表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

飛び移る女

「着いた……やっとだ」


 薄い大気に霞むばかりだった目的地が、今や鮮やかにそびえ立っていた。

 それは地球最大の遺跡だった。高度、約二万mから三万五千m。全長260kmに及ぶ、浮遊物質からなる超巨大建造物。

 下部は無数の板を間隔を開けて吊るしたような積層構造で、成層圏を這うように流れるジェット気流を受けて、莫大な揚力を生んでいる。


 その上にはいくつもの尖塔。大気圏外にある軌道エレベーターに直結する電磁射出塔が、放つ物も無く(そら)をにらんでいた。

 複合成層圏プラットフォーム『イカロス』。太陽に挑戦した男の名冠する施設は、今や彼を閉じ込めた迷宮(ラビリントス)となって、星と虚空の間をさまよっている。


「割と状態がいいな。塔の一つくらい崩れていてもおかしくなはずだけど。大した建築技術だ」


 少年の声だった。空気と共に生命の気配さえ薄れたこの高々空で、そのつぶやきを聞くものはいない。

 そもそも彼の声は音として発せられてはいなかった。その身体の口にあたる部分には、会話機能は実装されていない。


 極限まで無駄を削ぎ落とした、紙細工のような骨組みに、ビニールより薄く透明な翼膜。広げれば4mにはなりそうな翼。肺活量に自信がある人間なら、吐息だけで転ばせることができるだろう。

 天翁(アルバトロス)か、翼竜か。長く、高く飛ぶために最適化された機体は、浮遊する瓦礫の上で羽を休め、じっと日を浴びて充電をしていた。


「苦節半年。ようやくここまで来ましたよ。さあて、探検だ」


 遥か下方。海抜百数十mの一軒家の一室で、コントローラーを動かす。銀色の鳥は、その細長い翼を広げると、吹き寄せる偏西風に乗って、空をゆっくり滑り始めた。

 機体をヨットの帆に見立てて、向かい風の中をジグザグにさかのぼっていく。自前の推進機関は重いので、最低限のものしかつけていない。


 ほとんど風力だけで上空二万mまで昇り、空をさまよう『イカロス』にたどり着くには半年の時間がいった。毎日毎日代わり映えしない成層圏を上に下に。墜ちれば何もかもおしまいのスーパーマリオだ。一発でここまで来れたのは奇跡に近い。


 だからこそ、夢にまで見た目的地とらえても焦ったりはしない。むしろ物見遊山の気分で、目の前の馬鹿でかい遺跡以外遮るもののない景色を楽しむ。

 イカロスのさらに上、空を超えた宇宙空間に浮かぶ軌道エレベーターが、昼間でもみえる。

 『ゾディアック』。軌道エレベーターの中でも、地上に基部を置かないスカイフックと呼ばれるもので、12基が地球を周回していることから、黄道の星座の名で呼ばれる。


 かつてはあの宇宙の玄関口に向けて、無数の資材や人員が打ち上げられていた。今はただ静寂だけが、二つの超構造物の間を覆っている。

 


 そのはずだった。



「んん?人間、なわけないよな。ロボットか?どこから来たんだ?」


 ゾディアックの最下部、小型隕石が開けたのだろう小さな穴から、何かが這い出てきた。

 頭、二本の腕、胴体、二本の足。人型だ。だが人間のはずがない。向こうは完全な宇宙空間。気圧はほぼゼロ、太陽からの猛烈な電磁波とスペースデブリが吹き荒れる地獄なのだから。

 宇宙服でも十時間弱しか活動できない。ゾディアックの最下部から中継衛星までの約600kmは、真空に野ざらしのままである。


 カメラを最大にズームして、謎の物体を観察する。完全に人だ。しかもシルエットは女性的な丸みをおびている。髪も、おそらく肩口あたりまで伸ばしているようだった。

 出てきた穴のふちに手をかけて、身体を丸める。何かを測るかのように、頭だけを下に向けて、じっと固まっていた。

 ふと、その視線が自分のものと交差した気がした。


 身体がさらに一回り縮まる。どういった腕力が働いているのか、第一宇宙速度のスペースデブリを弾く複合隔壁がたわんで色を変える。

 何をしようというのか。周りはひたすらに虚空である。破壊すべきものは無く、力を向ける先など周囲200km以内には存在しない。ゾディアックの下部は、衛星の公転周期と同期して、上空400kmを飛んでいるのだ。


 跳ねる寸前のバネのように、人型の中に巨大な弾性力が溜まっていく。ゾディアックは太陽を追い越すように、ゆっくりと近づいてくる。


「いや、まさか」


 人型は確認を終えたかのように壁に向き直った。


「そんな馬鹿な。出来るわけがない!!」


 少年は叫ぶ。まさに、まさに今、馬鹿げた行為を目撃しようとしていた。


()()()()()()!?」

 

 跳ねる。背面から大気の中へ飛び込み、やがて頭を下にして一直線に下へと。

 空気抵抗は無に等しい。重力加速度をまともに受けて、ぐんぐんと速度を上げる。すぐさま音速を突破。高熱を帯びた身体は白熱し、一条の流れ星になった。


 不可能だ。自殺と言うのも生ぬるい。ほとんど止まっているように見えるゾディアックだが、当然地球を周回できる運動エネルギーを持っている。2kmの砲身を持つ射出塔から打ち出して、ようやくドッキングできる速度。

 そしてイカロスまでの距離は400km弱。東京から名古屋までをひたすら墜落するようなものだ。粉微塵どころか一瞬で液状化して蒸発する。


 しかし、しかし大気圏突入の洗礼を受けても、女の形はまだ崩れていない。髪の先がはためいてさえいる。

 幾何級数的にその姿が鮮明になっていく。青白い髪、プロテクターのついた紺色のボディスーツ。肉感と機能美が合体した見事な肢体。


 イカロスに当たる。直撃コースだ。少年はとっさに翼を広げ、上昇気流に乗って舞い上がった。

 速度差は歴然だが、向こうは400km、こちらは15km。十分間に合う。理由は無い。ただできるだけ近くで見たかった。

 外壁にぶつかった風が巻き上がるのをとらえて、銀の鳥は木の葉のように回りながら上へ。光り輝きながら降る女が、頭上で一際大きな火球を作った。


 星が落ちる。大気が震え、射出塔が竹林のように波打った。

 女は無事だった。どころか無傷だった。驚くべきはその頑丈さか、あるいは直撃の威力をしっかりと受け止めたイカロスの耐久力か。

 しかし勢いは止まらない。砂ぼこりのように火花が上がり、滑走する者の姿を隠す。このレベルの速度になると、蒸発した地面が摩擦を消して、まるでスケートのように滑ることになる。


 何らかの攻撃を受けたと認識した防衛用の多脚戦車たちが、ガトリングガンを振り上げて出撃してくる。まるでカーチェイスだが、追われる方は方向転換もできない。

 夕立のような弾幕が降り注ぐ。だが女は意にも介さず、腰から何かを取り出した。


 それは持ち手が腕と一体化して、一瞬何か分からなかった。なめらかな持ち手の先には、無骨な、四角いだけの棒のようなものが伸びている。

 銃だ。少なくともそれに類するものだと気づく。しかし高さだけで2m以上ある多脚戦車に相対するには、あまりに安っぽい。

 なのに何故か、飛翔する鉄の鳥は、少年はその射線から逃れるように動く。その銃口を見ないように。銃身が指し示す方の反対へ、反対へ。


 カチ


 引き金が引かれた。ほんのわずかな、気のせいかもしれない音を確かに聞いた。


 音が消える。視界の隅に赤い文字列。巨大すぎる音に対する警告。音声通信がロックされた。

 一直線に、凄まじく高速な何かが通過して、空間を引きずっていく。マクロからミクロに渡る大破壊が、進行上の全てを最微塵に分解する。

 爆圧が翼を打ち、3回転する羽目になった。射出塔の一つが、基部を失って倒れていく。


 反動は凄まじかった。女の脚が地盤に打ち込まれ、働かない摩擦に代わって、単純な物質の抵抗が滑走を止める。

 そして全てのエネルギーをまともに受けた最上層は、ばきり、とその規模に比してあっけない音と共に折れた。


 女は迷わずに上へと走る。キロメートル単位の破片を十秒と少しで駆け抜け、刃のように屹立(きつりつ)する金属の破断面を踏み潰して跳ぶ。

 呆れるほどの身体能力だが、しかし間に合わない。破断した部分が大きすぎる。


 400km落ちて、今さらあと何十kmか落下したところでどうともないだろう。だが下は海だ。陸地に着くまでにどれだけかかるか。イカロスに戻るのは不可能に近い。


 運動エネルギーが失われ、女の身体は最高点から徐々に下がっていく。掴めるものは無い。


 何かが、女を掴んだ。あまりにも頼りない、細枝のような鉤爪。全幅4mを超す雄大な翼は、南中の陽光を受け水晶のように輝く。


「クソっ、いけるか!?いやムリムリムリ折れる折れる!!やんなきゃよかったあ!」


 無理やりと言うのもはばかられる。ペイロードの余裕は5kgも無い機体で人間を支えるなど、誤魔化しようがない危険行為だ。半年の苦労が、宇宙から降ってきたよく分からん女のために5秒で粉々になろうとしていた。


「ゆっくり、旋回しながら落ちて、どっかに穴とかないの!?」

 

 イカロスは年月の重さに耐えて、整然とした瑕疵なき構造を維持している。穴は無かった。

 骨が危険な領域までたわんでいる。空中分解まで時間はない。決断するしかなかった。


「ええい!なるようになれー!」


 風に乗り、できる限り加速をつけてイカロスに近づく。視界が、世界の果てのような壁で埋まった。足元で女が、奇妙な形で身体をひねっていく。力をためている。

 いける。目の前の建築に比べればノミのような肉体に、少年は賭けることにした。


 足をはなす。カラスが中身を食うために木の実を投げ落とすかのように、人型が投下された。その先には壁、ではなく、落下した区画に続く瓦礫の欠片。

 欠片と言ってもテニスコートほどの面積はある。重量は3桁か4桁か。いくら異次元の剛力を誇っても、質量ばかりはどうしようもない。だから女の馬鹿力に賭けた。


 殴る、というより、身体を極限までひねって投球するようなフォーム。頭上にまで上がった足が、猛烈に戻って空気を踏む。

 ばごん、と欠片が変形し、軌道が変わった。イカロスの壁の方へと。欠片の先端が、長い間純白を保っていた壁を穿つ。

 鉄球が床に落ちる音、黒板を釘で引っ掻く音を煮詰めて千倍にしたような衝撃と共に、通り道が開いた。


 女は器用に体勢を変え、空気抵抗で減速。空中ブランコのように機械鳥の足を掴んだ。


「まず入口を探す予定だったんだけどな……。思ったより早く済んだ」


 結果オーライ。少年は電子機器に呑み込まれたような暗い部屋の中で、一人うなずいた。

 壁を抜ける。数十年ぶりに、イカロスに新たな客が入った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ