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春麗ら。
恋する男レイシスは今日も上機嫌だった。
手に小さな箱を持ち、美しく端整な顔を華やかに綻ばせ早足で歩く。向かうはセリーヌのところだ。
「セリーヌ、私のセリーヌ。新しい髪飾りです」
レイシスが手に持つ箱の中には、宝石細工の花が美しく咲き誇っていた。
「綺麗です、とっても。私の快気祝いをレイシス様も下さるなんて、嬉しいです」
も?レイシスはセリーヌの髪で揺れる、金細工の繊細な透ける葉が連なる髪飾りを見た。そして自分の後ろに立つ無表情の副官の背後に、ニコニコと咲き乱れる幻の花を見た。
セリーヌが金細工の髪飾りに手を触れる。シャラシャラと涼やかな音がした。
「私の快気祝いに皆様から頂いたのです」
嬉しそうに笑うセリーヌに、微笑み返すレイシスだが内心では、セリーヌの身につけるものは全部私の選んだものだけでいいのに、と地団駄を踏んでいた。
しかしセリーヌが宝石細工の花も髪に飾り、レイシスに手を差し出し、
「お散歩デートに行きましょう?」
と誘うとコロリと機嫌をなおした。
「そうだった。今日から少しなら外に出ても良い、と医師の許可がでたのでしたね」
「はい。ですからデートしませんか?レイシス様」
「デート…!」
人生はじめてのデートにレイシスの機嫌は爆発的に上昇した。
「着替えを!着替えてきます、デートですから!」
「今日はお庭だけですから、そのままで。それに、おしゃれするならば二人でしたいです」
床払いしたばかりのセリーヌには、まだ重いドレスは着られない。
「そうですね!二人でおしゃれして王都でデートしましょうね!」
瞬時に脳内で、オペラと観劇が競いあいショッピングとデザートが踊りまくる、王都デート計画が発動したレイシスであった。
陽光が降り注ぐ季節の花に彩られた庭園を、レイシスとセリーヌは手をつないでゆっくり歩く。
豪華絢爛を体現するレイシスの美貌は、満開の花のように輝いていた。
リザ国からは移動の旅路で、ナシアス王国に入国した夜にセリーヌは誘拐され、その後はずっとベッドの上。二人で散歩するのは今日がはじめて。これからは二人ではじめてのことを、こうして重ねていけるのだと思うと脳内は薔薇色になるレイシスだった。
そんな二人の後ろ姿を凝視する集団が二つ。
ひとつはオルレアンと医師たち。
ひとつは副官と部下たち。
「オルレアン様。お願いいたします!」
オルレアンは医師たちに背中をぐいぐい押されていたが、両足を踏みしめ耐えていた。
「いやだよ。超ご機嫌な兄上の邪魔なんてしたらバラバラにされるよ」
「オルレアン様でバラ切りならば、我らなどみじん切りです。お願いいたします、花は10分しかもたないのです」
「わかっているよ。私だって欲しいけど、兄上がこわい!」
セリーヌの歩いた後には、正確には足跡には、小さく可憐な花花が咲いていた。貴重すぎて伝説の類いとされるほど希少な花で、開花時間はわずか10分。10分で散ってしまう上、植生が不明で発見が困難な花だが、薬として幾つかの病気の特効薬となる花だった。
「さすがは天花様。歩くだけで恵をもたらすとは!」
副官と部下たちは感涙にむせばんばかりだが、一方で厳しく表情を引き締めている。
「これは更なる警備の強化が必要です」
「欲深な連中が身の程もわきまえず狙ってきます」
「我らの天花様は、我らでお守りするのだ!」
額を寄せあい気合いを入れる。
騒がしい後ろの様子に我慢できず、レイシスが振り返った。
「うるさいぞ。デートなのだ。よいか初デートなのだ。ロマンチックが台無しだ。皆、永遠に静かになりたいのか?」
庭の花花が震え、木々は葉を落とすのではないかと思うほどの冷気が、ぶわりと広がった。
ぶるぶるぶる、青ざめて皆いっせいに首を横にふった。
「まあ、レイシス様。白い花が」
「セリーヌの歩いた後に咲くようですね」
「不思議なこともあるのですね。これも天花の加護でしょうか?」
白い花の存在に気づいたセリーヌが、驚き不思議がる。
チャンス、と医師たちがオルレアンをドンと押す。不敬罪レベルだが、医師たちの頭には10分で散ってしまう花でいっぱいだ。焦るあまり王子でも使えるものは使えの心境だった。
オルレアンは、兄ではなく優しいセリーヌをターゲットにした。
「セリーヌ嬢。お願いします。この白い花を我々にください。薬として必要な花なのです」
「はい。これも女神様のお恵ならば、どうぞお役だてて下さいませ」
「ありがとうございます!」
それっ、とオルレアンと医師たちは地面に伏すようにうずくまって、慎重に花に手をのばす。
「うわぁ、触るだけで散ってしまう」
「花まるごとが一番いいが、花弁も薬になる。拾え、一枚足りともなくすなよ」
「ぎゃあ、鼻息で散った!皆、呼吸をとめろ!」
「花を摘むまえに死んでしまうわ。10分も呼吸をとめれる人間はいない、バカいうな」
「あああ、花が散りはじめた。拾えっ、拾えーっ!」
老いも若きも地面に張りついたまま、とっても騒がしい。
「私の初デートが…!」
底冷えする声に、オルレアンと医師たちがハッと顔を上げる。
ヒィィィーッ!!!
般若面のレイシスがいた。
オルレアンは隣にいた老医師に抱きついた。老医師もオルレアンにすがりつく。二人は末期の恋人のように、ひしっと強くお互いに抱きつきあった。
「あ、兄上、ごめんなさい!!」
「ア゛」
玲瓏な美しい声なのにドスがきいている。
オルレアンと医師たちは水に濡れた子犬のように震えて、すまなそうな表情をセリーヌに向けながらも目が訴えていた。タスケテ、タスケテと。
つんつん、とセリーヌがレイシスの袖口をひっぱる。
「レイシス様。ちょっとしたアクシデントは思い出を彩ると思うのです。何年かたって、あの時は、って笑いながら思い出せると思うのです」
それに、と続ける言葉はレイシスの耳元で囁いた。
「王都では、二人っきりでデートしましょうね?」
恋人たちの定番あこがれの袖つんつんに甘いお誘い。レイシスは、抑えがきかないとばかりにセリーヌの手をとった。
「私のセリーヌ。王都では、ロマンチックなデートを全力でお約束します!」
美貌全開の笑顔のレイシスに、さすが天花様と、副官も部下たちもオルレアンも医師たちも心の中での万歳三唱を唱えるのだった。
春麗ら、花よ散るなかれ。
その香り、その色、その姿、女神の寵花よ我らのもとに留まり給え。
女神よ、人の短い命の間どうか天花を地上に留ませ給え。
どうかどうか、我らから奪うなかれ。春のはじめに花を散らすなかれ。
美しすぎる花は、女神が人の寿命を待たずに白い庭園に戻すことがある。しかし咲いた花はセリーヌの命に根付いているのだ。幸福な恋人たちの姿に、人々は切に切に女神に祈った。
ひさしぶりに外の風に触れたせいか、その夜セリーヌは微熱を出してしまった。
ずっと付き添うレイシスに、
「レイシス様もどうかお休みになって?」
とセリーヌは言うが、レイシスに首をふった。
「私のセリーヌ。今日はデートができて嬉しかったです。こんな嬉しい時を、これからはいっしょに経験できるなんて私はしあわせです。でも一番嬉しいのは、貴女がつらい時そばにいられるようになったことです。セリーヌが悲しい時も寄り添って、ひとりで震えさせることなく貴女をあたためられる、苦しみからも怒りからも、貴女を慰め慈しみ助けることができる、これほど幸福なことはありません」
セリーヌの胸の空洞は、レイシスの真心を尽くした言葉で埋めつくされる。かつてリザ国の王宮でひとりで泣いた夜は、二度とくることがないのだと。
「セリーヌ、愛しています」
真冬の音のない雪のように、降る降ると、あとからあとから尽きることないレイシスの愛が、溶けることなくセリーヌの胸に降り積もった。
ーー後世に数多のエピソードを残す二人だったが、レイシスは賢王としてセリーヌは賢妃として、栄光とともにその名前を歴史に刻むこととなるーー




