ミッシングリンク-8
飲み込まれ、落下していった底で、アラヤは軽やかに着地する。それから、装甲に付着した赤い液体を軽く拭った。
(トッサに表層の皮膚片ヲ血に偽装したガ、存外うまくイッタな)
アラヤはまわりを見渡す。ここは水中ではないらしく、酸素も存在していた。アラヤは暗視モードを起動すると、奥に見えたドアに向かって歩き出す。
ドアの前に立つと、音もなく開かれた。そして暗い廊下の先に、もう一つドアが見える。アラヤは罠を警戒しながら歩を進めた。
「オッと……」
次のドアをくぐった瞬間、アラヤは視界を奪われる。暗視モードが切れ、視界を次第に取り戻していったアラヤは、目を見開いた。
子どもたちが、遊んだり膝を抱えて座ったりして存在している。しかしその瞳に意思らしい光はなく、アラヤのことを「認識しなければならない」もののように見ていた。
「こノ子、たちハ……」
「可愛いでしょう」
アラヤは大きく距離を取ってから振り返る。そこには、身体が水で出来ているかのような透明度を誇るロボットが立っていた。
「ナナキ様には処分を命じられているのだけど。私にはできなくて」
そのロボットはアラヤの横を素通りすると、その後ろでクレヨンを地面に擦り続けている子供を拾い上げる。
「人間って、どうしてこんなに愛おしいのかしら」
そうして撫で、その子供にほおずりした。その間にも、子どもは虚空をクレヨンでなぞり続けている。アラヤは刃を収納した光剣の柄を握りしめた。
「……ソレは、人間ジャない」
ロボットの子どもを撫でる手つきが、ほんの一瞬ペースを乱す。
「どうして、そんなことを言うの?」
二人の声は淡々と、不気味な静寂に満ちた部屋に響いた。
「――“マウス”だかラだ。俺も実物を見るノハ初めてダが、おそらクは実験、いや治験用のものダロウ」
「同じ形をしているのよ?」
「お前たちはコアユニットを持たなイで動くロボットを、同類と認識でキルのか」
「ならなおさらじゃない」
「違うナ」
デフォルメされた顔であっても、彼女から明らかな不快感が漂ったことに、アラヤは気が付く。それでもアラヤは口を開いた。
「こいツらニは、致命的に足リテいないものガある」
アラヤがきっぱりと言い切ると、ロボットは嘲笑する。
「ああ、感情の話?そんなものは、これから教育していけばいくらでも――」
「いいヤ。まルで違う」
ロボットは食って掛かろうとして、その発声器官から音を出すことがかなわなかった。
「こイツらには――」
アラヤが、生ごみが散乱した床を見た時のような声音で続ける。
「破壊衝動が、他人を傷つけタイという攻撃欲求がマルでない。そウいう風にデザインされテいる」
ロボットは、一瞬その目を丸くして、それから呆れたような音を発した。
「それが、どうだというの?他者を攻撃しない、縄張りを意識しない。野生生物を超えた理性存在の姿じゃない」
「そうだ。だから意味が生まれない」
突然、別の声が一つ。ロボットもアラヤもそちらを見て――固まった。
「ティア。まさか君が裏切るとは。がっかりだよ」
「な――」
弁明の余地もなく、ティアと呼称されたロボットが吹っ飛ばされる。壁に叩きつけられたそれは、外装にひびが入り、派手なショート音を立てたまま動かなくなった。
「――っ!ナナキッ!」
「はぁ。そんな怒るなよ。てかなんでお前が怒ってんのさ。俺の作ったモンだろ」
アラヤは横目でティアを確認する。
「なゼこんな事ヲ!本当ニお前が!」
ナナキは若干毒気の抜かれた顔をした。それから頭を掻くと、面倒くさそうに口を開く。
「ああ、そこからか」
ナナキは腕を降ろすと、軽く腰に手を当てた。伸びをするときの呻き声と共に、ナナキは答えを吐き出す。
「なんてことはない。つまらなかったからさ。よくあるだろ?」
アラヤは歯を食いしばると、フィンガーバルカンをナナキに向けた。その様子を見て、ナナキはバイザーを上げると素顔を見せる。そして、満面の笑顔をアラヤに向けた。
「なんだ。わかってたんじゃないか。さすが相棒」
アラヤの指先が震える。近づいてくるナナキを、指先がナナキに触れてなおアラヤは、彼を撃つことができなかった。
「俺たちの出した答えは少し違う。だからお前が知りたがったものを用意したのさ」
ナナキはそのまますれ違うようにして、アラヤの脇を通り過ぎていく。
「ナナキ」
アラヤは、震える声を精一杯に抑えて問いかけた。
「満足シたか?」
「……いいや、まだだね」
アラヤが振り返ると、そこにはもう誰もいない。アラヤは力なく腕を垂らした。歯を食いしばり、踵を地面に叩きつける。
「どうしテだ……!」
部屋のどこからも答えは返ってこなかった。
アラヤがやるせなく立ち去ろうとすると、ふと妙な電子音を捉え、アラヤは周りを見回した。
「……」
その音の発信源は、先に破壊されたティア。アラヤは何も言わずに近づくと、ティアに手を伸ばした。
(――コアユニットから駆動系へつなぐタメの配線が一部外れたンダな。すさマジい衝撃を……。だが、この程度なら直せル。直せテシまう)
アラヤは迷う。直に見て、話してみて、イヴやガルデューラに比べて、このロボットは明らかに敵意が薄く、むしろナナキの命令を無視するほどの自我を確立させていた。研究者として、これほどの存在をこのまま朽ちさせることは到底許容できるものではない。その一方で、それが人の脅威となった時の対処が浮かばないこともまた事実だった。
(コイツの行動原理は、言うなレば愛。ガルデューラの時のヨウにわかりヤスく敵意があれば、まだ簡単だっタが……)
アラヤは諦める様に目をつむると、大きく深呼吸する。それから、ティアの身体に手を伸ばした。
程なくして、全身のリスタート工程が始まる。その隙に、アラヤはティアを拘束すると、彼女の首に腕を押し当てて壁へ押し付けた。
「――。あら?随分熱烈なのね」
ティアがアラヤに笑顔を向ける。アラヤは一瞬毒気を抜かれかけるが、努めて厳しい表情を保って問いかけた。
「ナナキの目的は……お前タチにインプットされてイる命題は何だ」
「ティアって呼んで」
「ハ?」
アラヤの頭から色んな事が吹っ飛びかける。空いている手で首の後ろを掻きむしると、アラヤは思い切り顔を近づけて凄んだ。
「――答えロ。お前タチの目的は何だ!」
「つーん」
ティアが顔を背ける。ご丁寧に、顔の頬パーツがセパレートで膨らんでいた。アラヤは苛立ちを隠さずに壁に手を叩きつける。
「遊びデやってるンじゃナイ」
ティアがアラヤを横目で伺った。だが、再び目をそらしてしまう。アラヤはしばらくその横顔を睨みつけていたが、やがて諦めたように立ち上がった。
「……行ってしまうの?」
ティアの声に、アラヤは立ち止まる。
「ねえ、お願い。一度だけでいいの。私の名を呼んで」
アラヤは舌打ちして、不快感を露わにした表情を向けた。
「ナゼ?」
ティアは目を閉じ、祈るように首を垂れる。
「私も、遊びじゃないから」
アラヤの眉がわずかに動いた。アラヤは周囲を見回し、唸り声をあげ、首すじを掻きむしると、口を開く。
「……わカッタよ。ティア。こレデ満足か」
「ええ」
ティアが頷くと、突然彼女の瞳が無機質に輝いた。アラヤはすぐに飛び退ったが、続く音声に耳を疑う。
「――最終マスター確認過程、音声情報の入力を獲得。マスター権限をナナキ・アリスフィアからアラヤ・ティリティアへ移譲、完了しました」
「……ア?」
呆然とするアラヤをよそに、ティアが駆け寄ると抱き着いた。
「はい!これで私はあなたのモノ!何でも好きに命令してちょうだい!」
「ハ?待テ!待て待テ!どういうコトだ!」
アラヤが振りほどこうにも、異様なほど滑らかな動きで、ティアはアラヤにしがみつく。
「あら、言葉通りの意味よ?」
「違ウ!そんナわかりキッタ話じゃナイ!軽々とナナキを裏切レたのは何なンだ!」
ティアが首を傾げたのを見て、アラヤは戦慄した。
(人ヲ裏切るコトができるロボット……ソンナものがあるなら、それはもハヤ人類の脅威ソノものだ!)
「私が、そうあれと創られたからよ。だから、私の生き方は私が決めるの。さっき知りたがっていたでしょう?私たちの命題――最初の命令。私たちは、私たちの信じる生き方をしているだけなの」
アラヤが警戒を解かずにいるのを見て、ティアは目を細める。
「命令が曖昧スギだ。そんなコトで……」
ティアはつまらなさそうに腕を解くと、胸の前に手を当てた。
「マスターに嘘はつかない主義よ。ガルデューラやイヴちゃんは、ドクターナナキに傾倒していたけれど。……私には彼の思想は理解できなかった。同じDNAから生まれた思考パターンのはずなのに、私たち三人は意外なほど話が合わないわ」
アラヤがこちらを見つめていることを確認すると、ティアは説得を続ける。
「これ以上は、そうあるものだから、としか言えない。私は自分でドクターナナキの思考パターンにあった、人類への攻撃性思考を否定したの。あとは、私たち自立思考型の人への保護思考や庇護欲のみに基づいて行動しているから……。私の解析のログもあるんでしょ?あんまり野暮なこと言わせないで」
アラヤがやがて、諦めたように首を振った。
「……信じがたいけど、サスガに実証があるンじゃ仕方がナイ。理解シタ」
それに、とアラヤは思考を巡らせる。ティアはつまり、二度人間を裏切れるような思考パターンを抱いているわけではなく、あくまで最初に入力された命題に対し、後から入力された命令がそれに反していると判断した。
とてつもなく複雑な思考をしていながら、その目的は単純明快。ティアは人類を守るために行動しようとしている。ならば、ここでリスクを避けるために破棄することはナンセンスだと思われた。
(楽観的カナ)
アラヤは自嘲するように鼻息を鳴らすと、ティアに向き直る。
「ナラ、まずハここに閉じ込めらレタやつらを助けタイ」
すると、ティアがわずかにためらう様子を見せた。
「……どうシタ?」
「ここに閉じ込めた奴ら……あいつらは研究員でしょう?この子たちを、作った――」
ティアの目が、虚ろなマウスたちに移る。アラヤは一瞬きょとんとしてから、慌ててティアの肩を掴んだ。
「チ、違う!アイツらはここを調べに来た人間ダ!警察機構の連中ダよ!」
「……え?」
ティアは驚きに目を丸くする。アラヤが正しいデータベースにアップデートしてやると、ティアは困惑したようだった。
「そんな……私……」
「無理もナイ。お前タチ、頭の硬い人間かラは脅威にシカ映らナいからな。ネットワークに繋ガズ、クローズドで独立さセテいたのは、他の誰にも勘づカレないようニする目的もアッタはずだ」
ティアはそれには答えず、何か考え込んでしまっている。アラヤが黙ってみていると、ティアから、彼女にもともとインプットされていたデータが送られてきた。
「……ナルほど」
言ってしまえば、アラヤの認識と大きく異なることがそこには情報として記載されている。アラヤへの評価も、単純な邪魔者であるという認識を与えるだけの粗雑なものだ。
「貴重な情報ヲありがとう。とりアエズ俺が出す命令は、この施設の水抜キ。それかラ――」
アラヤは白い部屋を見渡す。
「コノ子たちの当分の世話ダ」
ティアの目が大きな円を描いた。それから、アラヤに飛びつく。
「いいの?ありがとう、マスター!」
アラヤは頷くと、すぐにティアを引っぺがした。
「とにカク、他の人間との接触は極力避けテクれ。……ナナキの無実を証明シテ、ぶん殴っタラ自由に出歩けルヨうになるはずダから」
「……。発言の意味がわからないわ。ドクターナナキが無実?」
ティアが不思議そうに問うと、アラヤは恥ずかしそうに頭を掻く。
「ひどいコじつけサ。アイツは直接、自分の手で人的被害を出しタわけじゃナイ。ソモそも関わりがナい事件の罪には問えないダロ?」
「……思ったよりも悪人なのね、マスター」
「鞍替えすルなら今のウチだ」
アラヤがそう言うと、ティアは首を横に振った。
「マスターは私を理解してくれた。それに報いるのが、今の私の使命。あなたの命令を実行するわ。――それと同時に、私の中のブラックボックスについても、解析を進めておきます」
「……ドウいう意味だ?」
「こちらなりのやり方で、ドクターナナキの足跡をたどるつもりです。マスターも気づいていると思うけれど、ドクターナナキは明らかにあなたを誘導している。私たちの中にある彼の因子を基に演算を進めれば、彼の目的が――」
アラヤはしばらくぽかんとしていたが、やがて何かに思い至ったらしく苦笑する。
「いや、イイヨ。大丈夫」
だからこそティアは動揺した。
「え、どうして?」
「だって、ワカッテるんだ。ナナキがドンな考えで人間を滅ぼそうとしてイルのか」
明日の天気でも言うように言ってのけたアラヤの言葉に、ティアは絶句する。
「単純に、バカバカしくテ信じらレテないだけだよ。本気でソレを……人類の進化を諦めてナイだなんて」