそうな顔しといて実はバカだな!? スポーツバッグを過信すんな! 十キロの鉄塊入れんのは明らかに過積載だわ!!」
あーもー、ちょっと貸して! と洸逸が、幸人の手からバッグを引ったくろうとした。が、中身は十キロの鉄塊とその他、ハンドグリップなどの運動器具だ。そう思っていないと、急に持てるものではない。
「何だこれ重っ! バカか! お前やっぱりバカなんだな!? ギィと同じタイプのバカだ、筋肉バーカ! バッグ千切れるわ!」
わあわあと騒ぐ声が、がらんとした部屋に響く。一人で数人分の賑やかさで騒ぐ洸逸は、先刻ちらりと垣間見せた冷酷さが嘘のように子供っぽい。
……バカバカと罵倒されているのに、何だか笑えてくる。
「あ、そういえば買った時に、専用のキャリーバッグも付いてきたような記憶が」
「いや、だったら最初からそれ使えよ。つーかそもそも、取り敢えずの手荷物にダンベルとか入れるか普通!?」
律儀にいちいちツッコミを入れてくる洸逸に耐えきれず、幸人はとうとう声を上げてハハハ! と笑った。
そうして気付いた。
―――この家に、楽しげな声が響くことなど、幸人が生まれて以来初めてのことだった。
◇
……以上の経緯から、黄泉落ち出現以降初となる、「敵勢力と見られる者」からの接触者、及び「器」の適合者として佐峰幸人を保護対象とするよう申請する。
また、敵勢力との接触の可能性があることから、当該保護対象の警護及び随行について、以下の条件を希望する。
・単独での討伐経験が豊富な者
・一対多数の討伐経験がある者、またそれを成功させた実績のある者
・防衛任務の経験が豊富な者
・撤退の判断を下せる者 または撤退の経験があり、それを成功させた実績のある者
以上は、敵勢力と思われる者との交戦の際、非常に高い戦闘力を確認した上での提言となる。
また、敵勢力の攻撃方法等に不明が多い。臨機応変な対応が求められるであろうことも、ここに報告する。
申請者 式部職神祇部庁外行動課実行一係 第一班班長 多田佑慎/同顧問 楸洸逸
◇
―――上手くいかなかったねぇ。
―――そうだねぇ。
あの子はどうして、解ってくれなかったんだろうねぇ。
そうだねぇ。
兄弟なのにねぇ。
そうだねぇ。
お話しが足りなかったのかもしれないよ。
そうだねぇ。
あの子だって、母上が恋しいに決まっているもの。
そうだねぇ。
―――そうだ、あの子に夢を見せてあげよう。
正しい世界の夢。
正しい姿の夢。
あの子はすぐに死んじゃったから、きっと解らないんだよ。
だからちゃんと教えてあげよう。
見せてあげよう、正しい姿を。
だって、我らは兄弟だから。
だって、あの子は最後の弟だから。
見捨てないでいてあげよう、
可愛がってあげよう。
そしたら、きっと一緒に来てくれる。
「ハ。おめでたいな」
乙津は鼻先で短く嗤うと、手の平に蠢く穢れを、指先で弄んだ。
「あんだけ拒絶されといて、まだ兄貴ヅラすんの? バカじゃん」
何でそんなこと言うの。
何でそんなこと言うの。
穢れにまみれた空間のなかで、けれどちっとも汚れなど知らなさそうな無垢な声が、重なり合うように訴えた。
「俺は別に良いけどさあ、痛い思いすんのはアンタらだろ」
そんなことないよ。
痛いことなんてないよ。
言い募る声と言葉とは、どこまでもいとけない。だからこんなことになるんだよ、と乙津は唇の端を歪めた。
「ま、俺はどっちでもいいいけど」
―――もう、期待なんてしない。
願ったりもしない。
やりたいようにやる。好きにする。その先で何が起ころうと、どうでもいい。責任など、きちんと取れるヤツのほうがきっと少ない。
だから放り投げる。
だから捨てる。簡単に。
だめだったから仕方ないよねと。呆気なく、いっそ無慈悲に。
「そういうのは、もう沢山なんだよ」
呟いて、乙津は右手を振り払った。
べしゃ、と水気の多い、粘ついた音がして、手の平にあった穢れが飛び散る。壁に、床にぶつかって、ずるずると広がる。
「ハ……、きったねえの」
呟いてみても、自分がその汚泥の中へずぶずぶと沈んでいることに変わりはなくて。
どの道、もう、これ以外やることも、やれることもない。
―――案ずるな。
お前の願いは、私が叶えてやる。
そう低く告げる声に、隠しもしない嘲笑を向けた。
「口先だけは立派だな、アンタ」
そう解っているのに、その口先に踊らされてこんなところまで来てしまった自分も、よほど愚かだ。
でも。
(―――幸人! 逃げろ!)
「……お生憎さま。アイツは殺すよ、絶対に」
それでいいと思った。だって、あいつは手にしてはいけないものを手に入れているから。
それなのに、手に入れていることに気付いていないから。
そんな傲慢は、許さない。
だから殺す。多分そのために、ここにいる。
「……ああ、あいつの悲鳴は、見物だったなァ……」
もっと嘆けばいい。泣き喚けばいい。
絶望して、這いつくばればいい。その無様な姿を見るためなら、何だってやってやれそうな気がした。
「次は、何をしようかな」
そのためなら、世界だって俺の敵だ。




