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 女神の信奉者のセリーヌに対する崇拝の念と人気は日々高まるばかりであった。ナシアス王国中の人々が喜び、祝ぎ、慶した。

 女神の寵花ーー天花への女神の加護は特別であった。枯死した不毛の大地も天花の祝福があれば、たちまち植物が芽を出し水が湧き恵をもたらすという。

 それは奇跡の力であった。

 しかしレイシスは、セリーヌに奇跡を望まなかった。すでにナシアス王国には王族の加護があり、500年に渡り豊かで平和であった。レイシスは知っていた。これ以上の、人間の身に余る力の領域は欲深いものだということを。

 豊かな実りもある。

 たっぷりとした清らかな水もある。

 日照りのないおだやかな気候もある。

 他国のように飢餓におびえることのない大地に、天花の豊饒の奇跡を重ねて求めてはならぬ、とナシアス王国全土に布告した。

 それでも、民衆の天花に対する熱狂に水が差されることはなかった。

 天花は瑞祥であり、人々にとって畏れ敬う僥幸であった。


 「よいですか、皆さん。セリーヌ嬢は酸の事件の傷も治らないうちに、今回は生死の天秤にのってしまいました。体力を消耗して体自体が弱くなっているのです」

 オルレアンの言葉にレイシスが頷く。レイシスは、緻密な花の刺繍に金銀の糸もふんだんに使われた厚い黒地の絹織物で布張りされた長椅子に腰掛けている。

 レイシスの後ろに立つ副官も頷く。副官の後方には部屋がみっちり詰まるほどの女神の信者が、一言も聞き漏らすまいと熱心に耳をかたむけている。

 「はっきり言ってもとの健康な体にもどることは難しいでしょう。今後はただの風邪でも、重篤になる可能性があります。ですのでセリーヌ嬢に接する方は、自身が健康であること清潔であることを心掛けて下さい。それと、」

 オルレアンは部屋にいる人々を見渡して言った。

 「セリーヌ嬢はまだ16歳の少女です。尊き天花ではありますが、どうか皆さんご配慮を」

 立ち上がってレイシスも命じる。

 「私の番に負担をかけることは許さぬ。我らは天花を得た。それだけで満足すべきなのだ。人の身が奇跡を望んではならぬ。それは人の領域ではない。心せよ、天花は人の都合、人の欲望で咲く花ではない。女神の寵花であることを常に忘れるではないぞ」

 この場所にいる者は、レイシスとセリーヌの側仕えの者たちだ。医師もいる、侍従もいる、兵士もいる。そして一度セリーヌを失った者たちだ。悔やんでも悔やみきれず、特に崖下でレイシスの絶叫を聞いた者たちは、あの声を心臓に刻みつけ戒めていた。

 二度目はないと、身魂をなげうってこの身が朽ちても許さない、と。

 だからこそナシアス王国中で、一番純粋に天花を信心する者たちだった。

 身近で見て聞いて感じて、セリーヌの信実も清浄さも知る者たちだった。

 煌めく海が奥底に隠し続けとうとう発見された宝珠のようなセリーヌを、この後彼らは堅い結束をもって生涯守り続けた。


 セリーヌはゆっくりとゆっくりと回復していった。

 まだ王都へ旅立てるほど体力はもどっていないが、枕から頭を上げる時間がだんだんと増えていった。

 それはレイシスにとって、静かで長く冷たい冬の夜が開けたような喜びであった。雪が積もり色を失っていた庭に、春の花が咲いたような温もりをレイシスにあたえた。

 「私のセリーヌ、私の番、私の花」

 愛しくて可愛いくて心惹かれて離しがたい、私の、私だけの番。

 「はい、レイシス様」

 ああ、声もかわいい。レイシスの玲瓏な声ではなく、小鳥の囀ずりのような可憐な、耳に心地よい声だ。思わず聞き惚れてしまうような声のかわいさだ。

 ーーもう一度、愛していますと言ってくれないだろうか…。この可愛い声でもう一度…。

 セリーヌの頬にちゅっちゅっと吸いつき、恋する男はねだった。

 「私のセリーヌ、好きです、愛しています。セリーヌも私を愛してくれていますよね?」

 真っ直ぐにyesの答えをねだる。

 レイシスの言動パターンを把握しているセリーヌは、おねだりの目的がわかったが答えには勇気がいった。自分の顔の傷をどうしても気にしてしまう。しかしセリーヌは、愛を与えられて愛を返せるしあわせを知っている。お互いに想い想われるしあわせを、死んでしまっては言葉にできないことも経験した。生きて命があるならば、言葉を惜しむべきではない。

 だから、

 「愛しています」

 心から愛をこめてレイシスを見つめて言った。

 レイシスは、雷に打ち抜かれたかと思うほどの衝撃を受けた。まさに天にも昇る心地だった。

 これは幸福という名の奇跡だと思った。

 ナイジェルとリリシアのように、運命だから幸福になったのではない。

 リリシアの元婚約者のアレックスやセリーヌの元婚約者のマイルスのように、運命だから不幸になったのでもない。アレックスもマイルスも目の前に幸福はあったのに、自ら壊して手にしなかったのだ。

 レイシスとセリーヌは、運命だから幸福になったのではなく運命だから不幸になったのではなく、二人にとって運命は花蝶の絆という種だった。レイシスとセリーヌは、二人で種を芽吹かせ育て花を咲かせたのだ。

 天花というこの世のものとは思えぬ美しい花は、だからセリーヌの額に咲いたのだとレイシスは思っている。

 「愛しています。千の夜にも万の夜にも愛を誓います、億の夜にも誓いたい。私の番、いいえ、番だから愛したのではありません、最初はそうでも、今は、セリーヌだから愛しているのです」

 熱烈な愛の告白にセリーヌは目眩がした。まだ熱の残る体に体温が上昇して、くらくらとセリーヌは倒れかける。

 「セリーヌ!?」

 すぐさまセリーヌを支えるレイシス。至近距離で見つめあう二人を、周囲は見ないふりをした。


 「甘酸っぱいですねぇ」

 副官と部下たちは額を寄せ合ってヒソヒソ話す。

 「レイシス様、初恋ですか?」

 「おそらくセリーヌ様もでしょう。あの酷い元婚約者に恋愛感情を持てたとは、とても思えません」

 「うわぁ、初恋同士ですか。甘いですねぇ、甘甘です」

 ひそめる声に揶揄はなく嬉しげに弾んでいる。

 「初恋は泡沫と消える恋といいますが、叶う初恋もいいものですね」

 だが、なごやかな雰囲気は一変する。伝令者が足早にやってきて報告をあげたからだ。

 「北壁の外側にて不審者を拘束しました。人数5名。縄と武器を持っており、壁を登ろうとしていました。北門の詰所に連行しています」

 「多いな、今日は3件目だ」

 「またどこぞのバカ貴族か他国の魔手か」

 「いずれにせよ、我らが天花様のおわすところに、汚い足で踏み入ろうなどと言語道断」

 「王族方を煩わせぬように、レイシス様に報告だけしていつものように我らで処理するぞ。必ず背後関係を吐かせろ。二度と天花様を拉致などさせぬわ」

 伝令者が先導して、庭を抜け屋敷の裏側を横切る。そこで副官の視界の端に洗濯女の集団が映った。

 ほがらかに笑いながら仕事をしている。皆、他国からの移民者だ。

 洗濯場はナシアス王国の言葉を話せなくとも仕事ができ、おまけに給料もやや高めだ。立場の弱い移民者の女子供への支援の場所でもあるからだ。

 洗濯女の中にはコルト国の出身者も数人いる。

 王国内ではコルト国人への反感をいだく者が多く、セリーヌが誘拐された夜、領主の娘を告発した少年とその母親も保護をかねてここで働いていた。真面目な働き者と評判で、少年は近々従者見習いに取り立てられる予定だ。

 他国はナシアス王国を羨望する。

 加護ゆえの豊饒の大地だ。飢える心配のない実り豊かな緑の大地は、さぞや羨ましいことだろう。しかし、それ以上に王族が民のために色々な政策をおこなっているがための平和と安寧なのだ。

 「王族方の苦悩を知ろうともせず羨む無能者どもめが。我らが命である王族方にも我らが宝である天花様にも、触れることなど許さぬ」

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