ミッシングリンク-9
アラヤはティアに別れを告げ、閉じ込められていた警察官たちを救出した。アラヤには、ティアからもらった情報で、どうしても確かめておきたいことがあった。
「オオキ巡査、少しイイか」
オオキは人心地つけたと気が緩んでいる。アラヤは聞くならば今の条件下をおいて他にないことを察知していた。
「お前ハ『戦争屋』というモノを知ってイルか?」
オオキの目にわずかな警戒の色が灯る。表情こそいつも通りだが、油断なくこちらをうかがっていることを、アラヤは肌で感じた。
「……アマリこういうことは言いタクないが、俺たちハあくまで協力関係。いつデモお前たちを見限れるンダ、コッチは」
緊張が走る。中には懐のテーザーガンに手を伸ばそうとする者もいた。だがそのうちの誰もが、アラヤに睨まれた途端に敵意を喪失させる。それほどの覇気が、アラヤから滲んでいた。
「警察がナナキと『戦争屋』ドモの繋がりヲ疑ってイタことは知っテイる。――イツからだ」
淡々とした口調で問い詰めるアラヤに、オオキは観念したように腕を上げる。
「……我々も寝耳に水だった。タレコミがあったんだ。ドクターナナキとドクターアラヤが危険な開発を行っている、と」
「サイコマグネメタルを用いた、DNAエネルギーにツイてか。ナルほど、お前たチの本当の目的は――」
アラヤの冷たい声に、オオキは頷いた。
「サイコマグネメタルの回収です」
アラヤは鼻で嗤う。
「そウカ、なら残念ダッタな。俺はモウこれとほぼ同化シテしまった。内臓を補っていルから、欲しけリャ殺して奪ってクレ」
それから、アラヤはオオキを掴み上げた。
「ぐっ」
「オオキさん!」
オレンの悲鳴が耳をつくが、アラヤはそれを無視してオオキに顔を寄せる。
「お前たちハ何を隠しテいる?」
「し、知らん。我々は何も――ぐぅ!」
みち、と音を立ててオオキの首の皮が張った。
「サ、サイコマグネメタルが、盗まれて!それどころじゃなくなったんです!」
その場にいた人間の顔が、オレンへと集中する。アラヤも思わず、オオキを取り落とした。
「げほっ。お、オレン……」
オオキのどこか咎めるような声に肩を震わせ、それでもオレンは顔を上げてアラヤに対峙する。
「ドクターアラヤ、ドクターナナキ。両名が保有するサイコマグネメタル、そのプロトタイプが一つ、盗まれたんです。あの研究所の爆発事故で……」
アラヤは惚けたようにその話を聞いていた。それから頭を振る。
「マテ。ナンだと?アソコに置いてきたノハ試作段階の――」
だが、そこまで言ってからアラヤは思い至った。干渉しうる第三勢力。
「ソレデ、戦争屋……」
DNAエネルギーの思想。アラヤとナナキのサイコマグネメタルに備わっていた過剰な攻撃性能。ナナキの人類進化計画。利害関係。そして、イヴと名乗ったあのロボット。
アラヤは呼吸が荒くなり始めたことを自覚する。頭が重くなり、呼吸は苦しくなる一方だ。それでも、思考も、怖気も、留まることを知らなかった。
「……盗まレタサイコマグネメタルは、一つだナ?」
あまりにも小さな声に、オレンはわずかに驚き、それから肯定を返す。
「……え?というか、ドクターたちが保有するものを除けば、残りはあれ一つだけですよね?」
アラヤの疑念は確信に変わった。
「――っ!オエエエェっ!」
「うわっ」
突然オオキたちから離れて嘔吐したアラヤを見て、動揺する警察官たち。だが、アラヤの目の焦点はもはやほとんど合わなくなりつつあった。
(バカげた計画ダ。そう思ッテいた。――バカは俺ダ!)
アラヤはもはや何も言わず、市街地に向かって全速力で駆け出す。
「アラヤさん!」
オレンの驚いた声すら、アラヤの耳には届かなかった。ただ、アラヤの身体は恐怖によって突き動かされていた。
――サイコマグネメタルは、あの場に二つ残されていた。だがそれを知るのはアラヤとナナキだけだ。アラヤは他の人間も知っているとばかり思い込んでいた。
ナナキと『戦争屋』が協力関係にあって、味方ではないこと。そして、“イヴというイレギュラー”の存在。確証はない。だが、ティアに入っていた情報は、人類そのものに、例外なく敵愾心を抱かせるものだった。創造主であるナナキ自身にすら。
彼は世界を滅ぼしうる力を、技術でもって利用した。利用された側が気付いている可能性は低い。名を連ねていた者たちは、現時点で、その悉くが死に絶えた。
エネルギー開発部門局長、治地拠点「アトラス」統括責任者、精製拠点「ティアマト」所属研究員。その息のかかった者、かかっていなかった者たちは、既に無差別に殺された後だ。
(俺なンカ、初めカラ眼中にナカったんだ!)
アラヤは己の自惚れに涙がこぼれそうになる。自分なら、彼を理解できる。どこかで止められる。その慢心が招いた結果が、これだった。
いつしか、予報はずれの雨が降り始める。アラヤはみっともなく歯を食いしばりながら、市街地区へ全速力で飛んだ。
あちこちから炎が上がっている。人の悲鳴が、警報のアラームよりも大きく聞こえる。大雨の中、それすらも貫く破砕音が、アラヤの背筋を凍らせた。
「――――ナナキ!」
遂に見つけたその人影目掛けて、アラヤは上空から躍りかかる。だが、気が付いた時には、アラヤの身体はコンクリートの壁にめり込んでいた。
「やっと来たのか」
ナナキの声が、やけに大きく聞こえる。アラヤは瓦礫を跳ねのけると立ち上がった。
「グッ……クソ、待てナナキ!」
背を向けて歩き出したナナキを呼び止める。ほんの一瞬で駆動系のいくつかがエラーを吐いていた。
「ナゼ、そうマデする!根絶やしにシタ先に、本当に進化があるト信じてイルのか!」
「確かめてないじゃないか」
無造作に放たれた一閃を、アラヤは強引に弾き飛ばす。
「確かメルまでモないだろう!絶滅は、外的要因によってもたらサレてきたものだ!」
「それは理由にはならないだろ」
二人が切り結ぶたび、世界に亀裂が広がっていく。雨の中、二人の声と剣戟が取り残されていく。
「何がお前をソウさせた!」
一瞬の空白。呆気にとられたナナキの表情は、すぐに穏やかな微笑みに取って代わった。
「――ああ、そうか。お前そういうやつだったな」
バイザー越しの親友を見やり、ナナキは全力で光剣を振り下ろす。アラヤもそれに合わせる形で光剣を交差させた。
火花が弾け、二人のバイザーを妖しく照らす。ナナキは素早く腕を振り上げ、アラヤを蹴り飛ばした。
「ゴアっ!」
数十メートル先で強引に踏ん張ったアラヤをよそに、ナナキはその後ろにそびえるビルに振り返る。そして光剣を構えた。
「ナッ――――」
言葉が音になる間もなく、鉄筋コンクリートがバターのごとく引き裂かれる。その中に避難していた、子どもも大人も、例外なく、強大な熱で、引き裂かれた。
アラヤの身体を血液が一気に駆け巡る。吐きそうなほど胃が脈動し、心臓が伸縮を繰り返す。アラヤは叫んでいた。
意味もない言葉。もはやなにも届きはしない。
「ナナキィィィィィィィィィィィィィイイイイ!」
「アラヤァァァアアアアアアアアアアアアアア!」
青と白き光が激突する。人知を超えたスピードと、常識を超えた膂力が、彼らの周囲を破壊していく。熱と斬撃で、高層ビルが更地へと変貌していく。
アラヤは守りたかった。
ナナキは超えたかった。
たった一つのすれ違いは、その街を破壊しつくすまでぶつかり続けた。
「当たり前の理屈だ」
「いきなりどうしたんですか、オオキ巡査」
オオキの握るハンドルの隣。携帯端末からオレンの映像と音声が送られてくる。
「言葉にしなければ、伝わらんのだ。言葉も、想いも」
「はあ……?」
眼下の居住区、そこに突然広がった砂漠を見つめ、オオキは嘆息した。
「人には理解できんさ。……絶対にな。“あれ”は本当に歪で不気味だ」
砂漠の真ん中、膝をついて首を垂れている白銀の鎧に、オオキは歩み寄る。
「で、その結果がこれか。ドクターアラヤ。いい夢は見れたか?」
オオキはアラヤの肩を乱暴につかむと持ち上げた。バイザーは破損し、アラヤの虚ろになった瞳が露わになっている。
「フン。責任から逃れ、廃人となる道を選ぶか。哀れなものだな」
アラヤの唇がわずかに動いた。
「――――オオキ」
「おや、生意気にもまだ意識が残っていたか。ならばついでに朗報を告げておかねばな。先ほど、ドクターナナキが全世界に向けて宣戦布告……いや、殲滅宣言を行ったよ」
オオキの手を、アラヤがむしるように除ける。
「お前がそうしている間にも世界が、この理想都市の人々が死に絶えている。お前たちのわがままが生んだ軋轢が、世界を滅ぼそうとしているんだ。責任くらい取ってくれたまえ」
見下すように、オオキが吐き捨て、アラヤの身体を怒りに任せてどついた。硬い装甲に阻まれ、むしろ自分の手に痛みが走ったために顔をしかめたオオキだったが、アラヤを見るその目は冷ややかなままだ。
「……使えないヤツだ。お前も科学者の端くれなら、人の世が発展することに奉仕すること、それこそが正しいと理解していたはずだろう」
アラヤは押し黙ったまま答えない。オオキは業を煮やし、車に再び乗りこんだ。
「ドクターナナキは我々で駆除する。協力に感謝するよ、ドクターアラヤ」
砂埃を巻き上げ、車が走り去る。アラヤはそれをただ見送った。
「じゃあ時間でも巻き戻してクレよ」
歯の隙間から漏れた言葉を噛み潰すと、アラヤは拳を地面に叩きつけた。
「クソがああああああああああああ!」
叩きつけられた拳を中心に砂が波打ち、円を描く。手がわななき、まともに拳を握りこむこともままならないまま、アラヤは何度も砂を掴む。頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されているようで、何度もその気持ち悪さに嘔吐した。
「俺は……オレは、何のタメに……」
アラヤは歯を食いしばる。だが、立ち上がるだけの力が、どうしても足にこもらなかった。
「チクショウ……」
悲鳴の残響が、耳の奥にこびり付いて離れず、アラヤはのたうつように頭を砂に叩きこむ。バイザーがバイタルサインのアラームをけたたましく鳴らす。アラヤは頭を振ると、両手で引きちぎらんばかりに抱え込んだ。
「ぐぅ……くアアアアァアアアア!」
アラヤの慟哭は砂へと吸い込まれ、どこにも届かずに消える。