5
申し訳ありません。
今回はお話の区切りで、すごく短いです。
セリーヌは傷ついているはずだった。
リザの王宮で、包帯をかえる度に皮膚を失った剥き出しの肉と包帯が接着して、新しい包帯をするためにメリメリとそれを引き剥がし、傷みに悲鳴を上げないように歯を食い縛っていた毎日のはずだった。
夜になると絶望に涙が出そうになり、それを押さえるために無理矢理ねむった。
そんな王宮の毎日だったはずなのに。
リザの王宮を出て、その夜。
3万の軍が移動する夜営地である。天幕が数百、数千と整然と並び、馬のための水場、人間のための炊事場が点々と設けられていた。
その中の大天幕。
天鵞絨の寝椅子にセリーヌは座り、隣にはぴったりくっついてレイシスが座っていた。
セリーヌは、だらだらと汗を流さんばかりに目の前の光景に釘付けになっていた。
タイル敷の床に青い鳥が戯れる絵付きの艶やかな浴槽。
そこへ大きな壺を抱いた逞しい軍人たちが、代わる代わる湯を注いでいく。
セリーヌには、この後が予想できた。
先ほどの夕食でも、右手の使えないセリーヌに、ため息が零れそうなほど麗しい微笑を浮かべたレイシスが嬉々として、あーんを強行してきたのだ。嬉しくて嬉しくてたまらない、という顔をしてスプーンを待機させているレイシスに、左手で食事もできます、と言っても無駄であった。
「あの…、お風呂…」
おそるおそるセリーヌが口を開いた。
「もちろん、お世話しますよ、私のセリーヌ」
「いえいえ、私ひとりで大丈夫です」
「私のセリーヌ。右手が使えないのですよ?私にすべて任せて下さい。食事もお風呂も、着替えるのだって不自由はさせません。上から下まで完璧にお世話できるように、王子教育で習いました。私のセリーヌ。もっと私を頼って下さい。まさか、私がいるのに他人に頼るおつもりですか?」
氷点下の声に、セリーヌから汗がたらりと出た。
「いえいえ、ひとりで」
「食事の時も言いましたよね?右手の使えないセリーヌにそれは無理だ、と。私のセリーヌ。私は嬉しいのです。この手で番のお世話ができる日がくるなんて。貴女は私の理想です。もっとレイシス、レイシスと言って私を頼って下さい。私は貴女が可愛いくて仕方がない。もっともっと私は、貴女の手となり足となり杖となりたいのです」
望んで望んで、焦がれて焦がれて、やっと手に入れた番にレイシスの箍は外れていた。底光りする目にセリーヌは降参した。これ以上抵抗すると、レイシスが暴走しそうに感じたのだ。
セリーヌは自身の直感に従うことにした。
天幕にいる軍人たちは、はらはらと、心の中で両手を祈るように組んでいた。
「レイシス様、私をお風呂にいれて?」
羞恥心はあったが、侍女からレイシスにかわっただけ、とセリーヌは割りきった。
軍人たちは心の中で、両手を天に上げて喝采を叫びながら、セリーヌに深く礼をして出ていった。レイシスの暴走は狂い竜よりも恐怖なのだ。
レイシスは、介護職のプロ並みの手際の良さだった。
丁寧でやさしく慈しみに溢れた仕草でセリーヌを洗いあげ、ほかほかにした。
仕上げに檸檬色の飲料を渡され、ストローでちゅーと飲みながら、ナシアスの王子教育おそるべし、とセリーヌは小さくうなった。
そんな押せ押せのレイシスに、セリーヌの許容力が試される日々だったが、セリーヌはしあわせだった。
もう夜にひとりで震えることもなければ、涙をこらえて眠る必要もない。
レイシスの細やかな気配りに身を任せて、時々子猫のように反撃して、朝も昼も夜も幸福そうに笑うレイシスを見て、セリーヌもしあわせになった。
そんな旅の毎日だったはずなのに。
ナシアス王国の国境に入った日の夜、セリーヌはひとりで崖の下に横たわっていた。