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住人その1 まずは話しかけるところから

 広々とした空間だった。床から天井までの間に東京タワーを挟むことができる。かつては飛行船などの繋留所(けいりゅうじょ)だった。

 与圧はされていない。この大きさになると、空気の重さが無視できなくなる。一気圧にでもすれば、周囲の構造材に負荷がかかって折れる可能性さえあるのだ。

 とはいえ電池で動く骨鳥と、宇宙でフリークライミングをしてきた女にとっては空気の有無などさして重要なことでもない。優先すべきことはいくらでもあった。


「まずは現在位置を確かめないとな。どこまで機材が生きているのかも調べないとだし。あとは……音声通話機も作っておかないと」


 鳥は畳んだ両翼を器用に使って、女と並んで歩いていた。

 ちらりと横の女を見る。思っていたよりずっと繊細な容姿だ。人間とほぼ変わらない、というより人間離れした美貌だった。

 鏡に映った秋空のような透明感のある髪を肩まで垂らし、赤い瞳はほのかに輝いている。背は女性体としては高い方だろう。プロテクターの上からでも、彫刻のように均整の取れた肉体がうかがえる。


 量産品にここまでの技術は使われない。軍用でも、研究開発用でもだ。どんなところにも予算はある。見た目も性能の一部ではあるが、湯水のように金を入れていいパラメーターでもない。

 ほとんど趣味的なこだわりがなければ、こんな芸術品が生まれることはないだろう。果たして誰が作ったのか。


「アラブの石油王ならぬ月のヘリウム王かね」


 つまらないことを考えても、尋ねることさえできない。そもそもあちらは話せるのだろうか。

 ここまで精巧に作ってあるのだから、対話能力が無いとも思えないが、だからこそ逆に、という可能性もある。完璧なものに欠落を与えるというのは、数寄者(すきもの)にとってはけっこうな誘惑だ。


 そんなことを脳裏で演算しながらも、VRでつながる鳥の眼の方は忙しく動いている。探しものは必ず近くにあるはずだった。


「お、あれか」


 南西に3km、下に120mといったところ。開けた場所に、石碑のような操作盤と、箱の枠組みのようなものが乗っかっている。


「ちょっと先に行ってますよー」


 電話ごしにお辞儀をするように一言残して、鳴かない鳥はぶわり、と翼を広げる。羽ばたく必要は無い。隙間から吹き込んでくるそよ風だけでも、飛び上がるには十分だ。

 ガラスの床をなぞるように、優雅に滑空しながら操作盤へと近づく。


 その時、右翼の先端が気流の乱れを感じ取った。ここに来るまでの道中で慣れ親しんだ空気の流れ。爆発音だ。

 下の階段に何かが走ってくる。丸い頭の与圧服が目についた。


「あの人の仲間かな?」


 初めに考えたのは、女より先に来た調査隊の線だ。あんな無茶な着陸を決めるにしても、情報があるとないとでは雲泥の差。先にもっと穏便な方法で訪れた仲間がいても不思議ではない。

 次の瞬間、背中を谷折りにして、与圧服を着た人間が弾ける。血は赤い。肉の色が見える。


「ただの人間じゃん!やばい!」


 のんびりしている場合ではなかった。まだ二人、いや三人いる。必死に逃げている。一番後ろの小柄な人影が転んだ。

 それが幸運だった。壁を突き抜けた鎌状のコンクリートカッターが頭上を通過して、先に逃げていた二人を両断する。


甲殻機(バージェス)か!」


 現れたのは、見上げるような大型機械。80年ほど前に流行った自動兵器群の一種だった。

 生物的な丸みを帯びているにもかかわらず、例えようのない造形をしている。異様に肥大したコブのような頭に、巨大な単眼。脚は八つあり、前の二脚は武器にもなる作業工具。コンクリートカッターとは名ばかりの、金属だろうが炭素繊維だろうがかまわずぶった斬る機構刃(きこうじん)だ。


 頭の下には機銃が一つ。50口径12.7mmの伝統的な重機関銃。ちょっとした装甲車なら簡単に破壊し、人体ならバラバラだが、最悪なことにはこいつの装備の中では一番おとなしい部類だった。


「かなりイカれてるな。工機での直接攻撃はハーグ条約追加条項違反だぞ」


 完全に暴走している。あの兵器は基本的に人に突っ込むものではない。鎌で穴を掘って敵を待ち伏せする(たぐ)いだ。

 プログラムをいじられたか、経年劣化か。両方かもしれない。


 止めるのは難しい。頑丈さと単純な破壊力がウリの兵器だ。機械鳥につけた最小限の武装では倒しきれない。

 死角に入ったのか、真下にいる獲物を探している。とりあえず人から離さなければならなかった。


 日光をこれみよがしに反射する翼は、バージェスの気をよく引いた。機関銃が回り、重い発砲音と共に太い弾丸が飛んでいく。

 鳥はかまわずに突っ込んだ。ゆるやかな動きからの加速に反応できず、弾幕は後ろへ流れていく。あの種のバージェス、嚢頭型(のうとうがた)は機銃の扱いが下手だ。頭が大きすぎる。

 なので頭上少し後ろよりの位置を取れば、ほとんどの武装を無力化することが可能だった。


 バージェスはずんぐりした図体に見合わない機敏さで旋回するが、機械鳥の方も、紐でつながっているかのようにぴたりと後ろにつく。

 膠着状態だ。このままバージェスの注意が上に向き続ければ、下の子供にも逃げられる目がある。

 それまでバージェスの頭の下でじっとうずくまっていた子供が、ゆっくり立ち上がった。恐る恐るといった様子で、徐々に戦線から離れていく。


 ぎゃり、と地面を掻いてバージェスが振り向く。うざったいだけの機械鳥より、逃げる人間の方を優先したようだった。


「ちょっと優秀なAIめ。ヘイト管理が面倒だなっ、と!」


 翼を折りたたんで急降下する。バージェスはこちらを舐めているのか、ろくに反応もしない。

 ありがたいことだった。逃げ回る相手に命中させるのは難しい武器だ。


 鳥のくちばしが小さく開く。小指の先ほどもない、細い銃口がのぞいた。


 爆発。バージェスの装甲が炎に包まれる。前脚の一つ、右側の鎌がもげて、地面を削りながら火花を散らした。

 ぱぁん、と混じりっけなしの破裂音が、弾着に遅れて轟く。

 

「浅い!」


 中枢を狙ったが、さすがにそう上手くは行かなかった。液体炸薬を噴射して弾道を逸らす先進的なリアクティブアーマーが、バージェスの被害を右半身の一部に抑えていた。

 やむを得ない状況だったが、できれば二重加速投射機は使いたくなかった。これで完全に高脅威目標と認定されたはずだ。

 バージェスの主兵装が来る。


 ごお、と頭部の奥深くを流れる冷却装置がうなる。地下を大水脈が流れるように、静かな破壊力が開放される時を待っている。

 バージェスの、人を飲み込めそうな大きな瞳。それが鳥を見つめた。


 発火。突如として空気が燃える。知らぬものが見れば魔法にしか見えないだろう。

 光ゆえに不可視。光速ゆえに不可避。メガワット級対空レーザーである。極限まで収束された光線は、観測する前に相手を焼き尽くす。

 バチバチと小さな雷鳴。雪のように火の粉が降り、炎の雲がただよう。


 鳥は、まだ飛んでいた。それも5機。燃えているのは空中に散布された微粒子だった。イメージチャフ。電波を乱反射する微粒子に立体映像を投影して、レーダーと画像認識の両方を欺瞞ぎまんする防御兵装である。

 バージェスのカメラが迷う様にゆれる。イメージチャフは赤外線探知に弱いが、機械鳥はそもそも熱を発する機関を持っていなかった。


 先手を取った優位を元に、主導権を握り続けている。だが依然、バージェスとの戦力差は開いたままだ。基礎体力が違う。


「電力が、あと18パー。銃はもう無理だな」


翼弦骨格疲労 危険域

残電源 18ーー17% 安全飛行保証外

翼膜劣化 交換推奨

防電粒子 残量無し

電脳稼働率89% 加熱警戒域

機電脊椎 欠落有 脚部通信異常

加速弾体 残弾2


 視界の左上、自機のステータスのほとんどが赤文字で映っている。そもそも長旅の後だった。補給する寸前でこの戦いである。骨格の疲労も激しい。あと10分飛べればいい方だろう。

 それでも子供が逃げる時間は稼げるはずだった。


 よたよたと走っていた与圧服の子供が、ぱたりと倒れる。転んだという感じではない。明らかに意識を失っていた。


「穴が空いたのか?まずい!」


 恐らく先ほどのバージェスの大暴れで、ヘルメットにヒビでも入ったのか。外は1/100気圧未満。一瞬で意識を喪失し、数分で死に至る。

 この状況ではもうどうしようもない。詰みだ。鳥は即座に離脱の体勢をとる。レーザーから逃れるため、地面すれすれにできるだけ障害物の多い方へ。


 飛ぼうとして、やめた。足音が聞こえたからだ。




 大砲のような踏み切りが鉄橋を揺らす。風を(つんざ)いて飛来した蒼銀の女が、バージェスを飛び蹴りで吹き飛ばした。

 ばごん、と、金属と肉が激突したとは到底思えない音が響く。足一本失ったバランスの変化のためか、バージェスの巨体が大きく傾いだ。

 それでも転ぶ寸前で姿勢を立て直す。歩行脚六本を雷雨のごとく乱打して、すかさず女を睨んだ。百万ワットの視線が、かすかなイオン臭を残して殺到する。



 女は、ただ右手を顔の前にかざした。


「……マジ?」


 ばしゃあ、と細かい砂利をぶちまけたような音。瀑布のような火花。

 命中している。確かに戦闘機のチタンを貫通する光の槍が、人の形をしたものに照射され続けている。


 それを夏の日差しをさえぎるかのように、女は光線を片手で受け止めていた。

 バージェスの混乱は感情が生まれたのかと見まがうほどだった。カメラがぶれ、脚は貧乏ゆすりじみてガタガタと打ち鳴らされている。

 無理もない。メガワットレーザーを手のひらで受け止める存在がデータベースにあるはずもなく、それに対応するアルゴリズムなど夢のまた夢だ。


 女は歩く。手から炎の花吹雪が吹き上がっている。困ったように棒立ちのバージェス。その残った左の鎌を左手で掴むと、思い切り引く。

 ばぎり、と唾が酸っぱくなる無機質の悲鳴。

 外殻はセラミック、内部の保護膜は炭素繊維。古典的な兵器に特有の、過剰に厳重に保護された装備を、(かに)の脚か何かのようにむしり取った。


 まだ照射されているレーザーを防御しながら、千切った鎌を振り上げる。振り下ろす。

 眼球が砕け、閃光は八方に散った。無色の殺意は散乱することで初めて色を得て、断末魔の傷跡を周辺にばらまく。

 壁が割れ、瓦礫が融け、階段が切断されてねじ曲がっていく。

 

 それもすぐに終わった。自らの武器に甲殻を砕かれ、臓腑を焼かれたバージェスは、ついに永遠に沈黙した。


 女はバージェスの停止を確認すると、興味を失って後ろを向く。進む先には子供が倒れていた。

 抱き上げてもピクリともしない。低圧空気の吸入は、全身麻酔のように強烈だ。脳死までさほど時間は無い。


 子供を抱き上げた女の肩に、機械の鳥が止まる。そのくちばしが指し示す方向には、四角い操作盤があった。鳥が飛び立つ。急げ、急げと言わんばかりに。

 

 かつ、かつと、速足ながら脳を揺らさないスピードで階段を上っていく。鳥は後ろを見向きもせず、操作盤に端子を接続し、画面を凝視していた。


 ばさり、と片羽を上げる。それだけで女は理解した。その翼膜を引き裂く。透明で薄いシートを、子供のヘルメットと破れた与圧服に巻く。空気ボンベは破れていない。穴をふさげば気圧が戻り、多少はもつはずだった。

 その間に操作盤の向こう、骨組みだけの奇妙な機械が動き出す。枠が急速に縮み、また開く。その後にしぼんだ提灯(ちょうちん)のようなものが置いてあった。


 女は子供を抱いたまま進み、大提灯の上にあるボタンを押す。

 即座にファンが稼働し、与圧テントはぽん、と膨らんだ。


 女はゴムのような弾性の二重扉をくぐって、子供を安置する。ヘルメットを脱がせて、胸を数度軽く押すと、途端に咳き込みだした。子供にしても高いソプラノ。少女だった。


 呼吸が落ち着き、涙混じりに目を見開いて、女を見てさらにまん丸にした。


「だ、誰!?」


『やあ、はじめまして』


 応える声は後ろから。子供は、少女はとっさに振り向く。そこにいた骨の鳥を見て小さく悲鳴を上げた。


『ああ、やっぱりちょっと怖いかな?この見た目。軽量化のためだから勘弁してほしいね。僕は波戸場重合(はとばかさね)。旅行者だ。あっちの人は、何というか……』


「イド」


 女が言った。その容姿に違わぬ、金糸のような柔らかく金属質な響き。鳥はぼけっとくちばしを開ける。


『喋れたんだ、君』


「お前も」


 口数は少ないが、はっきりした受け答え。間違いなく高い知性がある。


「お前も話せるとは思わなかった」


『ああ、音声通話機もついでに製造したんだ…っといけない。君だ君。君が一番混乱してるね』


 鳥、重合(かさね)は少女に話しかける。


『イカロスに生き残りがいるとは思わなかった。ここのことを、君が知ってる分でいい、話してくれないかな?彼女も多分そう思っているはずだ』


 イドはシリウスの色の髪をゆらめかせ、小さくうなずいた。


 

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